フェンシングと法曹界という二足のわらじ、「これは自分が世界一だ」と思える技を
長身を生かして、世界へ
相手をじっくり観察し、ここだ、という瞬間を逃さず攻める。“コントルアタック”と言われる相手の攻撃を阻止してから繰り出す攻撃が、慶應義塾体育会フェンシング部4年生の原田紗希選手(東京都出身)の得意技です。
「相手の特徴や出方を見て、そこにプラスして自分は何がしたいかを考える。どう攻めるか、と戦術を考えたり、(相手と)駆け引きをしたりするのがすごく楽しいです。元々、手先が器用だったこともあり、細かな調整が得意だったので、相手が来るのを待って、守って、一瞬の機会を狙って突く。その正確さが自分の強みだと思っています」
小学5年生でフェンシングと出合い、中学に入学してからエペに転向。172cmという長身を利点に国内で結果を出し、視線の先は世界にあります。
強くなりたいなら、海外遠征は不可欠
幼い頃はバレエを習っていましたが、「別のこともやってみたい」とフェンシング教室に参加し、初めて剣を持った時から「楽しい!」と引き込まれました。中学生になり、日本代表として国際大会に出場するようになってからは、海外遠征をしながら学業との両立も余儀なくされましたが、苦になることはなかったと振り返ります。
フェンシングの楽しさにみせられ、バレエからフェンシングへ
「とにかくフェンシングが楽しくて。テスト期間中で勉強をしなければならない時も『早くフェンシングがしたい』と思っていたんです(笑)。始めた頃はこれほど長く続けると思っていませんでしたが、少しずつ勝てるようになり、いろいろな人たちと出会って、世界をめざす先輩方と一緒に練習や試合ができるようになって、自分の意識も世界へ向くようになりました」
2021年夏に行なわれた世界大会で、フェンシングの男女6種目のうち、女子エペだけが団体戦の出場がかないませんでした。その現実も原田選手にとっては悔しさを抱くとともに、「もっと強くなりたい」と気持ちもかきたてられ、そして明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」に応募するきっかけにもなりました。
「同じ種目の(成田琉夏)選手がプログラムに参加、活動しているのを知り、とても魅力的な取り組みだと感じました。自分の活動を発信して、地元の方々に応援していただけるような選手になりたい、と思うだけでなく、コロナ禍で人と人のつながりが薄れる中、スポーツ、フェンシングをきっかけに人と人をつなげるきっかけになれればいいな、と思い、応募しました」
コロナ禍でこの2年は海外遠征もままならないことも多いですが、もっと強くなりたい、世界で勝てる選手になりたいと考えれば、欧州を中心に強豪選手がそろう大会参加や海外遠征は不可欠でもあります。今回のプロジェクトで集まった支援金は、海外遠征や剣などの用具の購入に充てる予定です。
続いたケガ、それも新たな「チャンス」に
一歩ずつ着実に前へ進んできたように見えますが、すべてが順調だったわけではありません。特に苦しかったのは、ケガが重なった高校時代。1年生の頃に手首をケガし、リハビリをしながら練習に取り組む中、翌年には膝のケガに見舞われました。手術も余儀なくされる状況で、選択すれば長期間フェンシングから遠ざかることになります。
「こんなに楽しいのに、剣を持てない。脚を動かさなければならないのに痛くてできない。どうして自分だけフェンシングができないんだろう、と思っていたし、これからもフェンシングを続けられるのか不安でした」
高校時代は度重なるケガに苦しみました
先の見えない苦しい時間。それでも、原田選手はケガが重なる逆境も新たな「チャンス」と捉えました。
「それまではウェイトトレーニングも本格的に取り組んでいたわけではなかったし、ウォーミングアップやクールダウン、体の大切さを考えたり、知ろうとしていなかったりしていたなと。だからこの機会に自分の体を知り、準備や動かし方、それまではなかった知識を得ることができて、結果的にその時間が成長につながったと思います」
ケガを乗り越え、大学1年生で全日本選手権初優勝。「長くフェンシングを続けていく自信になった」と振り返るように、逆境は原田選手が大きく成長するきっかけになりました。
法曹界という夢も追いかけて
フェンシング選手として競技力を磨くだけでなく、法学部で学ぶ原田選手は将来、法曹界で働くことも夢のひとつ。一見すればスポーツと法律は遠い世界にあるように見えますが、アスリートとして自身の身を守るためにも、様々なルールを知らなければならず、そのために不可欠なのが法律です。高校時代よりもさらに、学業と競技の両立は簡単ではありません。勉強に集中する時期とフェンシングに力を注ぐ期間に折り合いをつけながら、新たな目標へ向けてまい進する日々を過ごしています。
大きな夢や目標を抱く中、1日や1週間、1カ月は目まぐるしく過ぎていきますが、そんな原田選手にとって“癒やし”になるのが地元の東京・千代田区で過ごす時間だそうです。
「千代田区は官公庁や企業も多いのでビジネス街というイメージが強いと思いますが、皇居の周りは自然が豊富で、古本屋が並ぶ神保町は下町の雰囲気がある。何かうまくいかないことがあった時や、落ち込んだ時には私にとってパワースポットとも言える神田明神へお詣(まい)りに行くと心が落ち着くんです。家族がいるところ、というのはもちろんですが、私にとっていつも“帰りたい”と思える、心がホッとする場所です」
2019年に全日本選手権で初優勝を飾りました(撮影・朝日新聞社)
人と人の縁をつないでいけるような存在になりたい
昨今の国際情勢や、コロナ禍に伴い、国際大会も中止になり“当たり前”の大切さを痛感する機会も増えました。だからこそ帰れる地元、帰りたい場所があるのは心の支えでもあり、自らがめざす場所へまっすぐ進むための強さでもあります。
「強い選手には必ず“この人と言えばこの技”という突出したものがありますが、まだ私にはありません。まずは『これは自分が世界一だ』と思える技を持つために、相手のアタックを守ってから攻めるコントルアタックだけでなく、そこから先、次に繰り出す技を磨きたい。どんな相手に対しても、自分の技を決められる強さを持って、一生懸命、全力でフェンシングを頑張ります。その姿を、少しでも多くの方に見て、応援していただけたら嬉しいし、フェンシング、スポーツをきっかけに地元の方々、人と人の縁をつないでいけるような存在になりたいです」
夢へ向かって真っすぐに。原田選手の挑戦は始まったばかりです。
(取材・制作:4years.編集部)
ホーム
活動報告
6
支援者
5
フェンシングと法曹界という二足のわらじ、「これは自分が世界一だ」と思える技を 長身を生かして、世界へ 相手をじっくり観察し、ここだ、という瞬間を逃さず攻める。“コントルアタック”と言われる相手の攻撃を阻止してから繰り出す攻撃が、慶應義塾体育会フェンシング部4年生の原田紗希選手(東京都出身)の得意技です。 「相手の特徴や出方を見て、そこにプラスして自分は何がしたいかを考える。どう攻めるか、と戦術を考えたり、(相手と)駆け引きをしたりするのがすごく楽しいです。元々、手先が器用だったこともあり、細かな調整が得意だったので、相手が来るのを待って、守って、一瞬の機会を狙って突く。その正確さが自分の強みだと思っています」 小学5年生でフェンシングと出合い、中学に入学してからエペに転向。172cmという長身を利点に国内で結果を出し、視線の先は世界にあります。 強くなりたいなら、海外遠征は不可欠 幼い頃はバレエを習っていましたが、「別のこともやってみたい」とフェンシング教室に参加し、初めて剣を持った時から「楽しい!」と引き込まれました。中学生になり、日本代表として国際大会に出場するようになってからは、海外遠征をしながら学業との両立も余儀なくされましたが、苦になることはなかったと振り返ります。 フェンシングの楽しさにみせられ、バレエからフェンシングへ 「とにかくフェンシングが楽しくて。テスト期間中で勉強をしなければならない時も『早くフェンシングがしたい』と思っていたんです(笑)。始めた頃はこれほど長く続けると思っていませんでしたが、少しずつ勝てるようになり、いろいろな人たちと出会って、世界をめざす先輩方と一緒に練習や試合ができるようになって、自分の意識も世界へ向くようになりました」 2021年夏に行なわれた世界大会で、フェンシングの男女6種目のうち、女子エペだけが団体戦の出場がかないませんでした。その現実も原田選手にとっては悔しさを抱くとともに、「もっと強くなりたい」と気持ちもかきたてられ、そして明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」に応募するきっかけにもなりました。 「同じ種目の(成田琉夏)選手がプログラムに参加、活動しているのを知り、とても魅力的な取り組みだと感じました。自分の活動を発信して、地元の方々に応援していただけるような選手になりたい、と思うだけでなく、コロナ禍で人と人のつながりが薄れる中、スポーツ、フェンシングをきっかけに人と人をつなげるきっかけになれればいいな、と思い、応募しました」 コロナ禍でこの2年は海外遠征もままならないことも多いですが、もっと強くなりたい、世界で勝てる選手になりたいと考えれば、欧州を中心に強豪選手がそろう大会参加や海外遠征は不可欠でもあります。今回のプロジェクトで集まった支援金は、海外遠征や剣などの用具の購入に充てる予定です。 続いたケガ、それも新たな「チャンス」に 一歩ずつ着実に前へ進んできたように見えますが、すべてが順調だったわけではありません。特に苦しかったのは、ケガが重なった高校時代。1年生の頃に手首をケガし、リハビリをしながら練習に取り組む中、翌年には膝のケガに見舞われました。手術も余儀なくされる状況で、選択すれば長期間フェンシングから遠ざかることになります。 「こんなに楽しいのに、剣を持てない。脚を動かさなければならないのに痛くてできない。どうして自分だけフェンシングができないんだろう、と思っていたし、これからもフェンシングを続けられるのか不安でした」 高校時代は度重なるケガに苦しみました 先の見えない苦しい時間。それでも、原田選手はケガが重なる逆境も新たな「チャンス」と捉えました。 「それまではウェイトトレーニングも本格的に取り組んでいたわけではなかったし、ウォーミングアップやクールダウン、体の大切さを考えたり、知ろうとしていなかったりしていたなと。だからこの機会に自分の体を知り、準備や動かし方、それまではなかった知識を得ることができて、結果的にその時間が成長につながったと思います」 ケガを乗り越え、大学1年生で全日本選手権初優勝。「長くフェンシングを続けていく自信になった」と振り返るように、逆境は原田選手が大きく成長するきっかけになりました。 法曹界という夢も追いかけて フェンシング選手として競技力を磨くだけでなく、法学部で学ぶ原田選手は将来、法曹界で働くことも夢のひとつ。一見すればスポーツと法律は遠い世界にあるように見えますが、アスリートとして自身の身を守るためにも、様々なルールを知らなければならず、そのために不可欠なのが法律です。高校時代よりもさらに、学業と競技の両立は簡単ではありません。勉強に集中する時期とフェンシングに力を注ぐ期間に折り合いをつけながら、新たな目標へ向けてまい進する日々を過ごしています。 大きな夢や目標を抱く中、1日や1週間、1カ月は目まぐるしく過ぎていきますが、そんな原田選手にとって“癒やし”になるのが地元の東京・千代田区で過ごす時間だそうです。 「千代田区は官公庁や企業も多いのでビジネス街というイメージが強いと思いますが、皇居の周りは自然が豊富で、古本屋が並ぶ神保町は下町の雰囲気がある。何かうまくいかないことがあった時や、落ち込んだ時には私にとってパワースポットとも言える神田明神へお詣(まい)りに行くと心が落ち着くんです。家族がいるところ、というのはもちろんですが、私にとっていつも“帰りたい”と思える、心がホッとする場所です」 2019年に全日本選手権で初優勝を飾りました(撮影・朝日新聞社) 人と人の縁をつないでいけるような存在になりたい 昨今の国際情勢や、コロナ禍に伴い、国際大会も中止になり“当たり前”の大切さを痛感する機会も増えました。だからこそ帰れる地元、帰りたい場所があるのは心の支えでもあり、自らがめざす場所へまっすぐ進むための強さでもあります。 「強い選手には必ず“この人と言えばこの技”という突出したものがありますが、まだ私にはありません。まずは『これは自分が世界一だ』と思える技を持つために、相手のアタックを守ってから攻めるコントルアタックだけでなく、そこから先、次に繰り出す技を磨きたい。どんな相手に対しても、自分の技を決められる強さを持って、一生懸命、全力でフェンシングを頑張ります。その姿を、少しでも多くの方に見て、応援していただけたら嬉しいし、フェンシング、スポーツをきっかけに地元の方々、人と人の縁をつないでいけるような存在になりたいです」 夢へ向かって真っすぐに。原田選手の挑戦は始まったばかりです。 (取材・制作:4years.編集部)
フェンシングと法曹界という二足のわらじ、「これは自分が世界一だ」と思える技を
長身を生かして、世界へ
相手をじっくり観察し、ここだ、という瞬間を逃さず攻める。“コントルアタック”と言われる相手の攻撃を阻止してから繰り出す攻撃が、慶應義塾体育会フェンシング部4年生の原田紗希選手(東京都出身)の得意技です。
「相手の特徴や出方を見て、そこにプラスして自分は何がしたいかを考える。どう攻めるか、と戦術を考えたり、(相手と)駆け引きをしたりするのがすごく楽しいです。元々、手先が器用だったこともあり、細かな調整が得意だったので、相手が来るのを待って、守って、一瞬の機会を狙って突く。その正確さが自分の強みだと思っています」
小学5年生でフェンシングと出合い、中学に入学してからエペに転向。172cmという長身を利点に国内で結果を出し、視線の先は世界にあります。
強くなりたいなら、海外遠征は不可欠
幼い頃はバレエを習っていましたが、「別のこともやってみたい」とフェンシング教室に参加し、初めて剣を持った時から「楽しい!」と引き込まれました。中学生になり、日本代表として国際大会に出場するようになってからは、海外遠征をしながら学業との両立も余儀なくされましたが、苦になることはなかったと振り返ります。
フェンシングの楽しさにみせられ、バレエからフェンシングへ
「とにかくフェンシングが楽しくて。テスト期間中で勉強をしなければならない時も『早くフェンシングがしたい』と思っていたんです(笑)。始めた頃はこれほど長く続けると思っていませんでしたが、少しずつ勝てるようになり、いろいろな人たちと出会って、世界をめざす先輩方と一緒に練習や試合ができるようになって、自分の意識も世界へ向くようになりました」
2021年夏に行なわれた世界大会で、フェンシングの男女6種目のうち、女子エペだけが団体戦の出場がかないませんでした。その現実も原田選手にとっては悔しさを抱くとともに、「もっと強くなりたい」と気持ちもかきたてられ、そして明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」に応募するきっかけにもなりました。
「同じ種目の(成田琉夏)選手がプログラムに参加、活動しているのを知り、とても魅力的な取り組みだと感じました。自分の活動を発信して、地元の方々に応援していただけるような選手になりたい、と思うだけでなく、コロナ禍で人と人のつながりが薄れる中、スポーツ、フェンシングをきっかけに人と人をつなげるきっかけになれればいいな、と思い、応募しました」
コロナ禍でこの2年は海外遠征もままならないことも多いですが、もっと強くなりたい、世界で勝てる選手になりたいと考えれば、欧州を中心に強豪選手がそろう大会参加や海外遠征は不可欠でもあります。今回のプロジェクトで集まった支援金は、海外遠征や剣などの用具の購入に充てる予定です。
続いたケガ、それも新たな「チャンス」に
一歩ずつ着実に前へ進んできたように見えますが、すべてが順調だったわけではありません。特に苦しかったのは、ケガが重なった高校時代。1年生の頃に手首をケガし、リハビリをしながら練習に取り組む中、翌年には膝のケガに見舞われました。手術も余儀なくされる状況で、選択すれば長期間フェンシングから遠ざかることになります。
「こんなに楽しいのに、剣を持てない。脚を動かさなければならないのに痛くてできない。どうして自分だけフェンシングができないんだろう、と思っていたし、これからもフェンシングを続けられるのか不安でした」
高校時代は度重なるケガに苦しみました
先の見えない苦しい時間。それでも、原田選手はケガが重なる逆境も新たな「チャンス」と捉えました。
「それまではウェイトトレーニングも本格的に取り組んでいたわけではなかったし、ウォーミングアップやクールダウン、体の大切さを考えたり、知ろうとしていなかったりしていたなと。だからこの機会に自分の体を知り、準備や動かし方、それまではなかった知識を得ることができて、結果的にその時間が成長につながったと思います」
ケガを乗り越え、大学1年生で全日本選手権初優勝。「長くフェンシングを続けていく自信になった」と振り返るように、逆境は原田選手が大きく成長するきっかけになりました。
法曹界という夢も追いかけて
フェンシング選手として競技力を磨くだけでなく、法学部で学ぶ原田選手は将来、法曹界で働くことも夢のひとつ。一見すればスポーツと法律は遠い世界にあるように見えますが、アスリートとして自身の身を守るためにも、様々なルールを知らなければならず、そのために不可欠なのが法律です。高校時代よりもさらに、学業と競技の両立は簡単ではありません。勉強に集中する時期とフェンシングに力を注ぐ期間に折り合いをつけながら、新たな目標へ向けてまい進する日々を過ごしています。
大きな夢や目標を抱く中、1日や1週間、1カ月は目まぐるしく過ぎていきますが、そんな原田選手にとって“癒やし”になるのが地元の東京・千代田区で過ごす時間だそうです。
「千代田区は官公庁や企業も多いのでビジネス街というイメージが強いと思いますが、皇居の周りは自然が豊富で、古本屋が並ぶ神保町は下町の雰囲気がある。何かうまくいかないことがあった時や、落ち込んだ時には私にとってパワースポットとも言える神田明神へお詣(まい)りに行くと心が落ち着くんです。家族がいるところ、というのはもちろんですが、私にとっていつも“帰りたい”と思える、心がホッとする場所です」
2019年に全日本選手権で初優勝を飾りました(撮影・朝日新聞社)
人と人の縁をつないでいけるような存在になりたい
昨今の国際情勢や、コロナ禍に伴い、国際大会も中止になり“当たり前”の大切さを痛感する機会も増えました。だからこそ帰れる地元、帰りたい場所があるのは心の支えでもあり、自らがめざす場所へまっすぐ進むための強さでもあります。
「強い選手には必ず“この人と言えばこの技”という突出したものがありますが、まだ私にはありません。まずは『これは自分が世界一だ』と思える技を持つために、相手のアタックを守ってから攻めるコントルアタックだけでなく、そこから先、次に繰り出す技を磨きたい。どんな相手に対しても、自分の技を決められる強さを持って、一生懸命、全力でフェンシングを頑張ります。その姿を、少しでも多くの方に見て、応援していただけたら嬉しいし、フェンシング、スポーツをきっかけに地元の方々、人と人の縁をつないでいけるような存在になりたいです」
夢へ向かって真っすぐに。原田選手の挑戦は始まったばかりです。
(取材・制作:4years.編集部)
支援期間終了
このプロジェクトが気に入ったら
いいね!しよう
最新のプロジェクト情報をお届けします。
支援者
5人
残り期間
0日
集まっている金額
37,000円
目標金額:300,000円
達成率12%
2023年02月28日23:59に終了しました。
支援期間終了
起案者
原田紗希(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム2022)
当制度を通じて、出身地や活動拠点地域など、サポートを受ける「地元」に対して貢献したいというアスリートの活動を支援します。
1,000円
お礼のメール
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りします。
支援者の数 3人
支援期間終了
5,000円
お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 0人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了
10,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 1人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了
20,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+オリジナルステッカー+YELLS(全ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、プロジェクトのオリジナルステッカー、YELLS(全ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 1人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了