三段跳びで42年ぶりにU20日本記録を更新 地元の大先輩の日本記録更新を狙う
あえて走り幅跳びと三段跳びの二刀流に挑む
伊藤陸選手(三重県出身)は近畿大学工業高等専門学校の5年生で、陸上競技部に所属しています。走り幅跳びの選手だった父親の影響で小学2年生で競技を始め、短距離走や長距離走などいろいろな種目に挑戦しました。その中でも「勝てるので楽しかった」と幅跳びに惹かれましたが、中学時代には目立った成績は残せませんでした。
信頼厚い顧問の先生のアドバイスに従い、卒業後は近大高専へ入学。軽い気持ちで挑戦してみた三段跳びで思わぬ好成績を残すと、ぐんぐんと記録を伸ばし、2020年9月の日本インカレでは20歳以下の日本記録を42年ぶりに塗り替える16m34の大ジャンプを記録。今後が期待される逸材です。
競技力向上のために勉強も続けていきたい
伊藤選手は競技力を上げるために「勉学に励むこと」も必要だと考えています。今は卒業研究のテーマとしての陸上競技に取り組んでいます。
卒業後は、実業団に所属しての競技続行と、高専の専攻科に進んで2年間さらに競技を研究するという「二刀流」に挑むことを考えていましたが、プランの変更を余儀なくされました。コロナ禍により、実業団が伊藤選手の採用を断念したためです。学生として研究を続けつつ、陸上競技に取り組むこととなりました。
小学生のときの伊藤選手。勝てるのが楽しくて幅跳びをメインにするようになりました
シニアの全国大会で入賞するようになり、次はアジア、世界へと飛び込む段階に入りつつあります。そのための費用は、「学生であるうちは、自分だけで捻出していくのは難しい」と明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」への応募を決めました。また、地元・三重で競技を続けると決断した伊藤選手にとって、地元のアスリートを応援しようとする制度趣旨は大いに納得できるものでした。
地元・三重への愛着「ここで競技を続けるのがベスト」
高等専門学校は5年制ですが、3年目を終えた時点で大学に編入するという道もあります。伊藤選手もレベルアップのために大学編入も考えたそうですが、地元で頑張り続けることがベストだと判断したそうです。
「親と相談して、『あと2年残っても、ちゃんと結果は残せるんじゃないか』と言われました。確かに、それまでの高専での3年間で伸びたという思いがあったので、このまま続けようと決めました」
地元の高専で競技を続けることが自分にとってベストだと考え、競技力を伸ばしていきました(左から2人目が伊藤選手)
そのベースとなるのは、三重への愛着でした。
「自分でも、地元にいるのが一番やりやすいんだろうなと、薄々気づいていました。大学からも声をかけてもらいましたが、新しい土地に行って順応するのは簡単ではないと考えました。それよりも、三重県でのんびり継続して強くなった方が、むしろ良い記録が出るんじゃないかと考えたんです。友だちや応援してくれる人が多くいる三重県が、僕にとって一番良い場所なのだろうと思っています」
コロナ禍で大会が中止に、世界に挑戦するチャンスが少なく
2020年は、とても残念なことがありました。7月に予定されていたU20世界選手権大会の延期です。
「先日、日本陸連の方と話したところ、2020年に開催予定だったアジアと世界のジュニア大会がなくなったのは、本当に痛手だと聞かされました。世界を経験できなかったし、U20世界選手権に出ていれば入賞できたはずだ、と言われました」
もしも入賞していたら、他の国際大会に招待される可能性がありました。世界大会へ出場するために必要なポイントを稼ぐ、絶好のチャンスが失われたのです。
「U20世界選手権がなくなったのは、コロナ禍で特に痛かったことです。でも今は、次に世界へ出ていくことを目標に頑張っていこうと思っています」
三段跳びの日本記録を自分が塗り替えたい
陸上競技の研究と選手生活の並行以外にも、伊藤選手は二刀流に挑んでいます。三段跳びと、走り幅跳びへの挑戦です。種目を絞り込んでいくことが通常の陸上界では、珍しいことです。
「パッと見た目は同じに見えるかもしれませんが、競技者から見ると2つはだいぶ違う種目です。この2種目に取り組んでいる人はあまりいませんが、他の人ができないことをやれるのはいいなと思っているので、挑戦していきたいですね」
2019年の日本インカレで優勝できたことは、大きな転機となりました
高専入学後に全国大会にも出るようになりましたが、優勝は遠い場所にありました。それが2019年から「僕自身もついていけない部分もありました」というほど力が伸び、ついには20歳以下の日本記録も更新しました。
「こんな風になるとはまったく思っていませんでした。だから今では、このままずっと頑張っていったら、僕はどこまで行けるんだろうという興味が生まれています」
自身の成長とともに、夢も大きく膨らみます。
「絶対に三段跳びの日本記録を塗り替えてやるぞ、という気持ちは持っています。U20の記録も42年ぶりに更新できたのだから、やはり僕がやらないと、という使命感のような気持ちです。今の日本記録保持者である山下訓史さんは、三重県出身でもありますからね」
応援してくれる人がいてこそ、力を発揮できる
練習でできないことは、試合ではできない。どんなスポーツでもそう考えることがほとんどですが、伊藤選手の発想は違います。
「僕は正反対で、試合じゃないとできないことがあるんです。練習で技術を固めて、雰囲気が独特でテンションが上がる試合の中でこそ、初めて力が発揮できると思います」
応援してくれる人の存在。それこそが、試合で力を与えてくれるのだと言います。
「跳躍競技は、観客席に一番近いところで行なわれることが多くて、その目立つ場所で跳ぶことが好きですね。応援は、ものすごく力になると感じています。応援してくださる方が多いほど、僕は頑張れると思います。このプロジェクトのような形で援助をしてもらえたら、世界選手権などの大舞台に出て、さらに多くの人に見てもらえます。そういうことを達成させていただきたいと思っています」
(取材・制作:4years.編集部)
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三段跳びで42年ぶりにU20日本記録を更新 地元の大先輩の日本記録更新を狙うあえて走り幅跳びと三段跳びの二刀流に挑む伊藤陸選手(三重県出身)は近畿大学工業高等専門学校の5年生で、陸上競技部に所属しています。走り幅跳びの選手だった父親の影響で小学2年生で競技を始め、短距離走や長距離走などいろいろな種目に挑戦しました。その中でも「勝てるので楽しかった」と幅跳びに惹かれましたが、中学時代には目立った成績は残せませんでした。 信頼厚い顧問の先生のアドバイスに従い、卒業後は近大高専へ入学。軽い気持ちで挑戦してみた三段跳びで思わぬ好成績を残すと、ぐんぐんと記録を伸ばし、2020年9月の日本インカレでは20歳以下の日本記録を42年ぶりに塗り替える16m34の大ジャンプを記録。今後が期待される逸材です。 競技力向上のために勉強も続けていきたい伊藤選手は競技力を上げるために「勉学に励むこと」も必要だと考えています。今は卒業研究のテーマとしての陸上競技に取り組んでいます。 卒業後は、実業団に所属しての競技続行と、高専の専攻科に進んで2年間さらに競技を研究するという「二刀流」に挑むことを考えていましたが、プランの変更を余儀なくされました。コロナ禍により、実業団が伊藤選手の採用を断念したためです。学生として研究を続けつつ、陸上競技に取り組むこととなりました。 小学生のときの伊藤選手。勝てるのが楽しくて幅跳びをメインにするようになりました シニアの全国大会で入賞するようになり、次はアジア、世界へと飛び込む段階に入りつつあります。そのための費用は、「学生であるうちは、自分だけで捻出していくのは難しい」と明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」への応募を決めました。また、地元・三重で競技を続けると決断した伊藤選手にとって、地元のアスリートを応援しようとする制度趣旨は大いに納得できるものでした。 地元・三重への愛着「ここで競技を続けるのがベスト」高等専門学校は5年制ですが、3年目を終えた時点で大学に編入するという道もあります。伊藤選手もレベルアップのために大学編入も考えたそうですが、地元で頑張り続けることがベストだと判断したそうです。 「親と相談して、『あと2年残っても、ちゃんと結果は残せるんじゃないか』と言われました。確かに、それまでの高専での3年間で伸びたという思いがあったので、このまま続けようと決めました」 地元の高専で競技を続けることが自分にとってベストだと考え、競技力を伸ばしていきました(左から2人目が伊藤選手)そのベースとなるのは、三重への愛着でした。 「自分でも、地元にいるのが一番やりやすいんだろうなと、薄々気づいていました。大学からも声をかけてもらいましたが、新しい土地に行って順応するのは簡単ではないと考えました。それよりも、三重県でのんびり継続して強くなった方が、むしろ良い記録が出るんじゃないかと考えたんです。友だちや応援してくれる人が多くいる三重県が、僕にとって一番良い場所なのだろうと思っています」 コロナ禍で大会が中止に、世界に挑戦するチャンスが少なく2020年は、とても残念なことがありました。7月に予定されていたU20世界選手権大会の延期です。 「先日、日本陸連の方と話したところ、2020年に開催予定だったアジアと世界のジュニア大会がなくなったのは、本当に痛手だと聞かされました。世界を経験できなかったし、U20世界選手権に出ていれば入賞できたはずだ、と言われました」 もしも入賞していたら、他の国際大会に招待される可能性がありました。世界大会へ出場するために必要なポイントを稼ぐ、絶好のチャンスが失われたのです。 「U20世界選手権がなくなったのは、コロナ禍で特に痛かったことです。でも今は、次に世界へ出ていくことを目標に頑張っていこうと思っています」 三段跳びの日本記録を自分が塗り替えたい陸上競技の研究と選手生活の並行以外にも、伊藤選手は二刀流に挑んでいます。三段跳びと、走り幅跳びへの挑戦です。種目を絞り込んでいくことが通常の陸上界では、珍しいことです。 「パッと見た目は同じに見えるかもしれませんが、競技者から見ると2つはだいぶ違う種目です。この2種目に取り組んでいる人はあまりいませんが、他の人ができないことをやれるのはいいなと思っているので、挑戦していきたいですね」 2019年の日本インカレで優勝できたことは、大きな転機となりました 高専入学後に全国大会にも出るようになりましたが、優勝は遠い場所にありました。それが2019年から「僕自身もついていけない部分もありました」というほど力が伸び、ついには20歳以下の日本記録も更新しました。 「こんな風になるとはまったく思っていませんでした。だから今では、このままずっと頑張っていったら、僕はどこまで行けるんだろうという興味が生まれています」 自身の成長とともに、夢も大きく膨らみます。 「絶対に三段跳びの日本記録を塗り替えてやるぞ、という気持ちは持っています。U20の記録も42年ぶりに更新できたのだから、やはり僕がやらないと、という使命感のような気持ちです。今の日本記録保持者である山下訓史さんは、三重県出身でもありますからね」 応援してくれる人がいてこそ、力を発揮できる練習でできないことは、試合ではできない。どんなスポーツでもそう考えることがほとんどですが、伊藤選手の発想は違います。 「僕は正反対で、試合じゃないとできないことがあるんです。練習で技術を固めて、雰囲気が独特でテンションが上がる試合の中でこそ、初めて力が発揮できると思います」 応援してくれる人の存在。それこそが、試合で力を与えてくれるのだと言います。 「跳躍競技は、観客席に一番近いところで行なわれることが多くて、その目立つ場所で跳ぶことが好きですね。応援は、ものすごく力になると感じています。応援してくださる方が多いほど、僕は頑張れると思います。このプロジェクトのような形で援助をしてもらえたら、世界選手権などの大舞台に出て、さらに多くの人に見てもらえます。そういうことを達成させていただきたいと思っています」 (取材・制作:4years.編集部)
三段跳びで42年ぶりにU20日本記録を更新 地元の大先輩の日本記録更新を狙う
あえて走り幅跳びと三段跳びの二刀流に挑む
信頼厚い顧問の先生のアドバイスに従い、卒業後は近大高専へ入学。軽い気持ちで挑戦してみた三段跳びで思わぬ好成績を残すと、ぐんぐんと記録を伸ばし、2020年9月の日本インカレでは20歳以下の日本記録を42年ぶりに塗り替える16m34の大ジャンプを記録。今後が期待される逸材です。
競技力向上のために勉強も続けていきたい
伊藤選手は競技力を上げるために「勉学に励むこと」も必要だと考えています。今は卒業研究のテーマとしての陸上競技に取り組んでいます。
卒業後は、実業団に所属しての競技続行と、高専の専攻科に進んで2年間さらに競技を研究するという「二刀流」に挑むことを考えていましたが、プランの変更を余儀なくされました。コロナ禍により、実業団が伊藤選手の採用を断念したためです。学生として研究を続けつつ、陸上競技に取り組むこととなりました。
シニアの全国大会で入賞するようになり、次はアジア、世界へと飛び込む段階に入りつつあります。そのための費用は、「学生であるうちは、自分だけで捻出していくのは難しい」と明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」への応募を決めました。また、地元・三重で競技を続けると決断した伊藤選手にとって、地元のアスリートを応援しようとする制度趣旨は大いに納得できるものでした。
地元・三重への愛着「ここで競技を続けるのがベスト」
高等専門学校は5年制ですが、3年目を終えた時点で大学に編入するという道もあります。伊藤選手もレベルアップのために大学編入も考えたそうですが、地元で頑張り続けることがベストだと判断したそうです。
「親と相談して、『あと2年残っても、ちゃんと結果は残せるんじゃないか』と言われました。確かに、それまでの高専での3年間で伸びたという思いがあったので、このまま続けようと決めました」
そのベースとなるのは、三重への愛着でした。
「自分でも、地元にいるのが一番やりやすいんだろうなと、薄々気づいていました。大学からも声をかけてもらいましたが、新しい土地に行って順応するのは簡単ではないと考えました。それよりも、三重県でのんびり継続して強くなった方が、むしろ良い記録が出るんじゃないかと考えたんです。友だちや応援してくれる人が多くいる三重県が、僕にとって一番良い場所なのだろうと思っています」
コロナ禍で大会が中止に、世界に挑戦するチャンスが少なく
2020年は、とても残念なことがありました。7月に予定されていたU20世界選手権大会の延期です。
「先日、日本陸連の方と話したところ、2020年に開催予定だったアジアと世界のジュニア大会がなくなったのは、本当に痛手だと聞かされました。世界を経験できなかったし、U20世界選手権に出ていれば入賞できたはずだ、と言われました」
もしも入賞していたら、他の国際大会に招待される可能性がありました。世界大会へ出場するために必要なポイントを稼ぐ、絶好のチャンスが失われたのです。
「U20世界選手権がなくなったのは、コロナ禍で特に痛かったことです。でも今は、次に世界へ出ていくことを目標に頑張っていこうと思っています」
三段跳びの日本記録を自分が塗り替えたい
陸上競技の研究と選手生活の並行以外にも、伊藤選手は二刀流に挑んでいます。三段跳びと、走り幅跳びへの挑戦です。種目を絞り込んでいくことが通常の陸上界では、珍しいことです。
「パッと見た目は同じに見えるかもしれませんが、競技者から見ると2つはだいぶ違う種目です。この2種目に取り組んでいる人はあまりいませんが、他の人ができないことをやれるのはいいなと思っているので、挑戦していきたいですね」
高専入学後に全国大会にも出るようになりましたが、優勝は遠い場所にありました。それが2019年から「僕自身もついていけない部分もありました」というほど力が伸び、ついには20歳以下の日本記録も更新しました。
「こんな風になるとはまったく思っていませんでした。だから今では、このままずっと頑張っていったら、僕はどこまで行けるんだろうという興味が生まれています」
自身の成長とともに、夢も大きく膨らみます。
「絶対に三段跳びの日本記録を塗り替えてやるぞ、という気持ちは持っています。U20の記録も42年ぶりに更新できたのだから、やはり僕がやらないと、という使命感のような気持ちです。今の日本記録保持者である山下訓史さんは、三重県出身でもありますからね」
応援してくれる人がいてこそ、力を発揮できる
練習でできないことは、試合ではできない。どんなスポーツでもそう考えることがほとんどですが、伊藤選手の発想は違います。
「僕は正反対で、試合じゃないとできないことがあるんです。練習で技術を固めて、雰囲気が独特でテンションが上がる試合の中でこそ、初めて力が発揮できると思います」
応援してくれる人の存在。それこそが、試合で力を与えてくれるのだと言います。
「跳躍競技は、観客席に一番近いところで行なわれることが多くて、その目立つ場所で跳ぶことが好きですね。応援は、ものすごく力になると感じています。応援してくださる方が多いほど、僕は頑張れると思います。このプロジェクトのような形で援助をしてもらえたら、世界選手権などの大舞台に出て、さらに多くの人に見てもらえます。そういうことを達成させていただきたいと思っています」
(取材・制作:4years.編集部)
支援期間終了
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支援者
18人
残り期間
0日
集まっている金額
145,000円
目標金額:300,000円
達成率48%
2021年02月28日23:59に終了しました。
支援期間終了
起案者
伊藤陸(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム)
当制度を通じて、出身地や活動拠点地域など、サポートを受ける「地元」に対して貢献したいというアスリートの活動を支援します。
3,000円
お礼のメール
リターン
伊藤陸本人より感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りします。
支援者の数 6人
支援期間終了
5,000円
お礼のお手紙
リターン
伊藤陸本人より感謝の気持ちを込めて、お礼のお手紙をお送りします。
支援者の数 12人
お届け予定:2021年4月
支援期間終了