馬術競技者として大きく成長。国内最年少での1位をめざす
世国内トップレベルの大会で4位入賞
人馬一体となり、コースに配置された複数の障害物を飛び越え、ミスの少なさと走行タイムで競うのが障害馬術です。2022年、今年から大学に通う岡田華穂選手の才能は小学生の頃から際立っていました。小学6年生のときには全日本障害馬術大会で大人を押しのけて8位入賞。「馬の力に助けてもらっていました」と謙遜しますが、馬を生かす術は目を見張ります。
FEI国際チルドレン障害馬術大会ファイナルでの岡田選手
そして2021年11月には、同じ全日本障害馬術大会のpart1中障害Bクラスという、年齢制限のない、日本でも最高レベルの競技者たちによって争われる試合に初めてエントリーし、4位に入賞。障害馬術の世界に、改めてその名を轟(とどろ)かせました。同クラスは日本代表レベルの選手たちが出場する、まさにトップレベルの戦いです。そんな試合での4位入賞という結果に、岡田選手も「大きな自信につながりました」と言います。
環境の変化が好結果をもたらすことに
躍進の大きな要因の一つに、環境の変化がありました。
「2021年10月から、千葉県の乗馬クラブに所属を移しました。そこには日本代表として世界大会で活躍されたコーチがいて、その方のおかげで知らなかったことを身につけることができ、好成績につながったと思います」
岡田選手は、自身の成長のために慣れ親しんだ地元を離れ、拠点の移動を決断していました。その成果が、早速結果として現れたのです。
「友達や家族と離れるのは寂しかったですが、一人暮らしにも慣れて今は楽しめています」と、岡田選手自身も環境の変化を楽しんでいる様子です。なお、拠点は移したものの、大会には地元である愛知県の代表として出場しています。
高校2年生のとき、全日本障害馬術大会にて
ずっと通い続けた乗馬クラブ
馬と初めて出会ったのは、5歳のときでした。ハワイで馬に乗って海沿いや山をゆっくり散策し、すっかり虜になったのです。愛知県岡崎市に戻ると、両親に頼んで乗馬クラブを探してもらいました。ただ、規定で身長120cmに満たない子どもは、ほとんどのところで受け入れてもらえませんでした。そのなかで、特例として認めてくれたのが、かつての所属だった「エルミオーレ豊田」です。「いまでも感謝しています」。岡崎から豊田までは車で約30分。母親に送迎してもらい、毎日のように通いました。旅先での野外騎乗と勝手は違いましたが、やはり馬との相性は良かったようです。
岡田選手にとって、地元の愛知県は馬とともに育ってきた場所。頭に浮かぶのは馬との思い出ばかりです。馬術競技のなかでも、着実に自分が上達する手応えが感じられた障害馬術を小学3年生のときから始め、楽しみつつも、もっと上をめざす気持ちが強くなっていきました。
小学3年生のとき、地元・愛知県森林公園の試合にて
競技に臨むうえでの大切なパートナーとの関係
さて、自身のレベルアップのために拠点を移した岡田選手ですが、大切なパートナーである馬との関係性にも変化がありました。「以前のクラブでも私のパートナーだったシブルと、千葉の乗馬クラブに一緒に来たんです。全日本の大会にも彼に乗って出場しました。そしてもう1頭、グラムアーという馬が千葉の乗馬クラブにいて、現在はその2頭でやっています」
馬術競技は、動物と一緒に参加する非常に特殊なスポーツのため、普通のスポーツでは考えられないような苦労があります。「基本馬メインの競技で、馬のベストの状態に、人がどれだけもっていってあげられるか。馬って自分でストレッチとかできないので、身体をほぐしてあげたり、全部人がやってあげたりしないといけないんです。日頃のトレーニングで人が頑張り、本番で(コンディションが)できあがった馬と一緒にパフォーマンスをするんです」
“馬がメインの競技”という言葉は、馬術競技者ならではといえます。そして、人馬一体を体現するためには、馬とのコミュニケーションの取り方にも工夫があると、岡田選手は教えてくれました。「馬は上下関係がある生き物で、1回でもナメられると、本当に言うことを聞かなくなります。日頃から、私が馬より下と思わせないように、厳しくするべき時は厳しくしないといけない。人は馬の力には勝てませんから、危険なことにならないようにするためにも、気をつけています」
こうした知識も新しいコーチの下で学んだとのこと。その高レベルの経験に基づいた理論を学ぶことのできる環境となったことで、「すごい成長を感じているし、結果も出ていることで精神面でも強くなっている」と、岡田選手は現在の充実ぶりを教えてくれました。
当面の目標は4年後に地元・愛知県で開かれるアジア大会への出場
目標は、「日本を代表するトップライダーになり、世界で活躍すること」。社会的に影響力のあるライダーとなり、馬術競技を取り巻く環境から変えていくという大きな夢があります。しかし、夢の実現に向けて着実に成長を遂げている一方で、岡田選手は冷静に自分自身を見つめています。「現在馬術競技の日本代表として世界大会などに出ている方たちは、年齢で40代後半以上。そこに10代の選手が加わるなど、それこそどこの国にも例がありません。馬術は競技年齢が平均的にとても高く、また世界レベルの方に比べると、私の技術など比べるまでもない。たまたま私が日本でいい成績を出しても、海外で通用するかどうかはわかりません」
国内大会で実績は残していても、まだ世界トップレベルとの差は大きい。岡田選手はそうとらえています。「今は国内で実績を積んで、その後海外でしっかり上位にいける技術を磨いていきたいですね」
当面の目標は26年、地元の愛知県名古屋市で開かれるアジア大会への出場とのこと。「そのうえで、20代後半に世界最高峰の舞台に出ることができれば……」。10年後としてもまだ29歳。それでも馬術競技では十分に若い年齢ですが、それだけの時間があれば、決して不可能ではない。このところの岡田選手の戦いぶりには、そう信じさせてくれる力強さがあります。
高校2年生のとき、全日本障害馬術大会にて
「クラウドファンディングで支援していただいた資金は、遠征費と、馬のサプリメント代などに使わせていただきました。今後も、主に自分の遠征費に使わせていただくと思います」
馬術競技の大会に出場するには、自分だけでなく、“馬運車”で馬も運ばなくてはなりません。「そうした費用も個人持ち」(岡田選手)とのことで、やはり費用負担の大きい競技です。それだけに、集まった支援金は確実に岡田選手の競技力向上につながります。
「最近は、中障害Aという日本だと上から2番目のクラスに出場しています。これまで以上に競技レベルが高いのですが、これからは全国大会でもそのクラスで出て、最年少でトップに立つことを目標にして頑張っていきます」
馬術競技の世界では型破りな若さで躍進する岡田選手。その活躍は、必ず自身が目標の先に掲げる「馬術競技の普及」につながるはず。「地元で馬と触れ合う機会を増やすためのイベントを開きたい」という希望もきっとかなうことでしょう。この1年の、岡田選手の成長ぶりに、大いに期待したいと思います。
(取材・制作:4years.編集部)
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馬術競技者として大きく成長。国内最年少での1位をめざす世国内トップレベルの大会で4位入賞 人馬一体となり、コースに配置された複数の障害物を飛び越え、ミスの少なさと走行タイムで競うのが障害馬術です。2022年、今年から大学に通う岡田華穂選手の才能は小学生の頃から際立っていました。小学6年生のときには全日本障害馬術大会で大人を押しのけて8位入賞。「馬の力に助けてもらっていました」と謙遜しますが、馬を生かす術は目を見張ります。 FEI国際チルドレン障害馬術大会ファイナルでの岡田選手 そして2021年11月には、同じ全日本障害馬術大会のpart1中障害Bクラスという、年齢制限のない、日本でも最高レベルの競技者たちによって争われる試合に初めてエントリーし、4位に入賞。障害馬術の世界に、改めてその名を轟(とどろ)かせました。同クラスは日本代表レベルの選手たちが出場する、まさにトップレベルの戦いです。そんな試合での4位入賞という結果に、岡田選手も「大きな自信につながりました」と言います。 環境の変化が好結果をもたらすことに躍進の大きな要因の一つに、環境の変化がありました。 「2021年10月から、千葉県の乗馬クラブに所属を移しました。そこには日本代表として世界大会で活躍されたコーチがいて、その方のおかげで知らなかったことを身につけることができ、好成績につながったと思います」 岡田選手は、自身の成長のために慣れ親しんだ地元を離れ、拠点の移動を決断していました。その成果が、早速結果として現れたのです。 「友達や家族と離れるのは寂しかったですが、一人暮らしにも慣れて今は楽しめています」と、岡田選手自身も環境の変化を楽しんでいる様子です。なお、拠点は移したものの、大会には地元である愛知県の代表として出場しています。 高校2年生のとき、全日本障害馬術大会にて ずっと通い続けた乗馬クラブ馬と初めて出会ったのは、5歳のときでした。ハワイで馬に乗って海沿いや山をゆっくり散策し、すっかり虜になったのです。愛知県岡崎市に戻ると、両親に頼んで乗馬クラブを探してもらいました。ただ、規定で身長120cmに満たない子どもは、ほとんどのところで受け入れてもらえませんでした。そのなかで、特例として認めてくれたのが、かつての所属だった「エルミオーレ豊田」です。「いまでも感謝しています」。岡崎から豊田までは車で約30分。母親に送迎してもらい、毎日のように通いました。旅先での野外騎乗と勝手は違いましたが、やはり馬との相性は良かったようです。 岡田選手にとって、地元の愛知県は馬とともに育ってきた場所。頭に浮かぶのは馬との思い出ばかりです。馬術競技のなかでも、着実に自分が上達する手応えが感じられた障害馬術を小学3年生のときから始め、楽しみつつも、もっと上をめざす気持ちが強くなっていきました。 小学3年生のとき、地元・愛知県森林公園の試合にて 競技に臨むうえでの大切なパートナーとの関係さて、自身のレベルアップのために拠点を移した岡田選手ですが、大切なパートナーである馬との関係性にも変化がありました。「以前のクラブでも私のパートナーだったシブルと、千葉の乗馬クラブに一緒に来たんです。全日本の大会にも彼に乗って出場しました。そしてもう1頭、グラムアーという馬が千葉の乗馬クラブにいて、現在はその2頭でやっています」 馬術競技は、動物と一緒に参加する非常に特殊なスポーツのため、普通のスポーツでは考えられないような苦労があります。「基本馬メインの競技で、馬のベストの状態に、人がどれだけもっていってあげられるか。馬って自分でストレッチとかできないので、身体をほぐしてあげたり、全部人がやってあげたりしないといけないんです。日頃のトレーニングで人が頑張り、本番で(コンディションが)できあがった馬と一緒にパフォーマンスをするんです」 “馬がメインの競技”という言葉は、馬術競技者ならではといえます。そして、人馬一体を体現するためには、馬とのコミュニケーションの取り方にも工夫があると、岡田選手は教えてくれました。「馬は上下関係がある生き物で、1回でもナメられると、本当に言うことを聞かなくなります。日頃から、私が馬より下と思わせないように、厳しくするべき時は厳しくしないといけない。人は馬の力には勝てませんから、危険なことにならないようにするためにも、気をつけています」 こうした知識も新しいコーチの下で学んだとのこと。その高レベルの経験に基づいた理論を学ぶことのできる環境となったことで、「すごい成長を感じているし、結果も出ていることで精神面でも強くなっている」と、岡田選手は現在の充実ぶりを教えてくれました。 当面の目標は4年後に地元・愛知県で開かれるアジア大会への出場目標は、「日本を代表するトップライダーになり、世界で活躍すること」。社会的に影響力のあるライダーとなり、馬術競技を取り巻く環境から変えていくという大きな夢があります。しかし、夢の実現に向けて着実に成長を遂げている一方で、岡田選手は冷静に自分自身を見つめています。「現在馬術競技の日本代表として世界大会などに出ている方たちは、年齢で40代後半以上。そこに10代の選手が加わるなど、それこそどこの国にも例がありません。馬術は競技年齢が平均的にとても高く、また世界レベルの方に比べると、私の技術など比べるまでもない。たまたま私が日本でいい成績を出しても、海外で通用するかどうかはわかりません」 国内大会で実績は残していても、まだ世界トップレベルとの差は大きい。岡田選手はそうとらえています。「今は国内で実績を積んで、その後海外でしっかり上位にいける技術を磨いていきたいですね」 当面の目標は26年、地元の愛知県名古屋市で開かれるアジア大会への出場とのこと。「そのうえで、20代後半に世界最高峰の舞台に出ることができれば……」。10年後としてもまだ29歳。それでも馬術競技では十分に若い年齢ですが、それだけの時間があれば、決して不可能ではない。このところの岡田選手の戦いぶりには、そう信じさせてくれる力強さがあります。 高校2年生のとき、全日本障害馬術大会にて 「クラウドファンディングで支援していただいた資金は、遠征費と、馬のサプリメント代などに使わせていただきました。今後も、主に自分の遠征費に使わせていただくと思います」 馬術競技の大会に出場するには、自分だけでなく、“馬運車”で馬も運ばなくてはなりません。「そうした費用も個人持ち」(岡田選手)とのことで、やはり費用負担の大きい競技です。それだけに、集まった支援金は確実に岡田選手の競技力向上につながります。 「最近は、中障害Aという日本だと上から2番目のクラスに出場しています。これまで以上に競技レベルが高いのですが、これからは全国大会でもそのクラスで出て、最年少でトップに立つことを目標にして頑張っていきます」 馬術競技の世界では型破りな若さで躍進する岡田選手。その活躍は、必ず自身が目標の先に掲げる「馬術競技の普及」につながるはず。「地元で馬と触れ合う機会を増やすためのイベントを開きたい」という希望もきっとかなうことでしょう。この1年の、岡田選手の成長ぶりに、大いに期待したいと思います。 (取材・制作:4years.編集部)
馬術競技者として大きく成長。国内最年少での1位をめざす
世国内トップレベルの大会で4位入賞
人馬一体となり、コースに配置された複数の障害物を飛び越え、ミスの少なさと走行タイムで競うのが障害馬術です。2022年、今年から大学に通う岡田華穂選手の才能は小学生の頃から際立っていました。小学6年生のときには全日本障害馬術大会で大人を押しのけて8位入賞。「馬の力に助けてもらっていました」と謙遜しますが、馬を生かす術は目を見張ります。
FEI国際チルドレン障害馬術大会ファイナルでの岡田選手
そして2021年11月には、同じ全日本障害馬術大会のpart1中障害Bクラスという、年齢制限のない、日本でも最高レベルの競技者たちによって争われる試合に初めてエントリーし、4位に入賞。障害馬術の世界に、改めてその名を轟(とどろ)かせました。同クラスは日本代表レベルの選手たちが出場する、まさにトップレベルの戦いです。そんな試合での4位入賞という結果に、岡田選手も「大きな自信につながりました」と言います。
環境の変化が好結果をもたらすことに
躍進の大きな要因の一つに、環境の変化がありました。
「2021年10月から、千葉県の乗馬クラブに所属を移しました。そこには日本代表として世界大会で活躍されたコーチがいて、その方のおかげで知らなかったことを身につけることができ、好成績につながったと思います」
岡田選手は、自身の成長のために慣れ親しんだ地元を離れ、拠点の移動を決断していました。その成果が、早速結果として現れたのです。
「友達や家族と離れるのは寂しかったですが、一人暮らしにも慣れて今は楽しめています」と、岡田選手自身も環境の変化を楽しんでいる様子です。なお、拠点は移したものの、大会には地元である愛知県の代表として出場しています。
高校2年生のとき、全日本障害馬術大会にて
ずっと通い続けた乗馬クラブ
馬と初めて出会ったのは、5歳のときでした。ハワイで馬に乗って海沿いや山をゆっくり散策し、すっかり虜になったのです。愛知県岡崎市に戻ると、両親に頼んで乗馬クラブを探してもらいました。ただ、規定で身長120cmに満たない子どもは、ほとんどのところで受け入れてもらえませんでした。そのなかで、特例として認めてくれたのが、かつての所属だった「エルミオーレ豊田」です。「いまでも感謝しています」。岡崎から豊田までは車で約30分。母親に送迎してもらい、毎日のように通いました。旅先での野外騎乗と勝手は違いましたが、やはり馬との相性は良かったようです。
岡田選手にとって、地元の愛知県は馬とともに育ってきた場所。頭に浮かぶのは馬との思い出ばかりです。馬術競技のなかでも、着実に自分が上達する手応えが感じられた障害馬術を小学3年生のときから始め、楽しみつつも、もっと上をめざす気持ちが強くなっていきました。
小学3年生のとき、地元・愛知県森林公園の試合にて
競技に臨むうえでの大切なパートナーとの関係
さて、自身のレベルアップのために拠点を移した岡田選手ですが、大切なパートナーである馬との関係性にも変化がありました。「以前のクラブでも私のパートナーだったシブルと、千葉の乗馬クラブに一緒に来たんです。全日本の大会にも彼に乗って出場しました。そしてもう1頭、グラムアーという馬が千葉の乗馬クラブにいて、現在はその2頭でやっています」
馬術競技は、動物と一緒に参加する非常に特殊なスポーツのため、普通のスポーツでは考えられないような苦労があります。「基本馬メインの競技で、馬のベストの状態に、人がどれだけもっていってあげられるか。馬って自分でストレッチとかできないので、身体をほぐしてあげたり、全部人がやってあげたりしないといけないんです。日頃のトレーニングで人が頑張り、本番で(コンディションが)できあがった馬と一緒にパフォーマンスをするんです」
“馬がメインの競技”という言葉は、馬術競技者ならではといえます。そして、人馬一体を体現するためには、馬とのコミュニケーションの取り方にも工夫があると、岡田選手は教えてくれました。「馬は上下関係がある生き物で、1回でもナメられると、本当に言うことを聞かなくなります。日頃から、私が馬より下と思わせないように、厳しくするべき時は厳しくしないといけない。人は馬の力には勝てませんから、危険なことにならないようにするためにも、気をつけています」
こうした知識も新しいコーチの下で学んだとのこと。その高レベルの経験に基づいた理論を学ぶことのできる環境となったことで、「すごい成長を感じているし、結果も出ていることで精神面でも強くなっている」と、岡田選手は現在の充実ぶりを教えてくれました。
当面の目標は4年後に地元・愛知県で開かれるアジア大会への出場
目標は、「日本を代表するトップライダーになり、世界で活躍すること」。社会的に影響力のあるライダーとなり、馬術競技を取り巻く環境から変えていくという大きな夢があります。しかし、夢の実現に向けて着実に成長を遂げている一方で、岡田選手は冷静に自分自身を見つめています。「現在馬術競技の日本代表として世界大会などに出ている方たちは、年齢で40代後半以上。そこに10代の選手が加わるなど、それこそどこの国にも例がありません。馬術は競技年齢が平均的にとても高く、また世界レベルの方に比べると、私の技術など比べるまでもない。たまたま私が日本でいい成績を出しても、海外で通用するかどうかはわかりません」
国内大会で実績は残していても、まだ世界トップレベルとの差は大きい。岡田選手はそうとらえています。「今は国内で実績を積んで、その後海外でしっかり上位にいける技術を磨いていきたいですね」
当面の目標は26年、地元の愛知県名古屋市で開かれるアジア大会への出場とのこと。「そのうえで、20代後半に世界最高峰の舞台に出ることができれば……」。10年後としてもまだ29歳。それでも馬術競技では十分に若い年齢ですが、それだけの時間があれば、決して不可能ではない。このところの岡田選手の戦いぶりには、そう信じさせてくれる力強さがあります。
高校2年生のとき、全日本障害馬術大会にて
「クラウドファンディングで支援していただいた資金は、遠征費と、馬のサプリメント代などに使わせていただきました。今後も、主に自分の遠征費に使わせていただくと思います」
馬術競技の大会に出場するには、自分だけでなく、“馬運車”で馬も運ばなくてはなりません。「そうした費用も個人持ち」(岡田選手)とのことで、やはり費用負担の大きい競技です。それだけに、集まった支援金は確実に岡田選手の競技力向上につながります。
「最近は、中障害Aという日本だと上から2番目のクラスに出場しています。これまで以上に競技レベルが高いのですが、これからは全国大会でもそのクラスで出て、最年少でトップに立つことを目標にして頑張っていきます」
馬術競技の世界では型破りな若さで躍進する岡田選手。その活躍は、必ず自身が目標の先に掲げる「馬術競技の普及」につながるはず。「地元で馬と触れ合う機会を増やすためのイベントを開きたい」という希望もきっとかなうことでしょう。この1年の、岡田選手の成長ぶりに、大いに期待したいと思います。
(取材・制作:4years.編集部)
支援期間終了
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最新のプロジェクト情報をお届けします。
支援者
5人
残り期間
0日
集まっている金額
45,000円
目標金額:300,000円
達成率15%
2023年02月28日23:59に終了しました。
支援期間終了
起案者
岡田華穂(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム2022)
当制度を通じて、出身地や活動拠点地域など、サポートを受ける「地元」に対して貢献したいというアスリートの活動を支援します。
1,000円
お礼のメール
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りします。
支援者の数 0人
支援期間終了
5,000円
お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 1人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了
10,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 4人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了
20,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+オリジナルステッカー+YELLS(全ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、プロジェクトのオリジナルステッカー、YELLS(全ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 0人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了