日本学生記録を更新!インカレ2冠の王者が世界を見据えた新たなチャレンジ
ぐんぐん記録を伸ばして、日本トップレベルの競技者に仲間入り
伊藤陸選手(三重県出身)は近畿大学工業高等専門学校専攻科の2年生で、陸上競技部に所属しています。走り幅跳びの選手だった父親の影響で小学2年生のときに競技を始め、短距離走や長距離走などいろいろな種目に挑戦しました。その中でも「勝てるので楽しかった」と走り幅跳びに惹かれましたが、中学時代には目立った成績は残せませんでした。
信頼厚い顧問の先生のアドバイスもあり、卒業後は近大高専へ入学。軽い気持ちで挑戦してみた三段跳びで思わぬ好成績を残すと、ぐんぐんと記録を伸ばし、2020年9月の日本インカレではU20の日本記録を42年ぶりに塗り替える16m34の大ジャンプを記録。さらに、躍進は続きます。21年の日本インカレでは自己ベスト17m00で優勝。この数字は、学生新記録を塗り替えた新記録となっただけでなく日本歴代3位という好成績でした。
支援を受けることで感じた「競技者の自覚」
伊藤選手は競技力を上げるために「勉学に励むこと」も必要だと考えています。高専5年生だった20年度は陸上競技の動作解析をテーマに卒業研究に取り組みました。専攻科に進んだ21年度からは、研究を深めるとともに、動作解析の技術を他の競技者にも使ってもらえるようになればと考えながら取り組んでいます。「高価な機械を使わずとも、スマホで撮影したデータでも正確な数値が出せるような研究がしたいです。自身の競技能力向上につながるのはもちろん、この研究が競技全体の裾野を広げることにつながればうれしいです」
20年9月の日本インカレで、三段跳びのU20日本記録を更新しました
シニアの全国大会で入賞するようになり、次はアジア、世界へと飛び込む段階に入りつつあります。そのための費用は、「学生であるうちは、自分だけで捻出していくのは難しい」と20年度に明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」への応募を決めました。また、地元・三重で競技を続けると決断した伊藤選手にとって、地元のアスリートを応援しようとする制度趣旨は大いに納得できるものでした。22年は支援を受けて3年目となります。
支援を受けるにあたって感じたのは、競技者としての自覚でした。「支援を受けられる、そういうアスリートに自分もなったんだなと。ひとつ上の段階に来たなという思いがありました」
このプログラムに参加したことによって「応援してると言われることが増えました」という伊藤選手。三重県内の母校ではない高校の先生が応援してくれたり、小学校時代の先生の名前を見つけたりと、応援の輪が広がったという実感があるといいます。
慣れ親しんだ地元・三重で競技を続け、実力をつける
高等専門学校は5年制ですが、3年目を終えた時点で大学に編入する道もあります。伊藤選手もレベルアップのために大学編入も考えたそうですが、地元で頑張り続けることがベストだと判断したそうです。
「親と相談して、『あと2年残っても、ちゃんと結果は残せるんじゃないか』と言われました。確かに、それまでの高専での3年間で伸びたという思いがあったので、このまま続けようと決めました」
そのベースとなるのは、三重への愛着でした。
「自分でも、地元にいるのが一番やりやすいんだろうなと、薄々気づいていました。大学からも声をかけてもらいましたが、新しい土地に行って順応するのは簡単ではないと考えました。それよりも、地元でのんびり継続して強くなった方が、むしろ良い記録が出るんじゃないかと考えたんです。友だちや応援してくれる人が多くいる三重県が、僕にとって一番良い場所なのだろうと思っています」
小学生の時の伊藤選手。慣れ親しんだ地元で実力を伸ばしていきました
高専の5年が終わったあとは実業団に進みながら研究をしようと考えていましたが、コロナ禍で採用がストップ。高専の専攻科に進み、変わらず三重で実力を磨いています。
コロナ禍でフィジカルアップ。世界への道筋を見出す
20年は、新型コロナウイルスの影響で多くの試合が中止または延期となりました。しかしその状況を「ゆっくり練習できる」とポジティブにとらえ、一から自分を見直してベース作りに取り組み、初めてジムでのウエイトトレーニングにもチャレンジしました。トレーニングの甲斐もあり、21年はインカレでの自己ベスト&学生新記録更新という最高の結果につながりました。「夏までは失敗が続きましたが、秋まで努力した結果が記録につながってうれしいです。ただ、自己ベストを出した後の5本目以降でけがをしてしまったりと、メンタル・フィジカルの両面でまだ自分自身をコントロールできていない部分が自分の課題です」と伊藤選手。
絶対に三段跳びの日本記録を自分が塗り替えたい
陸上競技の研究と選手生活の並行以外にも、伊藤選手は二刀流に挑んでいます。三段跳びと、走り幅跳びへの挑戦です。種目を絞り込んでいくことが通常の陸上界では、珍しいことです。同じように見えますが、競技者の観点からはだいぶ違う種目だといいます。「他の人ができないことをやれるのはいいと思っているので、挑戦したい」という伊藤選手。その言葉通り、21年9月に行なわれた日本インカレでは、走り幅跳びでも優勝。見事、2冠を達成しました。
2019年のインカレ優勝は、大きな転機となりました
高専入学後に全国大会にも出るようになりましたが、優勝は遠い場所にありました。それが19年から「僕自身もついていけない部分もありました」というほど力が伸びてきました。「こんな風になるとはまったく思っていませんでした。だから今では、このままずっと頑張っていったら、僕はどこまでいけるんだろうという興味が生まれています」。自身の成長とともに、夢も大きく膨らみます。
「絶対に三段跳びの日本記録を塗り替えてやるぞ、という気持ちは持っています。U20の記録も42年ぶりに更新できたのだから、やはり僕がやらないと、という使命感のような気持ちです。今の日本記録保持者である山下訓史さんは、三重県出身でもありますから」
応援の力でさらに高みへといける
練習でできないことは、試合ではできない。どんなスポーツでもそう考えることがほとんどですが、伊藤選手の発想は違います。
「僕は正反対で、試合じゃないとできないことがあるんです。練習で技術を固めて、雰囲気が独特でテンションが上がる試合の中でこそ、初めて力が発揮できると思います」
応援してくれる人の存在。それこそが、試合で力を与えてくれるのだと言います。
「跳躍競技は、観客席に一番近いところで行なわれることが多くて、その目立つ場所で跳ぶことが好きですね。応援は、ものすごく力になると感じています。応援してくださる方が多いほど、僕は頑張れると思います。このプログラムのような形で援助をしてもらえたら、世界選手権などの大舞台に出て、さらに多くの人に見てもらえます。そういうことを達成させていただきたいと思っています」
(取材・制作:4years.編集部)
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日本学生記録を更新!インカレ2冠の王者が世界を見据えた新たなチャレンジ ぐんぐん記録を伸ばして、日本トップレベルの競技者に仲間入り 伊藤陸選手(三重県出身)は近畿大学工業高等専門学校専攻科の2年生で、陸上競技部に所属しています。走り幅跳びの選手だった父親の影響で小学2年生のときに競技を始め、短距離走や長距離走などいろいろな種目に挑戦しました。その中でも「勝てるので楽しかった」と走り幅跳びに惹かれましたが、中学時代には目立った成績は残せませんでした。 信頼厚い顧問の先生のアドバイスもあり、卒業後は近大高専へ入学。軽い気持ちで挑戦してみた三段跳びで思わぬ好成績を残すと、ぐんぐんと記録を伸ばし、2020年9月の日本インカレではU20の日本記録を42年ぶりに塗り替える16m34の大ジャンプを記録。さらに、躍進は続きます。21年の日本インカレでは自己ベスト17m00で優勝。この数字は、学生新記録を塗り替えた新記録となっただけでなく日本歴代3位という好成績でした。 支援を受けることで感じた「競技者の自覚」伊藤選手は競技力を上げるために「勉学に励むこと」も必要だと考えています。高専5年生だった20年度は陸上競技の動作解析をテーマに卒業研究に取り組みました。専攻科に進んだ21年度からは、研究を深めるとともに、動作解析の技術を他の競技者にも使ってもらえるようになればと考えながら取り組んでいます。「高価な機械を使わずとも、スマホで撮影したデータでも正確な数値が出せるような研究がしたいです。自身の競技能力向上につながるのはもちろん、この研究が競技全体の裾野を広げることにつながればうれしいです」 20年9月の日本インカレで、三段跳びのU20日本記録を更新しましたシニアの全国大会で入賞するようになり、次はアジア、世界へと飛び込む段階に入りつつあります。そのための費用は、「学生であるうちは、自分だけで捻出していくのは難しい」と20年度に明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」への応募を決めました。また、地元・三重で競技を続けると決断した伊藤選手にとって、地元のアスリートを応援しようとする制度趣旨は大いに納得できるものでした。22年は支援を受けて3年目となります。 支援を受けるにあたって感じたのは、競技者としての自覚でした。「支援を受けられる、そういうアスリートに自分もなったんだなと。ひとつ上の段階に来たなという思いがありました」 このプログラムに参加したことによって「応援してると言われることが増えました」という伊藤選手。三重県内の母校ではない高校の先生が応援してくれたり、小学校時代の先生の名前を見つけたりと、応援の輪が広がったという実感があるといいます。 慣れ親しんだ地元・三重で競技を続け、実力をつける高等専門学校は5年制ですが、3年目を終えた時点で大学に編入する道もあります。伊藤選手もレベルアップのために大学編入も考えたそうですが、地元で頑張り続けることがベストだと判断したそうです。 「親と相談して、『あと2年残っても、ちゃんと結果は残せるんじゃないか』と言われました。確かに、それまでの高専での3年間で伸びたという思いがあったので、このまま続けようと決めました」 そのベースとなるのは、三重への愛着でした。 「自分でも、地元にいるのが一番やりやすいんだろうなと、薄々気づいていました。大学からも声をかけてもらいましたが、新しい土地に行って順応するのは簡単ではないと考えました。それよりも、地元でのんびり継続して強くなった方が、むしろ良い記録が出るんじゃないかと考えたんです。友だちや応援してくれる人が多くいる三重県が、僕にとって一番良い場所なのだろうと思っています」 小学生の時の伊藤選手。慣れ親しんだ地元で実力を伸ばしていきました高専の5年が終わったあとは実業団に進みながら研究をしようと考えていましたが、コロナ禍で採用がストップ。高専の専攻科に進み、変わらず三重で実力を磨いています。 コロナ禍でフィジカルアップ。世界への道筋を見出す20年は、新型コロナウイルスの影響で多くの試合が中止または延期となりました。しかしその状況を「ゆっくり練習できる」とポジティブにとらえ、一から自分を見直してベース作りに取り組み、初めてジムでのウエイトトレーニングにもチャレンジしました。トレーニングの甲斐もあり、21年はインカレでの自己ベスト&学生新記録更新という最高の結果につながりました。「夏までは失敗が続きましたが、秋まで努力した結果が記録につながってうれしいです。ただ、自己ベストを出した後の5本目以降でけがをしてしまったりと、メンタル・フィジカルの両面でまだ自分自身をコントロールできていない部分が自分の課題です」と伊藤選手。 絶対に三段跳びの日本記録を自分が塗り替えたい陸上競技の研究と選手生活の並行以外にも、伊藤選手は二刀流に挑んでいます。三段跳びと、走り幅跳びへの挑戦です。種目を絞り込んでいくことが通常の陸上界では、珍しいことです。同じように見えますが、競技者の観点からはだいぶ違う種目だといいます。「他の人ができないことをやれるのはいいと思っているので、挑戦したい」という伊藤選手。その言葉通り、21年9月に行なわれた日本インカレでは、走り幅跳びでも優勝。見事、2冠を達成しました。 2019年のインカレ優勝は、大きな転機となりました 高専入学後に全国大会にも出るようになりましたが、優勝は遠い場所にありました。それが19年から「僕自身もついていけない部分もありました」というほど力が伸びてきました。「こんな風になるとはまったく思っていませんでした。だから今では、このままずっと頑張っていったら、僕はどこまでいけるんだろうという興味が生まれています」。自身の成長とともに、夢も大きく膨らみます。 「絶対に三段跳びの日本記録を塗り替えてやるぞ、という気持ちは持っています。U20の記録も42年ぶりに更新できたのだから、やはり僕がやらないと、という使命感のような気持ちです。今の日本記録保持者である山下訓史さんは、三重県出身でもありますから」 応援の力でさらに高みへといける練習でできないことは、試合ではできない。どんなスポーツでもそう考えることがほとんどですが、伊藤選手の発想は違います。 「僕は正反対で、試合じゃないとできないことがあるんです。練習で技術を固めて、雰囲気が独特でテンションが上がる試合の中でこそ、初めて力が発揮できると思います」 応援してくれる人の存在。それこそが、試合で力を与えてくれるのだと言います。 「跳躍競技は、観客席に一番近いところで行なわれることが多くて、その目立つ場所で跳ぶことが好きですね。応援は、ものすごく力になると感じています。応援してくださる方が多いほど、僕は頑張れると思います。このプログラムのような形で援助をしてもらえたら、世界選手権などの大舞台に出て、さらに多くの人に見てもらえます。そういうことを達成させていただきたいと思っています」 (取材・制作:4years.編集部)
日本学生記録を更新!インカレ2冠の王者が世界を見据えた新たなチャレンジ
ぐんぐん記録を伸ばして、日本トップレベルの競技者に仲間入り
伊藤陸選手(三重県出身)は近畿大学工業高等専門学校専攻科の2年生で、陸上競技部に所属しています。走り幅跳びの選手だった父親の影響で小学2年生のときに競技を始め、短距離走や長距離走などいろいろな種目に挑戦しました。その中でも「勝てるので楽しかった」と走り幅跳びに惹かれましたが、中学時代には目立った成績は残せませんでした。
信頼厚い顧問の先生のアドバイスもあり、卒業後は近大高専へ入学。軽い気持ちで挑戦してみた三段跳びで思わぬ好成績を残すと、ぐんぐんと記録を伸ばし、2020年9月の日本インカレではU20の日本記録を42年ぶりに塗り替える16m34の大ジャンプを記録。さらに、躍進は続きます。21年の日本インカレでは自己ベスト17m00で優勝。この数字は、学生新記録を塗り替えた新記録となっただけでなく日本歴代3位という好成績でした。
支援を受けることで感じた「競技者の自覚」
伊藤選手は競技力を上げるために「勉学に励むこと」も必要だと考えています。高専5年生だった20年度は陸上競技の動作解析をテーマに卒業研究に取り組みました。専攻科に進んだ21年度からは、研究を深めるとともに、動作解析の技術を他の競技者にも使ってもらえるようになればと考えながら取り組んでいます。「高価な機械を使わずとも、スマホで撮影したデータでも正確な数値が出せるような研究がしたいです。自身の競技能力向上につながるのはもちろん、この研究が競技全体の裾野を広げることにつながればうれしいです」
20年9月の日本インカレで、三段跳びのU20日本記録を更新しました
シニアの全国大会で入賞するようになり、次はアジア、世界へと飛び込む段階に入りつつあります。そのための費用は、「学生であるうちは、自分だけで捻出していくのは難しい」と20年度に明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」への応募を決めました。また、地元・三重で競技を続けると決断した伊藤選手にとって、地元のアスリートを応援しようとする制度趣旨は大いに納得できるものでした。22年は支援を受けて3年目となります。
支援を受けるにあたって感じたのは、競技者としての自覚でした。「支援を受けられる、そういうアスリートに自分もなったんだなと。ひとつ上の段階に来たなという思いがありました」
このプログラムに参加したことによって「応援してると言われることが増えました」という伊藤選手。三重県内の母校ではない高校の先生が応援してくれたり、小学校時代の先生の名前を見つけたりと、応援の輪が広がったという実感があるといいます。
慣れ親しんだ地元・三重で競技を続け、実力をつける
高等専門学校は5年制ですが、3年目を終えた時点で大学に編入する道もあります。伊藤選手もレベルアップのために大学編入も考えたそうですが、地元で頑張り続けることがベストだと判断したそうです。
「親と相談して、『あと2年残っても、ちゃんと結果は残せるんじゃないか』と言われました。確かに、それまでの高専での3年間で伸びたという思いがあったので、このまま続けようと決めました」
そのベースとなるのは、三重への愛着でした。
「自分でも、地元にいるのが一番やりやすいんだろうなと、薄々気づいていました。大学からも声をかけてもらいましたが、新しい土地に行って順応するのは簡単ではないと考えました。それよりも、地元でのんびり継続して強くなった方が、むしろ良い記録が出るんじゃないかと考えたんです。友だちや応援してくれる人が多くいる三重県が、僕にとって一番良い場所なのだろうと思っています」
小学生の時の伊藤選手。慣れ親しんだ地元で実力を伸ばしていきました
高専の5年が終わったあとは実業団に進みながら研究をしようと考えていましたが、コロナ禍で採用がストップ。高専の専攻科に進み、変わらず三重で実力を磨いています。
コロナ禍でフィジカルアップ。世界への道筋を見出す
20年は、新型コロナウイルスの影響で多くの試合が中止または延期となりました。しかしその状況を「ゆっくり練習できる」とポジティブにとらえ、一から自分を見直してベース作りに取り組み、初めてジムでのウエイトトレーニングにもチャレンジしました。トレーニングの甲斐もあり、21年はインカレでの自己ベスト&学生新記録更新という最高の結果につながりました。「夏までは失敗が続きましたが、秋まで努力した結果が記録につながってうれしいです。ただ、自己ベストを出した後の5本目以降でけがをしてしまったりと、メンタル・フィジカルの両面でまだ自分自身をコントロールできていない部分が自分の課題です」と伊藤選手。
絶対に三段跳びの日本記録を自分が塗り替えたい
陸上競技の研究と選手生活の並行以外にも、伊藤選手は二刀流に挑んでいます。三段跳びと、走り幅跳びへの挑戦です。種目を絞り込んでいくことが通常の陸上界では、珍しいことです。同じように見えますが、競技者の観点からはだいぶ違う種目だといいます。「他の人ができないことをやれるのはいいと思っているので、挑戦したい」という伊藤選手。その言葉通り、21年9月に行なわれた日本インカレでは、走り幅跳びでも優勝。見事、2冠を達成しました。
2019年のインカレ優勝は、大きな転機となりました
高専入学後に全国大会にも出るようになりましたが、優勝は遠い場所にありました。それが19年から「僕自身もついていけない部分もありました」というほど力が伸びてきました。「こんな風になるとはまったく思っていませんでした。だから今では、このままずっと頑張っていったら、僕はどこまでいけるんだろうという興味が生まれています」。自身の成長とともに、夢も大きく膨らみます。
「絶対に三段跳びの日本記録を塗り替えてやるぞ、という気持ちは持っています。U20の記録も42年ぶりに更新できたのだから、やはり僕がやらないと、という使命感のような気持ちです。今の日本記録保持者である山下訓史さんは、三重県出身でもありますから」
応援の力でさらに高みへといける
練習でできないことは、試合ではできない。どんなスポーツでもそう考えることがほとんどですが、伊藤選手の発想は違います。
「僕は正反対で、試合じゃないとできないことがあるんです。練習で技術を固めて、雰囲気が独特でテンションが上がる試合の中でこそ、初めて力が発揮できると思います」
応援してくれる人の存在。それこそが、試合で力を与えてくれるのだと言います。
「跳躍競技は、観客席に一番近いところで行なわれることが多くて、その目立つ場所で跳ぶことが好きですね。応援は、ものすごく力になると感じています。応援してくださる方が多いほど、僕は頑張れると思います。このプログラムのような形で援助をしてもらえたら、世界選手権などの大舞台に出て、さらに多くの人に見てもらえます。そういうことを達成させていただきたいと思っています」
(取材・制作:4years.編集部)
支援期間終了
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支援者
14人
残り期間
0日
集まっている金額
138,000円
目標金額:500,000円
達成率27%
2023年02月28日23:59に終了しました。
支援期間終了
起案者
伊藤陸(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム2022)
当制度を通じて、出身地や活動拠点地域など、サポートを受ける「地元」に対して貢献したいというアスリートの活動を支援します。
1,000円
お礼のメール
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りします。
支援者の数 3人
支援期間終了
5,000円
お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 1人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了
10,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 7人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了
20,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+オリジナルステッカー+YELLS(全ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、プロジェクトのオリジナルステッカー、YELLS(全ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 3人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了