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プロジェクト

2018-07-17 15:02:01

レンズを通してタイ社会に寄り添う 報道写真家・瀬戸正夫氏、カメラを手にして70年 バンコクで写真展開催へ

レンズを通してタイ社会に寄り添う 報道写真家・瀬戸正夫氏、カメラを手にして70年 バンコクで写真展開催へ

  洞窟からのサッカー少年たちの救出劇が連日大きく報じられた東南アジアのタイは、日本製造業の海外生産拠点であり、多くの日本人が暮らす、私たちと縁浅からぬ国。そのタイで激動の戦後を写真に記録し続けてきた瀬戸正夫さん(87)のカメラマン人生が今年、70年を迎えた。

 戦後のタイは、ベトナム戦争やカンボジア内戦など戦火に包まれたインドシナで「反共の砦」の一角として東西冷戦の最前線にあっただけでなく、たびたび政治混乱に陥りながらも急速な経済発展を遂げて大きく変貌した。1980年代後半から加速した日本企業の進出の勢いは、その後も衰えることなく、首都バンコクには世界屈指の在留日本人社会ができた。

 瀬戸さんの半生もまた、波乱に満ちたものだった。

 31年、南部プーケットで日本人の父とタイ人の母との間に生まれ、8歳の時に両親と離れてバンコクの「盤谷日本尋常小学校(後に国民学校)」へ。アジア・太平洋戦争が始まり、やがて日本軍の戦況が厳しさを増すと、学校では連日軍事教練を受けた。自決の仕方も教えられたという。45年に日本が敗戦すると、日本人抑留キャンプの収容生活も経験した。

瀬戸正夫さんと愛車の三菱ランサー

 瀬戸さんが、自分の名前が日本の戸籍に記載されていないことを知るのはその後だ。収容所生活が終わっても帰国はかなわず、タイに残って飲食店や商社などさまざまな職に就きながら生きた。タイ国籍が取得できたのは戦後20年近くたってから。その間、無国籍の状態に置かれた。こんな過酷な自身の経験も含め、瀬戸さんは戦前からのタイと日本人社会を様子を知る貴重な証言者だといえる。

 カメラを手にしたのは48年。独学で写真撮影や現像の技術を身につけて、64年、フリーランスのカメラマンになった。その後、67年に朝日新聞バンコク支局(現アジア総局)の助手兼カメラマンに。戦火を逃れて国境地帯にたどり着いた難民や、カンボジアのポル・ポト派支配地域、ミャンマーの少数民族武装勢力の拠点などの取材に精力的に取り組んだ。

 タイ社会も、軍による政治支配、民主化運動と流血弾圧、クーデターなどを繰り返し、目を見張る経済成長の一方で、内なる葛藤を続けてきた。瀬戸さんは事件、事故の取材に飛び回りながらも、庶民の暮らしぶりにレンズを向け、スラムの子供たちや少数民族などに寄り添ってきた。撮りためた写真は、タイ社会の貴重な史料でもある。

左上から時計回りに、タイの子ども僧▽ポル・ポト派の女性兵士▽「タナカ」と呼ばれる白粉を塗るミャンマーの女性▽反タクシン派のステープ元副首相▽少数民族の男(いずれも瀬戸正夫さん撮影)

 瀬戸さんがカメラを手にして70年になることを記念して、お世話になった関係者が瀬戸さんの写真展をバンコクで開くことを企画した。

 8月18日から9月1日まで、バンコク中心部、高架鉄道BTS「アソーク」駅近くにあるインターチェンジ21ビル内のパーソネルコンサルタント社ギャラリー21で。展示される写真約50点は、瀬戸さん自身が選んだ。期間中は瀬戸さんの講演も予定されている。

 有志で作る実行委員会は、朝日新聞社のクラウドファンディングサイト「A-port」で支援を募っている。クラウドファンディングの詳細は、https://a-port.asahi.com/projects/setomasao_bangkok/

(朝日新聞前アジア総局長 大野良祐)