海外でも経験を重ね「国内でも世界でも“強い”と言われる選手になりたい」
海外選手に比べて不利とされるエペを駆け引きで戦う
専修大学2年生の成田琉夏(るか)選手(秋田県出身)は、フェンシング選手だった祖父、父の影響で保育園に通うころから「秋田市ジュニアフェンサーズ」の練習に足を運び、小学生のころから本格的に競技を始めました。小学5年生から国際大会にも出場し、秋田の聖霊高校時代は1年生の時から全国高校総体、個人戦と団体戦を制覇。専修大学入学後は「フルーレ」「エペ」「サーブル」と3つあるフェンシングの種目の中から、エペ1本に絞る選択をしました。
3つの中でエペは世界中でもっとも競技人口が多く、頭のてっぺんからつま先まで、体のどこを突いてもポイントになる種目です。身長差や手のリーチの長さなど、海外勢に比べて体格で劣る日本人は不利とされてきましたが、成田選手はその違いもマイナスと捉えず、駆け引きの楽しさが魅力だと言います。
「相手が前に攻めてきたからといってひるまず、相手が前に出てきた隙を逃がさずカウンターで攻める。経験を重ね、技も増え、駆け引きがより楽しめるようになりました」
小学生の時の成田選手
試合に勝つことがモチベーションだった、という成田選手。国内ではカデ(U-17)やジュニア(U-20)など数多くの大会を制してきましたが、国際大会ではまだ上位進出を果たせずにいます。
「相手に攻められたらどうしよう、とひるむのではなく、どんどん積極的に攻め続けられるような選手になりたいです」
専修大学入学と同時に上京。一番近くでアドバイスをしてくれた父から直接指導を受けることはできなくなりましたが、「もっと強くなって期待に応えたい」と見すえるのは、輝く未来です。
*このページは、2020年度のプロジェクトです。
2021年度の明治安田生命地元アスリート応援プログラムは、下記バナーをクリックしてご覧ください。成田選手は、2021年度も参加しています。
コロナ禍、「頑張れ」の応援に励まされた
2017年から明治安田生命の支援を受けていますが、より世界のトップフェンサーへとステップアップすべく、2020年には「地元で頑張るアスリートが応援される場をつくりたい」という趣旨が加わり生まれ変わった、同社の「地元アスリート応援プログラム」への参加を決意しました。
「コロナ禍でフェンシングも多くの大会が中止になりましたが、インターハイの代替試合や、全日本選手権など、クラウドファンディングで資金を募り、多くの方々に支援していただき、開催することができました。今まで当たり前に試合ができたことは、多くの方の支えがあったから行なえていたと改めて実感し、『頑張れ』という応援にとても心が温かくなったので、自分にできる恩返しをしたいと思っています」
地元・秋田は「支えられている」と実感できる場所
秋田はフェンシングが盛んで、成田選手が高校時代にインターハイを連覇した時など、テレビや新聞など各メディアでも大きく報じられました。練習の送り迎えをしてくれた祖父や、毎日近くで支えてくれた家族はもちろん、遠征や試合で授業に参加できなかった分は授業のノートを見せてもらうなど、助けてくれた友達の存在も大きかったと振り返ります。
「たくさんの人たちに私は支えられている、というのをいつも実感できる場所でした」
今はなかなか帰省もできず、寂しい時間も続きますが、それもフェンシング選手として強くなるために必要な時と捉え、日々、自分のフェンシングの課題と向き合っています。誰よりも強くなった姿を地元・秋田の人たちに見せたい。成田選手はそう願っています。
「フェンシング選手である以上、フェンシングで成績を残してほしい、と応援してくださる方もいらっしゃると思うので、ひとつずつ目標をクリアしたい。家族や支えてくれた人たちへの感謝を忘れず、実行力、行動力を武器に、様々なことへ挑戦して、どんどん強くなる自分をアピールしたいです」
夜行バスで遠征も、節約しながら費用を捻出
国内にリーグ戦があるわけではないフェンシング選手にとって、海外遠征は強くなるため、よりステップアップするためには不可欠です。特に成田選手が専門とするエペは、上背で勝る海外勢が世界のトップに君臨しています。そのため海外遠征は、日本人選手とは戦い方の異なる外国人選手とより多くの実戦ができる貴重な場でもあります。
しかしながら、日本代表とはいえ海外遠征の費用は各自で賄わなければならないのがフェンシング界の現状でもあります。実は、移動の苦労は高校時代から避けられないことでした。
「大会が続けば交通費も高額になるので、少しでも節約するために出場する大会を絞り、東京で開催される大会に出場するために、秋田から夜行バスで東京へ朝着き、そのまま試合をして、その日の夜にまた夜行バスで帰ったこともありました」
剣やマスクも全て自分で用意しなければならないため、折れてしまえば買い替えなければなりません。
「エペの剣は1本2~3万円なので、試合中に折れると、また実家の父に迷惑をかけてしまう、と今でも申し訳ない気持ちになります」
日々練習に明け暮れながらも、食事はコンビニエンスストアを利用し、安値で済ませるなど、節約に励みながら、成田選手は強くなるために必要な道具や遠征費用を捻出しているのです。
高校生の時の成田選手
世界のフェンサーとなるべく、まずは“64の壁”を突破
幼いころから成田選手は「遠くにある大きな目標よりも、目の前にある目標を一つひとつクリアしていく」ことを大事にしてきました。専修大学2年生、20歳になった今もその姿勢は変わらず、技の数を増やすことや精度を高めることなど、なかなか試合が行なわれない中でも、クリアすべき課題と向き合い、取り組んでいます。
「試合に出ると反省ばかりが目につきますが、それだけではなく『今日はこれにチャレンジしよう』と明確にする。ひとつずつ、自分の技として習得して、また試合ができるようになった時、自分の武器にしたいです」
国際大会では、成田選手はまだ経験が浅く、ベスト64以上に進出したことがありません。世界のフェンサーとなるべく、まず叶えるべきは“64の壁”を突破すること。そして、国内でも周囲から「強い」と認められるような選手になることです。
「大学生になってからは海外へ目線を向けることが多くなったので、海外で勝つことに憧れていました。でも全日本選手権で負けてしまった後は、海外だけでなくまず日本で勝てる選手に、国内で優勝して日本でも海外でも強いと思われるような選手になりたいと思うようになりました」
「秋田のフェンシングといえば成田」
フェンシングという決してメジャーではない競技の中で、世界をめざして戦う。そのために、クラウドファンディングも含めた支援制度を受けられるのは、成田選手にとって「更に強くなる」と思うための大きなモチベーションであり、希望です。
「海外遠征を重ね、たくさんの経験を積むことで応援してくださる方々の期待に応えられるような、強い選手になりたいと思っています。まずは秋田のフェンシングといえば成田、と言われるような選手になれるように。そして、たくさんのことを吸収して更に自分のフェンシングをレベルアップするよう、努力していきます」
支援金は海外遠征や道具に使用する予定です。
(取材・制作:4years.編集部)
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支援者
36
海外でも経験を重ね「国内でも世界でも“強い”と言われる選手になりたい」 海外選手に比べて不利とされるエペを駆け引きで戦う 専修大学2年生の成田琉夏(るか)選手(秋田県出身)は、フェンシング選手だった祖父、父の影響で保育園に通うころから「秋田市ジュニアフェンサーズ」の練習に足を運び、小学生のころから本格的に競技を始めました。小学5年生から国際大会にも出場し、秋田の聖霊高校時代は1年生の時から全国高校総体、個人戦と団体戦を制覇。専修大学入学後は「フルーレ」「エペ」「サーブル」と3つあるフェンシングの種目の中から、エペ1本に絞る選択をしました。 3つの中でエペは世界中でもっとも競技人口が多く、頭のてっぺんからつま先まで、体のどこを突いてもポイントになる種目です。身長差や手のリーチの長さなど、海外勢に比べて体格で劣る日本人は不利とされてきましたが、成田選手はその違いもマイナスと捉えず、駆け引きの楽しさが魅力だと言います。 「相手が前に攻めてきたからといってひるまず、相手が前に出てきた隙を逃がさずカウンターで攻める。経験を重ね、技も増え、駆け引きがより楽しめるようになりました」 高校生の時の成田選手 世界のフェンサーとなるべく、まずは“64の壁”を突破 幼いころから成田選手は「遠くにある大きな目標よりも、目の前にある目標を一つひとつクリアしていく」ことを大事にしてきました。専修大学2年生、20歳になった今もその姿勢は変わらず、技の数を増やすことや精度を高めることなど、なかなか試合が行なわれない中でも、クリアすべき課題と向き合い、取り組んでいます。 「試合に出ると反省ばかりが目につきますが、それだけではなく『今日はこれにチャレンジしよう』と明確にする。ひとつずつ、自分の技として習得して、また試合ができるようになった時、自分の武器にしたいです」 国際大会では、成田選手はまだ経験が浅く、ベスト64以上に進出したことがありません。世界のフェンサーとなるべく、まず叶えるべきは“64の壁”を突破すること。そして、国内でも周囲から「強い」と認められるような選手になることです。 「大学生になってからは海外へ目線を向けることが多くなったので、海外で勝つことに憧れていました。でも全日本選手権で負けてしまった後は、海外だけでなくまず日本で勝てる選手に、国内で優勝して日本でも海外でも強いと思われるような選手になりたいと思うようになりました」 「秋田のフェンシングといえば成田」 フェンシングという決してメジャーではない競技の中で、世界をめざして戦う。そのために、クラウドファンディングも含めた支援制度を受けられるのは、成田選手にとって「更に強くなる」と思うための大きなモチベーションであり、希望です。 「海外遠征を重ね、たくさんの経験を積むことで応援してくださる方々の期待に応えられるような、強い選手になりたいと思っています。まずは秋田のフェンシングといえば成田、と言われるような選手になれるように。そして、たくさんのことを吸収して更に自分のフェンシングをレベルアップするよう、努力していきます」 支援金は海外遠征や道具に使用する予定です。 (取材・制作:4years.編集部)
海外でも経験を重ね「国内でも世界でも“強い”と言われる選手になりたい」
海外選手に比べて不利とされるエペを駆け引きで戦う
専修大学2年生の成田琉夏(るか)選手(秋田県出身)は、フェンシング選手だった祖父、父の影響で保育園に通うころから「秋田市ジュニアフェンサーズ」の練習に足を運び、小学生のころから本格的に競技を始めました。小学5年生から国際大会にも出場し、秋田の聖霊高校時代は1年生の時から全国高校総体、個人戦と団体戦を制覇。専修大学入学後は「フルーレ」「エペ」「サーブル」と3つあるフェンシングの種目の中から、エペ1本に絞る選択をしました。
3つの中でエペは世界中でもっとも競技人口が多く、頭のてっぺんからつま先まで、体のどこを突いてもポイントになる種目です。身長差や手のリーチの長さなど、海外勢に比べて体格で劣る日本人は不利とされてきましたが、成田選手はその違いもマイナスと捉えず、駆け引きの楽しさが魅力だと言います。
「相手が前に攻めてきたからといってひるまず、相手が前に出てきた隙を逃がさずカウンターで攻める。経験を重ね、技も増え、駆け引きがより楽しめるようになりました」
試合に勝つことがモチベーションだった、という成田選手。国内ではカデ(U-17)やジュニア(U-20)など数多くの大会を制してきましたが、国際大会ではまだ上位進出を果たせずにいます。
「相手に攻められたらどうしよう、とひるむのではなく、どんどん積極的に攻め続けられるような選手になりたいです」
専修大学入学と同時に上京。一番近くでアドバイスをしてくれた父から直接指導を受けることはできなくなりましたが、「もっと強くなって期待に応えたい」と見すえるのは、輝く未来です。
*このページは、2020年度のプロジェクトです。
2021年度の明治安田生命地元アスリート応援プログラムは、下記バナーをクリックしてご覧ください。成田選手は、2021年度も参加しています。
コロナ禍、「頑張れ」の応援に励まされた
2017年から明治安田生命の支援を受けていますが、より世界のトップフェンサーへとステップアップすべく、2020年には「地元で頑張るアスリートが応援される場をつくりたい」という趣旨が加わり生まれ変わった、同社の「地元アスリート応援プログラム」への参加を決意しました。
「コロナ禍でフェンシングも多くの大会が中止になりましたが、インターハイの代替試合や、全日本選手権など、クラウドファンディングで資金を募り、多くの方々に支援していただき、開催することができました。今まで当たり前に試合ができたことは、多くの方の支えがあったから行なえていたと改めて実感し、『頑張れ』という応援にとても心が温かくなったので、自分にできる恩返しをしたいと思っています」
地元・秋田は「支えられている」と実感できる場所
秋田はフェンシングが盛んで、成田選手が高校時代にインターハイを連覇した時など、テレビや新聞など各メディアでも大きく報じられました。練習の送り迎えをしてくれた祖父や、毎日近くで支えてくれた家族はもちろん、遠征や試合で授業に参加できなかった分は授業のノートを見せてもらうなど、助けてくれた友達の存在も大きかったと振り返ります。
「たくさんの人たちに私は支えられている、というのをいつも実感できる場所でした」
今はなかなか帰省もできず、寂しい時間も続きますが、それもフェンシング選手として強くなるために必要な時と捉え、日々、自分のフェンシングの課題と向き合っています。誰よりも強くなった姿を地元・秋田の人たちに見せたい。成田選手はそう願っています。
「フェンシング選手である以上、フェンシングで成績を残してほしい、と応援してくださる方もいらっしゃると思うので、ひとつずつ目標をクリアしたい。家族や支えてくれた人たちへの感謝を忘れず、実行力、行動力を武器に、様々なことへ挑戦して、どんどん強くなる自分をアピールしたいです」
夜行バスで遠征も、節約しながら費用を捻出
国内にリーグ戦があるわけではないフェンシング選手にとって、海外遠征は強くなるため、よりステップアップするためには不可欠です。特に成田選手が専門とするエペは、上背で勝る海外勢が世界のトップに君臨しています。そのため海外遠征は、日本人選手とは戦い方の異なる外国人選手とより多くの実戦ができる貴重な場でもあります。
しかしながら、日本代表とはいえ海外遠征の費用は各自で賄わなければならないのがフェンシング界の現状でもあります。実は、移動の苦労は高校時代から避けられないことでした。
「大会が続けば交通費も高額になるので、少しでも節約するために出場する大会を絞り、東京で開催される大会に出場するために、秋田から夜行バスで東京へ朝着き、そのまま試合をして、その日の夜にまた夜行バスで帰ったこともありました」
剣やマスクも全て自分で用意しなければならないため、折れてしまえば買い替えなければなりません。
「エペの剣は1本2~3万円なので、試合中に折れると、また実家の父に迷惑をかけてしまう、と今でも申し訳ない気持ちになります」
日々練習に明け暮れながらも、食事はコンビニエンスストアを利用し、安値で済ませるなど、節約に励みながら、成田選手は強くなるために必要な道具や遠征費用を捻出しているのです。
世界のフェンサーとなるべく、まずは“64の壁”を突破
幼いころから成田選手は「遠くにある大きな目標よりも、目の前にある目標を一つひとつクリアしていく」ことを大事にしてきました。専修大学2年生、20歳になった今もその姿勢は変わらず、技の数を増やすことや精度を高めることなど、なかなか試合が行なわれない中でも、クリアすべき課題と向き合い、取り組んでいます。
「試合に出ると反省ばかりが目につきますが、それだけではなく『今日はこれにチャレンジしよう』と明確にする。ひとつずつ、自分の技として習得して、また試合ができるようになった時、自分の武器にしたいです」
国際大会では、成田選手はまだ経験が浅く、ベスト64以上に進出したことがありません。世界のフェンサーとなるべく、まず叶えるべきは“64の壁”を突破すること。そして、国内でも周囲から「強い」と認められるような選手になることです。
「大学生になってからは海外へ目線を向けることが多くなったので、海外で勝つことに憧れていました。でも全日本選手権で負けてしまった後は、海外だけでなくまず日本で勝てる選手に、国内で優勝して日本でも海外でも強いと思われるような選手になりたいと思うようになりました」
「秋田のフェンシングといえば成田」
フェンシングという決してメジャーではない競技の中で、世界をめざして戦う。そのために、クラウドファンディングも含めた支援制度を受けられるのは、成田選手にとって「更に強くなる」と思うための大きなモチベーションであり、希望です。
「海外遠征を重ね、たくさんの経験を積むことで応援してくださる方々の期待に応えられるような、強い選手になりたいと思っています。まずは秋田のフェンシングといえば成田、と言われるような選手になれるように。そして、たくさんのことを吸収して更に自分のフェンシングをレベルアップするよう、努力していきます」
支援金は海外遠征や道具に使用する予定です。
(取材・制作:4years.編集部)
支援期間終了
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支援者
36人
残り期間
0日
集まっている金額
364,000円
(達成) 目標金額:300,000円
達成率121%
2021年02月28日23:59に終了しました。
支援期間終了
起案者
成田琉夏(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム)
当制度を通じて、出身地や活動拠点地域など、サポートを受ける「地元」に対して貢献したいというアスリートの活動を支援します。
3,000円
お礼のメール
リターン
成田琉夏本人より感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りします。
支援者の数 6人
支援期間終了
5,000円
お礼のお手紙
リターン
成田琉夏本人より感謝の気持ちを込めて、お礼のお手紙をお送りします。
支援者の数 30人
お届け予定:2021年4月
支援期間終了