• 石井駿平(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム2021)
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静岡県のアスリート・自転車 石井駿平 応援プロジェクト by 明治安田生命

プロジェクトイメージ
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自転車で世界の舞台をめざす! 所属チームの地元・静岡を盛り上げたい競技の魅力を広く伝え、次世代を担う子供たちの育成も 石井駿平選手は鹿屋体育大学を卒業した2020年、鹿児島から静岡に居を移し、レバンテフジ静岡に加入。仕事をしながら、JCLプロロードレースツアーに参戦しているチームで競技力を磨いています。大学時代は2年時に全日本学生選手権個人ロードレース大会で優勝。その年の世界大学選手権にも出場しました。中学までは陸上競技の中距離の選手だった石井選手。母校の前橋工業高校では、群馬名物のからっ風が吹きつける冬場も、赤城山を上り下りして鍛え抜きました。 ヨーロッパでは高い人気を誇る自転車競技ですが、日本ではまだ競技人口が少なく、注目度も高くないのが現状です。石井選手は「自転車というと、競輪を思い浮かべる人が多いと思います」と言います。そこで自転車競技とはどういうものか、拠点である「自転車の聖地」と呼ばれる静岡で広く知らしめ、それとともにスポーツサイクルの楽しみ方を子供たちに伝えていきたいと考えています。 より競技に打ち込める環境で、競技人口の裾野を広げたい石井選手は大学卒業後、プロの自転車競技選手になりましたが、支援体制が十分でないのが実情です。現在、石井選手は高価な自転車こそ、所属チームから提供を受けているものの、水泳のインストラクターをして活動資金を作っています。ただ、今のままでは、最新のトレーニング器具を導入するのも難しい状況です。 こうした中、明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を知り、地元のアスリートを応援しようとする制度趣旨に賛同。支援を受けることで、より競技に打ち込み、地元・静岡にも貢献したいと応募を決めました。大学の自転車競技部は地域貢献に力を入れていて、石井選手はその大切さを在学中に学んだそうです。 大学在学中に、地域貢献の大切さを学んだという石井選手「静岡は、郷里の群馬や、大学時代を過ごした鹿児島と比べても、自転車熱が高いと感じます。特にチームの合宿所がある富士市は、サイクリングを楽しんでいる人が多いです。ただ、自転車競技に触れることができるのは、高校生の一部や、大学生に限られています。小学年代のゴールデンエイジにロードレースの魅力を伝えることで、競技人口の裾野を広げ、将来、世界に羽ばたく選手が静岡から出てくれば、と思っています」 高校の先輩でもある父は元競輪選手中学時代、駅伝で関東3位になった石井選手。自転車競技を始めたのは高校入学後です。競輪選手だった父・謙児さんの影響が大きかったそうです。「父は僕が小学5年の時に選手を引退しましたが、自宅のガレージには練習場があり、現役時代は朝早くからそこでペダルを漕いでいました」。石井選手にとって自転車は、子供の頃から身近なものでした。 強豪として知られる自転車競技部に入ると、伝統のハードなメニューに取り組みます。毎朝6時に学校を出発し、標高が約1800mの赤城山を上り、放課後も遅くまでトレーニングに向き合いました。時にOBでもある父親の指導も受けながら、競技力を高めていった石井選手は、2年時の春休みに行なわれた選抜大会で2位になります。その後も、ジュニアオリンピックで3位入賞を果たすなど、全国的に名が知られる選手になりました。 大学時代の落車の経験が大きな糧に高校で実績を残したものの、卒業後は就職を考えていました。競技を続ける気持ちもなかった中、熱心に声をかけてくれたのが、鹿屋体育大学の黒川剛監督(当時)でした。石井選手は「黒川先生と出会えなかったら、プロにはなっていなかったと思います」と話します。 学生チャンピオンにもなった石井選手。大学時代の経験が今に生きています【J.I.C.F Photo by F.Fukai】 大学でさらなる精進を積んだ石井選手は、2年時には部のエース格になり、個人ロードレースで学生チャンピオンになります。ところが、その称号を手に臨んだ世界大学選手権で、アクシデントが待っていました。レース中に落車し、途中棄権となってしまったのです。「コースにマンホール大の穴があり、上手く通り抜けることができませんでした」と振り返ります。幸いにも骨折は免れましたが、打撲で3週間、自転車に乗ることができませんでした。 復帰後は練習してもなかなかタイムが伸びず、3年生の春先まではつらい日々が続きます。それでも世界の舞台を経験できたのは、大きな糧になりました。「世界で戦うには何が求められるか、知ることができました」と語ります。 目標とされる選手になるために石井選手が所属しているチームは、21年から始まった、地域密着型チームが9チーム参加して行なわれているジャパンサイクリングリーグで戦っています。トッププロが集う日本最高峰の自転車競技のリーグですが、「7戦ある中で1回は優勝したい」と闘志を燃やします。個人としてはアジアや世界でも戦える選手になって、成功したいという展望を持っています。そこには自分が世界に出ていくことで、地域の子供たちの目標になれれば、という思いもあります。ペダルを漕ぐことでしか感じられない風がある改めて自転車競技の醍醐味を石井選手にたずねました。「歩くことや走ることでは感じられない“風”を、自分の力で、自分の足でペダルを漕いで感じられるのが、自転車競技の魅力です。競技を始めた頃は時速40kmでも速く感じましたが、今は60kmが普通で、下りでは80kmに達することもあります。スピードが高まるごとに“風”は変わり、80kmの時にしか味わえない風もあります。レースではスピードを出しながら、危険と背中合わせのところも攻めていくので、そういうところも見てほしいと思います」自転車競技の魅力をもっと広く伝えていきたい。石井選手の挑戦は続きます【Shu Takahama】コロナ禍では、自転車を連ねてサイクリングすることもなかなか叶わないのが現実です。石井選手も以前の日常が、1日も早く戻ることを願っています。「自分の力でいろいろなところに行ける自転車は、道中では様々な発見があり、目的地に到着した時は得難い達成感があると思います」このプログラムを通じ、多くの方の支援を受け、パフォーマンスを向上させるとともに、競技としての自転車の魅力を知ってもらって、サイクリストの人口を増やしたい。石井選手のチャレンジは続きます。(取材・制作:4years.編集部)

自転車で世界の舞台をめざす! 所属チームの地元・静岡を盛り上げたい

競技の魅力を広く伝え、次世代を担う子供たちの育成も

地元アスリート応援プログラム

石井駿平選手は鹿屋体育大学を卒業した2020年、鹿児島から静岡に居を移し、レバンテフジ静岡に加入。仕事をしながら、JCLプロロードレースツアーに参戦しているチームで競技力を磨いています。大学時代は2年時に全日本学生選手権個人ロードレース大会で優勝。その年の世界大学選手権にも出場しました。中学までは陸上競技の中距離の選手だった石井選手。母校の前橋工業高校では、群馬名物のからっ風が吹きつける冬場も、赤城山を上り下りして鍛え抜きました。

ヨーロッパでは高い人気を誇る自転車競技ですが、日本ではまだ競技人口が少なく、注目度も高くないのが現状です。石井選手は「自転車というと、競輪を思い浮かべる人が多いと思います」と言います。そこで自転車競技とはどういうものか、拠点である「自転車の聖地」と呼ばれる静岡で広く知らしめ、それとともにスポーツサイクルの楽しみ方を子供たちに伝えていきたいと考えています。


より競技に打ち込める環境で、競技人口の裾野を広げたい

石井選手は大学卒業後、プロの自転車競技選手になりましたが、支援体制が十分でないのが実情です。現在、石井選手は高価な自転車こそ、所属チームから提供を受けているものの、水泳のインストラクターをして活動資金を作っています。ただ、今のままでは、最新のトレーニング器具を導入するのも難しい状況です。

こうした中、明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を知り、地元のアスリートを応援しようとする制度趣旨に賛同。支援を受けることで、より競技に打ち込み、地元・静岡にも貢献したいと応募を決めました。大学の自転車競技部は地域貢献に力を入れていて、石井選手はその大切さを在学中に学んだそうです。


大学在学中に、地域貢献の大切さを学んだという石井選手


「静岡は、郷里の群馬や、大学時代を過ごした鹿児島と比べても、自転車熱が高いと感じます。特にチームの合宿所がある富士市は、サイクリングを楽しんでいる人が多いです。ただ、自転車競技に触れることができるのは、高校生の一部や、大学生に限られています。小学年代のゴールデンエイジにロードレースの魅力を伝えることで、競技人口の裾野を広げ、将来、世界に羽ばたく選手が静岡から出てくれば、と思っています」


高校の先輩でもある父は元競輪選手

中学時代、駅伝で関東3位になった石井選手。自転車競技を始めたのは高校入学後です。競輪選手だった父・謙児さんの影響が大きかったそうです。「父は僕が小学5年の時に選手を引退しましたが、自宅のガレージには練習場があり、現役時代は朝早くからそこでペダルを漕いでいました」。石井選手にとって自転車は、子供の頃から身近なものでした。

強豪として知られる自転車競技部に入ると、伝統のハードなメニューに取り組みます。毎朝6時に学校を出発し、標高が約1800mの赤城山を上り、放課後も遅くまでトレーニングに向き合いました。時にOBでもある父親の指導も受けながら、競技力を高めていった石井選手は、2年時の春休みに行なわれた選抜大会で2位になります。その後も、ジュニアオリンピックで3位入賞を果たすなど、全国的に名が知られる選手になりました。


大学時代の落車の経験が大きな糧に

高校で実績を残したものの、卒業後は就職を考えていました。競技を続ける気持ちもなかった中、熱心に声をかけてくれたのが、鹿屋体育大学の黒川剛監督(当時)でした。石井選手は「黒川先生と出会えなかったら、プロにはなっていなかったと思います」と話します。

学生チャンピオンにもなった石井選手。大学時代の経験が今に生きています【J.I.C.F Photo by F.Fukai】


大学でさらなる精進を積んだ石井選手は、2年時には部のエース格になり、個人ロードレースで学生チャンピオンになります。ところが、その称号を手に臨んだ世界大学選手権で、アクシデントが待っていました。レース中に落車し、途中棄権となってしまったのです。「コースにマンホール大の穴があり、上手く通り抜けることができませんでした」と振り返ります。幸いにも骨折は免れましたが、打撲で3週間、自転車に乗ることができませんでした。

復帰後は練習してもなかなかタイムが伸びず、3年生の春先まではつらい日々が続きます。それでも世界の舞台を経験できたのは、大きな糧になりました。「世界で戦うには何が求められるか、知ることができました」と語ります。


目標とされる選手になるために

石井選手が所属しているチームは、21年から始まった、地域密着型チームが9チーム参加して行なわれているジャパンサイクリングリーグで戦っています。トッププロが集う日本最高峰の自転車競技のリーグですが、「7戦ある中で1回は優勝したい」と闘志を燃やします。個人としてはアジアや世界でも戦える選手になって、成功したいという展望を持っています。そこには自分が世界に出ていくことで、地域の子供たちの目標になれれば、という思いもあります。


ペダルを漕ぐことでしか感じられない風がある

改めて自転車競技の醍醐味を石井選手にたずねました。

「歩くことや走ることでは感じられない“風”を、自分の力で、自分の足でペダルを漕いで感じられるのが、自転車競技の魅力です。競技を始めた頃は時速40kmでも速く感じましたが、今は60kmが普通で、下りでは80kmに達することもあります。スピードが高まるごとに“風”は変わり、80kmの時にしか味わえない風もあります。レースではスピードを出しながら、危険と背中合わせのところも攻めていくので、そういうところも見てほしいと思います」


自転車競技の魅力をもっと広く伝えていきたい。石井選手の挑戦は続きます【Shu Takahama】


コロナ禍では、自転車を連ねてサイクリングすることもなかなか叶わないのが現実です。石井選手も以前の日常が、1日も早く戻ることを願っています。

「自分の力でいろいろなところに行ける自転車は、道中では様々な発見があり、目的地に到着した時は得難い達成感があると思います」

このプログラムを通じ、多くの方の支援を受け、パフォーマンスを向上させるとともに、競技としての自転車の魅力を知ってもらって、サイクリストの人口を増やしたい。石井選手のチャレンジは続きます。

(取材・制作:4years.編集部)


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  • 支援者

    13

  • 残り期間

    206

  • 集まっている金額

    46,000

    目標金額:300,000

  • 達成率15%

    15%

このプロジェクトでは、目標到達に関わらず、2022年02月28日23:59までに集まった金額がファンディングされます。

起案者

実行者イメージ

石井駿平(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム2021)

明治安田生命「地元の元気プロジェクト」の ... 一環として、地元の若手アスリートを地域社会とともに応援することで、地域の一体感醸成や地域で育つ子どもたちの夢や地元愛を育むことへの貢献を目的とします。

当制度を通じて、出身地や活動拠点地域など、サポートを受ける「地元」に対して貢献したいというアスリートの活動を支援します。
  • 1,000

    お礼のメール

    リターン

      感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りします。

    支援者の数 6

  • 5,000

    お礼のお手紙

    リターン

      感謝の気持ちを込めて、お礼のお手紙をお送りします。

    支援者の数 7

    お届け予定:2022年4月

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