女子アマチュアボクシング界の頂点へ! 原動力は「強くなりたい」という思い
小学生の時から男子中学生とスパーリング
入江聖奈選手(鳥取県出身)は日本女子ボクサーとしては初めて、4年に1度しか巡ってこない世界大会の出場権をフェザー級で手に入れました。現在、日本体育大学に通う3年生の入江選手がボクシングと出会ったのは、ランドセルを背負っていた少女のころです。
自宅にあったボクシング漫画『がんばれ元気』を読んで感化された小学2年生の女の子は、すぐに鳥取県米子市内にあるシュガーナックルジムに足を運びました。母親は娘の顔に傷がつくことを心配しましたが、父親は喜々として送り迎えをしてくれたと言います。ジムでは地道に基礎から学び、その1年後にはスパーリング(実戦練習)を初めて経験。リングで向かい合ったのは、身長差のある男子中学生でした。相手がキャンバスにひざをついての手合わせでしたが、すっかり虜(とりこ)になりました。
「純粋にボクシングが楽しかったんです」
小学校の高学年になると、毎日ジムに通いました。当たり前のように競技を続けていくうちに、みるみる強くなっていきます。
小学生の時の入江選手。年上の男子選手との練習で鍛えられました
後藤ケ丘中学校時代は中学生の部で全国大会2連覇。米子西高校の3年生になると、全日本女子選手権のシニア(大学生、社会人)で初優勝を果たします。あっという間に世代を超えて、日本女子アマチュアボクシング界のトップシーンに踊り出ました。2019年には世界選手権で8強入り。それでも満足はできませんでした。年齢的にまだ伸びしろはたっぷりあります。本人はどん欲です。
「もっと強くなりたい」
コロナ禍の中でもモチベーションを落とさず、練習に励み続けています。
モチベーションが上げづらい時も、応援が力になった
入江選手は15年から明治安田生命の支援を受けてきましたが、20年からは「地元で頑張るアスリートが応援される場をつくりたい」という趣旨が加わった「地元アスリート応援プログラム」に生まれ変わりました。入江選手自身、鳥取の人々に支えられてここまで強くなったと感じています。「自分自身がもっと強くなり、応援してくれた方に結果で恩返しがしたい」という思いを胸に、このプロジェクトに申し込みました。
20年にはプロジェクトの一環として、初めてクラウドファンディングを経験。より多くの人に自分のことを知ってもらえるよう、大学生になってからはあまり更新していなかったSNSでも自分のことを発信しました。「自分について発信するのは恥ずかしいなと思っていたんですけど。女子ボクシングはまだ有名なスポーツとは言えないので、自分が頑張ることで少しでも有名に、活気のあるものにするには、恥ずかしさを乗り越えていかないといけないと思っています」
20年は新型コロナウイルスの影響でボクシングも様々な大会が中止になりました。入江選手も「モチベーションを上げづらい時もあった」と振り返りますが、たくさんの人々からの温かい言葉と気持ちを受けて、「もうちょっと頑張ろう、頑張らないといけない」と気持ちを引き締めることができました。
集まった支援金でまずはシューズを新調しました。今回のクラウドファンディングで集まった支援金も、今後の遠征費や用具の資金に充てる予定です。
大学の仲間の支えも入江選手の大きな力になっています
2連覇がかかっていた全日本で鳥取のぬくもりを感じた
昔も今も不自由なく競技生活を過ごせるように支えてくれる両親。ボクシングを一から教えてくれたシュガーナックルジムの指導者の方々。そして、生まれ育った同郷の人たちへの感謝の思いはずっと持ち続けています。ジムでは健康目的で通っている会員の人に練習相手をしてもらうこともありました。大会となれば、応援にも駆けつけてくれます。
忘れもしないのは、鳥取で開催された17年全日本選手権。当時は高校2年生でした。ジュニア(高校生)の部で出場し、見事に2連覇を達成。リングから見た光景は、昨日のことのように覚えています。決勝は右ストレートが決まり、気持ちよくRSC(レフェリーストップコンテスト)勝ち。馴染みのある米子産業体育館のリングは、その日ばかりは特別でした。
「休みの日曜日なのに本当に多くの人が応援に来てくれたんです。ジムの会員の方もいれば、昔一緒にボクシングをしていた仲間も、通っていた高校の先生も、たくさんの知っている顔がありました。キラキラして見えました」
地元の声援はプレッシャーでありながらも、大きな力にもなりました。鳥取に育てられたという思いは、今でも強く持っています。
また20年11月には、自分が小さい時から慣れ親しんだ鳥取のジムで全日本合宿がありました。「全日本合宿が鳥取であったのは初めてのことで、すごく新鮮でした。自分がずっと小学生の時から練習していたジムに、全日本の代表メンバーがいるのが不思議で」と入江選手。改めて原点に立ち返り、これまで競技人生を支えてくれた人たちへの感謝の気持ちも湧いてきました。
「誰にも負けないくらい強くなりたいです」
目下の目標は、21年夏、4年に1度の大舞台で活躍すること。世界中から注目されるリングに上がるだけでは充実感は得られません。表彰台の一番高いところに立ち、応援してくれている人たちに恩返しすることを誓っています。ただ、コロナ禍で先行き不透明な現状も理解しています。
「自分でどうにかできる問題ではありません。私はボクシングが楽しくて、純粋に強くなりたくて競技に打ち込んでいます。誰にも負けないくらい強くなりたいです」
「なぜ、こんなにボクシングのことが好きなのか分かりません」と入江選手
心底愛するボクシングへの思いは変わりません。特にアマチュアへのこだわりは強いです。
「テクニックはプロよりもアマの方が上だと思っています。女子、男子は関係なく、アマチュアボクシングをもっと盛り上げていきたいです」
応援される選手として、より真摯(しんし)にボクシングに取り組み、支援してよかったと思えるような試合をしていきます。
(取材・制作:4years.編集部)
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女子アマチュアボクシング界の頂点へ! 原動力は「強くなりたい」という思い小学生の時から男子中学生とスパーリング 入江聖奈選手(鳥取県出身)は日本女子ボクサーとしては初めて、4年に1度しか巡ってこない世界大会の出場権をフェザー級で手に入れました。現在、日本体育大学に通う3年生の入江選手がボクシングと出会ったのは、ランドセルを背負っていた少女のころです。自宅にあったボクシング漫画『がんばれ元気』を読んで感化された小学2年生の女の子は、すぐに鳥取県米子市内にあるシュガーナックルジムに足を運びました。母親は娘の顔に傷がつくことを心配しましたが、父親は喜々として送り迎えをしてくれたと言います。ジムでは地道に基礎から学び、その1年後にはスパーリング(実戦練習)を初めて経験。リングで向かい合ったのは、身長差のある男子中学生でした。相手がキャンバスにひざをついての手合わせでしたが、すっかり虜(とりこ)になりました。「純粋にボクシングが楽しかったんです」小学校の高学年になると、毎日ジムに通いました。当たり前のように競技を続けていくうちに、みるみる強くなっていきます。小学生の時の入江選手。年上の男子選手との練習で鍛えられました後藤ケ丘中学校時代は中学生の部で全国大会2連覇。米子西高校の3年生になると、全日本女子選手権のシニア(大学生、社会人)で初優勝を果たします。あっという間に世代を超えて、日本女子アマチュアボクシング界のトップシーンに踊り出ました。2019年には世界選手権で8強入り。それでも満足はできませんでした。年齢的にまだ伸びしろはたっぷりあります。本人はどん欲です。「もっと強くなりたい」コロナ禍の中でもモチベーションを落とさず、練習に励み続けています。 モチベーションが上げづらい時も、応援が力になった入江選手は15年から明治安田生命の支援を受けてきましたが、20年からは「地元で頑張るアスリートが応援される場をつくりたい」という趣旨が加わった「地元アスリート応援プログラム」に生まれ変わりました。入江選手自身、鳥取の人々に支えられてここまで強くなったと感じています。「自分自身がもっと強くなり、応援してくれた方に結果で恩返しがしたい」という思いを胸に、このプロジェクトに申し込みました。20年にはプロジェクトの一環として、初めてクラウドファンディングを経験。より多くの人に自分のことを知ってもらえるよう、大学生になってからはあまり更新していなかったSNSでも自分のことを発信しました。「自分について発信するのは恥ずかしいなと思っていたんですけど。女子ボクシングはまだ有名なスポーツとは言えないので、自分が頑張ることで少しでも有名に、活気のあるものにするには、恥ずかしさを乗り越えていかないといけないと思っています」20年は新型コロナウイルスの影響でボクシングも様々な大会が中止になりました。入江選手も「モチベーションを上げづらい時もあった」と振り返りますが、たくさんの人々からの温かい言葉と気持ちを受けて、「もうちょっと頑張ろう、頑張らないといけない」と気持ちを引き締めることができました。集まった支援金でまずはシューズを新調しました。今回のクラウドファンディングで集まった支援金も、今後の遠征費や用具の資金に充てる予定です。大学の仲間の支えも入江選手の大きな力になっています 2連覇がかかっていた全日本で鳥取のぬくもりを感じた昔も今も不自由なく競技生活を過ごせるように支えてくれる両親。ボクシングを一から教えてくれたシュガーナックルジムの指導者の方々。そして、生まれ育った同郷の人たちへの感謝の思いはずっと持ち続けています。ジムでは健康目的で通っている会員の人に練習相手をしてもらうこともありました。大会となれば、応援にも駆けつけてくれます。忘れもしないのは、鳥取で開催された17年全日本選手権。当時は高校2年生でした。ジュニア(高校生)の部で出場し、見事に2連覇を達成。リングから見た光景は、昨日のことのように覚えています。決勝は右ストレートが決まり、気持ちよくRSC(レフェリーストップコンテスト)勝ち。馴染みのある米子産業体育館のリングは、その日ばかりは特別でした。「休みの日曜日なのに本当に多くの人が応援に来てくれたんです。ジムの会員の方もいれば、昔一緒にボクシングをしていた仲間も、通っていた高校の先生も、たくさんの知っている顔がありました。キラキラして見えました」地元の声援はプレッシャーでありながらも、大きな力にもなりました。鳥取に育てられたという思いは、今でも強く持っています。また20年11月には、自分が小さい時から慣れ親しんだ鳥取のジムで全日本合宿がありました。「全日本合宿が鳥取であったのは初めてのことで、すごく新鮮でした。自分がずっと小学生の時から練習していたジムに、全日本の代表メンバーがいるのが不思議で」と入江選手。改めて原点に立ち返り、これまで競技人生を支えてくれた人たちへの感謝の気持ちも湧いてきました。 「誰にも負けないくらい強くなりたいです」目下の目標は、21年夏、4年に1度の大舞台で活躍すること。世界中から注目されるリングに上がるだけでは充実感は得られません。表彰台の一番高いところに立ち、応援してくれている人たちに恩返しすることを誓っています。ただ、コロナ禍で先行き不透明な現状も理解しています。「自分でどうにかできる問題ではありません。私はボクシングが楽しくて、純粋に強くなりたくて競技に打ち込んでいます。誰にも負けないくらい強くなりたいです」「なぜ、こんなにボクシングのことが好きなのか分かりません」と入江選手心底愛するボクシングへの思いは変わりません。特にアマチュアへのこだわりは強いです。「テクニックはプロよりもアマの方が上だと思っています。女子、男子は関係なく、アマチュアボクシングをもっと盛り上げていきたいです」応援される選手として、より真摯(しんし)にボクシングに取り組み、支援してよかったと思えるような試合をしていきます。 (取材・制作:4years.編集部)
女子アマチュアボクシング界の頂点へ! 原動力は「強くなりたい」という思い
小学生の時から男子中学生とスパーリング
入江聖奈選手(鳥取県出身)は日本女子ボクサーとしては初めて、4年に1度しか巡ってこない世界大会の出場権をフェザー級で手に入れました。現在、日本体育大学に通う3年生の入江選手がボクシングと出会ったのは、ランドセルを背負っていた少女のころです。
自宅にあったボクシング漫画『がんばれ元気』を読んで感化された小学2年生の女の子は、すぐに鳥取県米子市内にあるシュガーナックルジムに足を運びました。母親は娘の顔に傷がつくことを心配しましたが、父親は喜々として送り迎えをしてくれたと言います。ジムでは地道に基礎から学び、その1年後にはスパーリング(実戦練習)を初めて経験。リングで向かい合ったのは、身長差のある男子中学生でした。相手がキャンバスにひざをついての手合わせでしたが、すっかり虜(とりこ)になりました。
「純粋にボクシングが楽しかったんです」
小学校の高学年になると、毎日ジムに通いました。当たり前のように競技を続けていくうちに、みるみる強くなっていきます。
後藤ケ丘中学校時代は中学生の部で全国大会2連覇。米子西高校の3年生になると、全日本女子選手権のシニア(大学生、社会人)で初優勝を果たします。あっという間に世代を超えて、日本女子アマチュアボクシング界のトップシーンに踊り出ました。2019年には世界選手権で8強入り。それでも満足はできませんでした。年齢的にまだ伸びしろはたっぷりあります。本人はどん欲です。
「もっと強くなりたい」
コロナ禍の中でもモチベーションを落とさず、練習に励み続けています。
モチベーションが上げづらい時も、応援が力になった
入江選手は15年から明治安田生命の支援を受けてきましたが、20年からは「地元で頑張るアスリートが応援される場をつくりたい」という趣旨が加わった「地元アスリート応援プログラム」に生まれ変わりました。入江選手自身、鳥取の人々に支えられてここまで強くなったと感じています。「自分自身がもっと強くなり、応援してくれた方に結果で恩返しがしたい」という思いを胸に、このプロジェクトに申し込みました。
20年にはプロジェクトの一環として、初めてクラウドファンディングを経験。より多くの人に自分のことを知ってもらえるよう、大学生になってからはあまり更新していなかったSNSでも自分のことを発信しました。「自分について発信するのは恥ずかしいなと思っていたんですけど。女子ボクシングはまだ有名なスポーツとは言えないので、自分が頑張ることで少しでも有名に、活気のあるものにするには、恥ずかしさを乗り越えていかないといけないと思っています」
20年は新型コロナウイルスの影響でボクシングも様々な大会が中止になりました。入江選手も「モチベーションを上げづらい時もあった」と振り返りますが、たくさんの人々からの温かい言葉と気持ちを受けて、「もうちょっと頑張ろう、頑張らないといけない」と気持ちを引き締めることができました。
集まった支援金でまずはシューズを新調しました。今回のクラウドファンディングで集まった支援金も、今後の遠征費や用具の資金に充てる予定です。
2連覇がかかっていた全日本で鳥取のぬくもりを感じた
昔も今も不自由なく競技生活を過ごせるように支えてくれる両親。ボクシングを一から教えてくれたシュガーナックルジムの指導者の方々。そして、生まれ育った同郷の人たちへの感謝の思いはずっと持ち続けています。ジムでは健康目的で通っている会員の人に練習相手をしてもらうこともありました。大会となれば、応援にも駆けつけてくれます。
忘れもしないのは、鳥取で開催された17年全日本選手権。当時は高校2年生でした。ジュニア(高校生)の部で出場し、見事に2連覇を達成。リングから見た光景は、昨日のことのように覚えています。決勝は右ストレートが決まり、気持ちよくRSC(レフェリーストップコンテスト)勝ち。馴染みのある米子産業体育館のリングは、その日ばかりは特別でした。
「休みの日曜日なのに本当に多くの人が応援に来てくれたんです。ジムの会員の方もいれば、昔一緒にボクシングをしていた仲間も、通っていた高校の先生も、たくさんの知っている顔がありました。キラキラして見えました」
地元の声援はプレッシャーでありながらも、大きな力にもなりました。鳥取に育てられたという思いは、今でも強く持っています。
また20年11月には、自分が小さい時から慣れ親しんだ鳥取のジムで全日本合宿がありました。「全日本合宿が鳥取であったのは初めてのことで、すごく新鮮でした。自分がずっと小学生の時から練習していたジムに、全日本の代表メンバーがいるのが不思議で」と入江選手。改めて原点に立ち返り、これまで競技人生を支えてくれた人たちへの感謝の気持ちも湧いてきました。
「誰にも負けないくらい強くなりたいです」
目下の目標は、21年夏、4年に1度の大舞台で活躍すること。世界中から注目されるリングに上がるだけでは充実感は得られません。表彰台の一番高いところに立ち、応援してくれている人たちに恩返しすることを誓っています。ただ、コロナ禍で先行き不透明な現状も理解しています。
「自分でどうにかできる問題ではありません。私はボクシングが楽しくて、純粋に強くなりたくて競技に打ち込んでいます。誰にも負けないくらい強くなりたいです」
心底愛するボクシングへの思いは変わりません。特にアマチュアへのこだわりは強いです。
「テクニックはプロよりもアマの方が上だと思っています。女子、男子は関係なく、アマチュアボクシングをもっと盛り上げていきたいです」
応援される選手として、より真摯(しんし)にボクシングに取り組み、支援してよかったと思えるような試合をしていきます。
(取材・制作:4years.編集部)
支援期間終了
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支援者
21人
残り期間
0日
集まっている金額
126,000円
目標金額:300,000円
達成率42%
2022年02月28日23:59に終了しました。
支援期間終了
起案者
入江聖奈(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム2021)
当制度を通じて、出身地や活動拠点地域など、サポートを受ける「地元」に対して貢献したいというアスリートの活動を支援します。
1,000円
お礼のメール
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りします。
支援者の数 1人
支援期間終了
5,000円
お礼のお手紙
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のお手紙をお送りします。
支援者の数 20人
お届け予定:2022年4月
支援期間終了