テコンドーと出合った地元・長崎のために 世界の強豪たちに勝ちにいく
蹴り技がカッコよくてテコンドーの虜に
175cmの長身とスラッと伸びた長い脚から振り下ろす迫力ある蹴り技。テコンドーでネリョチャギと呼ばれる、いわゆる「かかと落とし」では、平林霞(ひらばやし・かすみ)選手の打点は2mにも達します――。
5歳から地元・長崎市の森道場でテコンドーを始めた平林選手。友人に誘われて行った体験会で、テコンドーの格好良さ、とくに蹴り技に魅了されたといいます。
「小さい頃からテコンドーが楽しくて道場に行くことが大好きでした。とにかく道場に行くことが楽しみだったので、小学校低学年の頃は道場につくと練習前に鬼ごっこをして走り回ったり、道場が遊び場のような感じにもなっていました(笑)」
小学生の頃の平林選手(下段、右から2人目)
テコンドーにはキョルギ(組手/体重別階級)とプムセ(型)がありますが、平林選手が試合に出場するキョルギは2分×3ラウンドのポイント制で、蹴りとパンチで相手と戦います。
とくにネリョチャギ(かかと落とし)とフェッチュ(後ろ回し蹴り)が得意な平林選手はすぐに頭角を現します。小学3年生の時に出場した全日本ジュニアテコンドー選手権大会で優勝、その後もジュニア大会や全日本テコンドー選手権大会で何度も優勝に輝いています。
練習中の平林選手。ネリョチャギが得意だ
早くから才能が開花した平林選手ですが、自分の意識が「遊び」から「競技」に変化を見せたのは中学生になってから。日本代表に呼ばれるようになり、海外での試合にも出場するようになったことで意識が変わり、結果にこだわるようになりました。そして、世界ジュニアテコンドー選手権大会や世界テコンドー選手権大会に出場し、世界の強豪選手を知ることで平林選手の闘争心により火がつき、世界大会で海外選手に勝つことが目標になっていきました。
強くなるために不可欠な海外遠征
今回の「地元アスリート応援プログラム」を教えてくれたのは、5歳から約13年間テコンドーの手ほどきをしてくれた長崎・森道場の師範でした。
地元・長崎にて。上段左から2人目(赤)が平林選手
「テコンドーは日本ではまだマイナー競技で、金銭的サポートも少ないのが現状です。そんな中、クラウドファンディングも活用しながら支援金をいただけるこの制度はとてもありがたいですし、テコンドーをいろいろな方に知っていただく機会にもなりますので応募しました」
テコンドーは、競技発祥の地である韓国をはじめ、海外勢が強い競技。より強くなるためには、海外の強豪選手と練習をしたり試合をしたりする経験が不可欠です。
「それに、私は身長が175㎝あるので練習相手になる日本の女子選手がなかなか見つからず、男子選手と練習することも多いです。でも、男子と女子は戦い方が違うので、できれば女子と練習をしたいんです。海外には180㎝以上の女子選手も多くいるので、海外に行くことで強くなれます。世界で戦い勝つために海外遠征は絶対に必要だと思っています」
しかし、海外遠征の費用を捻出するのは簡単なことではありません。母子家庭で母親に頼る心苦しさと強くなりたい気持ちの間で、平林選手の心は揺れ動きます。
「母は『あなたは好きなことをやりなさい、私が応援するから』と言ってくれ、私がやりたいことをさせてくれます。金銭的に頼っている分、活躍している姿を見せたいといつも思っています。支援金を海外遠征費に使わせていただければ、お金の心配が減る分、より競技に集中できると思っています」
悩むたび、愛する故郷・長崎の海に救われてきた
現在は早稲田大学でスポーツ心理学を学び、練習は大東文化大学の社会人チーム「Team Daito」で行なっています。拠点こそ東京ですが、いつも故郷・長崎を思っています。
「競技で悩んだ時は海を眺めるのですが、長崎の海はやっぱり特別です。地元では2、3時間ずっと海を眺めていると、心の中にあるザワザワしたものが穏やかになり、『また頑張ろう』と前向きになれるんです。坂が多い街なのでトレーニングとして高台まで走って、海を眺めることも多かったです。長崎は私が生まれ育ち、テコンドーに初めて触れた土地で、多くの学びと出会いがあり、癒しをくれた場所。この地元のためにも、テコンドーで少しでも恩返しができたらといつも思っています」
高台から眺める長崎の海は、平林選手のパワースポット
大けがを負い、テコンドーが好きなことを再確認
実は2021年、あごの骨を折るというこれまでの競技生活最大の怪我を負ってしまいました。それまでも何度か腕や脚を骨折したことはありましたが、2カ月もの間、まったく練習ができなかったのは、初めての経験でした。
「コロナ禍でも練習がストップしましたが、走り込みはできていました。でも、あごを骨折した時は本当に動けなくて……。大学3年生で、今後について考える時期でもあったので、テコンドーを辞めることも頭をよぎりました。でも、練習を再開した初日、軽くしか練習できなかったんですけど、それでも楽しかったんです。『これは辞めないな、まだまだ続けるな』ってすぐにわかりました」
文武両道の平林選手は、大学卒業後の進路は大学院が第一志望。もちろん、テコンドーは続けていきます。
フェッチュ(後ろ回し蹴り)を繰り出す平林選手
有名になって長崎のよさを発信したい
2022年はあごの骨折の影響で、出られない試合もあります。それでずいぶん落ち込んだそうですが、今では「落ち込んでいても仕方ない」としっかり前を向き、今後開催予定の世界選手権に照準を合わせ、熱のこもった練習を続けています。
「練習が長い間できずに体力や筋力が落ちているので、基礎的なところから始めています。今、大事にしているのは距離感です。フィジカルが強い海外の選手が嫌がる距離感を保って、いなせるようになりたいですね。どんどん海外で試合をして、勘を取り戻して調整する必要も感じています」
最終目標に掲げるのは、2024年に開かれる世界最高峰の大会です。2021年に東京で開かれた世界大会では、エキシビションマッチに出場しました。
「ずっと目標にしていた夢の大会だったので、エキシビションでも出場できてうれしかったです。その大会のための最終選考で、そのストイックさに憧れてきた濱田真由選手と初めて対戦して敗れはしましたが、意外と戦えたことも自信になりました。国際大会でもメダルを獲得して、海外選手とも戦えることを証明したいです。大きな試合に勝ち、長崎の人たちに誇ってもらえるような有名な選手になりたいですし、長崎の良さをどんどん世界に発信していける選手になりたいと思っています」
(取材・制作:4years.編集部)
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テコンドーと出合った地元・長崎のために 世界の強豪たちに勝ちにいく 蹴り技がカッコよくてテコンドーの虜に 175cmの長身とスラッと伸びた長い脚から振り下ろす迫力ある蹴り技。テコンドーでネリョチャギと呼ばれる、いわゆる「かかと落とし」では、平林霞(ひらばやし・かすみ)選手の打点は2mにも達します――。 5歳から地元・長崎市の森道場でテコンドーを始めた平林選手。友人に誘われて行った体験会で、テコンドーの格好良さ、とくに蹴り技に魅了されたといいます。 「小さい頃からテコンドーが楽しくて道場に行くことが大好きでした。とにかく道場に行くことが楽しみだったので、小学校低学年の頃は道場につくと練習前に鬼ごっこをして走り回ったり、道場が遊び場のような感じにもなっていました(笑)」 小学生の頃の平林選手(下段、右から2人目) テコンドーにはキョルギ(組手/体重別階級)とプムセ(型)がありますが、平林選手が試合に出場するキョルギは2分×3ラウンドのポイント制で、蹴りとパンチで相手と戦います。 とくにネリョチャギ(かかと落とし)とフェッチュ(後ろ回し蹴り)が得意な平林選手はすぐに頭角を現します。小学3年生の時に出場した全日本ジュニアテコンドー選手権大会で優勝、その後もジュニア大会や全日本テコンドー選手権大会で何度も優勝に輝いています。 練習中の平林選手。ネリョチャギが得意だ 早くから才能が開花した平林選手ですが、自分の意識が「遊び」から「競技」に変化を見せたのは中学生になってから。日本代表に呼ばれるようになり、海外での試合にも出場するようになったことで意識が変わり、結果にこだわるようになりました。そして、世界ジュニアテコンドー選手権大会や世界テコンドー選手権大会に出場し、世界の強豪選手を知ることで平林選手の闘争心により火がつき、世界大会で海外選手に勝つことが目標になっていきました。 強くなるために不可欠な海外遠征 今回の「地元アスリート応援プログラム」を教えてくれたのは、5歳から約13年間テコンドーの手ほどきをしてくれた長崎・森道場の師範でした。 地元・長崎にて。上段左から2人目(赤)が平林選手 「テコンドーは日本ではまだマイナー競技で、金銭的サポートも少ないのが現状です。そんな中、クラウドファンディングも活用しながら支援金をいただけるこの制度はとてもありがたいですし、テコンドーをいろいろな方に知っていただく機会にもなりますので応募しました」 テコンドーは、競技発祥の地である韓国をはじめ、海外勢が強い競技。より強くなるためには、海外の強豪選手と練習をしたり試合をしたりする経験が不可欠です。 「それに、私は身長が175㎝あるので練習相手になる日本の女子選手がなかなか見つからず、男子選手と練習することも多いです。でも、男子と女子は戦い方が違うので、できれば女子と練習をしたいんです。海外には180㎝以上の女子選手も多くいるので、海外に行くことで強くなれます。世界で戦い勝つために海外遠征は絶対に必要だと思っています」 しかし、海外遠征の費用を捻出するのは簡単なことではありません。母子家庭で母親に頼る心苦しさと強くなりたい気持ちの間で、平林選手の心は揺れ動きます。 「母は『あなたは好きなことをやりなさい、私が応援するから』と言ってくれ、私がやりたいことをさせてくれます。金銭的に頼っている分、活躍している姿を見せたいといつも思っています。支援金を海外遠征費に使わせていただければ、お金の心配が減る分、より競技に集中できると思っています」 悩むたび、愛する故郷・長崎の海に救われてきた 現在は早稲田大学でスポーツ心理学を学び、練習は大東文化大学の社会人チーム「Team Daito」で行なっています。拠点こそ東京ですが、いつも故郷・長崎を思っています。 「競技で悩んだ時は海を眺めるのですが、長崎の海はやっぱり特別です。地元では2、3時間ずっと海を眺めていると、心の中にあるザワザワしたものが穏やかになり、『また頑張ろう』と前向きになれるんです。坂が多い街なのでトレーニングとして高台まで走って、海を眺めることも多かったです。長崎は私が生まれ育ち、テコンドーに初めて触れた土地で、多くの学びと出会いがあり、癒しをくれた場所。この地元のためにも、テコンドーで少しでも恩返しができたらといつも思っています」 高台から眺める長崎の海は、平林選手のパワースポット 大けがを負い、テコンドーが好きなことを再確認 実は2021年、あごの骨を折るというこれまでの競技生活最大の怪我を負ってしまいました。それまでも何度か腕や脚を骨折したことはありましたが、2カ月もの間、まったく練習ができなかったのは、初めての経験でした。 「コロナ禍でも練習がストップしましたが、走り込みはできていました。でも、あごを骨折した時は本当に動けなくて……。大学3年生で、今後について考える時期でもあったので、テコンドーを辞めることも頭をよぎりました。でも、練習を再開した初日、軽くしか練習できなかったんですけど、それでも楽しかったんです。『これは辞めないな、まだまだ続けるな』ってすぐにわかりました」 文武両道の平林選手は、大学卒業後の進路は大学院が第一志望。もちろん、テコンドーは続けていきます。 フェッチュ(後ろ回し蹴り)を繰り出す平林選手 有名になって長崎のよさを発信したい 2022年はあごの骨折の影響で、出られない試合もあります。それでずいぶん落ち込んだそうですが、今では「落ち込んでいても仕方ない」としっかり前を向き、今後開催予定の世界選手権に照準を合わせ、熱のこもった練習を続けています。 「練習が長い間できずに体力や筋力が落ちているので、基礎的なところから始めています。今、大事にしているのは距離感です。フィジカルが強い海外の選手が嫌がる距離感を保って、いなせるようになりたいですね。どんどん海外で試合をして、勘を取り戻して調整する必要も感じています」 最終目標に掲げるのは、2024年に開かれる世界最高峰の大会です。2021年に東京で開かれた世界大会では、エキシビションマッチに出場しました。 「ずっと目標にしていた夢の大会だったので、エキシビションでも出場できてうれしかったです。その大会のための最終選考で、そのストイックさに憧れてきた濱田真由選手と初めて対戦して敗れはしましたが、意外と戦えたことも自信になりました。国際大会でもメダルを獲得して、海外選手とも戦えることを証明したいです。大きな試合に勝ち、長崎の人たちに誇ってもらえるような有名な選手になりたいですし、長崎の良さをどんどん世界に発信していける選手になりたいと思っています」 (取材・制作:4years.編集部)
テコンドーと出合った地元・長崎のために 世界の強豪たちに勝ちにいく
蹴り技がカッコよくてテコンドーの虜に
175cmの長身とスラッと伸びた長い脚から振り下ろす迫力ある蹴り技。テコンドーでネリョチャギと呼ばれる、いわゆる「かかと落とし」では、平林霞(ひらばやし・かすみ)選手の打点は2mにも達します――。
5歳から地元・長崎市の森道場でテコンドーを始めた平林選手。友人に誘われて行った体験会で、テコンドーの格好良さ、とくに蹴り技に魅了されたといいます。
「小さい頃からテコンドーが楽しくて道場に行くことが大好きでした。とにかく道場に行くことが楽しみだったので、小学校低学年の頃は道場につくと練習前に鬼ごっこをして走り回ったり、道場が遊び場のような感じにもなっていました(笑)」
小学生の頃の平林選手(下段、右から2人目)
テコンドーにはキョルギ(組手/体重別階級)とプムセ(型)がありますが、平林選手が試合に出場するキョルギは2分×3ラウンドのポイント制で、蹴りとパンチで相手と戦います。
とくにネリョチャギ(かかと落とし)とフェッチュ(後ろ回し蹴り)が得意な平林選手はすぐに頭角を現します。小学3年生の時に出場した全日本ジュニアテコンドー選手権大会で優勝、その後もジュニア大会や全日本テコンドー選手権大会で何度も優勝に輝いています。
練習中の平林選手。ネリョチャギが得意だ
早くから才能が開花した平林選手ですが、自分の意識が「遊び」から「競技」に変化を見せたのは中学生になってから。日本代表に呼ばれるようになり、海外での試合にも出場するようになったことで意識が変わり、結果にこだわるようになりました。そして、世界ジュニアテコンドー選手権大会や世界テコンドー選手権大会に出場し、世界の強豪選手を知ることで平林選手の闘争心により火がつき、世界大会で海外選手に勝つことが目標になっていきました。
強くなるために不可欠な海外遠征
今回の「地元アスリート応援プログラム」を教えてくれたのは、5歳から約13年間テコンドーの手ほどきをしてくれた長崎・森道場の師範でした。
地元・長崎にて。上段左から2人目(赤)が平林選手
「テコンドーは日本ではまだマイナー競技で、金銭的サポートも少ないのが現状です。そんな中、クラウドファンディングも活用しながら支援金をいただけるこの制度はとてもありがたいですし、テコンドーをいろいろな方に知っていただく機会にもなりますので応募しました」
テコンドーは、競技発祥の地である韓国をはじめ、海外勢が強い競技。より強くなるためには、海外の強豪選手と練習をしたり試合をしたりする経験が不可欠です。
「それに、私は身長が175㎝あるので練習相手になる日本の女子選手がなかなか見つからず、男子選手と練習することも多いです。でも、男子と女子は戦い方が違うので、できれば女子と練習をしたいんです。海外には180㎝以上の女子選手も多くいるので、海外に行くことで強くなれます。世界で戦い勝つために海外遠征は絶対に必要だと思っています」
しかし、海外遠征の費用を捻出するのは簡単なことではありません。母子家庭で母親に頼る心苦しさと強くなりたい気持ちの間で、平林選手の心は揺れ動きます。
「母は『あなたは好きなことをやりなさい、私が応援するから』と言ってくれ、私がやりたいことをさせてくれます。金銭的に頼っている分、活躍している姿を見せたいといつも思っています。支援金を海外遠征費に使わせていただければ、お金の心配が減る分、より競技に集中できると思っています」
悩むたび、愛する故郷・長崎の海に救われてきた
現在は早稲田大学でスポーツ心理学を学び、練習は大東文化大学の社会人チーム「Team Daito」で行なっています。拠点こそ東京ですが、いつも故郷・長崎を思っています。
「競技で悩んだ時は海を眺めるのですが、長崎の海はやっぱり特別です。地元では2、3時間ずっと海を眺めていると、心の中にあるザワザワしたものが穏やかになり、『また頑張ろう』と前向きになれるんです。坂が多い街なのでトレーニングとして高台まで走って、海を眺めることも多かったです。長崎は私が生まれ育ち、テコンドーに初めて触れた土地で、多くの学びと出会いがあり、癒しをくれた場所。この地元のためにも、テコンドーで少しでも恩返しができたらといつも思っています」
高台から眺める長崎の海は、平林選手のパワースポット
大けがを負い、テコンドーが好きなことを再確認
実は2021年、あごの骨を折るというこれまでの競技生活最大の怪我を負ってしまいました。それまでも何度か腕や脚を骨折したことはありましたが、2カ月もの間、まったく練習ができなかったのは、初めての経験でした。
「コロナ禍でも練習がストップしましたが、走り込みはできていました。でも、あごを骨折した時は本当に動けなくて……。大学3年生で、今後について考える時期でもあったので、テコンドーを辞めることも頭をよぎりました。でも、練習を再開した初日、軽くしか練習できなかったんですけど、それでも楽しかったんです。『これは辞めないな、まだまだ続けるな』ってすぐにわかりました」
文武両道の平林選手は、大学卒業後の進路は大学院が第一志望。もちろん、テコンドーは続けていきます。
フェッチュ(後ろ回し蹴り)を繰り出す平林選手
有名になって長崎のよさを発信したい
2022年はあごの骨折の影響で、出られない試合もあります。それでずいぶん落ち込んだそうですが、今では「落ち込んでいても仕方ない」としっかり前を向き、今後開催予定の世界選手権に照準を合わせ、熱のこもった練習を続けています。
「練習が長い間できずに体力や筋力が落ちているので、基礎的なところから始めています。今、大事にしているのは距離感です。フィジカルが強い海外の選手が嫌がる距離感を保って、いなせるようになりたいですね。どんどん海外で試合をして、勘を取り戻して調整する必要も感じています」
最終目標に掲げるのは、2024年に開かれる世界最高峰の大会です。2021年に東京で開かれた世界大会では、エキシビションマッチに出場しました。
「ずっと目標にしていた夢の大会だったので、エキシビションでも出場できてうれしかったです。その大会のための最終選考で、そのストイックさに憧れてきた濱田真由選手と初めて対戦して敗れはしましたが、意外と戦えたことも自信になりました。国際大会でもメダルを獲得して、海外選手とも戦えることを証明したいです。大きな試合に勝ち、長崎の人たちに誇ってもらえるような有名な選手になりたいですし、長崎の良さをどんどん世界に発信していける選手になりたいと思っています」
(取材・制作:4years.編集部)
支援期間終了
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最新のプロジェクト情報をお届けします。
支援者
14人
残り期間
0日
集まっている金額
146,030円
目標金額:500,000円
達成率29%
2023年02月28日23:59に終了しました。
支援期間終了
起案者
平林霞(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム2022)
当制度を通じて、出身地や活動拠点地域など、サポートを受ける「地元」に対して貢献したいというアスリートの活動を支援します。
1,000円
お礼のメール
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りします。
支援者の数 2人
支援期間終了
5,000円
お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 8人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了
10,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 2人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了
20,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+オリジナルステッカー+YELLS(全ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、プロジェクトのオリジナルステッカー、YELLS(全ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 2人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了