• 成田琉夏(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム2022)
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秋田県のアスリート・フェンシング 成田琉夏 応援プロジェクト by 明治安田生命

プロジェクトイメージ
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フェンシング人気を追い風に、自身初のベスト64入りを果たし世界へ!技と駆け引きで世界の選手に挑む 専修大学4年生の成田琉夏選手(るか、秋田県出身)は、フェンシング選手だった祖父、父の影響で保育園に通うころから「秋田市ジュニアフェンサーズ」の練習に足を運び、小学生のころから本格的に競技を始めました。小学5年生から国際大会にも出場し、秋田の聖霊高校時代は1年生の時から全国高校総体の個人戦と団体戦を制覇。専修大学入学後は「フルーレ」「エペ」「サーブル」と3つあるフェンシングの種目の中から、エペ1本に絞る選択をしました。 3つの中でエペは世界中でもっとも競技人口が多く、頭のてっぺんからつま先まで、体のどこを突いてもポイントになる種目です。身長差や手のリーチの長さなど、海外勢に比べて体格で劣る日本人は不利とされてきましたが、成田選手はその違いもマイナスと捉えず、駆け引きの楽しさが魅力だと言います。 「相手が前に攻めてきたからといってひるまず、相手が前に出てきた隙を逃がさずカウンターで攻める。経験を重ね、技も増え、駆け引きがより楽しめるようになりました」 中学生の成田選手。東日本少年個人フェンシング大会など、様々な大会で優勝しています 専修大学入学と同時に上京。一番近くでアドバイスをしてくれた父から直接指導を受けることはできなくなりましたが、「もっと強くなって期待に応えたい」と見据えるのは、輝く未来です。 秋田の方々にも自分の今を知ってもらえ、力になった2017年から明治安田生命の支援を受けていますが、より世界のトップフェンサーへとステップアップすべく、20年には「地元で頑張るアスリートが応援される場をつくりたい」という趣旨が加わり生まれ変わった、同社の「地元アスリート応援プログラム」への参加を決意。 20年から参加したクラウドファンディングでは、自分の身近な人ばかりではなく、秋田出身の選手を応援したいという思いから支援してくれた方もたくさんいました。「フェンシングをしていない方からもエールがあって素直にうれしかったし、もっと期待に応えられるように頑張りたいなと思いました」と成田選手。またクラウドファンディングを始めたことをきっかけに、自分のSNSでも積極的にフェンシングのことを発信するようになりました。 「合宿といっても、一般の方にはどんなものかなかなかイメージができないところもあると思うんです。だから自分がどんなことに取り組み、何をめざしているのかなども伝えるようにしていました。遠く離れた秋田の人々にも自分のことを知ってもらえて、応援してもらえて、クラウドファンディングってただ支援金を募るだけじゃないんだなって思いました」 高校時代、節約のために夜行バスで遠征することも国内にリーグ戦があるわけではないフェンシング選手にとって、海外遠征は強くなるため、よりステップアップするためには不可欠です。特に成田選手が専門とするエペは、上背で勝る海外勢が世界のトップに君臨しています。そのため海外遠征は、日本人選手とは戦い方の異なる外国人選手とより多くの実戦ができる貴重な場でもあります。 「海外での合宿なども行ない海外選手との練習を重ねる中で、最近は自身のフェンシングスタイルが変わってきました。以前よりもフットワークを増やし、自分から攻撃を仕掛けて時間を使いながらもトライする回数を大幅に増やせるようになったことで、徐々に海外選手とも渡り合えるようになりました」 しかしながら、日本代表とはいえ海外遠征の費用は各自で賄わなければならないのがフェンシング界の現状でもあります。特に、移動の苦労は高校時代から避けられないことでした。 「大会が続けば交通費も高額になるので、少しでも節約するために出場する大会を絞り、東京で開催される大会に出場するために、秋田から夜行バスで東京に向かい、朝到着した後そのまま試合をして、その日の夜にまた夜行バスで帰ったこともありました」 コロナ禍でも、徐々に海外での試合も増えてくる中、隔離期間等の関係もあり遠征費や滞在費はこれまでよりも大幅にかかってしまいます。前回までの支援金と合わせ、今回集まった支援金は、今後世界でのチャンスをつかんだときに活用したいと考えています。 秋田はフェンシングを身近に感じられる場所秋田はフェンシングが盛んで、成田選手が高校時代にインターハイを連覇した時などは、テレビや新聞など各メディアでも大きく報じられました。練習の送り迎えをしてくれた祖父や、毎日近くで支えてくれた家族はもちろん、遠征や試合で授業に参加できなかった分は授業のノートを見せてもらうなど、助けてくれた友達の存在も大きかったと振り返ります。 「たくさんの人たちに私は支えられている、というのをいつも実感できる場所でした」 今はなかなか帰省もできず、寂しい時間も続きますが、それもフェンシング選手として強くなるために必要な時と捉え、日々、自分のフェンシングの課題と向き合っています。誰よりも強くなった姿を地元・秋田の人たちに見せたい。成田選手はそう願っています。 「フェンシング選手である以上、フェンシングで成績を残してほしい、と応援してくださる方もいらっしゃると思うので、ひとつずつ目標をクリアしたい。家族や支えてくれた人たちへの感謝を忘れず、実行力、行動力を武器に、様々なことへ挑戦して、どんどん強くなる自分をアピールしたいです」 たくさんの人に応援されているからこそ、結果で応えたい(手前が成田選手) 世界の舞台で戦うためにも、国内で圧倒的な成績を残したい幼いころから成田選手は「遠くにある大きな目標よりも、目の前にある目標を一つひとつクリアしていく」ことを大事にしてきました。大学4年生になった今もその姿勢は変わりません。21年は、9月の全日本選手権で個人3位に入賞した他、10月の関東学生選手権では個人5位、団体優勝を果たすなど国内で着々と実績を残しつつあります。 「2021年の国際大会で男子エペが団体優勝したことで、フェンシングの認知度はこれまでよりも確実に上がる中、周囲の方々から応援の声をいただくことも多くなりました。皆様からの応援の声を受け、私も世界で活躍したいという気持ちがより一層強くなりました」 国際大会では、成田選手はまだ経験が浅く、ベスト64以上に進出したことがありません。世界のフェンサーとなるべく、まず叶えるべきは“64の壁”を突破すること。そして、国内でも周囲から「強い」と認められるような選手になることです。 「世界で活躍するためにベスト64以上に進出することが、まず一つの大きなステップ。海外選手との練習では手応えを感じることも多くなってきたので、試合で勝って成功体験を重ねていくことで自身と世界との差を徐々に縮めていきたいです。そして、将来的には4年に1度の大舞台で、個人・団体共に女子エペ初のメダルを獲得することが目標です」 将来の大きな夢につなげるためにも、まずは22年のアジア選手権に選出されるよう、国内のグランプリで結果を出し、その後の大会につなげていきたいと考えています。 1試合1試合を大切にしていきます 経験を積み、応援してくださる方々の期待に応えたいフェンシングという決してメジャーではない競技の中で、世界をめざして戦う。そのために、クラウドファンディングも含めた支援制度を受けられるのは、成田選手にとって「更に強くなる」ための大きなモチベーションであり、希望です。 「海外遠征を重ね、たくさんの経験を積むことで応援してくださる方々の期待に応えられるような、強い選手になりたいと思っています。まずは秋田のフェンシングといえば成田、と言われるような選手になれるように。そして、たくさんのことを吸収して更に自分のフェンシングをレベルアップできるよう、努力していきます」 (取材・制作:4years.編集部) ※プロフィール写真©日本フェンシング協会/竹見修吾

フェンシング人気を追い風に、自身初のベスト64入りを果たし世界へ!

技と駆け引きで世界の選手に挑む

地元アスリート応援プログラム

専修大学4年生の成田琉夏選手(るか、秋田県出身)は、フェンシング選手だった祖父、父の影響で保育園に通うころから「秋田市ジュニアフェンサーズ」の練習に足を運び、小学生のころから本格的に競技を始めました。小学5年生から国際大会にも出場し、秋田の聖霊高校時代は1年生の時から全国高校総体の個人戦と団体戦を制覇。専修大学入学後は「フルーレ」「エペ」「サーブル」と3つあるフェンシングの種目の中から、エペ1本に絞る選択をしました。

3つの中でエペは世界中でもっとも競技人口が多く、頭のてっぺんからつま先まで、体のどこを突いてもポイントになる種目です。身長差や手のリーチの長さなど、海外勢に比べて体格で劣る日本人は不利とされてきましたが、成田選手はその違いもマイナスと捉えず、駆け引きの楽しさが魅力だと言います。

「相手が前に攻めてきたからといってひるまず、相手が前に出てきた隙を逃がさずカウンターで攻める。経験を重ね、技も増え、駆け引きがより楽しめるようになりました」

中学生の成田選手。東日本少年個人フェンシング大会など、様々な大会で優勝しています


専修大学入学と同時に上京。一番近くでアドバイスをしてくれた父から直接指導を受けることはできなくなりましたが、「もっと強くなって期待に応えたい」と見据えるのは、輝く未来です。


秋田の方々にも自分の今を知ってもらえ、力になった

2017年から明治安田生命の支援を受けていますが、より世界のトップフェンサーへとステップアップすべく、20年には「地元で頑張るアスリートが応援される場をつくりたい」という趣旨が加わり生まれ変わった、同社の「地元アスリート応援プログラム」への参加を決意。

20年から参加したクラウドファンディングでは、自分の身近な人ばかりではなく、秋田出身の選手を応援したいという思いから支援してくれた方もたくさんいました。「フェンシングをしていない方からもエールがあって素直にうれしかったし、もっと期待に応えられるように頑張りたいなと思いました」と成田選手。またクラウドファンディングを始めたことをきっかけに、自分のSNSでも積極的にフェンシングのことを発信するようになりました。

「合宿といっても、一般の方にはどんなものかなかなかイメージができないところもあると思うんです。だから自分がどんなことに取り組み、何をめざしているのかなども伝えるようにしていました。遠く離れた秋田の人々にも自分のことを知ってもらえて、応援してもらえて、クラウドファンディングってただ支援金を募るだけじゃないんだなって思いました」


高校時代、節約のために夜行バスで遠征することも

国内にリーグ戦があるわけではないフェンシング選手にとって、海外遠征は強くなるため、よりステップアップするためには不可欠です。特に成田選手が専門とするエペは、上背で勝る海外勢が世界のトップに君臨しています。そのため海外遠征は、日本人選手とは戦い方の異なる外国人選手とより多くの実戦ができる貴重な場でもあります。

「海外での合宿なども行ない海外選手との練習を重ねる中で、最近は自身のフェンシングスタイルが変わってきました。以前よりもフットワークを増やし、自分から攻撃を仕掛けて時間を使いながらもトライする回数を大幅に増やせるようになったことで、徐々に海外選手とも渡り合えるようになりました」

しかしながら、日本代表とはいえ海外遠征の費用は各自で賄わなければならないのがフェンシング界の現状でもあります。特に、移動の苦労は高校時代から避けられないことでした。

「大会が続けば交通費も高額になるので、少しでも節約するために出場する大会を絞り、東京で開催される大会に出場するために、秋田から夜行バスで東京に向かい、朝到着した後そのまま試合をして、その日の夜にまた夜行バスで帰ったこともありました」

コロナ禍でも、徐々に海外での試合も増えてくる中、隔離期間等の関係もあり遠征費や滞在費はこれまでよりも大幅にかかってしまいます。前回までの支援金と合わせ、今回集まった支援金は、今後世界でのチャンスをつかんだときに活用したいと考えています。


秋田はフェンシングを身近に感じられる場所

秋田はフェンシングが盛んで、成田選手が高校時代にインターハイを連覇した時などは、テレビや新聞など各メディアでも大きく報じられました。練習の送り迎えをしてくれた祖父や、毎日近くで支えてくれた家族はもちろん、遠征や試合で授業に参加できなかった分は授業のノートを見せてもらうなど、助けてくれた友達の存在も大きかったと振り返ります。

「たくさんの人たちに私は支えられている、というのをいつも実感できる場所でした」

今はなかなか帰省もできず、寂しい時間も続きますが、それもフェンシング選手として強くなるために必要な時と捉え、日々、自分のフェンシングの課題と向き合っています。誰よりも強くなった姿を地元・秋田の人たちに見せたい。成田選手はそう願っています。

「フェンシング選手である以上、フェンシングで成績を残してほしい、と応援してくださる方もいらっしゃると思うので、ひとつずつ目標をクリアしたい。家族や支えてくれた人たちへの感謝を忘れず、実行力、行動力を武器に、様々なことへ挑戦して、どんどん強くなる自分をアピールしたいです」

たくさんの人に応援されているからこそ、結果で応えたい(手前が成田選手)


世界の舞台で戦うためにも、国内で圧倒的な成績を残したい

幼いころから成田選手は「遠くにある大きな目標よりも、目の前にある目標を一つひとつクリアしていく」ことを大事にしてきました。大学4年生になった今もその姿勢は変わりません。21年は、9月の全日本選手権で個人3位に入賞した他、10月の関東学生選手権では個人5位、団体優勝を果たすなど国内で着々と実績を残しつつあります。

「2021年の国際大会で男子エペが団体優勝したことで、フェンシングの認知度はこれまでよりも確実に上がる中、周囲の方々から応援の声をいただくことも多くなりました。皆様からの応援の声を受け、私も世界で活躍したいという気持ちがより一層強くなりました」

国際大会では、成田選手はまだ経験が浅く、ベスト64以上に進出したことがありません。世界のフェンサーとなるべく、まず叶えるべきは“64の壁”を突破すること。そして、国内でも周囲から「強い」と認められるような選手になることです。

「世界で活躍するためにベスト64以上に進出することが、まず一つの大きなステップ。海外選手との練習では手応えを感じることも多くなってきたので、試合で勝って成功体験を重ねていくことで自身と世界との差を徐々に縮めていきたいです。そして、将来的には4年に1度の大舞台で、個人・団体共に女子エペ初のメダルを獲得することが目標です」

将来の大きな夢につなげるためにも、まずは22年のアジア選手権に選出されるよう、国内のグランプリで結果を出し、その後の大会につなげていきたいと考えています。

1試合1試合を大切にしていきます


経験を積み、応援してくださる方々の期待に応えたい

フェンシングという決してメジャーではない競技の中で、世界をめざして戦う。そのために、クラウドファンディングも含めた支援制度を受けられるのは、成田選手にとって「更に強くなる」ための大きなモチベーションであり、希望です。

「海外遠征を重ね、たくさんの経験を積むことで応援してくださる方々の期待に応えられるような、強い選手になりたいと思っています。まずは秋田のフェンシングといえば成田、と言われるような選手になれるように。そして、たくさんのことを吸収して更に自分のフェンシングをレベルアップできるよう、努力していきます」

(取材・制作:4years.編集部)

※プロフィール写真©日本フェンシング協会/竹見修吾


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支援期間終了

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  • 支援者

    15

  • 残り期間

    0

  • 集まっている金額

    120,000

    目標金額:300,000

  • 達成率40%

    FUNDED!

2023年02月28日23:59に終了しました。

支援期間終了

起案者

実行者イメージ

成田琉夏(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム2022)

明治安田生命「地元の元気プロジェクト」の ... 一環として、地元の若手アスリートを地域社会とともに応援することで、地域の一体感醸成や地域で育つ子どもたちの夢や地元愛を育むことへの貢献を目的とします。

当制度を通じて、出身地や活動拠点地域など、サポートを受ける「地元」に対して貢献したいというアスリートの活動を支援します。
  • 1,000

    お礼のメール

    リターン

      感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りします。

    支援者の数 5

    支援期間終了

  • 5,000

    お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)

    リターン

      感謝の気持ちを込めて、お礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
      ※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。

    支援者の数 1

    お届け予定:2023年4月

    支援期間終了

  • 10,000

    サイン色紙+お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)

    リターン

      感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
      ※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。

    支援者の数 8

    お届け予定:2023年4月

    支援期間終了

  • 20,000

    サイン色紙+お礼のお手紙+オリジナルステッカー+YELLS(全ブロック)

    リターン

      感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、プロジェクトのオリジナルステッカー、YELLS(全ブロック)をお送りします。
      ※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。

    支援者の数 1

    お届け予定:2023年4月

    支援期間終了

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