芦屋をカヌーの聖地に! 国際大会で活躍し、地元からの発信誓う
風を切って感じる「自然との一体感」
芦屋国際中等教育学校6年生の中田寛治郎選手が活動する兵庫県芦屋市は、高級住宅地のイメージがある一方、山や海がすぐ近くにあり自然豊かな街でもあります。夙川(しゅくがわ)の河口西岸にあり、中田選手が練習の拠点している兵庫県海洋体育館は屋外にカヌーやヨット、ボートが並び、県内だけでなく大阪府のボート部やヨット部も練習にやってきます。
「カヌーを始めて今年で8年目、ずっとここで練習を続けています。学校に近く波も穏やかで、カヌースプリントの練習に最適です。風を切るように進み自然と一体感を感じられるのもカヌーの好きなところ。日が暮れて練習を終える頃、水上から見る海に映る夕日は何度見ても飽きません」。2021年度は、海外派遣選手選考会シングル1000m優勝、インターハイペア8位入賞。そしてカヌースプリント・カヤックシングル1000mU16日本代表としてチェコで行なわれた世界大会に出場しました。22年3月には全国高校カヌー長距離選手権シングルで2連覇、海外派遣選手選考会では一つ上のカテゴリーU18でシングル全種目優勝し、アジアパシフィック日本代表に決定。4月に最終選考会でも1000mで優勝、U17日本代表に選ばれ、9月の世界大会に出場します。
負けた悔しさが成長の糧
中田選手がカヌーを始めたのは小学4年生の時、作家でカヌーイストの故・野田知佑さんが校長を務めていた「川の学校」に参加したことがきっかけです。小さい頃から自然の中で遊ぶことが好きで、家族と淡路島や徳島県へキャンプに行っていました。川の学校を終えてカヌーを絶対やると決め、芦屋市のカヌー体験教室に申し込みました。「実はカヌースラロームをやりたかったのですが、スラロームのクラスはありませんでした。テンションがかなり下がりましたが、一度カヌーに乗ってみたら水上から見る街はいつもとまったく違う風景。その中で海を漕(こ)ぎ進むのが本当に気持ち良くて、次からは毎回楽しみになりました」
小さい頃から自然の中で遊ぶことが好きだった
中学でもカヌーを続けるため、近隣で唯一カヌー部のある芦屋国際中等教育学校を受験して入学。その後、初めて全国大会に出場しましたが、何もできずに予選で敗れました。「ようやく全国大会のスタート地点に立てたので浮足立っていたのかもしれません。県代表の監督だった遠藤小百合監督(現・兵庫県カヌー協会会長)から、思うようにできずに負けた今の悔しさを忘れないことが大切と教えてもらいました」。今でもその時の映像を繰り返し見て、負けた思いを忘れないようにしているそうです。
ヨーロッパで痛感したカヌー文化の差
初の日本代表として21年に出場したチェコでの世界大会は、予選敗退でした。国際大会で決勝に進出するには筋力や持久力のレベルアップ、水質の違いや気候、時差といった環境への対応力の向上などの課題がみつかりました。とりわけ強く思い知ったのはヨーロッパではカヌー競技が広く受け入れられているということ。「会場に入ってまず驚いたのが観客数の違いでした。ヨーロッパではカヌーは日本よりはるかに競技者も観客も多い。選手へのサポートも手厚いらしく、強豪のヨーロッパ選手はみんな自艇で大会に出場していました。カヌー競技をめぐる環境から負けないようにしたいと思いました」
国内大会で好成績が続き順調に成長している
アスリートとして国際大会への出場や好成績を残すことのほかに、中田選手には「芦屋のカヌー聖地化」という目標があります。世界大会を経験してもっとカヌーを盛り上げ、国内でもメジャーなスポーツにしたいと感じています。「海洋体育館には小学生から参加できる初心者向けの教室も開講していますし、マスターズゲームズをめざし練習を重ねている70代の方もいます。幅広い世代、さまざまなレベルの人がカヌーを楽しめる場所がすでに芦屋市にはあります。カヌーの聖地と言われる石川県小松市に負けないカヌーの街にしたい。そのためにも私自身が国際大会で結果を出し、積極的に芦屋市やカヌーのことを発信していきます」
中田選手が、明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」を知ったのは山梨県のアスリート、カヌースプリント・カナディアンの渡邊舜太選手の記事を読んだことがきっかけです。支援金は自艇の購入費に充て、そのカヌーに乗って国際大会で活躍することでカヌー競技をより多くの人に知ってもらいたいと考えています。
「芦屋市やカヌーのことを積極的に発信していきます」
高校3年となった22年の目標はインターハイ優勝、アジアパシフィック(U18)優勝、そして21年は予選突破できなかった世界大会での決勝進出です。インターハイは中高6年間一緒に練習した同級生とペアを組む予定で、シングルだけでなくペアでも優勝を狙っています。
(取材・制作:4years.編集部)
芦屋をカヌーの聖地に! 国際大会で活躍し、地元からの発信誓う
風を切って感じる「自然との一体感」
芦屋国際中等教育学校6年生の中田寛治郎選手が活動する兵庫県芦屋市は、高級住宅地のイメージがある一方、山や海がすぐ近くにあり自然豊かな街でもあります。夙川(しゅくがわ)の河口西岸にあり、中田選手が練習の拠点している兵庫県海洋体育館は屋外にカヌーやヨット、ボートが並び、県内だけでなく大阪府のボート部やヨット部も練習にやってきます。
「カヌーを始めて今年で8年目、ずっとここで練習を続けています。学校に近く波も穏やかで、カヌースプリントの練習に最適です。風を切るように進み自然と一体感を感じられるのもカヌーの好きなところ。日が暮れて練習を終える頃、水上から見る海に映る夕日は何度見ても飽きません」。2021年度は、海外派遣選手選考会シングル1000m優勝、インターハイペア8位入賞。そしてカヌースプリント・カヤックシングル1000mU16日本代表としてチェコで行なわれた世界大会に出場しました。22年3月には全国高校カヌー長距離選手権シングルで2連覇、海外派遣選手選考会では一つ上のカテゴリーU18でシングル全種目優勝し、アジアパシフィック日本代表に決定。4月に最終選考会でも1000mで優勝、U17日本代表に選ばれ、9月の世界大会に出場します。
負けた悔しさが成長の糧
中田選手がカヌーを始めたのは小学4年生の時、作家でカヌーイストの故・野田知佑さんが校長を務めていた「川の学校」に参加したことがきっかけです。小さい頃から自然の中で遊ぶことが好きで、家族と淡路島や徳島県へキャンプに行っていました。川の学校を終えてカヌーを絶対やると決め、芦屋市のカヌー体験教室に申し込みました。「実はカヌースラロームをやりたかったのですが、スラロームのクラスはありませんでした。テンションがかなり下がりましたが、一度カヌーに乗ってみたら水上から見る街はいつもとまったく違う風景。その中で海を漕(こ)ぎ進むのが本当に気持ち良くて、次からは毎回楽しみになりました」
小さい頃から自然の中で遊ぶことが好きだった
中学でもカヌーを続けるため、近隣で唯一カヌー部のある芦屋国際中等教育学校を受験して入学。その後、初めて全国大会に出場しましたが、何もできずに予選で敗れました。「ようやく全国大会のスタート地点に立てたので浮足立っていたのかもしれません。県代表の監督だった遠藤小百合監督(現・兵庫県カヌー協会会長)から、思うようにできずに負けた今の悔しさを忘れないことが大切と教えてもらいました」。今でもその時の映像を繰り返し見て、負けた思いを忘れないようにしているそうです。
ヨーロッパで痛感したカヌー文化の差
初の日本代表として21年に出場したチェコでの世界大会は、予選敗退でした。国際大会で決勝に進出するには筋力や持久力のレベルアップ、水質の違いや気候、時差といった環境への対応力の向上などの課題がみつかりました。とりわけ強く思い知ったのはヨーロッパではカヌー競技が広く受け入れられているということ。「会場に入ってまず驚いたのが観客数の違いでした。ヨーロッパではカヌーは日本よりはるかに競技者も観客も多い。選手へのサポートも手厚いらしく、強豪のヨーロッパ選手はみんな自艇で大会に出場していました。カヌー競技をめぐる環境から負けないようにしたいと思いました」
国内大会で好成績が続き順調に成長している
アスリートとして国際大会への出場や好成績を残すことのほかに、中田選手には「芦屋のカヌー聖地化」という目標があります。世界大会を経験してもっとカヌーを盛り上げ、国内でもメジャーなスポーツにしたいと感じています。「海洋体育館には小学生から参加できる初心者向けの教室も開講していますし、マスターズゲームズをめざし練習を重ねている70代の方もいます。幅広い世代、さまざまなレベルの人がカヌーを楽しめる場所がすでに芦屋市にはあります。カヌーの聖地と言われる石川県小松市に負けないカヌーの街にしたい。そのためにも私自身が国際大会で結果を出し、積極的に芦屋市やカヌーのことを発信していきます」
中田選手が、明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」を知ったのは山梨県のアスリート、カヌースプリント・カナディアンの渡邊舜太選手の記事を読んだことがきっかけです。支援金は自艇の購入費に充て、そのカヌーに乗って国際大会で活躍することでカヌー競技をより多くの人に知ってもらいたいと考えています。
「芦屋市やカヌーのことを積極的に発信していきます」
高校3年となった22年の目標はインターハイ優勝、アジアパシフィック(U18)優勝、そして21年は予選突破できなかった世界大会での決勝進出です。インターハイは中高6年間一緒に練習した同級生とペアを組む予定で、シングルだけでなくペアでも優勝を狙っています。
(取材・制作:4years.編集部)
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芦屋をカヌーの聖地に! 国際大会で活躍し、地元からの発信誓う 風を切って感じる「自然との一体感」 芦屋国際中等教育学校6年生の中田寛治郎選手が活動する兵庫県芦屋市は、高級住宅地のイメージがある一方、山や海がすぐ近くにあり自然豊かな街でもあります。夙川(しゅくがわ)の河口西岸にあり、中田選手が練習の拠点している兵庫県海洋体育館は屋外にカヌーやヨット、ボートが並び、県内だけでなく大阪府のボート部やヨット部も練習にやってきます。 「カヌーを始めて今年で8年目、ずっとここで練習を続けています。学校に近く波も穏やかで、カヌースプリントの練習に最適です。風を切るように進み自然と一体感を感じられるのもカヌーの好きなところ。日が暮れて練習を終える頃、水上から見る海に映る夕日は何度見ても飽きません」。2021年度は、海外派遣選手選考会シングル1000m優勝、インターハイペア8位入賞。そしてカヌースプリント・カヤックシングル1000mU16日本代表としてチェコで行なわれた世界大会に出場しました。22年3月には全国高校カヌー長距離選手権シングルで2連覇、海外派遣選手選考会では一つ上のカテゴリーU18でシングル全種目優勝し、アジアパシフィック日本代表に決定。4月に最終選考会でも1000mで優勝、U17日本代表に選ばれ、9月の世界大会に出場します。 負けた悔しさが成長の糧 中田選手がカヌーを始めたのは小学4年生の時、作家でカヌーイストの故・野田知佑さんが校長を務めていた「川の学校」に参加したことがきっかけです。小さい頃から自然の中で遊ぶことが好きで、家族と淡路島や徳島県へキャンプに行っていました。川の学校を終えてカヌーを絶対やると決め、芦屋市のカヌー体験教室に申し込みました。「実はカヌースラロームをやりたかったのですが、スラロームのクラスはありませんでした。テンションがかなり下がりましたが、一度カヌーに乗ってみたら水上から見る街はいつもとまったく違う風景。その中で海を漕(こ)ぎ進むのが本当に気持ち良くて、次からは毎回楽しみになりました」 小さい頃から自然の中で遊ぶことが好きだった 中学でもカヌーを続けるため、近隣で唯一カヌー部のある芦屋国際中等教育学校を受験して入学。その後、初めて全国大会に出場しましたが、何もできずに予選で敗れました。「ようやく全国大会のスタート地点に立てたので浮足立っていたのかもしれません。県代表の監督だった遠藤小百合監督(現・兵庫県カヌー協会会長)から、思うようにできずに負けた今の悔しさを忘れないことが大切と教えてもらいました」。今でもその時の映像を繰り返し見て、負けた思いを忘れないようにしているそうです。 ヨーロッパで痛感したカヌー文化の差 初の日本代表として21年に出場したチェコでの世界大会は、予選敗退でした。国際大会で決勝に進出するには筋力や持久力のレベルアップ、水質の違いや気候、時差といった環境への対応力の向上などの課題がみつかりました。とりわけ強く思い知ったのはヨーロッパではカヌー競技が広く受け入れられているということ。「会場に入ってまず驚いたのが観客数の違いでした。ヨーロッパではカヌーは日本よりはるかに競技者も観客も多い。選手へのサポートも手厚いらしく、強豪のヨーロッパ選手はみんな自艇で大会に出場していました。カヌー競技をめぐる環境から負けないようにしたいと思いました」 国内大会で好成績が続き順調に成長している アスリートとして国際大会への出場や好成績を残すことのほかに、中田選手には「芦屋のカヌー聖地化」という目標があります。世界大会を経験してもっとカヌーを盛り上げ、国内でもメジャーなスポーツにしたいと感じています。「海洋体育館には小学生から参加できる初心者向けの教室も開講していますし、マスターズゲームズをめざし練習を重ねている70代の方もいます。幅広い世代、さまざまなレベルの人がカヌーを楽しめる場所がすでに芦屋市にはあります。カヌーの聖地と言われる石川県小松市に負けないカヌーの街にしたい。そのためにも私自身が国際大会で結果を出し、積極的に芦屋市やカヌーのことを発信していきます」 中田選手が、明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」を知ったのは山梨県のアスリート、カヌースプリント・カナディアンの渡邊舜太選手の記事を読んだことがきっかけです。支援金は自艇の購入費に充て、そのカヌーに乗って国際大会で活躍することでカヌー競技をより多くの人に知ってもらいたいと考えています。 「芦屋市やカヌーのことを積極的に発信していきます」 高校3年となった22年の目標はインターハイ優勝、アジアパシフィック(U18)優勝、そして21年は予選突破できなかった世界大会での決勝進出です。インターハイは中高6年間一緒に練習した同級生とペアを組む予定で、シングルだけでなくペアでも優勝を狙っています。 (取材・制作:4years.編集部)
芦屋をカヌーの聖地に! 国際大会で活躍し、地元からの発信誓う
風を切って感じる「自然との一体感」
芦屋国際中等教育学校6年生の中田寛治郎選手が活動する兵庫県芦屋市は、高級住宅地のイメージがある一方、山や海がすぐ近くにあり自然豊かな街でもあります。夙川(しゅくがわ)の河口西岸にあり、中田選手が練習の拠点している兵庫県海洋体育館は屋外にカヌーやヨット、ボートが並び、県内だけでなく大阪府のボート部やヨット部も練習にやってきます。
「カヌーを始めて今年で8年目、ずっとここで練習を続けています。学校に近く波も穏やかで、カヌースプリントの練習に最適です。風を切るように進み自然と一体感を感じられるのもカヌーの好きなところ。日が暮れて練習を終える頃、水上から見る海に映る夕日は何度見ても飽きません」。2021年度は、海外派遣選手選考会シングル1000m優勝、インターハイペア8位入賞。そしてカヌースプリント・カヤックシングル1000mU16日本代表としてチェコで行なわれた世界大会に出場しました。22年3月には全国高校カヌー長距離選手権シングルで2連覇、海外派遣選手選考会では一つ上のカテゴリーU18でシングル全種目優勝し、アジアパシフィック日本代表に決定。4月に最終選考会でも1000mで優勝、U17日本代表に選ばれ、9月の世界大会に出場します。
負けた悔しさが成長の糧
中田選手がカヌーを始めたのは小学4年生の時、作家でカヌーイストの故・野田知佑さんが校長を務めていた「川の学校」に参加したことがきっかけです。小さい頃から自然の中で遊ぶことが好きで、家族と淡路島や徳島県へキャンプに行っていました。川の学校を終えてカヌーを絶対やると決め、芦屋市のカヌー体験教室に申し込みました。「実はカヌースラロームをやりたかったのですが、スラロームのクラスはありませんでした。テンションがかなり下がりましたが、一度カヌーに乗ってみたら水上から見る街はいつもとまったく違う風景。その中で海を漕(こ)ぎ進むのが本当に気持ち良くて、次からは毎回楽しみになりました」
小さい頃から自然の中で遊ぶことが好きだった
中学でもカヌーを続けるため、近隣で唯一カヌー部のある芦屋国際中等教育学校を受験して入学。その後、初めて全国大会に出場しましたが、何もできずに予選で敗れました。「ようやく全国大会のスタート地点に立てたので浮足立っていたのかもしれません。県代表の監督だった遠藤小百合監督(現・兵庫県カヌー協会会長)から、思うようにできずに負けた今の悔しさを忘れないことが大切と教えてもらいました」。今でもその時の映像を繰り返し見て、負けた思いを忘れないようにしているそうです。
ヨーロッパで痛感したカヌー文化の差
初の日本代表として21年に出場したチェコでの世界大会は、予選敗退でした。国際大会で決勝に進出するには筋力や持久力のレベルアップ、水質の違いや気候、時差といった環境への対応力の向上などの課題がみつかりました。とりわけ強く思い知ったのはヨーロッパではカヌー競技が広く受け入れられているということ。「会場に入ってまず驚いたのが観客数の違いでした。ヨーロッパではカヌーは日本よりはるかに競技者も観客も多い。選手へのサポートも手厚いらしく、強豪のヨーロッパ選手はみんな自艇で大会に出場していました。カヌー競技をめぐる環境から負けないようにしたいと思いました」
国内大会で好成績が続き順調に成長している
アスリートとして国際大会への出場や好成績を残すことのほかに、中田選手には「芦屋のカヌー聖地化」という目標があります。世界大会を経験してもっとカヌーを盛り上げ、国内でもメジャーなスポーツにしたいと感じています。「海洋体育館には小学生から参加できる初心者向けの教室も開講していますし、マスターズゲームズをめざし練習を重ねている70代の方もいます。幅広い世代、さまざまなレベルの人がカヌーを楽しめる場所がすでに芦屋市にはあります。カヌーの聖地と言われる石川県小松市に負けないカヌーの街にしたい。そのためにも私自身が国際大会で結果を出し、積極的に芦屋市やカヌーのことを発信していきます」
中田選手が、明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」を知ったのは山梨県のアスリート、カヌースプリント・カナディアンの渡邊舜太選手の記事を読んだことがきっかけです。支援金は自艇の購入費に充て、そのカヌーに乗って国際大会で活躍することでカヌー競技をより多くの人に知ってもらいたいと考えています。
「芦屋市やカヌーのことを積極的に発信していきます」
高校3年となった22年の目標はインターハイ優勝、アジアパシフィック(U18)優勝、そして21年は予選突破できなかった世界大会での決勝進出です。インターハイは中高6年間一緒に練習した同級生とペアを組む予定で、シングルだけでなくペアでも優勝を狙っています。
(取材・制作:4years.編集部)
支援期間終了
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最新のプロジェクト情報をお届けします。
支援者
12人
残り期間
0日
集まっている金額
207,000円
目標金額:500,000円
達成率41%
2023年02月28日23:59に終了しました。
支援期間終了
起案者
中田寛治郎(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム2022)
当制度を通じて、出身地や活動拠点地域など、サポートを受ける「地元」に対して貢献したいというアスリートの活動を支援します。
1,000円
お礼のメール
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りします。
支援者の数 3人
支援期間終了
5,000円
お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 0人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了
10,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 6人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了
20,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+オリジナルステッカー+YELLS(全ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、プロジェクトのオリジナルステッカー、YELLS(全ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 3人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了