静岡からスポーツサイクルの楽しさを発信したい!
競技の魅力を広く伝え、次世代を担う子供たちの育成も
石井駿平選手は鹿屋体育大学を卒業した2020年、鹿児島から静岡に居を移し、レバンテフジ静岡に加入。仕事をしながら、JCLプロロードレースツアーに参戦しているチームで競技力を磨いています。大学時代は2年時に全日本学生選手権個人ロードレース大会で優勝。その年の世界大学選手権にも出場しました。中学までは陸上競技の中距離の選手だった石井選手。母校の前橋工業高校では、群馬名物のからっ風が吹きつける冬場も、赤城山を上り下りして鍛え抜きました。
21年シーズンの5月には、日本最高峰のロードレース、ツアー・オブ・ジャパンに出場しています。
「このレースを走ったことで、登坂力や高い強度で長時間走れる強度が足りないと感じたので、そうしたところを練習してきました。そして、10月の全日本選手権では練習したことを生かして、先頭で逃げに出たり、チームのためになるような動きに“挑戦する力”というのは、以前よりは感じられるようになりました」
ヨーロッパでは高い人気を誇る自転車競技ですが、日本での注目度は、それほど高くないのが現状です。ただ、21年の国際大会ではまさに自転車のロードレースのコースが県内を走り、石井選手は「想像以上に人が集まっていた」のを目撃しました。
「チームのウェアを着用して地元で練習していると、おじいちゃんやおばあちゃんから『レバンテ頑張れ』と言われたりするので、チーム名としても、また自転車競技としても普及してきたのかなと感じました」
これも「自転車の聖地」と呼ばれる静岡県だからこそかもしれません。石井選手は、この地で自転車ロードレースのさらなる普及と、スポーツサイクルの楽しみ方を子供たちに伝えていきたいと考えています。
競技に打ち込みながら、自転車で地元に貢献する
石井選手は大学卒業後、プロの自転車競技選手になりましたが、レースに出場しているだけで生活していける選手は、世界でもほんのひと握りです。現在、石井選手は高価な自転車こそ所属チームから提供を受けているものの、水泳のインストラクターをして活動資金を作っています。
こうした中、明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を知り、地元のアスリートを応援しようとする制度趣旨に賛同。支援を受けることで、より競技に打ち込み、地元・静岡にも貢献したいと応募を決めました。大学の自転車競技部は地域貢献に力を入れていて、石井選手はその大切さを在学中に学んだそうです。
大学在学中に、地域貢献の大切さを学んだという石井選手
「静岡は、郷里の群馬や、大学時代を過ごした鹿児島と比べても、自転車熱が高いと感じます。特にチームの合宿所がある富士市は、サイクリングを楽しんでいる人が多いです。ただ、自転車競技に触れることができるのは、高校生の一部や、大学生に限られています。小学年代のゴールデンエイジにロードレースの魅力を伝えることで、競技人口の裾野を広げ、将来世界に羽ばたく選手が静岡から出てくれば、と思っています」
21年、富士市に自転車の貸出を行なうサイクルステーションができました。石井選手が所属するチームはこの施設と連携し、レースのパブリックビューイングや自転車教室を実施する予定です。また、チームの下部組織としての育成チームの選手募集も始まっています。石井選手の地域貢献への思いは、所属チームを通して続々と形になりつつあるようです。
高校の先輩でもある父は元競輪選手
中学時代、駅伝で関東3位になった石井選手。自転車競技を始めたのは高校入学後です。競輪選手だった父・謙児さんの影響が大きかったそうです。「父は僕が小学5年の時に選手を引退しましたが、自宅のガレージには練習場があり、現役時代は朝早くからそこでペダルを漕いでいました」。石井選手にとって自転車は、子供の頃から身近なものでした。
強豪として知られる自転車競技部に入ると、伝統のハードなメニューに取り組みます。毎朝6時に学校を出発し、標高が約1800mの赤城山を上り、放課後も遅くまでトレーニングに向き合いました。時にOBでもある父親の指導も受けながら、競技力を高めていった石井選手は、2年時の春休みに行なわれた選抜大会で2位になります。その後も、ジュニアオリンピックで3位入賞を果たすなど、全国的に名が知られる選手になりました。
大学時代の落車の経験が大きな糧に
高校で実績を残したものの、卒業後は就職を考えていました。競技を続ける気持ちもなかった中、熱心に声をかけてくれたのが、鹿屋体育大学の黒川剛監督(当時)でした。石井選手は「黒川先生と出会えなかったら、プロにはなっていなかったと思います」と話します。
学生チャンピオンにもなった石井選手。大学時代の経験が今に生きています【J.I.C.F Photo by F.Fukai】
大学でさらなる精進を積んだ石井選手は、2年時には部のエース格になり、個人ロードレースで学生チャンピオンになります。ところが、その称号を手に臨んだ世界大学選手権で、アクシデントが待っていました。レース中に落車し、途中棄権となってしまったのです。「コースにマンホール大の穴があり、上手く通り抜けることができませんでした」と振り返ります。幸いにも骨折は免れましたが、打撲で3週間、自転車に乗ることができませんでした。
復帰後は練習してもなかなかタイムが伸びず、3年生の春先まではつらい日々が続きます。それでも世界の舞台を経験できたのは、大きな糧になりました。「世界で戦うには何が求められるか、知ることができました」と語ります。
今年こそは弱点を克服し、活躍する姿を見せたい
石井選手が所属しているチームは、21年から始まった、地域密着型チームが9チーム参加して行なわれているジャパンサイクリングリーグ(JCL)で戦っています。トッププロが集う日本最高峰の自転車競技のリーグです。
「2021年に初めてJCLに参戦しました。賞金が出るレースですが、基本的にはチームの誰か1人を勝たせるような団体戦でもあります。チームの勝利への執着がより一層高まったと思います」
そして、こうしたリーグでの試合が、サイクルロードレース普及につながっていることも実感できたそうです。
「最近地元で行なわれたレースがあったのですが、地元の様々な方からお声をかけていただいたので、やはり地域でやるレースは絶大な効果があるなと感じました」
では、レバンテフジ静岡の石井選手としては、22年のシーズンをどう闘っていくのでしょうか。
「プロとして3年目。未だに表彰台に乗れていないので、今年こそは自分の弱点を克服し、活躍している姿を支援してくださる方にお見せできたらと思います」と石井選手。ただ試合は団体戦の側面があり、石井選手はまだ中心選手ではないため、ランクインはなかなか難しいというのが実情でもあります。
「今シーズンは2人のモンゴル人選手がチームに加わり、彼らを勝たせることがメインの仕事となるとは思いますが、JCLはメディア露出がしっかりしているので、そこで名前を呼ばれたり、画面に長く映れるようにしたいなと思います」
自転車競技の魅力をもっと広く伝えていきたい。石井選手の挑戦は続きます【Shu Takahama】
自転車漬けの毎日で少しでも自身の限界を引き上げる
石井選手が自身の強化ポイントとして捉えているのが、「短時間高強度での速さと、インターバル能力」です。インターバル能力とは、ハイスピードをどれだけ持続させられるかという力で、自転車競技には欠かせない能力です。石井選手に、普段の練習方法を聞いてみました。
「普段の練習は外を走るのがほとんどで、それ以外では週に2回ほどのウエイトトレーニングと、雨の日は室内でエアロバイクをこいだりしていますが、ほとんどは外で、100kmから150km走ってます」とのこと。ちなみによく行くコースとしては、富士山の麓との往復コースで、120kmぐらいあるとのことです。
さらに石井選手は、21年シーズンの中盤以降、競技力向上のためにも、バンクを使った
レース(JCLバンクリーグ)にも出場しました。
「JCLに出ている選手でも、他のレースと両立している人のほうが高い勝率という傾向があるのと、実際に自分でも目に見えて分かってきたので、今シーズンも挑戦してみようと思っています」
石井選手はこのように自転車漬けの毎日を送りながら、少しでも自身の限界を引き上げるべく努力を続けています。最後に、クラウドファンディングで集まった支援金の使い道を聞きました。
「21年度は自分の自転車の補強だったり、栄養食を買ったり、ウエイトトレーニングの費用に充てさせていただきました。今後もトレーニングに必要なものを買いそろえていけたらと思っています」
このプログラムを通じて多くの方の支援を受け、パフォーマンスを向上させるとともに、競技としての自転車の魅力を知ってもらって、サイクリストの人口を増やしたい。石井選手のチャレンジは続きます。
(取材・制作:4years.編集部)
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静岡からスポーツサイクルの楽しさを発信したい!競技の魅力を広く伝え、次世代を担う子供たちの育成も 石井駿平選手は鹿屋体育大学を卒業した2020年、鹿児島から静岡に居を移し、レバンテフジ静岡に加入。仕事をしながら、JCLプロロードレースツアーに参戦しているチームで競技力を磨いています。大学時代は2年時に全日本学生選手権個人ロードレース大会で優勝。その年の世界大学選手権にも出場しました。中学までは陸上競技の中距離の選手だった石井選手。母校の前橋工業高校では、群馬名物のからっ風が吹きつける冬場も、赤城山を上り下りして鍛え抜きました。 21年シーズンの5月には、日本最高峰のロードレース、ツアー・オブ・ジャパンに出場しています。 「このレースを走ったことで、登坂力や高い強度で長時間走れる強度が足りないと感じたので、そうしたところを練習してきました。そして、10月の全日本選手権では練習したことを生かして、先頭で逃げに出たり、チームのためになるような動きに“挑戦する力”というのは、以前よりは感じられるようになりました」 ヨーロッパでは高い人気を誇る自転車競技ですが、日本での注目度は、それほど高くないのが現状です。ただ、21年の国際大会ではまさに自転車のロードレースのコースが県内を走り、石井選手は「想像以上に人が集まっていた」のを目撃しました。 「チームのウェアを着用して地元で練習していると、おじいちゃんやおばあちゃんから『レバンテ頑張れ』と言われたりするので、チーム名としても、また自転車競技としても普及してきたのかなと感じました」 これも「自転車の聖地」と呼ばれる静岡県だからこそかもしれません。石井選手は、この地で自転車ロードレースのさらなる普及と、スポーツサイクルの楽しみ方を子供たちに伝えていきたいと考えています。 競技に打ち込みながら、自転車で地元に貢献する石井選手は大学卒業後、プロの自転車競技選手になりましたが、レースに出場しているだけで生活していける選手は、世界でもほんのひと握りです。現在、石井選手は高価な自転車こそ所属チームから提供を受けているものの、水泳のインストラクターをして活動資金を作っています。 こうした中、明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を知り、地元のアスリートを応援しようとする制度趣旨に賛同。支援を受けることで、より競技に打ち込み、地元・静岡にも貢献したいと応募を決めました。大学の自転車競技部は地域貢献に力を入れていて、石井選手はその大切さを在学中に学んだそうです。 大学在学中に、地域貢献の大切さを学んだという石井選手 「静岡は、郷里の群馬や、大学時代を過ごした鹿児島と比べても、自転車熱が高いと感じます。特にチームの合宿所がある富士市は、サイクリングを楽しんでいる人が多いです。ただ、自転車競技に触れることができるのは、高校生の一部や、大学生に限られています。小学年代のゴールデンエイジにロードレースの魅力を伝えることで、競技人口の裾野を広げ、将来世界に羽ばたく選手が静岡から出てくれば、と思っています」 21年、富士市に自転車の貸出を行なうサイクルステーションができました。石井選手が所属するチームはこの施設と連携し、レースのパブリックビューイングや自転車教室を実施する予定です。また、チームの下部組織としての育成チームの選手募集も始まっています。石井選手の地域貢献への思いは、所属チームを通して続々と形になりつつあるようです。 高校の先輩でもある父は元競輪選手中学時代、駅伝で関東3位になった石井選手。自転車競技を始めたのは高校入学後です。競輪選手だった父・謙児さんの影響が大きかったそうです。「父は僕が小学5年の時に選手を引退しましたが、自宅のガレージには練習場があり、現役時代は朝早くからそこでペダルを漕いでいました」。石井選手にとって自転車は、子供の頃から身近なものでした。 強豪として知られる自転車競技部に入ると、伝統のハードなメニューに取り組みます。毎朝6時に学校を出発し、標高が約1800mの赤城山を上り、放課後も遅くまでトレーニングに向き合いました。時にOBでもある父親の指導も受けながら、競技力を高めていった石井選手は、2年時の春休みに行なわれた選抜大会で2位になります。その後も、ジュニアオリンピックで3位入賞を果たすなど、全国的に名が知られる選手になりました。 大学時代の落車の経験が大きな糧に高校で実績を残したものの、卒業後は就職を考えていました。競技を続ける気持ちもなかった中、熱心に声をかけてくれたのが、鹿屋体育大学の黒川剛監督(当時)でした。石井選手は「黒川先生と出会えなかったら、プロにはなっていなかったと思います」と話します。 学生チャンピオンにもなった石井選手。大学時代の経験が今に生きています【J.I.C.F Photo by F.Fukai】 大学でさらなる精進を積んだ石井選手は、2年時には部のエース格になり、個人ロードレースで学生チャンピオンになります。ところが、その称号を手に臨んだ世界大学選手権で、アクシデントが待っていました。レース中に落車し、途中棄権となってしまったのです。「コースにマンホール大の穴があり、上手く通り抜けることができませんでした」と振り返ります。幸いにも骨折は免れましたが、打撲で3週間、自転車に乗ることができませんでした。 復帰後は練習してもなかなかタイムが伸びず、3年生の春先まではつらい日々が続きます。それでも世界の舞台を経験できたのは、大きな糧になりました。「世界で戦うには何が求められるか、知ることができました」と語ります。 今年こそは弱点を克服し、活躍する姿を見せたい石井選手が所属しているチームは、21年から始まった、地域密着型チームが9チーム参加して行なわれているジャパンサイクリングリーグ(JCL)で戦っています。トッププロが集う日本最高峰の自転車競技のリーグです。 「2021年に初めてJCLに参戦しました。賞金が出るレースですが、基本的にはチームの誰か1人を勝たせるような団体戦でもあります。チームの勝利への執着がより一層高まったと思います」 そして、こうしたリーグでの試合が、サイクルロードレース普及につながっていることも実感できたそうです。 「最近地元で行なわれたレースがあったのですが、地元の様々な方からお声をかけていただいたので、やはり地域でやるレースは絶大な効果があるなと感じました」 では、レバンテフジ静岡の石井選手としては、22年のシーズンをどう闘っていくのでしょうか。 「プロとして3年目。未だに表彰台に乗れていないので、今年こそは自分の弱点を克服し、活躍している姿を支援してくださる方にお見せできたらと思います」と石井選手。ただ試合は団体戦の側面があり、石井選手はまだ中心選手ではないため、ランクインはなかなか難しいというのが実情でもあります。 「今シーズンは2人のモンゴル人選手がチームに加わり、彼らを勝たせることがメインの仕事となるとは思いますが、JCLはメディア露出がしっかりしているので、そこで名前を呼ばれたり、画面に長く映れるようにしたいなと思います」 自転車競技の魅力をもっと広く伝えていきたい。石井選手の挑戦は続きます【Shu Takahama】 自転車漬けの毎日で少しでも自身の限界を引き上げる石井選手が自身の強化ポイントとして捉えているのが、「短時間高強度での速さと、インターバル能力」です。インターバル能力とは、ハイスピードをどれだけ持続させられるかという力で、自転車競技には欠かせない能力です。石井選手に、普段の練習方法を聞いてみました。 「普段の練習は外を走るのがほとんどで、それ以外では週に2回ほどのウエイトトレーニングと、雨の日は室内でエアロバイクをこいだりしていますが、ほとんどは外で、100kmから150km走ってます」とのこと。ちなみによく行くコースとしては、富士山の麓との往復コースで、120kmぐらいあるとのことです。 さらに石井選手は、21年シーズンの中盤以降、競技力向上のためにも、バンクを使った レース(JCLバンクリーグ)にも出場しました。 「JCLに出ている選手でも、他のレースと両立している人のほうが高い勝率という傾向があるのと、実際に自分でも目に見えて分かってきたので、今シーズンも挑戦してみようと思っています」 石井選手はこのように自転車漬けの毎日を送りながら、少しでも自身の限界を引き上げるべく努力を続けています。最後に、クラウドファンディングで集まった支援金の使い道を聞きました。 「21年度は自分の自転車の補強だったり、栄養食を買ったり、ウエイトトレーニングの費用に充てさせていただきました。今後もトレーニングに必要なものを買いそろえていけたらと思っています」 このプログラムを通じて多くの方の支援を受け、パフォーマンスを向上させるとともに、競技としての自転車の魅力を知ってもらって、サイクリストの人口を増やしたい。石井選手のチャレンジは続きます。 (取材・制作:4years.編集部)
静岡からスポーツサイクルの楽しさを発信したい!
競技の魅力を広く伝え、次世代を担う子供たちの育成も
石井駿平選手は鹿屋体育大学を卒業した2020年、鹿児島から静岡に居を移し、レバンテフジ静岡に加入。仕事をしながら、JCLプロロードレースツアーに参戦しているチームで競技力を磨いています。大学時代は2年時に全日本学生選手権個人ロードレース大会で優勝。その年の世界大学選手権にも出場しました。中学までは陸上競技の中距離の選手だった石井選手。母校の前橋工業高校では、群馬名物のからっ風が吹きつける冬場も、赤城山を上り下りして鍛え抜きました。
21年シーズンの5月には、日本最高峰のロードレース、ツアー・オブ・ジャパンに出場しています。
「このレースを走ったことで、登坂力や高い強度で長時間走れる強度が足りないと感じたので、そうしたところを練習してきました。そして、10月の全日本選手権では練習したことを生かして、先頭で逃げに出たり、チームのためになるような動きに“挑戦する力”というのは、以前よりは感じられるようになりました」
ヨーロッパでは高い人気を誇る自転車競技ですが、日本での注目度は、それほど高くないのが現状です。ただ、21年の国際大会ではまさに自転車のロードレースのコースが県内を走り、石井選手は「想像以上に人が集まっていた」のを目撃しました。
「チームのウェアを着用して地元で練習していると、おじいちゃんやおばあちゃんから『レバンテ頑張れ』と言われたりするので、チーム名としても、また自転車競技としても普及してきたのかなと感じました」
これも「自転車の聖地」と呼ばれる静岡県だからこそかもしれません。石井選手は、この地で自転車ロードレースのさらなる普及と、スポーツサイクルの楽しみ方を子供たちに伝えていきたいと考えています。
競技に打ち込みながら、自転車で地元に貢献する
石井選手は大学卒業後、プロの自転車競技選手になりましたが、レースに出場しているだけで生活していける選手は、世界でもほんのひと握りです。現在、石井選手は高価な自転車こそ所属チームから提供を受けているものの、水泳のインストラクターをして活動資金を作っています。
こうした中、明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を知り、地元のアスリートを応援しようとする制度趣旨に賛同。支援を受けることで、より競技に打ち込み、地元・静岡にも貢献したいと応募を決めました。大学の自転車競技部は地域貢献に力を入れていて、石井選手はその大切さを在学中に学んだそうです。
大学在学中に、地域貢献の大切さを学んだという石井選手
「静岡は、郷里の群馬や、大学時代を過ごした鹿児島と比べても、自転車熱が高いと感じます。特にチームの合宿所がある富士市は、サイクリングを楽しんでいる人が多いです。ただ、自転車競技に触れることができるのは、高校生の一部や、大学生に限られています。小学年代のゴールデンエイジにロードレースの魅力を伝えることで、競技人口の裾野を広げ、将来世界に羽ばたく選手が静岡から出てくれば、と思っています」
21年、富士市に自転車の貸出を行なうサイクルステーションができました。石井選手が所属するチームはこの施設と連携し、レースのパブリックビューイングや自転車教室を実施する予定です。また、チームの下部組織としての育成チームの選手募集も始まっています。石井選手の地域貢献への思いは、所属チームを通して続々と形になりつつあるようです。
高校の先輩でもある父は元競輪選手
中学時代、駅伝で関東3位になった石井選手。自転車競技を始めたのは高校入学後です。競輪選手だった父・謙児さんの影響が大きかったそうです。「父は僕が小学5年の時に選手を引退しましたが、自宅のガレージには練習場があり、現役時代は朝早くからそこでペダルを漕いでいました」。石井選手にとって自転車は、子供の頃から身近なものでした。
強豪として知られる自転車競技部に入ると、伝統のハードなメニューに取り組みます。毎朝6時に学校を出発し、標高が約1800mの赤城山を上り、放課後も遅くまでトレーニングに向き合いました。時にOBでもある父親の指導も受けながら、競技力を高めていった石井選手は、2年時の春休みに行なわれた選抜大会で2位になります。その後も、ジュニアオリンピックで3位入賞を果たすなど、全国的に名が知られる選手になりました。
大学時代の落車の経験が大きな糧に
高校で実績を残したものの、卒業後は就職を考えていました。競技を続ける気持ちもなかった中、熱心に声をかけてくれたのが、鹿屋体育大学の黒川剛監督(当時)でした。石井選手は「黒川先生と出会えなかったら、プロにはなっていなかったと思います」と話します。
学生チャンピオンにもなった石井選手。大学時代の経験が今に生きています【J.I.C.F Photo by F.Fukai】
大学でさらなる精進を積んだ石井選手は、2年時には部のエース格になり、個人ロードレースで学生チャンピオンになります。ところが、その称号を手に臨んだ世界大学選手権で、アクシデントが待っていました。レース中に落車し、途中棄権となってしまったのです。「コースにマンホール大の穴があり、上手く通り抜けることができませんでした」と振り返ります。幸いにも骨折は免れましたが、打撲で3週間、自転車に乗ることができませんでした。
復帰後は練習してもなかなかタイムが伸びず、3年生の春先まではつらい日々が続きます。それでも世界の舞台を経験できたのは、大きな糧になりました。「世界で戦うには何が求められるか、知ることができました」と語ります。
今年こそは弱点を克服し、活躍する姿を見せたい
石井選手が所属しているチームは、21年から始まった、地域密着型チームが9チーム参加して行なわれているジャパンサイクリングリーグ(JCL)で戦っています。トッププロが集う日本最高峰の自転車競技のリーグです。
「2021年に初めてJCLに参戦しました。賞金が出るレースですが、基本的にはチームの誰か1人を勝たせるような団体戦でもあります。チームの勝利への執着がより一層高まったと思います」
そして、こうしたリーグでの試合が、サイクルロードレース普及につながっていることも実感できたそうです。
「最近地元で行なわれたレースがあったのですが、地元の様々な方からお声をかけていただいたので、やはり地域でやるレースは絶大な効果があるなと感じました」
では、レバンテフジ静岡の石井選手としては、22年のシーズンをどう闘っていくのでしょうか。
「プロとして3年目。未だに表彰台に乗れていないので、今年こそは自分の弱点を克服し、活躍している姿を支援してくださる方にお見せできたらと思います」と石井選手。ただ試合は団体戦の側面があり、石井選手はまだ中心選手ではないため、ランクインはなかなか難しいというのが実情でもあります。
「今シーズンは2人のモンゴル人選手がチームに加わり、彼らを勝たせることがメインの仕事となるとは思いますが、JCLはメディア露出がしっかりしているので、そこで名前を呼ばれたり、画面に長く映れるようにしたいなと思います」
自転車漬けの毎日で少しでも自身の限界を引き上げる
石井選手が自身の強化ポイントとして捉えているのが、「短時間高強度での速さと、インターバル能力」です。インターバル能力とは、ハイスピードをどれだけ持続させられるかという力で、自転車競技には欠かせない能力です。石井選手に、普段の練習方法を聞いてみました。
「普段の練習は外を走るのがほとんどで、それ以外では週に2回ほどのウエイトトレーニングと、雨の日は室内でエアロバイクをこいだりしていますが、ほとんどは外で、100kmから150km走ってます」とのこと。ちなみによく行くコースとしては、富士山の麓との往復コースで、120kmぐらいあるとのことです。
さらに石井選手は、21年シーズンの中盤以降、競技力向上のためにも、バンクを使った
レース(JCLバンクリーグ)にも出場しました。
「JCLに出ている選手でも、他のレースと両立している人のほうが高い勝率という傾向があるのと、実際に自分でも目に見えて分かってきたので、今シーズンも挑戦してみようと思っています」
石井選手はこのように自転車漬けの毎日を送りながら、少しでも自身の限界を引き上げるべく努力を続けています。最後に、クラウドファンディングで集まった支援金の使い道を聞きました。
「21年度は自分の自転車の補強だったり、栄養食を買ったり、ウエイトトレーニングの費用に充てさせていただきました。今後もトレーニングに必要なものを買いそろえていけたらと思っています」
このプログラムを通じて多くの方の支援を受け、パフォーマンスを向上させるとともに、競技としての自転車の魅力を知ってもらって、サイクリストの人口を増やしたい。石井選手のチャレンジは続きます。
(取材・制作:4years.編集部)
支援期間終了
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支援者
1人
残り期間
0日
集まっている金額
20,000円
目標金額:300,000円
達成率6%
2023年02月28日23:59に終了しました。
支援期間終了
起案者
石井駿平(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム2022)
当制度を通じて、出身地や活動拠点地域など、サポートを受ける「地元」に対して貢献したいというアスリートの活動を支援します。
1,000円
お礼のメール
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りします。
支援者の数 0人
支援期間終了
5,000円
お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 1人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了