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ボクシング王国・沖縄を築いた金城眞吉監督の生涯をドキュメンタリー化したい!

プロジェクトイメージ
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このプロジェクトについて

 今年2月4日、沖縄で37年ぶりに開催されたボクシングの世界戦終了後、2度目の防衛をKOで果たした県出身の比嘉大吾選手と会長の具志堅用高氏がリング上で高々と男性の遺影を掲げました。この人は興南高校と沖縄尚学高校で計45年間ボクシングを指導し、ボクシング王国・沖縄を築いた具志堅用高氏の師匠、金城眞吉監督です。昨年11月16日、肺がんのため73歳で亡くなりました。 消防士を本業とする傍らで、「地元で喧嘩に明け暮れる不良少年」や「世界チャンプを夢見る少年」らを自宅を改造した合宿所で寝食を共にし、私生活からボクシング指導までをボランティアで続けた人です。育てた全国王者は、のちにプロで世界王者となる具志堅氏ら延べ40人。他校ではありますが浜田剛史氏、平仲信明氏、近年では村田諒太選手、比嘉選手にもリングで戦う心構えを説きました。 闘病中は、多くの教え子が病床に駆け付けました。告別式では教え子を代表し、臨終もみとった具志堅氏が「今日まで私がいるのも監督のおかげです。ボクシングをしたことも、見たこともない石垣島から来た16歳の私に教えてくれた。いまだに監督のミットの音が聞こえています。監督のミットは日本一です」と涙ながらに弔辞を述べました。 米軍占領下や本土復帰後の沖縄で、なぜ金城眞吉監督は身銭を切ってまで沖縄の高校生の指導に熱を入れたのか、卒業しても我々教え子が「おやじ!」「監督!」と慕った魅力は何か。消防士でありながら若者のハートに火を付け続けた金城眞吉監督の在りし日の映像と、そこで学んだ教え子の今をドキュメンタリー映画にして残し、多くの人たちに届けたい。ご支援をどうかよろしくお願いします。制作は琉球放送株式会社(RBC)、監督は、RBCで長年沖縄スポーツの取材を続け、金城監督と親交が深かったベテランアナウンサーの土方浄さんが務めます。「10カウントは聞かない」~カンムリワシを育てた男~(仮)は、沖縄国際映画祭で上映します制作した映像作品は、「島ぜんぶでおーきな祭 –第10回沖縄国際映画祭-」で上映します。島ぜんぶでおーきな祭 ー第10回沖縄国際映画祭ー日時:2018年4月19日(木)~22日(日)場所:那覇市他、沖縄県内各所以下は、金城眞吉監督の軌跡、エピソードです。こうした金城眞吉監督の生涯の軌跡を映像作品として残したいと思っています。オヤジ(金城眞吉監督)の軌跡1. 現役のボクサーから指導者へ金城眞吉(監督)さんは、沖縄が米軍占領下にあった高校時代、米兵相手に拳を磨いて沖縄高校王者となり、パスポートを携えて東京の名門・日本大学へ進学しました。しかし、全国では通用せずに現役生活を断念しました。本土の強豪にたたきのめされた悔しさを抱きながら故郷沖縄に戻り、「ヤマトンチュー、タックルセー(本土の人間を倒せ)」「ヤマトンチュー、マキランケー(本土の人間に負けるな)」の反骨心を胸に、指導者となりました。(写真・東京五輪代表候補の今泉宏隆と戦う、当時高校3年生の金城眞吉さん) 2. 指導者として興南高校へ1969年4月、ボクシング部監督となった興南高校にはリングもなく、唯一板張りだった放課後の1年1組教室が練習場となりました。部員同士が手を繋いでリングのロープの代わりとなり、その中央でスパーリングをしたのです。後ろに下がれば先輩後輩を問わず容赦なく蹴り飛ばし、中央へ戻す練習が繰り返されました。「ガード上げろ、手を出せ、前に出ろ」の怒号が飛び交う中、沖縄独特のファイタースタイルが生まれました。(写真・教室で卒業部員と写真に納まる金城眞吉さん=前列左端)3. 地元沖縄で開催された海邦国体で全国優勝開催が決まっていた87年の海邦国体に向けて「全国優勝」を至上命題とし85年、自宅を改装してジムと合宿所を建設して選手と寝食をともにしました。食生活から生活指導まで、全身全霊で選手育成に情熱を燃やした結果、本番では18年ぶりの少年団体制覇を果たしました。とりわけ決勝では、強豪神奈川県に5人のメンバー全員が勝利する圧倒的な強さを見せつけました。なお海邦国体世代は、のちに世界王者や人気選手となるボクサーが多い時代でした。川島敦志、鬼塚勝也、辰吉丈一郎、葛西裕一らの黄金の世代です。海邦国体のさなか、監督さんの教え子である渡久地隆人先輩(のちのピューマ渡久地)と、仲間同士で騒いでいた「浪速のジョー」こと辰吉丈一郎さん(元WBC世界バンタム級王者)がリング外で衝突し、一触即発になったエピソードはあまりにも有名です。(写真・海邦国体で少年団体優勝を成し遂げ、胴上げされる監督の金城眞吉さん) 4. 名伯楽の指導に妻の支えあり(妻清子との愛情物語)監督さんの指導を語るにあたり、奥さん(妻清子)の存在は欠かせません。監督さんの厳しさとは逆に、約20人の合宿生に朝夕の食事を作り、励まし、時に相談にも乗りながら優しく接してくれました。2010年11月、突然の病気で急逝し、監督さんをはじめ家族や卒業生らは悲しみの淵に沈みました。今でも奥さんの食事が恋しいです。特に、夕食のとんかつ定食は人気でした。試合当日のバナナサンドもとても懐かしい。県内でも特に札付きのやんちゃたちにとって、本当に母親のような存在でした。(写真上・監督の妻清子さん(右)が作った夕食を取る合宿生たち=1993年ごろ)(写真下・自宅のジムで指導する監督(右)と清子さん(中央)。二人三脚で選手を育てた。)5.なぜ、金城眞吉監督の指導には人が育つのか?(1)指導スタイル●練習法監督さんの練習法は、徹底して話し込むスタイルでした。90分間の練習中、80分間話し続けたこともありました。答えは決して言いません。「なぜ?」「どうして?」と考えさせることに重点を置くのです。ヒントだけ伝え、どう生かすかは自分で決めさせました。そうでないと身につかないからです。●戦略沖縄県民は、比較的がっちり型が多く、手足も県外選手より短い特徴があります。ボクシングではリーチが短ければパンチが相手に届きません。そこで監督さんは「狭い部屋で2メートルの棒を持ったやつとの闘い方を考えろ」と説きます。相手の懐に入り込めば棒を振り回すことができない。踏み込めば相手の長所を完全に潰すことができるのです。この戦法は、監督さんの現役時代のスタイルでした。かつての最強王者マイク・タイソンの戦い方と同じです。そのためには徹底して走り込まなければなりません。実際にそのスタイルで背の低い若者を何人も全国王者に育てました。中には「カエル跳び」を駆使する者もいました。全員を「攻撃型」にしたわけではありません。選手の体格や特徴、性格を見極め、打たせないスタイルの指導も卓越したものがありました。とりわけ、サウスポーの指導には定評があり、具志堅用高先輩もサウスポーでした。監督さん自身もサウスポーだったのです。

 今年2月4日、沖縄で37年ぶりに開催されたボクシングの世界戦終了後、2度目の防衛をKOで果たした県出身の比嘉大吾選手と会長の具志堅用高氏がリング上で高々と男性の遺影を掲げました。この人は興南高校と沖縄尚学高校で計45年間ボクシングを指導し、ボクシング王国・沖縄を築いた具志堅用高氏の師匠、金城眞吉監督です。昨年11月16日、肺がんのため73歳で亡くなりました。

 消防士を本業とする傍らで、「地元で喧嘩に明け暮れる不良少年」や「世界チャンプを夢見る少年」らを自宅を改造した合宿所で寝食を共にし、私生活からボクシング指導までをボランティアで続けた人です。育てた全国王者は、のちにプロで世界王者となる具志堅氏ら延べ40人。他校ではありますが浜田剛史氏、平仲信明氏、近年では村田諒太選手、比嘉選手にもリングで戦う心構えを説きました。
 闘病中は、多くの教え子が病床に駆け付けました。告別式では教え子を代表し、臨終もみとった具志堅氏が「今日まで私がいるのも監督のおかげです。ボクシングをしたことも、見たこともない石垣島から来た16歳の私に教えてくれた。いまだに監督のミットの音が聞こえています。監督のミットは日本一です」と涙ながらに弔辞を述べました。

 米軍占領下や本土復帰後の沖縄で、なぜ金城眞吉監督は身銭を切ってまで沖縄の高校生の指導に熱を入れたのか、卒業しても我々教え子が「おやじ!」「監督!」と慕った魅力は何か。消防士でありながら若者のハートに火を付け続けた金城眞吉監督の在りし日の映像と、そこで学んだ教え子の今をドキュメンタリー映画にして残し、多くの人たちに届けたい。ご支援をどうかよろしくお願いします。
制作は琉球放送株式会社(RBC)、監督は、RBCで長年沖縄スポーツの取材を続け、金城監督と親交が深かったベテランアナウンサーの土方浄さんが務めます。




「10カウントは聞かない」~カンムリワシを育てた男~(仮)は、沖縄国際映画祭で上映します

制作した映像作品は、「島ぜんぶでおーきな祭 –第10回沖縄国際映画祭-」で上映します。

島ぜんぶでおーきな祭 ー第10回沖縄国際映画祭ー
日時:2018年4月19日(木)~22日(日)
場所:那覇市他、沖縄県内各所


以下は、金城眞吉監督の軌跡、エピソードです。
こうした金城眞吉監督の生涯の軌跡を映像作品として残したいと思っています。



オヤジ(金城眞吉監督)の軌跡

1. 現役のボクサーから指導者へ
金城眞吉(監督)さんは、沖縄が米軍占領下にあった高校時代、米兵相手に拳を磨いて沖縄高校王者となり、パスポートを携えて東京の名門・日本大学へ進学しました。しかし、全国では通用せずに現役生活を断念しました。本土の強豪にたたきのめされた悔しさを抱きながら故郷沖縄に戻り、「ヤマトンチュー、タックルセー(本土の人間を倒せ)」「ヤマトンチュー、マキランケー(本土の人間に負けるな)」の反骨心を胸に、指導者となりました。


(写真・東京五輪代表候補の今泉宏隆と戦う、当時高校3年生の金城眞吉さん)


2. 指導者として興南高校へ
1969年4月、ボクシング部監督となった興南高校にはリングもなく、唯一板張りだった放課後の1年1組教室が練習場となりました。部員同士が手を繋いでリングのロープの代わりとなり、その中央でスパーリングをしたのです。後ろに下がれば先輩後輩を問わず容赦なく蹴り飛ばし、中央へ戻す練習が繰り返されました。「ガード上げろ、手を出せ、前に出ろ」の怒号が飛び交う中、沖縄独特のファイタースタイルが生まれました。


(写真・教室で卒業部員と写真に納まる金城眞吉さん=前列左端)


3. 地元沖縄で開催された海邦国体で全国優勝
開催が決まっていた87年の海邦国体に向けて「全国優勝」を至上命題とし85年、自宅を改装してジムと合宿所を建設して選手と寝食をともにしました。食生活から生活指導まで、全身全霊で選手育成に情熱を燃やした結果、本番では18年ぶりの少年団体制覇を果たしました。とりわけ決勝では、強豪神奈川県に5人のメンバー全員が勝利する圧倒的な強さを見せつけました。

なお海邦国体世代は、のちに世界王者や人気選手となるボクサーが多い時代でした。川島敦志、鬼塚勝也、辰吉丈一郎、葛西裕一らの黄金の世代です。海邦国体のさなか、監督さんの教え子である渡久地隆人先輩(のちのピューマ渡久地)と、仲間同士で騒いでいた「浪速のジョー」こと辰吉丈一郎さん(元WBC世界バンタム級王者)がリング外で衝突し、一触即発になったエピソードはあまりにも有名です。


(写真・海邦国体で少年団体優勝を成し遂げ、胴上げされる監督の金城眞吉さん)


4. 名伯楽の指導に妻の支えあり(妻清子との愛情物語)
監督さんの指導を語るにあたり、奥さん(妻清子)の存在は欠かせません。監督さんの厳しさとは逆に、約20人の合宿生に朝夕の食事を作り、励まし、時に相談にも乗りながら優しく接してくれました。2010年11月、突然の病気で急逝し、監督さんをはじめ家族や卒業生らは悲しみの淵に沈みました。今でも奥さんの食事が恋しいです。特に、夕食のとんかつ定食は人気でした。試合当日のバナナサンドもとても懐かしい。県内でも特に札付きのやんちゃたちにとって、本当に母親のような存在でした。


(写真上・監督の妻清子さん(右)が作った夕食を取る合宿生たち=1993年ごろ)
(写真下・自宅のジムで指導する監督(右)と清子さん(中央)。二人三脚で選手を育てた。)


5.なぜ、金城眞吉監督の指導には人が育つのか?

(1)指導スタイル

●練習法
監督さんの練習法は、徹底して話し込むスタイルでした。90分間の練習中、80分間話し続けたこともありました。答えは決して言いません。「なぜ?」「どうして?」と考えさせることに重点を置くのです。ヒントだけ伝え、どう生かすかは自分で決めさせました。そうでないと身につかないからです。

●戦略
沖縄県民は、比較的がっちり型が多く、手足も県外選手より短い特徴があります。ボクシングではリーチが短ければパンチが相手に届きません。そこで監督さんは「狭い部屋で2メートルの棒を持ったやつとの闘い方を考えろ」と説きます。相手の懐に入り込めば棒を振り回すことができない。踏み込めば相手の長所を完全に潰すことができるのです。

この戦法は、監督さんの現役時代のスタイルでした。かつての最強王者マイク・タイソンの戦い方と同じです。そのためには徹底して走り込まなければなりません。実際にそのスタイルで背の低い若者を何人も全国王者に育てました。中には「カエル跳び」を駆使する者もいました。全員を「攻撃型」にしたわけではありません。選手の体格や特徴、性格を見極め、打たせないスタイルの指導も卓越したものがありました。とりわけ、サウスポーの指導には定評があり、具志堅用高先輩もサウスポーでした。監督さん自身もサウスポーだったのです。

東洋大の合宿で支持する金城眞吉監督
(写真=選手を熱血指導する金城眞吉監督)



(2)恐怖心と情熱

■ 練習で
監督さんを語る時、教え子の誰もが「怖かった」「恐ろしかった」と振り返ります。それなのになぜ、みんな監督さんを慕うのでしょうか。「お前を強くしたい」「試合で勝たせたい」「全国で戦わせたい」という情熱が子ども心にも伝わるからです。

監督さんが勤める消防署の仮眠室のベッドには各選手の記録、次の大会日程とトーナメント表が張りつくされていました。自宅に練習場と合宿所を、身銭を切って造ったり、早朝のロードワークには救急車と白衣、ヘルメット姿で登場したこともありました。ここまで真剣に向き合ってくれれば、沖縄県内屈指のやんちゃたちにも愛情が伝わります。言葉は荒々しくても、その本気度が明確に伝わりました。

■ 試合で
試合中ではラウンドごとに1分間のインターバルがあります。そこで監督さんは選手に「倒せるか?」と問い掛けます。「倒す」と答えると「クルセ(やっつけろ)」との指示が出ました。スタミナの切れた選手には「相手もへばってるんだよ。苦しい時こそ前に出ろ」「お前、前に負けた悔しさ忘れたのか?あの苦しい練習は何だったんだよ?」と過去の悔しさを思い出させて戦闘魂を鼓舞しました。試合中にもかかわらず「お前やる気がないなら飛行機乗って帰れ!」と言ったこともあります。そして再びゴングが鳴ると、出ていく選手の背中を平手で強くたたく。選手の背中は真っ赤な手形となり、最終ラウンドに逆転し勝利すること選手も多かった。選手をその気にさせる名手だったのです。


■ 社会人になって
監督さんの門下生の多くは県内の札付きのワル、行き場のないやんちゃ盛りの少年たちでした。入部した時、あいさつもろくにできない生徒には徹底して礼儀を教えました。部屋に入る時は「失礼します」と大きな声で言い、靴を並べてから室内に入る。食事の際には「いただきます」「ごちそうさま」とそろって言う。そんな当たり前のことができるよう、時に声を荒らげてでもたたき込みました。玄関に靴を並べる息子の姿を見て、号泣した母親もいました。

そして社会に出た時、「あの人少し違うね。人に対してとても気遣いができる。優しくてとても礼儀正しい、しっかりしている」と評価をされることがあります。それは、監督さんがボクシング以上に、社会に出て恥ずかしい思いをしないように、必死に教えてきたことなのです。

監督さん自身、いつも「最近、仕事はどうか?」「お父さん元気か?」「腹減ってないか?」「ビール飲んで行け!」などと訪ねてくるOBに声を掛けていました。教え子の中にはかつて練習を逃げ、学校を退学し、ひいては法律に違反することをしてしまった人もいます。それでも監督さんは、訪ねてきた者を必ず受け入れてくれます。さまざまな分野で活躍している人も、陽の目を見ない人生を送っていても、道を外した者でも、みんなと同じく受け入れてくれる優しさがありました。「おー、来たか。座れ」と、これだけでした。

■ これからの生きる標として
今回のドキュメンタリー映画を作るにあたり、特筆したいことがあります。教え子は、卒業後も監督さんと会えば、監督さんと一緒にボクシングに汗を流したあの時代を思い出します。人生にはうまくいかない時の方が多いものです。現実にどうにも仕事がうまくいかずに行き詰まったある日、監督さんに会いに行きました。ジムの練習風景を見ました。あの時と同じ「前に出ろ!」「辞めろ!」「何のための練習か!」「帰れ!」と金城さんの怒号が聞こえました。かつてこんな厳しい人の元で、こんなつらい練習に耐えることができたのかと思うと心機一転、勇気と元気が湧き出てきました。

選手として大成しなくても、監督さんはこう言いました。「どんな人でも必ずチャンスはある。その時のために準備しとけ」と。練習場にはこう書いてありました。「人に勝つ前に自分に勝て」と。結局、金城眞吉監督は世界王者や五輪選手を育成した名伯楽としてだけではなく、私たち教え子にとっては人並外れた「ボクシングバカ」であり、人間味あふれる情熱的な「オヤジ」だったのです。



■■ 金城眞吉(きんじょうしんきち)プロフィール ■■

1944年、那覇市出身。南部農林高校に入学した61年からボクシングを始め、日本大学卒業後の69年4月から98年3月まで興南高校のボクシング部監督を務めた。

87年の海邦国体で18年ぶりの少年団体の部で全国制覇を果たした。98年4月から2014年3月まで沖縄尚学高校監督。計45年間の指導で、延べ40人の全国王者を輩出した。

2011年から東洋大監督、14年から同総監督。ロンドン五輪で日本人48年ぶりの金メダルに輝いた村田諒太選手も指導した。JOCの五輪強化コーチも歴任した。

1997年に沖縄タイムス賞体育賞、2014年に危険業務従事者叙勲(消防功労)、那覇市政功労(スポーツ振興)の表彰などを受けた。亡くなる2週間前の17年11月3日に県功労者(スポーツ振興)を受賞したばかりだった。


最後に

教え子の多くは、口を揃えて「監督と出会えてなければ今の自分はない」と言います。危篤だと知らされて駆けつけ、「監督、迷惑をかけてごめんなさい」と子どものように泣く元日本王者がいました。2カ月半の入院中、3度の危篤を乗り越えた生命力に驚かされました。そして昨年11月16日、東京から駆けつけた具志堅用高さんの到着数分後、監督さんは他界しました。一番の愛弟子の腕の中で天国へ逝ったのです。

人間関係が希薄化する現代社会の中で、私たち教え子は金城監督の生涯をドキュメンタリー映画化して多くの人に観てもらい、「人が人と向き合うとはどういうことなのか」「指導者の本質とは何か」を知ってほしいとの思いを強くしています。

どうか私たちの監督のドキュメンタリー制作にお力を貸してください。私たちの思いを伝えさせてください。

私たちのプロジェクトに関心を持ち、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。みなさまのご支援をお待ちしております。

教え子代表・日高憲一(興南高校ボクシング部OB)


資金使途

ご支援頂いた資金は、映画制作およびリターン特典経費として使わせて頂きます。



リターン(特典)

1. 監督の格言入り帆布生地
2.監督の格言入りTシャツ
3.監督の格言理入りトートバック

※ 名伯楽が残した名言や格言を記載したTシャツやトートバックです。


4.書籍『名伯楽のミット ボクシング王国沖縄・金城眞吉の道』
※ 眞吉監督が選手とどう向き合い、どのように指導したかのエピソード満載の本

5.沖縄県内ボクシングジムでのトレーニング券(3枚)
※ 自分が好きなジムを選定して、実際にボクシングのトレーニングを受け、ダイエットやストレス解消ができます。

6. 映画のエンドロールに自己の名前を掲載してもらい、広告する権利。
※ 眞吉監督の映画にスポンサーとして貢献して、個人または企業の広報活動になります。しかし、コンセプトは、支援者みんながプロデューサーです。



想定されるリスク

本年度4月19日からスタートが決まっている沖縄国際映画祭に間に合わせるため、かなりのスピード制作になります。支援者におかれましては、短期間でのご支援のお願いとなります。

なお、制作にはこれまで金城眞吉監督取材をしてきた琉球放送(株)が尽力します。

支援期間終了

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最新のプロジェクト情報をお届けします。

  • 支援者

    76

  • 残り期間

    0

  • 集まっている金額

    803,500

    目標金額:1,500,000

  • 達成率53%

    FUNDED!

2018年03月30日23:59に終了しました。

支援期間終了

起案者

実行者イメージ

故金城眞吉監督を偲ぶ会 

日高 憲一 (ひだか けんいち)
興南 ... 高校 帝京大学出身
ひだか司法書士法人 代表司法書士
沖縄県司法書士会常任理事兼広報部長
保有資格:司法書士、行政書士、宅地建物取引主任者
1973年7月27日 沖縄県名護市出身

法人の代表者プロフィールで金城眞吉監督を語るPV
https://vimeo.com/245560395
  • 1,000

    御礼メール+活動報告

    リターン

      眞吉監督の映画化に支援いただいた方に感謝の意を込めて御礼メールと活動状況を報告するものです。

    支援者の数 8

    支援期間終了

  • 2,000

    眞吉監督の格言集

    リターン

      頒布生地に金城眞吉監督の格言を記載
      監督さんの格言訓を見て気合をいれる。

    支援者の数 5

    お届け予定:2018年4月

    支援期間終了

  • 2,000

    沖縄ボクシングの立役者に迫る(書籍)

    リターン

      ●金城眞吉監督と選手との指導法や高校生との衝突を描いた本
      「名伯楽のミット ボクシング王国沖縄金城眞吉の道」       

    支援者の数 15

    お届け予定:2018年4月

    支援期間終了

  • 3,000

    格言入りトートバッグ

    リターン

      ●監督格言入りトートバッグ
      A3用紙のサイズが入るトートバックです。是非ご利用ください。

    支援者の数 11

    支援期間終了

  • 3,500

    金城眞吉監督の格言入りTシャツ

    リターン

      監督の格言入りTシャツです。

    支援者の数 5

    支援期間終了

  • 5,000

    金城眞吉監督の格言入りポロシャツ

    リターン

      眞吉監督の格言をプリントしたポロシャツ。着ているだけで気持ちが引き締まります。

    支援者の数 6

    お届け予定:2018年4月

    支援期間終了

  • 10,000

    沖縄県内ボクシングジム練習券(全3回)

    リターン

      ●沖縄県内のボクシングジム(沖縄ワールドボクシングジム、平仲ジム、仲里ジム)での練習券(全3回)
        
      経験のない方大歓迎!初心者からプロのトレーナーが親切丁寧に指導します。
      ダイエット・ストレス解消にご利用ください。

    支援者の数 2

    お届け予定:2018年4月

    支援期間終了

  • 12,000

    お楽しみ袋

    リターン

      監督グッズのおまとめ商品
      ●監督格言集 
      ●監督Tシャツ1枚
      ●監督トートバッグ
      ●名伯楽のミット(書籍)

    支援者の数 20

    お届け予定:2018年4月

    支援期間終了

  • SOLD OUT

    50,000

    映画のエンドロールに名前を入れる権利

    リターン

      金城眞吉監督の支援者を映画制作の特別協賛というコンセプトで、支援者のお名前を映像の終わりに表示します。

      ※アイウエオ順の表示となります
      ※表示されるお名前は、個人名、法人名を予定していますが「〇〇ボクシング部OB会」という希望する団体名でも可能です。

    支援者の数 4

    支援期間終了

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