獲るぞ!アジアの頂点 勝利と感動を地元に届けるために
兄の影響ではじめたボクシング 最初は怖かった
原田選手がボクシングを始めたのは小学生の時、兄の影響で北九州市にあるHKスポーツボクシングジムに足を運んだのがきっかけでした。グローブをつけて3カ月が経った頃、初めてのスパーリングに挑戦したときのことは、いまでも覚えているそうです。最初は怖かったのに徐々に手が出るようになり、普段は滅多に褒めない桑原秀彦会長から「頑張ったな」と声をかけてもらったことは、当時サッカー少年だった原田選手が、ボクシングにのめり込んでいくきっかけになりました。
全国2冠を達成した先輩の背中を見て学び、成長した
北九州市の豊国学園高校では、2年生の春に全国高校選抜大会で3位、3年生の夏にはインターハイで全国3位、そして福岡代表として出場した茨城国体では準優勝と全国大会で多くの実績を残しました。杉本幸夫監督の指導はもちろん、全国2冠を達成した2学年上の川谷剛史選手(東洋大学)からは大きな影響を受け、常に謙虚で周囲に感謝する気持ちを持つ大切さを学び、人間的にも成長しました。
シャドーボクシングに励む原田選手
高校卒業後は、上京して専修大学でボクシングを続けています。2021年11月には全日本選手権(バンタム級)で初優勝を果たし、アジア競技大会の日本代表(57kg級)にも選出されました。
北九州市にはいろいろな思い出が詰まっている
「いまの拠点は東京ですが、生まれ育った地元とのつながりは切っても切り離せません。北九州には、僕の人生のほぼすべてが詰まっています」と原田選手は話してくれました。地元では友人たちにも恵まれました。楽しかった思い出ですぐに頭に思い浮かぶのは、高校1年生のときに出場した福岡県大会。減量に苦しみながらも優勝し、中学校時代の友人たちに小さな祝勝会を開いてもらいました。地元の友人たちと一緒においしいご飯を食べて、みんなから「おめでとう」と言われた時の喜びは忘れられないそうです。
原田選手の大好きな平尾台からみる夜景
ボクシングで行き詰まったときには、仲間たちと自転車で40分ほど走り、カルスト台地が広がる平尾台でよく星空を眺めているそうです。北九州市内の夜景を一望できるポイントがあり、そこから見る夜景はすごくきれいで、大学生になった今でも行きたくなる場所だといいます。
ボクシングで恩師や仲間がいる地元を盛り上げていきたい
「自分の人生を支えてくれている仲間や恩師がいる地元に、ボクシングを通じて何か恩返しがしたい」と考えるようになった原田選手。21年の全日本選手権で優勝した後、実家に帰省したときに、恩師の1人であるHKスポーツボクシングジムの桑原会長から、明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」を紹介してもらいました。世界に出て結果を残すことで北九州を盛り上げていけたら良いと思い、プログラムへの参加を決めました。
負けて休んだときに見つめ直したボクシングスタイル
もちろん、ボクシングをしていれば楽しいことばかりではなく、苦しんだ時期もありました。これまでの競技人生のなかで、高校2年生の秋は一つのターニングポイントでした。8月に行なわれたインターハイに初めて出場したものの早々と負けてしまい、10月の国体でもすぐに敗退。全国大会で思うように結果を出せず、思い悩んでいました。
そんなときに杉本監督から「ちょっと休んだほうがいい」と言われ、1週間ほど部活から完全に離れることに。いざボクシングのない学校生活を送ってみると、何の張りもなくて「僕からボクシングを取ったら何も残らないな」と感じました。1週間というわずかな空白期間でしたが、改めて競技に向き合うことができました。「一度立ち止まって、自分のボクシングを見つめ直すことができたのは良かったです」
サンドバックに拳を打ち込む原田選手
自身のボクシングを、「パンチを一発でももらうと、ポイントを取り返すために焦って、前に出ていました。そういった戦い方では、なかなか勝てません」と分析。以前にも増して考えてリングに上がるようになり、冷静な試合運びができるようになりました。「杉本監督のひと言がなければ、3年生で結果を残すこともできなかったと思います」
地元で働く仲間にボクシングの結果で応えたい
北九州を出てからも、地元の仲間には助けられているという原田選手。コロナ禍の影響で公式戦が中止になり、練習もまともにできない時期に気がめいってしまい、「何のために東京に来たのか。いったい自分は何をしているんだ」と自問自答を繰り返していました。
そんなときに地元の友人たちに連絡を取ると、「こっちは毎日、仕事を頑張っているよ」と言われて、はっとしました。一生懸命に働く仲間の姿が刺激となり、「僕もいまやれることをやろう」という気持ちになりました。東京に出てくるときに北九州空港まで見送りに来てくれた人たちの顔を思い浮かべ、「胸を張って帰省できるように、ボクシングに打ち込むぞ」と心に誓ったのです。
そして、ようやくその思いがひとつ叶いました。21年全日本選手権の優勝を手土産に地元に戻ると、みんなは大喜び。「信じていたよ」と言葉をかけられたときには胸が熱くなりました。
まずはアジアの頂点へ その後、世界の舞台で活躍したい
U22アジア選手権で頂点をめざし戦う原田選手
2022年の目標は11月のアジア競技大会で優勝すること。そして、24年には4年に1度の夢舞台に立ち、メダルを取ることです。「僕のボクシングキャリアは、国内で優勝して終わるつもりはありません。次はアジアの頂点を狙います。僕はまだまだ成長できると思っています」
そしてもう一つ。「ただ勝つだけではなく、ボクシングで感動を与えられる選手になり、少しでも地元に恩返しをしたい」と力強く語ります。
今回のクラウドファンディングで集まった支援金はパーソナルトレーナーの費用、部活外のジムに通う交通費などに充てる予定です。
もっともっと強くなるために。原田選手の挑戦は続きます。
(取材・制作:4years.編集部)
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獲るぞ!アジアの頂点 勝利と感動を地元に届けるために 兄の影響ではじめたボクシング 最初は怖かった 原田選手がボクシングを始めたのは小学生の時、兄の影響で北九州市にあるHKスポーツボクシングジムに足を運んだのがきっかけでした。グローブをつけて3カ月が経った頃、初めてのスパーリングに挑戦したときのことは、いまでも覚えているそうです。最初は怖かったのに徐々に手が出るようになり、普段は滅多に褒めない桑原秀彦会長から「頑張ったな」と声をかけてもらったことは、当時サッカー少年だった原田選手が、ボクシングにのめり込んでいくきっかけになりました。 全国2冠を達成した先輩の背中を見て学び、成長した 北九州市の豊国学園高校では、2年生の春に全国高校選抜大会で3位、3年生の夏にはインターハイで全国3位、そして福岡代表として出場した茨城国体では準優勝と全国大会で多くの実績を残しました。杉本幸夫監督の指導はもちろん、全国2冠を達成した2学年上の川谷剛史選手(東洋大学)からは大きな影響を受け、常に謙虚で周囲に感謝する気持ちを持つ大切さを学び、人間的にも成長しました。 シャドーボクシングに励む原田選手 高校卒業後は、上京して専修大学でボクシングを続けています。2021年11月には全日本選手権(バンタム級)で初優勝を果たし、アジア競技大会の日本代表(57kg級)にも選出されました。 北九州市にはいろいろな思い出が詰まっている 「いまの拠点は東京ですが、生まれ育った地元とのつながりは切っても切り離せません。北九州には、僕の人生のほぼすべてが詰まっています」と原田選手は話してくれました。地元では友人たちにも恵まれました。楽しかった思い出ですぐに頭に思い浮かぶのは、高校1年生のときに出場した福岡県大会。減量に苦しみながらも優勝し、中学校時代の友人たちに小さな祝勝会を開いてもらいました。地元の友人たちと一緒においしいご飯を食べて、みんなから「おめでとう」と言われた時の喜びは忘れられないそうです。 原田選手の大好きな平尾台からみる夜景 ボクシングで行き詰まったときには、仲間たちと自転車で40分ほど走り、カルスト台地が広がる平尾台でよく星空を眺めているそうです。北九州市内の夜景を一望できるポイントがあり、そこから見る夜景はすごくきれいで、大学生になった今でも行きたくなる場所だといいます。 ボクシングで恩師や仲間がいる地元を盛り上げていきたい 「自分の人生を支えてくれている仲間や恩師がいる地元に、ボクシングを通じて何か恩返しがしたい」と考えるようになった原田選手。21年の全日本選手権で優勝した後、実家に帰省したときに、恩師の1人であるHKスポーツボクシングジムの桑原会長から、明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」を紹介してもらいました。世界に出て結果を残すことで北九州を盛り上げていけたら良いと思い、プログラムへの参加を決めました。 負けて休んだときに見つめ直したボクシングスタイル もちろん、ボクシングをしていれば楽しいことばかりではなく、苦しんだ時期もありました。これまでの競技人生のなかで、高校2年生の秋は一つのターニングポイントでした。8月に行なわれたインターハイに初めて出場したものの早々と負けてしまい、10月の国体でもすぐに敗退。全国大会で思うように結果を出せず、思い悩んでいました。 そんなときに杉本監督から「ちょっと休んだほうがいい」と言われ、1週間ほど部活から完全に離れることに。いざボクシングのない学校生活を送ってみると、何の張りもなくて「僕からボクシングを取ったら何も残らないな」と感じました。1週間というわずかな空白期間でしたが、改めて競技に向き合うことができました。「一度立ち止まって、自分のボクシングを見つめ直すことができたのは良かったです」 サンドバックに拳を打ち込む原田選手 自身のボクシングを、「パンチを一発でももらうと、ポイントを取り返すために焦って、前に出ていました。そういった戦い方では、なかなか勝てません」と分析。以前にも増して考えてリングに上がるようになり、冷静な試合運びができるようになりました。「杉本監督のひと言がなければ、3年生で結果を残すこともできなかったと思います」 地元で働く仲間にボクシングの結果で応えたい 北九州を出てからも、地元の仲間には助けられているという原田選手。コロナ禍の影響で公式戦が中止になり、練習もまともにできない時期に気がめいってしまい、「何のために東京に来たのか。いったい自分は何をしているんだ」と自問自答を繰り返していました。 そんなときに地元の友人たちに連絡を取ると、「こっちは毎日、仕事を頑張っているよ」と言われて、はっとしました。一生懸命に働く仲間の姿が刺激となり、「僕もいまやれることをやろう」という気持ちになりました。東京に出てくるときに北九州空港まで見送りに来てくれた人たちの顔を思い浮かべ、「胸を張って帰省できるように、ボクシングに打ち込むぞ」と心に誓ったのです。 そして、ようやくその思いがひとつ叶いました。21年全日本選手権の優勝を手土産に地元に戻ると、みんなは大喜び。「信じていたよ」と言葉をかけられたときには胸が熱くなりました。 まずはアジアの頂点へ その後、世界の舞台で活躍したい U22アジア選手権で頂点をめざし戦う原田選手 2022年の目標は11月のアジア競技大会で優勝すること。そして、24年には4年に1度の夢舞台に立ち、メダルを取ることです。「僕のボクシングキャリアは、国内で優勝して終わるつもりはありません。次はアジアの頂点を狙います。僕はまだまだ成長できると思っています」 そしてもう一つ。「ただ勝つだけではなく、ボクシングで感動を与えられる選手になり、少しでも地元に恩返しをしたい」と力強く語ります。 今回のクラウドファンディングで集まった支援金はパーソナルトレーナーの費用、部活外のジムに通う交通費などに充てる予定です。 もっともっと強くなるために。原田選手の挑戦は続きます。 (取材・制作:4years.編集部)
獲るぞ!アジアの頂点 勝利と感動を地元に届けるために
兄の影響ではじめたボクシング 最初は怖かった
原田選手がボクシングを始めたのは小学生の時、兄の影響で北九州市にあるHKスポーツボクシングジムに足を運んだのがきっかけでした。グローブをつけて3カ月が経った頃、初めてのスパーリングに挑戦したときのことは、いまでも覚えているそうです。最初は怖かったのに徐々に手が出るようになり、普段は滅多に褒めない桑原秀彦会長から「頑張ったな」と声をかけてもらったことは、当時サッカー少年だった原田選手が、ボクシングにのめり込んでいくきっかけになりました。
全国2冠を達成した先輩の背中を見て学び、成長した
北九州市の豊国学園高校では、2年生の春に全国高校選抜大会で3位、3年生の夏にはインターハイで全国3位、そして福岡代表として出場した茨城国体では準優勝と全国大会で多くの実績を残しました。杉本幸夫監督の指導はもちろん、全国2冠を達成した2学年上の川谷剛史選手(東洋大学)からは大きな影響を受け、常に謙虚で周囲に感謝する気持ちを持つ大切さを学び、人間的にも成長しました。
シャドーボクシングに励む原田選手
高校卒業後は、上京して専修大学でボクシングを続けています。2021年11月には全日本選手権(バンタム級)で初優勝を果たし、アジア競技大会の日本代表(57kg級)にも選出されました。
北九州市にはいろいろな思い出が詰まっている
「いまの拠点は東京ですが、生まれ育った地元とのつながりは切っても切り離せません。北九州には、僕の人生のほぼすべてが詰まっています」と原田選手は話してくれました。地元では友人たちにも恵まれました。楽しかった思い出ですぐに頭に思い浮かぶのは、高校1年生のときに出場した福岡県大会。減量に苦しみながらも優勝し、中学校時代の友人たちに小さな祝勝会を開いてもらいました。地元の友人たちと一緒においしいご飯を食べて、みんなから「おめでとう」と言われた時の喜びは忘れられないそうです。
原田選手の大好きな平尾台からみる夜景
ボクシングで行き詰まったときには、仲間たちと自転車で40分ほど走り、カルスト台地が広がる平尾台でよく星空を眺めているそうです。北九州市内の夜景を一望できるポイントがあり、そこから見る夜景はすごくきれいで、大学生になった今でも行きたくなる場所だといいます。
ボクシングで恩師や仲間がいる地元を盛り上げていきたい
「自分の人生を支えてくれている仲間や恩師がいる地元に、ボクシングを通じて何か恩返しがしたい」と考えるようになった原田選手。21年の全日本選手権で優勝した後、実家に帰省したときに、恩師の1人であるHKスポーツボクシングジムの桑原会長から、明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」を紹介してもらいました。世界に出て結果を残すことで北九州を盛り上げていけたら良いと思い、プログラムへの参加を決めました。
負けて休んだときに見つめ直したボクシングスタイル
もちろん、ボクシングをしていれば楽しいことばかりではなく、苦しんだ時期もありました。これまでの競技人生のなかで、高校2年生の秋は一つのターニングポイントでした。8月に行なわれたインターハイに初めて出場したものの早々と負けてしまい、10月の国体でもすぐに敗退。全国大会で思うように結果を出せず、思い悩んでいました。
そんなときに杉本監督から「ちょっと休んだほうがいい」と言われ、1週間ほど部活から完全に離れることに。いざボクシングのない学校生活を送ってみると、何の張りもなくて「僕からボクシングを取ったら何も残らないな」と感じました。1週間というわずかな空白期間でしたが、改めて競技に向き合うことができました。「一度立ち止まって、自分のボクシングを見つめ直すことができたのは良かったです」
サンドバックに拳を打ち込む原田選手
自身のボクシングを、「パンチを一発でももらうと、ポイントを取り返すために焦って、前に出ていました。そういった戦い方では、なかなか勝てません」と分析。以前にも増して考えてリングに上がるようになり、冷静な試合運びができるようになりました。「杉本監督のひと言がなければ、3年生で結果を残すこともできなかったと思います」
地元で働く仲間にボクシングの結果で応えたい
北九州を出てからも、地元の仲間には助けられているという原田選手。コロナ禍の影響で公式戦が中止になり、練習もまともにできない時期に気がめいってしまい、「何のために東京に来たのか。いったい自分は何をしているんだ」と自問自答を繰り返していました。
そんなときに地元の友人たちに連絡を取ると、「こっちは毎日、仕事を頑張っているよ」と言われて、はっとしました。一生懸命に働く仲間の姿が刺激となり、「僕もいまやれることをやろう」という気持ちになりました。東京に出てくるときに北九州空港まで見送りに来てくれた人たちの顔を思い浮かべ、「胸を張って帰省できるように、ボクシングに打ち込むぞ」と心に誓ったのです。
そして、ようやくその思いがひとつ叶いました。21年全日本選手権の優勝を手土産に地元に戻ると、みんなは大喜び。「信じていたよ」と言葉をかけられたときには胸が熱くなりました。
まずはアジアの頂点へ その後、世界の舞台で活躍したい
U22アジア選手権で頂点をめざし戦う原田選手
2022年の目標は11月のアジア競技大会で優勝すること。そして、24年には4年に1度の夢舞台に立ち、メダルを取ることです。「僕のボクシングキャリアは、国内で優勝して終わるつもりはありません。次はアジアの頂点を狙います。僕はまだまだ成長できると思っています」
そしてもう一つ。「ただ勝つだけではなく、ボクシングで感動を与えられる選手になり、少しでも地元に恩返しをしたい」と力強く語ります。
今回のクラウドファンディングで集まった支援金はパーソナルトレーナーの費用、部活外のジムに通う交通費などに充てる予定です。
もっともっと強くなるために。原田選手の挑戦は続きます。
(取材・制作:4years.編集部)
支援期間終了
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支援者
17人
残り期間
0日
集まっている金額
137,000円
目標金額:400,000円
達成率34%
2023年02月28日23:59に終了しました。
支援期間終了
起案者
原田周大(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム2022)
当制度を通じて、出身地や活動拠点地域など、サポートを受ける「地元」に対して貢献したいというアスリートの活動を支援します。
1,000円
お礼のメール
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りします。
支援者の数 5人
支援期間終了
5,000円
お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 4人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了
10,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 6人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了
20,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+オリジナルステッカー+YELLS(全ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、プロジェクトのオリジナルステッカー、YELLS(全ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 2人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了