ブレイクダンスの楽しさを子どもたちに教えるためにも、世界一になって背中を見せる
世界で活躍する同世代に勝てたことで変わった
村上結菜選手(ゆいな、金沢桜丘高2年)が生まれ育った石川県金沢市は、全国的に見てもブレイクダンスの普及率が高いエリアとして知られています。村上選手も幼い頃から自然とストレートダンスに触れる機会が多く、5歳でヒップホップを始めた後、小学校に入学すると友だちの誘いでブレイクダンスのレッスンに参加。当時はヒップホップに夢中だったためブレイクダンスは長続きしなかったものの、6年生の時、再びブレイクダンスに向き合う機会が訪れます。
当時、村上選手は6年生ながら、ヒップホップの教室で先生のアシスタントとして小さな子どもたちのレッスンを任されていました。ある時、先生から「(ブレイクダンスを)ちょっと躍ってみない?」と声をかけられて教わった技に挑戦したところ、ヒップホップでは味わえなかった高揚感で胸がいっぱいになりました。それをきっかけにすっかりブレイクダンスにハマり、徐々に挑戦のハードルを上げていきます。
小学1年生、ブレイクダンスを始めた頃の村上選手
「最初のターニングポイントは、2018年に参加した『DANCE ALIVE』でした。KIDS関西予選でベスト8に勝ち上がり、世界でも活躍しているTSUKKI君と対戦したんですけど、その時に2ムーブ目でブレイクダンスを出したことで、奇跡的に勝つことができたんです。そして同じ年の12月には、台湾で開催された『Taipei b-boy city』という大会のキッズ部門で準優勝。自分にとって初めての海外遠征でした。実はその時も決勝の対戦相手がTSUKKI君で負けてしまったんですが、お客さんの盛り上がりがすごくて日本との違いを肌で感じることができました」
自分が結果を出すことで金沢を盛り上げたい
翌2019年にはオーストラリアで開催された「Destructive Steps」でも入賞。自分のダンスが海外でも通用することを確信した村上選手は、更に大きな夢を描くようになります。世界最高峰の1 on 1ブレイキン・ダンスバトル・トーナメント「Red Bull BC One」での優勝、そして4年に1度の国際大会で優勝することです。
「2020年冬にブレイクダンスが競技に決まった瞬間は本当にびっくりしました。そんな大舞台は自分には無縁の世界だと思っていたけど、ブレイクダンスを頑張れば夢の大舞台に出られるんだ!と分かって、モチベーションも一気に高まりました。『BC One』も制覇して、世界的に活躍できるダンサーになることが今の大きな目標です。私の活躍によって、金沢が注目してもらえたらという思いもあります」
世界の舞台で結果を出すことで、地元・金沢を盛り上げたい(写真提供・FEworks)
実際、過去に台湾のイベントで快挙を成し遂げた際は、新聞にも大きく取り上げられ、学校の先生や友だちにも「見たよ」と声をかけてもらえたことが、村上選手にはとてもうれしいことでした。「金沢は本当に自慢できることがたくさんある都市なので、自分の活躍をきっかけにこの土地の魅力にも目を向けてもらえたらいいなと思っています」と胸の内を明かします。そんな金沢について、村上選手は「金沢駅はめちゃくちゃキレイだし、金沢市民芸術村もフォトジェニック。食べ物はとにかくお魚がおいしいから食べに来てほしいですね」と教えてくれました。
今回の明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」に応募したのも、金沢のことを多くの人々に知ってもらいたい、地元の人々に応援されるアスリートになりたい、という思いがあってのことです。プログラムに応募したのは、今習っている草野真澄先生が村上選手を推薦してくれたことがきっかけでした。「まさか自分が支援してもらえるようになるとは!という気持ちもありますが、これからの自分の人生を左右するようなことだと感じています」と、この機会に自分のことを積極的に発信していく予定です。
後悔したくないから、今は全力で結果を出しにいく
自身の活躍によって金沢の魅力を多くの人に知ってもらうためにも、現在は、目下の目標達成に向けて鍛錬に励む日々。クラウドファンディングで集まった資金を元手に遠征して大会に出場し、強化選手に選ばれるために必要な実績を積んでいきたい。また、いろいろな指導者からレッスンを受けることで、自分のスキルを鍛えたいと考えています。
近年も、2020年と2021年の2年連続で、日本ダンススポーツ連盟(JDSF)の中部北陸ブロックユースBGIRL部門で優勝を果たすなど、結果を出し続けていますが、ときには負けて落ち込むこともあります。「その度に自分に何が足りなかったのかを分析して次につなげています」と、村上選手は前だけを見ています。
十代も多く活躍している競技だからこそ、今、後悔のない日々を
「練習不足を痛感することも多々あります。それもあって、これまでは小さい子たちに教える側として携わらせていただくことも多かったのですが、当面は自分のスキルを上げることに集中したいと考えています。現役の間にできる限り成長を遂げることができたら、後々、子どもたちに教えられることもきっと増えるはず。そのためにも、まずは自分が結果を出すことに全力を注いでいきたいです」
大好きなブレイクダンスを、大好きな金沢で子どもたちに教えていきたい。純粋な思いゆえに、今は目の前にある大きな目標達成に一直線。ここから2、3年の大きな勝負期間に、一回りも二回りも成長を遂げてくれるに違いありません。
(取材・制作:4years.編集部)
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ブレイクダンスの楽しさを子どもたちに教えるためにも、世界一になって背中を見せる 世界で活躍する同世代に勝てたことで変わった 村上結菜選手(ゆいな、金沢桜丘高2年)が生まれ育った石川県金沢市は、全国的に見てもブレイクダンスの普及率が高いエリアとして知られています。村上選手も幼い頃から自然とストレートダンスに触れる機会が多く、5歳でヒップホップを始めた後、小学校に入学すると友だちの誘いでブレイクダンスのレッスンに参加。当時はヒップホップに夢中だったためブレイクダンスは長続きしなかったものの、6年生の時、再びブレイクダンスに向き合う機会が訪れます。 当時、村上選手は6年生ながら、ヒップホップの教室で先生のアシスタントとして小さな子どもたちのレッスンを任されていました。ある時、先生から「(ブレイクダンスを)ちょっと躍ってみない?」と声をかけられて教わった技に挑戦したところ、ヒップホップでは味わえなかった高揚感で胸がいっぱいになりました。それをきっかけにすっかりブレイクダンスにハマり、徐々に挑戦のハードルを上げていきます。 小学1年生、ブレイクダンスを始めた頃の村上選手 「最初のターニングポイントは、2018年に参加した『DANCE ALIVE』でした。KIDS関西予選でベスト8に勝ち上がり、世界でも活躍しているTSUKKI君と対戦したんですけど、その時に2ムーブ目でブレイクダンスを出したことで、奇跡的に勝つことができたんです。そして同じ年の12月には、台湾で開催された『Taipei b-boy city』という大会のキッズ部門で準優勝。自分にとって初めての海外遠征でした。実はその時も決勝の対戦相手がTSUKKI君で負けてしまったんですが、お客さんの盛り上がりがすごくて日本との違いを肌で感じることができました」 自分が結果を出すことで金沢を盛り上げたい 翌2019年にはオーストラリアで開催された「Destructive Steps」でも入賞。自分のダンスが海外でも通用することを確信した村上選手は、更に大きな夢を描くようになります。世界最高峰の1 on 1ブレイキン・ダンスバトル・トーナメント「Red Bull BC One」での優勝、そして4年に1度の国際大会で優勝することです。 「2020年冬にブレイクダンスが競技に決まった瞬間は本当にびっくりしました。そんな大舞台は自分には無縁の世界だと思っていたけど、ブレイクダンスを頑張れば夢の大舞台に出られるんだ!と分かって、モチベーションも一気に高まりました。『BC One』も制覇して、世界的に活躍できるダンサーになることが今の大きな目標です。私の活躍によって、金沢が注目してもらえたらという思いもあります」 世界の舞台で結果を出すことで、地元・金沢を盛り上げたい(写真提供・FEworks) 実際、過去に台湾のイベントで快挙を成し遂げた際は、新聞にも大きく取り上げられ、学校の先生や友だちにも「見たよ」と声をかけてもらえたことが、村上選手にはとてもうれしいことでした。「金沢は本当に自慢できることがたくさんある都市なので、自分の活躍をきっかけにこの土地の魅力にも目を向けてもらえたらいいなと思っています」と胸の内を明かします。そんな金沢について、村上選手は「金沢駅はめちゃくちゃキレイだし、金沢市民芸術村もフォトジェニック。食べ物はとにかくお魚がおいしいから食べに来てほしいですね」と教えてくれました。 今回の明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」に応募したのも、金沢のことを多くの人々に知ってもらいたい、地元の人々に応援されるアスリートになりたい、という思いがあってのことです。プログラムに応募したのは、今習っている草野真澄先生が村上選手を推薦してくれたことがきっかけでした。「まさか自分が支援してもらえるようになるとは!という気持ちもありますが、これからの自分の人生を左右するようなことだと感じています」と、この機会に自分のことを積極的に発信していく予定です。 後悔したくないから、今は全力で結果を出しにいく 自身の活躍によって金沢の魅力を多くの人に知ってもらうためにも、現在は、目下の目標達成に向けて鍛錬に励む日々。クラウドファンディングで集まった資金を元手に遠征して大会に出場し、強化選手に選ばれるために必要な実績を積んでいきたい。また、いろいろな指導者からレッスンを受けることで、自分のスキルを鍛えたいと考えています。 近年も、2020年と2021年の2年連続で、日本ダンススポーツ連盟(JDSF)の中部北陸ブロックユースBGIRL部門で優勝を果たすなど、結果を出し続けていますが、ときには負けて落ち込むこともあります。「その度に自分に何が足りなかったのかを分析して次につなげています」と、村上選手は前だけを見ています。 十代も多く活躍している競技だからこそ、今、後悔のない日々を 「練習不足を痛感することも多々あります。それもあって、これまでは小さい子たちに教える側として携わらせていただくことも多かったのですが、当面は自分のスキルを上げることに集中したいと考えています。現役の間にできる限り成長を遂げることができたら、後々、子どもたちに教えられることもきっと増えるはず。そのためにも、まずは自分が結果を出すことに全力を注いでいきたいです」 大好きなブレイクダンスを、大好きな金沢で子どもたちに教えていきたい。純粋な思いゆえに、今は目の前にある大きな目標達成に一直線。ここから2、3年の大きな勝負期間に、一回りも二回りも成長を遂げてくれるに違いありません。 (取材・制作:4years.編集部)
ブレイクダンスの楽しさを子どもたちに教えるためにも、世界一になって背中を見せる
世界で活躍する同世代に勝てたことで変わった
村上結菜選手(ゆいな、金沢桜丘高2年)が生まれ育った石川県金沢市は、全国的に見てもブレイクダンスの普及率が高いエリアとして知られています。村上選手も幼い頃から自然とストレートダンスに触れる機会が多く、5歳でヒップホップを始めた後、小学校に入学すると友だちの誘いでブレイクダンスのレッスンに参加。当時はヒップホップに夢中だったためブレイクダンスは長続きしなかったものの、6年生の時、再びブレイクダンスに向き合う機会が訪れます。
当時、村上選手は6年生ながら、ヒップホップの教室で先生のアシスタントとして小さな子どもたちのレッスンを任されていました。ある時、先生から「(ブレイクダンスを)ちょっと躍ってみない?」と声をかけられて教わった技に挑戦したところ、ヒップホップでは味わえなかった高揚感で胸がいっぱいになりました。それをきっかけにすっかりブレイクダンスにハマり、徐々に挑戦のハードルを上げていきます。
小学1年生、ブレイクダンスを始めた頃の村上選手
「最初のターニングポイントは、2018年に参加した『DANCE ALIVE』でした。KIDS関西予選でベスト8に勝ち上がり、世界でも活躍しているTSUKKI君と対戦したんですけど、その時に2ムーブ目でブレイクダンスを出したことで、奇跡的に勝つことができたんです。そして同じ年の12月には、台湾で開催された『Taipei b-boy city』という大会のキッズ部門で準優勝。自分にとって初めての海外遠征でした。実はその時も決勝の対戦相手がTSUKKI君で負けてしまったんですが、お客さんの盛り上がりがすごくて日本との違いを肌で感じることができました」
自分が結果を出すことで金沢を盛り上げたい
翌2019年にはオーストラリアで開催された「Destructive Steps」でも入賞。自分のダンスが海外でも通用することを確信した村上選手は、更に大きな夢を描くようになります。世界最高峰の1 on 1ブレイキン・ダンスバトル・トーナメント「Red Bull BC One」での優勝、そして4年に1度の国際大会で優勝することです。
「2020年冬にブレイクダンスが競技に決まった瞬間は本当にびっくりしました。そんな大舞台は自分には無縁の世界だと思っていたけど、ブレイクダンスを頑張れば夢の大舞台に出られるんだ!と分かって、モチベーションも一気に高まりました。『BC One』も制覇して、世界的に活躍できるダンサーになることが今の大きな目標です。私の活躍によって、金沢が注目してもらえたらという思いもあります」
世界の舞台で結果を出すことで、地元・金沢を盛り上げたい(写真提供・FEworks)
実際、過去に台湾のイベントで快挙を成し遂げた際は、新聞にも大きく取り上げられ、学校の先生や友だちにも「見たよ」と声をかけてもらえたことが、村上選手にはとてもうれしいことでした。「金沢は本当に自慢できることがたくさんある都市なので、自分の活躍をきっかけにこの土地の魅力にも目を向けてもらえたらいいなと思っています」と胸の内を明かします。そんな金沢について、村上選手は「金沢駅はめちゃくちゃキレイだし、金沢市民芸術村もフォトジェニック。食べ物はとにかくお魚がおいしいから食べに来てほしいですね」と教えてくれました。
今回の明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」に応募したのも、金沢のことを多くの人々に知ってもらいたい、地元の人々に応援されるアスリートになりたい、という思いがあってのことです。プログラムに応募したのは、今習っている草野真澄先生が村上選手を推薦してくれたことがきっかけでした。「まさか自分が支援してもらえるようになるとは!という気持ちもありますが、これからの自分の人生を左右するようなことだと感じています」と、この機会に自分のことを積極的に発信していく予定です。
後悔したくないから、今は全力で結果を出しにいく
自身の活躍によって金沢の魅力を多くの人に知ってもらうためにも、現在は、目下の目標達成に向けて鍛錬に励む日々。クラウドファンディングで集まった資金を元手に遠征して大会に出場し、強化選手に選ばれるために必要な実績を積んでいきたい。また、いろいろな指導者からレッスンを受けることで、自分のスキルを鍛えたいと考えています。
近年も、2020年と2021年の2年連続で、日本ダンススポーツ連盟(JDSF)の中部北陸ブロックユースBGIRL部門で優勝を果たすなど、結果を出し続けていますが、ときには負けて落ち込むこともあります。「その度に自分に何が足りなかったのかを分析して次につなげています」と、村上選手は前だけを見ています。
十代も多く活躍している競技だからこそ、今、後悔のない日々を
「練習不足を痛感することも多々あります。それもあって、これまでは小さい子たちに教える側として携わらせていただくことも多かったのですが、当面は自分のスキルを上げることに集中したいと考えています。現役の間にできる限り成長を遂げることができたら、後々、子どもたちに教えられることもきっと増えるはず。そのためにも、まずは自分が結果を出すことに全力を注いでいきたいです」
大好きなブレイクダンスを、大好きな金沢で子どもたちに教えていきたい。純粋な思いゆえに、今は目の前にある大きな目標達成に一直線。ここから2、3年の大きな勝負期間に、一回りも二回りも成長を遂げてくれるに違いありません。
(取材・制作:4years.編集部)
支援期間終了
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支援者
7人
残り期間
0日
集まっている金額
49,000円
目標金額:300,000円
達成率16%
2023年02月28日23:59に終了しました。
支援期間終了
起案者
村上結菜(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム2022)
当制度を通じて、出身地や活動拠点地域など、サポートを受ける「地元」に対して貢献したいというアスリートの活動を支援します。
1,000円
お礼のメール
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りします。
支援者の数 1人
支援期間終了
5,000円
お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 6人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了