学生らしく世界をめざす、感謝の気持ちを忘れずパラ水泳を広げたい
苦手なバタフライに才能が宿る
パラ水泳の浜本純矢選手(神奈川県出身)は東海大学の水泳部に所属する4年生です。他の部員と同じ寮で生活し、同じ練習メニューをこなしながら世界をめざしています。
生まれつき両手に障害があった浜本選手は小さい時から体を動かすことが大好きでした。小学生の時は水泳に加えてサッカーも楽しんでいました。中学生になり、学校の部活に入ろうとしましたが、「いろんな部に当たってみたんですけど、『一緒に同じようにやるのは難しい』というのが答えでした」。そんな時にふと目にしたのが、障害者スポーツ文化センター横浜ラポール(港北区)が拠点の水泳クラブ「横浜ドリーマー」の募集でした。
小学生の時は二俣川サッカークラブにも所属していました
中学2年生になるころ、50mバタフライを泳いでいたら、コーチから「これ、ジャパンパラの(参加)標準記録を切れるんじゃないか」と言われました。実はバタフライは背泳ぎの次に苦手な種目でした。両手でかいて、両足でけるため、タイミングがうまく取れないと沈んでいきます。それでも「伸びしろがある」と励まされて取り組むと、2013年夏には全国からトップスイマーが参加するジャパンパラ水泳競技大会に出場するまでになりました。中学3年生の時にはドイツへ初めて海外遠征にも行きました。「レベルの高い選手がいっぱいいた。これが世界なのか」。その時の衝撃は、今も残っています。
日出高校(現・目黒日大高校)の通信制で学びながら、さらに水泳に打ち込みました。強化活動の拠点となった立教学院や富士通のプールを使わせてもらうなど、いろんな方々から受けた支援を忘れることはありません。高校3年の冬、ドバイであったアジアユースパラ競技大会の男子100m平泳ぎ(SB6)で銅メダルを獲得するなど記録も順調に伸ばしていきました。
選ばれた責任がある
明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」については、まず、東海大学から「応募してみては」と候補者の一人として話がありました。支援を受けつつ地元にも貢献できるシステムを事前に知っていたわけではありません。魅力的なプログラムでしたが、参加しているアスリートが将来、有望な方ばかりで、「応募しても選ばれないだろうな」というのが正直な気持ちでした。「あまりにもトントン拍子に話が進んでいって。選ばれたからには、責任重大だと思っています」
浜本選手は日本パラ水泳連盟から育成選手に指定されています。さらに好成績を出せば一つ上の強化指定選手に選ばれます。そうなると強化合宿などサポートはより充実しますが、新たに参加するこのプログラムは自身の強化に必ずつながると確信しています。
平塚と横浜、地元の支えを胸に
今は東海大学湘南キャンパス(平塚市)が生活の拠点です。水泳部の寮から歩いて20分ほどのキャンパスへ向かい、授業や練習の後、寮に戻ります。朝、夕の食事はキャンパス内の食堂で出ていましたが、コロナ禍で休止に。大学周辺の飲食店を利用することが多くなりました。「練習が終わった後、何を食べようか。ちょっとした楽しみにつながっています」。不便なようで、いい気分転換になっています。お店の方と顔見知りになり、応援もしてくれているそうです。
新型コロナウイルスの感染が最初に広がった20年、横浜の実家に戻った時のことです。昔、通っていたスポーツクラブに「プールを少しの時間でもいいので使わせてください」とお願いしたところ、快く引き受けてもらえました。「地元、様々です」とその有り難さをかみしめています。
高校生の時には地元のテレビ局に、期待のアスリートとして取り上げてもらいました。「自分はバラエティー番組しか見ないので、意外と皆さんテレビを見ているんだなと思いました。一番驚いたのはバスの運転手さんから『見たよ』と声をかけてもらったことです」。平塚と横浜。支えてもらってきた地元へ、いつか恩返しできればと思っています。
東海大学で学んだ大切なこと
大学進学を考えたころ、いくつかの強豪校に話を聞きました。「パラの選手を受け入れてくれるところはありませんでした。練習ができたとしても、部活とは別の時間で泳がなくてはいけない感じでした」。そんな時、コーチから「東海大に聞いてみたら」と勧められ、加藤健志部長と会いました。「部活に入る以上、他の部員と同じことをやってもらう。パラ選手だからといって特別扱いはしない。成績がダメだったら泳げない」。やる気があるなら来い、という感じの言葉に、「ここだったら自分を伸ばせる」と感じました。AO入試で受験し、健康学部健康マネジメント学科で学ぶことになりました。
学校の水泳部に所属するのも寮での集団生活も初めてでした。「これが部活なんだなと。中学、高校と部活を経験してなかったので、1年間続けられるか、怖かった」。水泳部のいろんなルールに戸惑いました。午前6時ごろに朝練が始まり、授業や食事を挟んで、午後9時ごろまで練習は続きます。疲れ果てていても、身の回りのことは自分でやるようになり、両親の有り難さを改めて感じました。
学業成績が低迷し、出場できる大会に制限がかかる経験も乗り越えました。厳しい環境でしたが、水泳の記録は少しずつ伸び、選択は間違っていませんでした。1年生の時はジャパンパラ大会の50mバタフライ(S6)で優勝し、全国障害者スポーツ大会で2冠を達成。2年生の時もジャパンパラ大会で連覇を果たしました。
記録更新と強化指定選手入り
21年5月下旬に、2年ぶりにジャパンパラ大会が開かれる予定です。37秒台の50mバタフライ(S6)の自己記録を更新するため、練習にも熱が入ります。21年夏に予定されている国際大会の派遣基準記録は32秒台。現実的には厳しい数字ですが、あきらめてはいません。「もちろん(タイムを)切る気で頑張っていますが、強化指定選手に入りたい」と一歩上のステップをめざしています。4年生になり卒業論文も控えています。「コロナの影響もあり体を動かさないと、という意識が高まっています。障害者の視点からみた、今のスポーツ施設の問題点を取り上げようと思っています」
パラ水泳を知ってほしい
卒業後も競技は続けていくつもりです。「バタフライでいえば、両手がない分、前への体重移動で難しい部分がある。泳ぎの中で手があるからできている部分を、体の他の部分を使ってやっていく。できないから切り替える。それを探るのがパラ水泳で一番難しく、一番面白いところです。同じ障害を持っている選手でも泳ぎ方は違う。そこが面白い」
一人でも多くの人にこの競技を知ってほしい。「楽しみですね」。クラウドファンディングに取り組むのは初めて。TwitterやInstagramをやったことはありませんが、できる限り発信しながら、支援を頂いた方々や地元の人とのつながりを大切にしようと思っています。
(取材・制作:4years.編集部)
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学生らしく世界をめざす、感謝の気持ちを忘れずパラ水泳を広げたい苦手なバタフライに才能が宿る パラ水泳の浜本純矢選手(神奈川県出身)は東海大学の水泳部に所属する4年生です。他の部員と同じ寮で生活し、同じ練習メニューをこなしながら世界をめざしています。生まれつき両手に障害があった浜本選手は小さい時から体を動かすことが大好きでした。小学生の時は水泳に加えてサッカーも楽しんでいました。中学生になり、学校の部活に入ろうとしましたが、「いろんな部に当たってみたんですけど、『一緒に同じようにやるのは難しい』というのが答えでした」。そんな時にふと目にしたのが、障害者スポーツ文化センター横浜ラポール(港北区)が拠点の水泳クラブ「横浜ドリーマー」の募集でした。 小学生の時は二俣川サッカークラブにも所属していました 中学2年生になるころ、50mバタフライを泳いでいたら、コーチから「これ、ジャパンパラの(参加)標準記録を切れるんじゃないか」と言われました。実はバタフライは背泳ぎの次に苦手な種目でした。両手でかいて、両足でけるため、タイミングがうまく取れないと沈んでいきます。それでも「伸びしろがある」と励まされて取り組むと、2013年夏には全国からトップスイマーが参加するジャパンパラ水泳競技大会に出場するまでになりました。中学3年生の時にはドイツへ初めて海外遠征にも行きました。「レベルの高い選手がいっぱいいた。これが世界なのか」。その時の衝撃は、今も残っています。 日出高校(現・目黒日大高校)の通信制で学びながら、さらに水泳に打ち込みました。強化活動の拠点となった立教学院や富士通のプールを使わせてもらうなど、いろんな方々から受けた支援を忘れることはありません。高校3年の冬、ドバイであったアジアユースパラ競技大会の男子100m平泳ぎ(SB6)で銅メダルを獲得するなど記録も順調に伸ばしていきました。 選ばれた責任がある明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」については、まず、東海大学から「応募してみては」と候補者の一人として話がありました。支援を受けつつ地元にも貢献できるシステムを事前に知っていたわけではありません。魅力的なプログラムでしたが、参加しているアスリートが将来、有望な方ばかりで、「応募しても選ばれないだろうな」というのが正直な気持ちでした。「あまりにもトントン拍子に話が進んでいって。選ばれたからには、責任重大だと思っています」 浜本選手は日本パラ水泳連盟から育成選手に指定されています。さらに好成績を出せば一つ上の強化指定選手に選ばれます。そうなると強化合宿などサポートはより充実しますが、新たに参加するこのプログラムは自身の強化に必ずつながると確信しています。 平塚と横浜、地元の支えを胸に今は東海大学湘南キャンパス(平塚市)が生活の拠点です。水泳部の寮から歩いて20分ほどのキャンパスへ向かい、授業や練習の後、寮に戻ります。朝、夕の食事はキャンパス内の食堂で出ていましたが、コロナ禍で休止に。大学周辺の飲食店を利用することが多くなりました。「練習が終わった後、何を食べようか。ちょっとした楽しみにつながっています」。不便なようで、いい気分転換になっています。お店の方と顔見知りになり、応援もしてくれているそうです。 新型コロナウイルスの感染が最初に広がった20年、横浜の実家に戻った時のことです。昔、通っていたスポーツクラブに「プールを少しの時間でもいいので使わせてください」とお願いしたところ、快く引き受けてもらえました。「地元、様々です」とその有り難さをかみしめています。 高校生の時には地元のテレビ局に、期待のアスリートとして取り上げてもらいました。「自分はバラエティー番組しか見ないので、意外と皆さんテレビを見ているんだなと思いました。一番驚いたのはバスの運転手さんから『見たよ』と声をかけてもらったことです」。平塚と横浜。支えてもらってきた地元へ、いつか恩返しできればと思っています。 東海大学で学んだ大切なこと大学進学を考えたころ、いくつかの強豪校に話を聞きました。「パラの選手を受け入れてくれるところはありませんでした。練習ができたとしても、部活とは別の時間で泳がなくてはいけない感じでした」。そんな時、コーチから「東海大に聞いてみたら」と勧められ、加藤健志部長と会いました。「部活に入る以上、他の部員と同じことをやってもらう。パラ選手だからといって特別扱いはしない。成績がダメだったら泳げない」。やる気があるなら来い、という感じの言葉に、「ここだったら自分を伸ばせる」と感じました。AO入試で受験し、健康学部健康マネジメント学科で学ぶことになりました。 学校の水泳部に所属するのも寮での集団生活も初めてでした。「これが部活なんだなと。中学、高校と部活を経験してなかったので、1年間続けられるか、怖かった」。水泳部のいろんなルールに戸惑いました。午前6時ごろに朝練が始まり、授業や食事を挟んで、午後9時ごろまで練習は続きます。疲れ果てていても、身の回りのことは自分でやるようになり、両親の有り難さを改めて感じました。 学業成績が低迷し、出場できる大会に制限がかかる経験も乗り越えました。厳しい環境でしたが、水泳の記録は少しずつ伸び、選択は間違っていませんでした。1年生の時はジャパンパラ大会の50mバタフライ(S6)で優勝し、全国障害者スポーツ大会で2冠を達成。2年生の時もジャパンパラ大会で連覇を果たしました。 記録更新と強化指定選手入り21年5月下旬に、2年ぶりにジャパンパラ大会が開かれる予定です。37秒台の50mバタフライ(S6)の自己記録を更新するため、練習にも熱が入ります。21年夏に予定されている国際大会の派遣基準記録は32秒台。現実的には厳しい数字ですが、あきらめてはいません。「もちろん(タイムを)切る気で頑張っていますが、強化指定選手に入りたい」と一歩上のステップをめざしています。4年生になり卒業論文も控えています。「コロナの影響もあり体を動かさないと、という意識が高まっています。障害者の視点からみた、今のスポーツ施設の問題点を取り上げようと思っています」 パラ水泳を知ってほしい卒業後も競技は続けていくつもりです。「バタフライでいえば、両手がない分、前への体重移動で難しい部分がある。泳ぎの中で手があるからできている部分を、体の他の部分を使ってやっていく。できないから切り替える。それを探るのがパラ水泳で一番難しく、一番面白いところです。同じ障害を持っている選手でも泳ぎ方は違う。そこが面白い」 一人でも多くの人にこの競技を知ってほしい。「楽しみですね」。クラウドファンディングに取り組むのは初めて。TwitterやInstagramをやったことはありませんが、できる限り発信しながら、支援を頂いた方々や地元の人とのつながりを大切にしようと思っています。 (取材・制作:4years.編集部)
学生らしく世界をめざす、感謝の気持ちを忘れずパラ水泳を広げたい
苦手なバタフライに才能が宿る
パラ水泳の浜本純矢選手(神奈川県出身)は東海大学の水泳部に所属する4年生です。他の部員と同じ寮で生活し、同じ練習メニューをこなしながら世界をめざしています。
生まれつき両手に障害があった浜本選手は小さい時から体を動かすことが大好きでした。小学生の時は水泳に加えてサッカーも楽しんでいました。中学生になり、学校の部活に入ろうとしましたが、「いろんな部に当たってみたんですけど、『一緒に同じようにやるのは難しい』というのが答えでした」。そんな時にふと目にしたのが、障害者スポーツ文化センター横浜ラポール(港北区)が拠点の水泳クラブ「横浜ドリーマー」の募集でした。
中学2年生になるころ、50mバタフライを泳いでいたら、コーチから「これ、ジャパンパラの(参加)標準記録を切れるんじゃないか」と言われました。実はバタフライは背泳ぎの次に苦手な種目でした。両手でかいて、両足でけるため、タイミングがうまく取れないと沈んでいきます。それでも「伸びしろがある」と励まされて取り組むと、2013年夏には全国からトップスイマーが参加するジャパンパラ水泳競技大会に出場するまでになりました。中学3年生の時にはドイツへ初めて海外遠征にも行きました。「レベルの高い選手がいっぱいいた。これが世界なのか」。その時の衝撃は、今も残っています。
日出高校(現・目黒日大高校)の通信制で学びながら、さらに水泳に打ち込みました。強化活動の拠点となった立教学院や富士通のプールを使わせてもらうなど、いろんな方々から受けた支援を忘れることはありません。高校3年の冬、ドバイであったアジアユースパラ競技大会の男子100m平泳ぎ(SB6)で銅メダルを獲得するなど記録も順調に伸ばしていきました。
選ばれた責任がある
明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」については、まず、東海大学から「応募してみては」と候補者の一人として話がありました。支援を受けつつ地元にも貢献できるシステムを事前に知っていたわけではありません。魅力的なプログラムでしたが、参加しているアスリートが将来、有望な方ばかりで、「応募しても選ばれないだろうな」というのが正直な気持ちでした。「あまりにもトントン拍子に話が進んでいって。選ばれたからには、責任重大だと思っています」
浜本選手は日本パラ水泳連盟から育成選手に指定されています。さらに好成績を出せば一つ上の強化指定選手に選ばれます。そうなると強化合宿などサポートはより充実しますが、新たに参加するこのプログラムは自身の強化に必ずつながると確信しています。
平塚と横浜、地元の支えを胸に
今は東海大学湘南キャンパス(平塚市)が生活の拠点です。水泳部の寮から歩いて20分ほどのキャンパスへ向かい、授業や練習の後、寮に戻ります。朝、夕の食事はキャンパス内の食堂で出ていましたが、コロナ禍で休止に。大学周辺の飲食店を利用することが多くなりました。「練習が終わった後、何を食べようか。ちょっとした楽しみにつながっています」。不便なようで、いい気分転換になっています。お店の方と顔見知りになり、応援もしてくれているそうです。
新型コロナウイルスの感染が最初に広がった20年、横浜の実家に戻った時のことです。昔、通っていたスポーツクラブに「プールを少しの時間でもいいので使わせてください」とお願いしたところ、快く引き受けてもらえました。「地元、様々です」とその有り難さをかみしめています。
高校生の時には地元のテレビ局に、期待のアスリートとして取り上げてもらいました。「自分はバラエティー番組しか見ないので、意外と皆さんテレビを見ているんだなと思いました。一番驚いたのはバスの運転手さんから『見たよ』と声をかけてもらったことです」。平塚と横浜。支えてもらってきた地元へ、いつか恩返しできればと思っています。
東海大学で学んだ大切なこと
大学進学を考えたころ、いくつかの強豪校に話を聞きました。「パラの選手を受け入れてくれるところはありませんでした。練習ができたとしても、部活とは別の時間で泳がなくてはいけない感じでした」。そんな時、コーチから「東海大に聞いてみたら」と勧められ、加藤健志部長と会いました。「部活に入る以上、他の部員と同じことをやってもらう。パラ選手だからといって特別扱いはしない。成績がダメだったら泳げない」。やる気があるなら来い、という感じの言葉に、「ここだったら自分を伸ばせる」と感じました。AO入試で受験し、健康学部健康マネジメント学科で学ぶことになりました。
学校の水泳部に所属するのも寮での集団生活も初めてでした。「これが部活なんだなと。中学、高校と部活を経験してなかったので、1年間続けられるか、怖かった」。水泳部のいろんなルールに戸惑いました。午前6時ごろに朝練が始まり、授業や食事を挟んで、午後9時ごろまで練習は続きます。疲れ果てていても、身の回りのことは自分でやるようになり、両親の有り難さを改めて感じました。
学業成績が低迷し、出場できる大会に制限がかかる経験も乗り越えました。厳しい環境でしたが、水泳の記録は少しずつ伸び、選択は間違っていませんでした。1年生の時はジャパンパラ大会の50mバタフライ(S6)で優勝し、全国障害者スポーツ大会で2冠を達成。2年生の時もジャパンパラ大会で連覇を果たしました。
記録更新と強化指定選手入り
21年5月下旬に、2年ぶりにジャパンパラ大会が開かれる予定です。37秒台の50mバタフライ(S6)の自己記録を更新するため、練習にも熱が入ります。21年夏に予定されている国際大会の派遣基準記録は32秒台。現実的には厳しい数字ですが、あきらめてはいません。「もちろん(タイムを)切る気で頑張っていますが、強化指定選手に入りたい」と一歩上のステップをめざしています。4年生になり卒業論文も控えています。「コロナの影響もあり体を動かさないと、という意識が高まっています。障害者の視点からみた、今のスポーツ施設の問題点を取り上げようと思っています」
パラ水泳を知ってほしい
卒業後も競技は続けていくつもりです。「バタフライでいえば、両手がない分、前への体重移動で難しい部分がある。泳ぎの中で手があるからできている部分を、体の他の部分を使ってやっていく。できないから切り替える。それを探るのがパラ水泳で一番難しく、一番面白いところです。同じ障害を持っている選手でも泳ぎ方は違う。そこが面白い」
一人でも多くの人にこの競技を知ってほしい。「楽しみですね」。クラウドファンディングに取り組むのは初めて。TwitterやInstagramをやったことはありませんが、できる限り発信しながら、支援を頂いた方々や地元の人とのつながりを大切にしようと思っています。
(取材・制作:4years.編集部)
支援期間終了
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支援者
16人
残り期間
0日
集まっている金額
54,000円
目標金額:300,000円
達成率18%
2022年02月28日23:59に終了しました。
支援期間終了
起案者
浜本純矢(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム2021)
当制度を通じて、出身地や活動拠点地域など、サポートを受ける「地元」に対して貢献したいというアスリートの活動を支援します。
1,000円
お礼のメール
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りします。
支援者の数 12人
支援期間終了
5,000円
お礼のお手紙
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のお手紙をお送りします。
支援者の数 4人
お届け予定:2022年4月
支援期間終了