グラス&アルペンの二刀流で世界チャンピオンになり、地元への恩返しを果たしたい
冬は雪、夏は芝の上の二刀流
岡谷市で生まれ、塩尻市で育った生粋の信州人である前田知沙樹選手(長野県出身)がスキーに出合ったのは、小学校入学前。父に連れられ、隣町のあさひプライムスキー場(朝日村)でゲレンデデビューを果たしました。
「あんまり遠くに滑っていかないように父にひもをつけてもらって滑るのがすごく好きでした」
4歳のころゲレンデで
競技としてアルペンスキーに興味を持ち始めたのは小学校入学後でした。長野県の多くのスキー場ではアマチュアレースが開催されています。大人も子供も問わずに「速い選手が強い」というシンプルな競技性に魅せられ、まず「Falcon Racing」に加入し、小学5年生から現在まで「Team DLWH」というチームに所属して、本格的に競技にのめり込んでいきます。
トレーニングの一環として夏場には芝の上を滑走するグラススキーも始め、そのかいもあって全国中学スキー大会、全国高等学校選抜など多くの優勝カップを掲げる世代を代表するスラローマーとなりました。
メッセージに励まされ
松本大学在学中、働きながら競技を続けるために、長野県が主催する「アスリート就職支援事業」を活用し、その活動に理解を示してくれる企業を探している過程で明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」に出合いました。自分のように地域に根ざし活動する選手には、願ってもない制度でした。前田選手は20年からこの「地元アスリート応援プログラム」の支援を受けています。
20年、プログラムの一環で、初めてクラウドファンディングに挑戦しました。支援金とともに、「欧州に一人でいったり、苦しいことがあったりしたので、添えられているメッセージに励まされ、支えになりました」と振り返ります。「小学生の時、頑張っていたのを覚えています」という懐かしい方からの応援も届いたそうです。
世界と渡り合うために、1度でも多くの海外遠征を経験したい
「世界で戦う上では、現地で滑るのが一番。日本のコースでは感じられない変化の大きさがあります」と前田選手。可能な限り海外遠征を組むために、競技の合間を縫ってアルバイトも続けていました。21年にはプログラムで寄せられた支援金のおかげで、通常より1回多く海外遠征が実現しました。21年10月〜12月までヨーロッパでの遠征&レースに参戦。「ウェーブの多いヨーロッパのゲレンデに対応しきれなかった。これまでに感じたよりも大きな壁を感じての帰国でした」と振り返ります。難しいコース設定やハイレベルな選手たちにはね返される形になりましたが、「大きいレースに挑戦し、力になりました。課題もたくさんみつかりました」。支援の有り難さを実感し、次への成長につなげるつもりです。
これまではアルバイトと両立して競技に打ち込んでいましたが、就職活動の末、22年5月に長野県松本市の株式会社村瀬組への入社が決まりました。地元企業のサポートを受けてさらなる飛躍をめざします。
40kmの自転車通学、レタスなどの差し入れに感謝
彼女が抱く地元への思いは強いものです。松商学園高校の時は塩尻-松本間の往復約40kmの道のりを、ほぼ毎日、クロスバイクでトレーニングを兼ねて通学しました。
「一つのことを継続することで精神面でも鍛えられると思って」と、雨の日もかっぱを羽織り、ペダルをこぎました。時には通学路脇の畑で働く方からレタスを差し入れてもらったり、いつもすれ違う車のドライバーから交通安全のお守りを受け取ったりしたこともあるそうです。そのような地元の持つ温かい雰囲気が大好きだと、笑顔を見せます。
はね返された壁、けがも乗り越え
国内を代表する選手に成長した彼女ですが、世界ではまだまだニューフェイスです。19-20年シーズンにはワールドカップ(W杯)にも初出場しましたが、参加した4大会すべてで2本目に進むことができませんでした。そこで感じたのは世界との差だと本人は語ります。「実際に世界の選手と同じシチュエーションで同じコースを滑ってみると、大きな差があるのが分かりました。それを壁として感じています」
しかし、本人は決してその壁をネガティブに捉えているわけではありません。W杯初出場の地はフィンランド。「欧州の起伏だったり雪質だったりコースに対応できてないことが分かった」とむしろ足りないものを感じ取り、「技術面だけではなく根本的な体の使い方、歩き方から改善してきたのでそれを生かして、いつどこでも自分の滑りをできるようにしたいです」と前を向いています。
グラススキー世界選手権で2連覇を達成。女王の座守る
21年の夏に行なわれた、2年に一度のグラススキー世界選手権。19年の前回大会では4種目完全制覇し、世界ジュニア選手権と合わせて史上初の8冠を達成しましたが、今大会でも前回に引き続き4種目完全優勝で見事2連覇を達成。「前回大会は挑戦する側でしたが、今大会は追われる立場。2年間プレッシャーがありましたが、気持ちを強く持って厳しく練習に取り組めたことで2連覇を達成することができました」。グラススキーでの最大のライバルは、準優勝を果たした妹の前田茉里乃選手。「初日の大回転では負けていたんですが、2本目で巻き返すことができました」と知沙樹選手。姉妹で切磋琢磨しながら、さらなる高みをめざします。
アルペンスキーの方でも将来的にはW杯シリーズに復帰してポイントを重ね、4年に一度の世界大会でのメダル獲得をめざしています。コロナでの大会中止が多くなり、W杯出場のチャンスが少なくなる中、全日本選手権での優勝とファーイーストカップでの種目別優勝は達成したい目標だと話します。
「アルペンスキーっていうマイナースポーツでは、競技を知っている方でも誰がトップ選手か分からない。だからアルペンスキーといったら前田知沙樹と言ってもらえるように」
そんな代名詞的な選手へ、彼女の挑戦は続きます。
2019年グラススキー世界Jr選手権、世界選手権8冠
明るい話題を提供し地元を象徴するアスリートに
「私は地域に根差した選手をめざしていて、地元で応援してもらいながら競技をする選手に憧れがあります」
シビアな今季に挑む次世代のエース候補は、例えば、Jリーグの松本山雅FCや、同じ冬季アスリートであれば小平奈緒選手(スピードスケート、長野県茅野市出身)のような地域のシンボルとしての存在に、選手としての理想像を見出しています。
「世界のトップで戦えるようになって、冬も夏も2種目でチャンピオンになりたいです。そのためにも、まずは結果を出して地元に明るい話題を提供できれば。そう思っています」
(取材・制作:4years.編集部)
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グラス&アルペンの二刀流で世界チャンピオンになり、地元への恩返しを果たしたい 冬は雪、夏は芝の上の二刀流 岡谷市で生まれ、塩尻市で育った生粋の信州人である前田知沙樹選手(長野県出身)がスキーに出合ったのは、小学校入学前。父に連れられ、隣町のあさひプライムスキー場(朝日村)でゲレンデデビューを果たしました。 「あんまり遠くに滑っていかないように父にひもをつけてもらって滑るのがすごく好きでした」 4歳のころゲレンデで 競技としてアルペンスキーに興味を持ち始めたのは小学校入学後でした。長野県の多くのスキー場ではアマチュアレースが開催されています。大人も子供も問わずに「速い選手が強い」というシンプルな競技性に魅せられ、まず「Falcon Racing」に加入し、小学5年生から現在まで「Team DLWH」というチームに所属して、本格的に競技にのめり込んでいきます。 トレーニングの一環として夏場には芝の上を滑走するグラススキーも始め、そのかいもあって全国中学スキー大会、全国高等学校選抜など多くの優勝カップを掲げる世代を代表するスラローマーとなりました。 メッセージに励まされ 松本大学在学中、働きながら競技を続けるために、長野県が主催する「アスリート就職支援事業」を活用し、その活動に理解を示してくれる企業を探している過程で明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」に出合いました。自分のように地域に根ざし活動する選手には、願ってもない制度でした。前田選手は20年からこの「地元アスリート応援プログラム」の支援を受けています。 20年、プログラムの一環で、初めてクラウドファンディングに挑戦しました。支援金とともに、「欧州に一人でいったり、苦しいことがあったりしたので、添えられているメッセージに励まされ、支えになりました」と振り返ります。「小学生の時、頑張っていたのを覚えています」という懐かしい方からの応援も届いたそうです。 世界と渡り合うために、1度でも多くの海外遠征を経験したい 「世界で戦う上では、現地で滑るのが一番。日本のコースでは感じられない変化の大きさがあります」と前田選手。可能な限り海外遠征を組むために、競技の合間を縫ってアルバイトも続けていました。21年にはプログラムで寄せられた支援金のおかげで、通常より1回多く海外遠征が実現しました。21年10月〜12月までヨーロッパでの遠征&レースに参戦。「ウェーブの多いヨーロッパのゲレンデに対応しきれなかった。これまでに感じたよりも大きな壁を感じての帰国でした」と振り返ります。難しいコース設定やハイレベルな選手たちにはね返される形になりましたが、「大きいレースに挑戦し、力になりました。課題もたくさんみつかりました」。支援の有り難さを実感し、次への成長につなげるつもりです。 これまではアルバイトと両立して競技に打ち込んでいましたが、就職活動の末、22年5月に長野県松本市の株式会社村瀬組への入社が決まりました。地元企業のサポートを受けてさらなる飛躍をめざします。 40kmの自転車通学、レタスなどの差し入れに感謝 彼女が抱く地元への思いは強いものです。松商学園高校の時は塩尻-松本間の往復約40kmの道のりを、ほぼ毎日、クロスバイクでトレーニングを兼ねて通学しました。 「一つのことを継続することで精神面でも鍛えられると思って」と、雨の日もかっぱを羽織り、ペダルをこぎました。時には通学路脇の畑で働く方からレタスを差し入れてもらったり、いつもすれ違う車のドライバーから交通安全のお守りを受け取ったりしたこともあるそうです。そのような地元の持つ温かい雰囲気が大好きだと、笑顔を見せます。 はね返された壁、けがも乗り越え 国内を代表する選手に成長した彼女ですが、世界ではまだまだニューフェイスです。19-20年シーズンにはワールドカップ(W杯)にも初出場しましたが、参加した4大会すべてで2本目に進むことができませんでした。そこで感じたのは世界との差だと本人は語ります。「実際に世界の選手と同じシチュエーションで同じコースを滑ってみると、大きな差があるのが分かりました。それを壁として感じています」 しかし、本人は決してその壁をネガティブに捉えているわけではありません。W杯初出場の地はフィンランド。「欧州の起伏だったり雪質だったりコースに対応できてないことが分かった」とむしろ足りないものを感じ取り、「技術面だけではなく根本的な体の使い方、歩き方から改善してきたのでそれを生かして、いつどこでも自分の滑りをできるようにしたいです」と前を向いています。 グラススキー世界選手権で2連覇を達成。女王の座守る 21年の夏に行なわれた、2年に一度のグラススキー世界選手権。19年の前回大会では4種目完全制覇し、世界ジュニア選手権と合わせて史上初の8冠を達成しましたが、今大会でも前回に引き続き4種目完全優勝で見事2連覇を達成。「前回大会は挑戦する側でしたが、今大会は追われる立場。2年間プレッシャーがありましたが、気持ちを強く持って厳しく練習に取り組めたことで2連覇を達成することができました」。グラススキーでの最大のライバルは、準優勝を果たした妹の前田茉里乃選手。「初日の大回転では負けていたんですが、2本目で巻き返すことができました」と知沙樹選手。姉妹で切磋琢磨しながら、さらなる高みをめざします。 アルペンスキーの方でも将来的にはW杯シリーズに復帰してポイントを重ね、4年に一度の世界大会でのメダル獲得をめざしています。コロナでの大会中止が多くなり、W杯出場のチャンスが少なくなる中、全日本選手権での優勝とファーイーストカップでの種目別優勝は達成したい目標だと話します。 「アルペンスキーっていうマイナースポーツでは、競技を知っている方でも誰がトップ選手か分からない。だからアルペンスキーといったら前田知沙樹と言ってもらえるように」 そんな代名詞的な選手へ、彼女の挑戦は続きます。 2019年グラススキー世界Jr選手権、世界選手権8冠 明るい話題を提供し地元を象徴するアスリートに 「私は地域に根差した選手をめざしていて、地元で応援してもらいながら競技をする選手に憧れがあります」 シビアな今季に挑む次世代のエース候補は、例えば、Jリーグの松本山雅FCや、同じ冬季アスリートであれば小平奈緒選手(スピードスケート、長野県茅野市出身)のような地域のシンボルとしての存在に、選手としての理想像を見出しています。 「世界のトップで戦えるようになって、冬も夏も2種目でチャンピオンになりたいです。そのためにも、まずは結果を出して地元に明るい話題を提供できれば。そう思っています」 (取材・制作:4years.編集部)
グラス&アルペンの二刀流で世界チャンピオンになり、地元への恩返しを果たしたい
冬は雪、夏は芝の上の二刀流
岡谷市で生まれ、塩尻市で育った生粋の信州人である前田知沙樹選手(長野県出身)がスキーに出合ったのは、小学校入学前。父に連れられ、隣町のあさひプライムスキー場(朝日村)でゲレンデデビューを果たしました。
「あんまり遠くに滑っていかないように父にひもをつけてもらって滑るのがすごく好きでした」
4歳のころゲレンデで
競技としてアルペンスキーに興味を持ち始めたのは小学校入学後でした。長野県の多くのスキー場ではアマチュアレースが開催されています。大人も子供も問わずに「速い選手が強い」というシンプルな競技性に魅せられ、まず「Falcon Racing」に加入し、小学5年生から現在まで「Team DLWH」というチームに所属して、本格的に競技にのめり込んでいきます。
トレーニングの一環として夏場には芝の上を滑走するグラススキーも始め、そのかいもあって全国中学スキー大会、全国高等学校選抜など多くの優勝カップを掲げる世代を代表するスラローマーとなりました。
メッセージに励まされ
松本大学在学中、働きながら競技を続けるために、長野県が主催する「アスリート就職支援事業」を活用し、その活動に理解を示してくれる企業を探している過程で明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」に出合いました。自分のように地域に根ざし活動する選手には、願ってもない制度でした。前田選手は20年からこの「地元アスリート応援プログラム」の支援を受けています。
20年、プログラムの一環で、初めてクラウドファンディングに挑戦しました。支援金とともに、「欧州に一人でいったり、苦しいことがあったりしたので、添えられているメッセージに励まされ、支えになりました」と振り返ります。「小学生の時、頑張っていたのを覚えています」という懐かしい方からの応援も届いたそうです。
世界と渡り合うために、1度でも多くの海外遠征を経験したい
「世界で戦う上では、現地で滑るのが一番。日本のコースでは感じられない変化の大きさがあります」と前田選手。可能な限り海外遠征を組むために、競技の合間を縫ってアルバイトも続けていました。21年にはプログラムで寄せられた支援金のおかげで、通常より1回多く海外遠征が実現しました。21年10月〜12月までヨーロッパでの遠征&レースに参戦。「ウェーブの多いヨーロッパのゲレンデに対応しきれなかった。これまでに感じたよりも大きな壁を感じての帰国でした」と振り返ります。難しいコース設定やハイレベルな選手たちにはね返される形になりましたが、「大きいレースに挑戦し、力になりました。課題もたくさんみつかりました」。支援の有り難さを実感し、次への成長につなげるつもりです。
これまではアルバイトと両立して競技に打ち込んでいましたが、就職活動の末、22年5月に長野県松本市の株式会社村瀬組への入社が決まりました。地元企業のサポートを受けてさらなる飛躍をめざします。
40kmの自転車通学、レタスなどの差し入れに感謝
彼女が抱く地元への思いは強いものです。松商学園高校の時は塩尻-松本間の往復約40kmの道のりを、ほぼ毎日、クロスバイクでトレーニングを兼ねて通学しました。
「一つのことを継続することで精神面でも鍛えられると思って」と、雨の日もかっぱを羽織り、ペダルをこぎました。時には通学路脇の畑で働く方からレタスを差し入れてもらったり、いつもすれ違う車のドライバーから交通安全のお守りを受け取ったりしたこともあるそうです。そのような地元の持つ温かい雰囲気が大好きだと、笑顔を見せます。
はね返された壁、けがも乗り越え
国内を代表する選手に成長した彼女ですが、世界ではまだまだニューフェイスです。19-20年シーズンにはワールドカップ(W杯)にも初出場しましたが、参加した4大会すべてで2本目に進むことができませんでした。そこで感じたのは世界との差だと本人は語ります。「実際に世界の選手と同じシチュエーションで同じコースを滑ってみると、大きな差があるのが分かりました。それを壁として感じています」
しかし、本人は決してその壁をネガティブに捉えているわけではありません。W杯初出場の地はフィンランド。「欧州の起伏だったり雪質だったりコースに対応できてないことが分かった」とむしろ足りないものを感じ取り、「技術面だけではなく根本的な体の使い方、歩き方から改善してきたのでそれを生かして、いつどこでも自分の滑りをできるようにしたいです」と前を向いています。
グラススキー世界選手権で2連覇を達成。女王の座守る
21年の夏に行なわれた、2年に一度のグラススキー世界選手権。19年の前回大会では4種目完全制覇し、世界ジュニア選手権と合わせて史上初の8冠を達成しましたが、今大会でも前回に引き続き4種目完全優勝で見事2連覇を達成。「前回大会は挑戦する側でしたが、今大会は追われる立場。2年間プレッシャーがありましたが、気持ちを強く持って厳しく練習に取り組めたことで2連覇を達成することができました」。グラススキーでの最大のライバルは、準優勝を果たした妹の前田茉里乃選手。「初日の大回転では負けていたんですが、2本目で巻き返すことができました」と知沙樹選手。姉妹で切磋琢磨しながら、さらなる高みをめざします。
アルペンスキーの方でも将来的にはW杯シリーズに復帰してポイントを重ね、4年に一度の世界大会でのメダル獲得をめざしています。コロナでの大会中止が多くなり、W杯出場のチャンスが少なくなる中、全日本選手権での優勝とファーイーストカップでの種目別優勝は達成したい目標だと話します。
「アルペンスキーっていうマイナースポーツでは、競技を知っている方でも誰がトップ選手か分からない。だからアルペンスキーといったら前田知沙樹と言ってもらえるように」
そんな代名詞的な選手へ、彼女の挑戦は続きます。
2019年グラススキー世界Jr選手権、世界選手権8冠
明るい話題を提供し地元を象徴するアスリートに
「私は地域に根差した選手をめざしていて、地元で応援してもらいながら競技をする選手に憧れがあります」
シビアな今季に挑む次世代のエース候補は、例えば、Jリーグの松本山雅FCや、同じ冬季アスリートであれば小平奈緒選手(スピードスケート、長野県茅野市出身)のような地域のシンボルとしての存在に、選手としての理想像を見出しています。
「世界のトップで戦えるようになって、冬も夏も2種目でチャンピオンになりたいです。そのためにも、まずは結果を出して地元に明るい話題を提供できれば。そう思っています」
(取材・制作:4years.編集部)
支援期間終了
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支援者
10人
残り期間
0日
集まっている金額
120,000円
目標金額:500,000円
達成率24%
2023年02月28日23:59に終了しました。
支援期間終了
起案者
前田知沙樹(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム2022)
当制度を通じて、出身地や活動拠点地域など、サポートを受ける「地元」に対して貢献したいというアスリートの活動を支援します。
1,000円
お礼のメール
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りします。
支援者の数 0人
支援期間終了
5,000円
お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 4人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了
10,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 2人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了
20,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+オリジナルステッカー+YELLS(全ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、プロジェクトのオリジナルステッカー、YELLS(全ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 4人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了