世界の舞台でめざす頂点 「てっぺん」からの景色を伝えたい
小3で初めて挑戦 壁の上から見る景色に魅了された
「最初に壁を登ったのは、小学3年生のときです。当時、住んでいた東神奈川から父と一緒に横浜のボルダリングジムまで足を運び、恐る恐るホールドに指をかけたのを覚えています。怖さはあったのですが、登るという行為は楽しかった。何より高いところから下を見るのが好きでした」とはじめて壁に挑んだときのことを思い出す天笠選手。小学5年生のときには競技としてスポーツクライミングを本格的に始め、初めて出場した全日本ユース選手権は5位でした。中学生になると、世界大会のワールドユースをめざすようになり、意識も変わっていきました。ワールドカップで年間優勝した安間佐千選手に憧れ、動画サイトをチェックしていました。ある日、ジムで遭遇して一緒に写真を撮ってもらったのはいい思い出だそうです。
練習で壁を登る天笠選手
日本大学に進学し、世界大会に出場できようになった2019年8月、大学1年生でイタリアのIFSC世界ユース選手権で初優勝を飾りました。大学3年生からはシニアのワールドカップにも参戦しています。21年4月には、スイスで開催されたIFSCワールドカップに初出場し、6位入賞。9月にはロシアで行なわれたIFSCクライミング世界選手権の舞台にも立ちました。
人としてクライマーとして、横浜の街と人に支えられてきた
課題の壁と向き合い攻略する
ただ、ワールドカップで世界を転戦するようになり、心配ごともできました。遠征費用です。スポンサーの支援を受けていない選手は、入賞できなければ、基本的に全額自費負担となります。経済的な負担について悩んでいるときに、同じ大学に通うスポーツクライミングの本間大晴選手が明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を紹介してくれました。すでにサポートを受けている本間選手に概要を聞き、サイトを詳しくチェックすると、「僕にとってスポーツクライミングを通じて、生まれ育った地元の横浜に恩返しできるのは、まさに願ったりかなったり。僕は人間として、クライマーとして、横浜の街と人に支えられて成長してきましたから」と共感できることばかりでした。
理解し背中を押してくれた先生へメダルを届けたい
天笠選手には忘れられない恩師がいます。神奈川県立横浜清陵総合高校時代、大会で学校を休まなければならなかったとき、当時の担任だった坂本芳恵先生が競技に理解を示してくれました。「ワールドカップに出たら、絶対に応援に行くからね」という先生の言葉は励みになっていました。しかし、その恩師が3年時に亡くなりました。「先生にワールドカップで活躍する姿を見せてあげたかったです。直接もう会うことはできないですが、近い将来、墓前に世界のメダルを届けたいと思っています」そう静かに語りました。
横浜の海と夜景が悩んだ心を癒してくれた
心癒やされたみなとみらいの夜景
高校時代は競技面でも苦しいことがたくさんありました。そんな時は気分転換にランニングのトレーニングを兼ねて、自宅から40分かけてみなとみらいの夜景をよく見に行ったそうです。
「何も考えずに横浜の海を眺めているだけでよかった。観覧車がきれいにライトアップされていて、心が癒やされました」
ケガで競技から離れても忘れられなかった壁を登る楽しさ
自然界の巨石でもトレーニング
横浜の人と街に助けられながら、自分自身とも向き合ってきました。半年ほど、両手の中指を骨折し、競技を離れたこともありました。けがをしていた高校1年の前半はワンダーフォーゲル部に入り、ファミリーレストランでのアルバイトも経験しました。
いままでにないくらい学校生活が楽しくて、壁を登る意欲も消えかかり、両親にも「スポーツクライミングを辞めたい」と話したこともあります。両親から「もう一度登ってみて、それでも嫌なら辞めれば」と言われて久しぶりに壁に向かったところ、不思議なもので、楽しくてモチベーションが上がり、これまで以上に練習に打ち込むようになりました。神奈川県には小学校時代からずっと勝てなかった土肥圭太選手と小西桂選手といったライバルたちにも「絶対に勝ってやるぞ」という気持ちで、ひたすら努力したそうです。「いま思えば、高校時代の下積みが、大学になってからの結果につながっていると思います」と、当時のことを振り返ってくれました。
目標はワールドカップの表彰台 世界の頂に立ちたい
さらなる高みへ挑戦を続ける天笠選手
大学4年を迎えた2022年の目標は、ワールドカップで優勝、そして24年の夢舞台に向けて苦手を克服することです。
昨年、ワールドカップに初参戦し、世界で勝つために必要なことが明確になりました。「いまの僕に不足しているのは、フィジカル能力。海外のトップ選手たちに比べると、まだ劣っています。上半身、下半身ともに筋力アップしないといけません。課題を克服して、また新たな気持で世界に挑みたいです。その先にはもっと大きな場所が待っていると思っています。2024年に開催される夢舞台で金メダルを手にしたいです」と目を輝かせます。
今回のクラウドファンディングで集まった支援金も、パーソナルジムの費用などフィジカル系のトレーニングに充てる予定です。「もっと強くなって、支援していただいたみなさんには結果で恩返ししていきたいです」
まだ見たことのない、輝くような景色を見るために。高みをめざして登り続けます。
(取材・制作:4years.編集部)
世界の舞台でめざす頂点 「てっぺん」からの景色を伝えたい
小3で初めて挑戦 壁の上から見る景色に魅了された
「最初に壁を登ったのは、小学3年生のときです。当時、住んでいた東神奈川から父と一緒に横浜のボルダリングジムまで足を運び、恐る恐るホールドに指をかけたのを覚えています。怖さはあったのですが、登るという行為は楽しかった。何より高いところから下を見るのが好きでした」とはじめて壁に挑んだときのことを思い出す天笠選手。小学5年生のときには競技としてスポーツクライミングを本格的に始め、初めて出場した全日本ユース選手権は5位でした。中学生になると、世界大会のワールドユースをめざすようになり、意識も変わっていきました。ワールドカップで年間優勝した安間佐千選手に憧れ、動画サイトをチェックしていました。ある日、ジムで遭遇して一緒に写真を撮ってもらったのはいい思い出だそうです。
練習で壁を登る天笠選手
日本大学に進学し、世界大会に出場できようになった2019年8月、大学1年生でイタリアのIFSC世界ユース選手権で初優勝を飾りました。大学3年生からはシニアのワールドカップにも参戦しています。21年4月には、スイスで開催されたIFSCワールドカップに初出場し、6位入賞。9月にはロシアで行なわれたIFSCクライミング世界選手権の舞台にも立ちました。
人としてクライマーとして、横浜の街と人に支えられてきた
課題の壁と向き合い攻略する
ただ、ワールドカップで世界を転戦するようになり、心配ごともできました。遠征費用です。スポンサーの支援を受けていない選手は、入賞できなければ、基本的に全額自費負担となります。経済的な負担について悩んでいるときに、同じ大学に通うスポーツクライミングの本間大晴選手が明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を紹介してくれました。すでにサポートを受けている本間選手に概要を聞き、サイトを詳しくチェックすると、「僕にとってスポーツクライミングを通じて、生まれ育った地元の横浜に恩返しできるのは、まさに願ったりかなったり。僕は人間として、クライマーとして、横浜の街と人に支えられて成長してきましたから」と共感できることばかりでした。
理解し背中を押してくれた先生へメダルを届けたい
天笠選手には忘れられない恩師がいます。神奈川県立横浜清陵総合高校時代、大会で学校を休まなければならなかったとき、当時の担任だった坂本芳恵先生が競技に理解を示してくれました。「ワールドカップに出たら、絶対に応援に行くからね」という先生の言葉は励みになっていました。しかし、その恩師が3年時に亡くなりました。「先生にワールドカップで活躍する姿を見せてあげたかったです。直接もう会うことはできないですが、近い将来、墓前に世界のメダルを届けたいと思っています」そう静かに語りました。
横浜の海と夜景が悩んだ心を癒してくれた
心癒やされたみなとみらいの夜景
高校時代は競技面でも苦しいことがたくさんありました。そんな時は気分転換にランニングのトレーニングを兼ねて、自宅から40分かけてみなとみらいの夜景をよく見に行ったそうです。
「何も考えずに横浜の海を眺めているだけでよかった。観覧車がきれいにライトアップされていて、心が癒やされました」
ケガで競技から離れても忘れられなかった壁を登る楽しさ
自然界の巨石でもトレーニング
横浜の人と街に助けられながら、自分自身とも向き合ってきました。半年ほど、両手の中指を骨折し、競技を離れたこともありました。けがをしていた高校1年の前半はワンダーフォーゲル部に入り、ファミリーレストランでのアルバイトも経験しました。
いままでにないくらい学校生活が楽しくて、壁を登る意欲も消えかかり、両親にも「スポーツクライミングを辞めたい」と話したこともあります。両親から「もう一度登ってみて、それでも嫌なら辞めれば」と言われて久しぶりに壁に向かったところ、不思議なもので、楽しくてモチベーションが上がり、これまで以上に練習に打ち込むようになりました。神奈川県には小学校時代からずっと勝てなかった土肥圭太選手と小西桂選手といったライバルたちにも「絶対に勝ってやるぞ」という気持ちで、ひたすら努力したそうです。「いま思えば、高校時代の下積みが、大学になってからの結果につながっていると思います」と、当時のことを振り返ってくれました。
目標はワールドカップの表彰台 世界の頂に立ちたい
さらなる高みへ挑戦を続ける天笠選手
大学4年を迎えた2022年の目標は、ワールドカップで優勝、そして24年の夢舞台に向けて苦手を克服することです。
昨年、ワールドカップに初参戦し、世界で勝つために必要なことが明確になりました。「いまの僕に不足しているのは、フィジカル能力。海外のトップ選手たちに比べると、まだ劣っています。上半身、下半身ともに筋力アップしないといけません。課題を克服して、また新たな気持で世界に挑みたいです。その先にはもっと大きな場所が待っていると思っています。2024年に開催される夢舞台で金メダルを手にしたいです」と目を輝かせます。
今回のクラウドファンディングで集まった支援金も、パーソナルジムの費用などフィジカル系のトレーニングに充てる予定です。「もっと強くなって、支援していただいたみなさんには結果で恩返ししていきたいです」
まだ見たことのない、輝くような景色を見るために。高みをめざして登り続けます。
(取材・制作:4years.編集部)
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世界の舞台でめざす頂点 「てっぺん」からの景色を伝えたい 小3で初めて挑戦 壁の上から見る景色に魅了された 「最初に壁を登ったのは、小学3年生のときです。当時、住んでいた東神奈川から父と一緒に横浜のボルダリングジムまで足を運び、恐る恐るホールドに指をかけたのを覚えています。怖さはあったのですが、登るという行為は楽しかった。何より高いところから下を見るのが好きでした」とはじめて壁に挑んだときのことを思い出す天笠選手。小学5年生のときには競技としてスポーツクライミングを本格的に始め、初めて出場した全日本ユース選手権は5位でした。中学生になると、世界大会のワールドユースをめざすようになり、意識も変わっていきました。ワールドカップで年間優勝した安間佐千選手に憧れ、動画サイトをチェックしていました。ある日、ジムで遭遇して一緒に写真を撮ってもらったのはいい思い出だそうです。 練習で壁を登る天笠選手 日本大学に進学し、世界大会に出場できようになった2019年8月、大学1年生でイタリアのIFSC世界ユース選手権で初優勝を飾りました。大学3年生からはシニアのワールドカップにも参戦しています。21年4月には、スイスで開催されたIFSCワールドカップに初出場し、6位入賞。9月にはロシアで行なわれたIFSCクライミング世界選手権の舞台にも立ちました。 人としてクライマーとして、横浜の街と人に支えられてきた 課題の壁と向き合い攻略する ただ、ワールドカップで世界を転戦するようになり、心配ごともできました。遠征費用です。スポンサーの支援を受けていない選手は、入賞できなければ、基本的に全額自費負担となります。経済的な負担について悩んでいるときに、同じ大学に通うスポーツクライミングの本間大晴選手が明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を紹介してくれました。すでにサポートを受けている本間選手に概要を聞き、サイトを詳しくチェックすると、「僕にとってスポーツクライミングを通じて、生まれ育った地元の横浜に恩返しできるのは、まさに願ったりかなったり。僕は人間として、クライマーとして、横浜の街と人に支えられて成長してきましたから」と共感できることばかりでした。 理解し背中を押してくれた先生へメダルを届けたい 天笠選手には忘れられない恩師がいます。神奈川県立横浜清陵総合高校時代、大会で学校を休まなければならなかったとき、当時の担任だった坂本芳恵先生が競技に理解を示してくれました。「ワールドカップに出たら、絶対に応援に行くからね」という先生の言葉は励みになっていました。しかし、その恩師が3年時に亡くなりました。「先生にワールドカップで活躍する姿を見せてあげたかったです。直接もう会うことはできないですが、近い将来、墓前に世界のメダルを届けたいと思っています」そう静かに語りました。 横浜の海と夜景が悩んだ心を癒してくれた 心癒やされたみなとみらいの夜景 高校時代は競技面でも苦しいことがたくさんありました。そんな時は気分転換にランニングのトレーニングを兼ねて、自宅から40分かけてみなとみらいの夜景をよく見に行ったそうです。 「何も考えずに横浜の海を眺めているだけでよかった。観覧車がきれいにライトアップされていて、心が癒やされました」 ケガで競技から離れても忘れられなかった壁を登る楽しさ 自然界の巨石でもトレーニング 横浜の人と街に助けられながら、自分自身とも向き合ってきました。半年ほど、両手の中指を骨折し、競技を離れたこともありました。けがをしていた高校1年の前半はワンダーフォーゲル部に入り、ファミリーレストランでのアルバイトも経験しました。 いままでにないくらい学校生活が楽しくて、壁を登る意欲も消えかかり、両親にも「スポーツクライミングを辞めたい」と話したこともあります。両親から「もう一度登ってみて、それでも嫌なら辞めれば」と言われて久しぶりに壁に向かったところ、不思議なもので、楽しくてモチベーションが上がり、これまで以上に練習に打ち込むようになりました。神奈川県には小学校時代からずっと勝てなかった土肥圭太選手と小西桂選手といったライバルたちにも「絶対に勝ってやるぞ」という気持ちで、ひたすら努力したそうです。「いま思えば、高校時代の下積みが、大学になってからの結果につながっていると思います」と、当時のことを振り返ってくれました。 目標はワールドカップの表彰台 世界の頂に立ちたい さらなる高みへ挑戦を続ける天笠選手 大学4年を迎えた2022年の目標は、ワールドカップで優勝、そして24年の夢舞台に向けて苦手を克服することです。 昨年、ワールドカップに初参戦し、世界で勝つために必要なことが明確になりました。「いまの僕に不足しているのは、フィジカル能力。海外のトップ選手たちに比べると、まだ劣っています。上半身、下半身ともに筋力アップしないといけません。課題を克服して、また新たな気持で世界に挑みたいです。その先にはもっと大きな場所が待っていると思っています。2024年に開催される夢舞台で金メダルを手にしたいです」と目を輝かせます。 今回のクラウドファンディングで集まった支援金も、パーソナルジムの費用などフィジカル系のトレーニングに充てる予定です。「もっと強くなって、支援していただいたみなさんには結果で恩返ししていきたいです」 まだ見たことのない、輝くような景色を見るために。高みをめざして登り続けます。 (取材・制作:4years.編集部)
世界の舞台でめざす頂点 「てっぺん」からの景色を伝えたい
小3で初めて挑戦 壁の上から見る景色に魅了された
「最初に壁を登ったのは、小学3年生のときです。当時、住んでいた東神奈川から父と一緒に横浜のボルダリングジムまで足を運び、恐る恐るホールドに指をかけたのを覚えています。怖さはあったのですが、登るという行為は楽しかった。何より高いところから下を見るのが好きでした」とはじめて壁に挑んだときのことを思い出す天笠選手。小学5年生のときには競技としてスポーツクライミングを本格的に始め、初めて出場した全日本ユース選手権は5位でした。中学生になると、世界大会のワールドユースをめざすようになり、意識も変わっていきました。ワールドカップで年間優勝した安間佐千選手に憧れ、動画サイトをチェックしていました。ある日、ジムで遭遇して一緒に写真を撮ってもらったのはいい思い出だそうです。
練習で壁を登る天笠選手
日本大学に進学し、世界大会に出場できようになった2019年8月、大学1年生でイタリアのIFSC世界ユース選手権で初優勝を飾りました。大学3年生からはシニアのワールドカップにも参戦しています。21年4月には、スイスで開催されたIFSCワールドカップに初出場し、6位入賞。9月にはロシアで行なわれたIFSCクライミング世界選手権の舞台にも立ちました。
人としてクライマーとして、横浜の街と人に支えられてきた
課題の壁と向き合い攻略する
ただ、ワールドカップで世界を転戦するようになり、心配ごともできました。遠征費用です。スポンサーの支援を受けていない選手は、入賞できなければ、基本的に全額自費負担となります。経済的な負担について悩んでいるときに、同じ大学に通うスポーツクライミングの本間大晴選手が明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を紹介してくれました。すでにサポートを受けている本間選手に概要を聞き、サイトを詳しくチェックすると、「僕にとってスポーツクライミングを通じて、生まれ育った地元の横浜に恩返しできるのは、まさに願ったりかなったり。僕は人間として、クライマーとして、横浜の街と人に支えられて成長してきましたから」と共感できることばかりでした。
理解し背中を押してくれた先生へメダルを届けたい
天笠選手には忘れられない恩師がいます。神奈川県立横浜清陵総合高校時代、大会で学校を休まなければならなかったとき、当時の担任だった坂本芳恵先生が競技に理解を示してくれました。「ワールドカップに出たら、絶対に応援に行くからね」という先生の言葉は励みになっていました。しかし、その恩師が3年時に亡くなりました。「先生にワールドカップで活躍する姿を見せてあげたかったです。直接もう会うことはできないですが、近い将来、墓前に世界のメダルを届けたいと思っています」そう静かに語りました。
横浜の海と夜景が悩んだ心を癒してくれた
心癒やされたみなとみらいの夜景
高校時代は競技面でも苦しいことがたくさんありました。そんな時は気分転換にランニングのトレーニングを兼ねて、自宅から40分かけてみなとみらいの夜景をよく見に行ったそうです。
「何も考えずに横浜の海を眺めているだけでよかった。観覧車がきれいにライトアップされていて、心が癒やされました」
ケガで競技から離れても忘れられなかった壁を登る楽しさ
自然界の巨石でもトレーニング
横浜の人と街に助けられながら、自分自身とも向き合ってきました。半年ほど、両手の中指を骨折し、競技を離れたこともありました。けがをしていた高校1年の前半はワンダーフォーゲル部に入り、ファミリーレストランでのアルバイトも経験しました。
いままでにないくらい学校生活が楽しくて、壁を登る意欲も消えかかり、両親にも「スポーツクライミングを辞めたい」と話したこともあります。両親から「もう一度登ってみて、それでも嫌なら辞めれば」と言われて久しぶりに壁に向かったところ、不思議なもので、楽しくてモチベーションが上がり、これまで以上に練習に打ち込むようになりました。神奈川県には小学校時代からずっと勝てなかった土肥圭太選手と小西桂選手といったライバルたちにも「絶対に勝ってやるぞ」という気持ちで、ひたすら努力したそうです。「いま思えば、高校時代の下積みが、大学になってからの結果につながっていると思います」と、当時のことを振り返ってくれました。
目標はワールドカップの表彰台 世界の頂に立ちたい
さらなる高みへ挑戦を続ける天笠選手
大学4年を迎えた2022年の目標は、ワールドカップで優勝、そして24年の夢舞台に向けて苦手を克服することです。
昨年、ワールドカップに初参戦し、世界で勝つために必要なことが明確になりました。「いまの僕に不足しているのは、フィジカル能力。海外のトップ選手たちに比べると、まだ劣っています。上半身、下半身ともに筋力アップしないといけません。課題を克服して、また新たな気持で世界に挑みたいです。その先にはもっと大きな場所が待っていると思っています。2024年に開催される夢舞台で金メダルを手にしたいです」と目を輝かせます。
今回のクラウドファンディングで集まった支援金も、パーソナルジムの費用などフィジカル系のトレーニングに充てる予定です。「もっと強くなって、支援していただいたみなさんには結果で恩返ししていきたいです」
まだ見たことのない、輝くような景色を見るために。高みをめざして登り続けます。
(取材・制作:4years.編集部)
支援期間終了
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支援者
11人
残り期間
0日
集まっている金額
200,000円
目標金額:500,000円
達成率40%
2023年02月28日23:59に終了しました。
支援期間終了
起案者
天笠颯太(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム2022)
当制度を通じて、出身地や活動拠点地域など、サポートを受ける「地元」に対して貢献したいというアスリートの活動を支援します。
1,000円
お礼のメール
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りします。
支援者の数 4人
支援期間終了
5,000円
お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 0人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了
10,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 5人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了
20,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+オリジナルステッカー+YELLS(全ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、プロジェクトのオリジナルステッカー、YELLS(全ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 2人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了