• 太田陽詩(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム2022)
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京都府のアスリート・フェンシング 太田陽詩 応援プロジェクト by 明治安田生命

プロジェクトイメージ
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U17を卒業しさらなるステップアップ!めざすはランキングトップ フェンシングに一目ぼれ 太田陽詩選手(ひなた、龍谷大学付属平安高校2年)にとって、フェンシングとの出合いは必然でした。フェンシング選手だった父親の試合を家族で応援に行った小学4年生の時、太田選手は一瞬で「剣がカッコいい! 私もやりたい!」と魅了されました。有言実行とばかりに、試合会場に出店していたフェンシングの道具を扱うショップで剣とマスクを買ってもらい、地元のフェンシングスクールに入り、フェンサーとしての生活がスタートしました。 「基本的に行動派なんですけど、その中でも時々、コレ!というツボがあるんです。フェンシングはまさにそうで、ある日突然ツボにはまり、それからは毎日練習して全国大会を目標に頑張りました」 太田選手は競技を始めて間もなく、頭角を現します。最初は日本で盛んな、得点を取るために突く有効面や攻撃権がある「フルーレ」からスタートしましたが、太田選手が惹かれたのは「エペ」。体のどこを突いてもよく、同時に突けば両者に得点が入る。シンプルだからこそ駆け引きが勝敗を左右するエペに夢中になりました。 「6年生になってからエペとフルーレ、両方やっていて、全国大会でどちらも上位入賞して世界大会出場の権利を得ました。その時初めて『どっちを選ぶ?』と言われて、迷わずエペを選択しました」 小6の時の世界大会では個人・団体ともに優勝を飾っています。 フェンシングを始めた頃の太田選手 身長162cmの太田選手はフェンシング選手の中でも決して大柄ではなく、むしろ小さい部類に属します。特に両者同時に突く“相打ち”も得点になるエペでは、相手よりも背が高く手足が長い方が必然的に有利になります。これまでも日本人が世界で勝つことは難しいと言われてきた種目ですが、太田選手は自分の小ささもむしろ武器に、大きな相手に勝つための方法を日々の練習から探っています。 「エペは頭の駆け引きが大切なので、小さい私でも大きな相手の懐まで入り込んで大きな選手をだますようなプレーが決まって、点数が入るとものすごく楽しい。試合の序盤から思い通りの展開に持ち込んでリードを得て、余裕を持ったまま戦いきって勝てた時は本当にうれしいです」 京都の学校に進み、チームメートと切磋琢磨 小学校を卒業した太田選手は、フェンシングの名門である京都の平安中学校に進学しました。2008年の国際大会で日本初のメダル(銀)を獲得した太田雄貴さんなど、世界で戦う多くの選手を輩出した強豪校ですが、実はフルーレが専門。エペを専門とする太田選手にとって、基本練習やフットワークなどの体力トレーニングなど身になる練習も多くある一方、より種目に特化した技術練習が十分にできる環境ではありません。中学生の頃はエペを専門とする地元の社会人クラブに通いましたが、高校生になった今はさらに時間も限られるため、日々の部活動を終えてから社会人クラブに通う時間はほとんどありません。 それでも太田選手があえて平安を選択した理由。それは、フェンサーとしての自分を育ててくれた地元で「強くなりたい」と決めたからでした。 「フェンシングを始めたきっかけや、フェンシングの基礎となる部分を教えてくれたのは京都の人たちだったので、その人たちに恩返しするためにも地元の関西、京都に残って自分が結果を出すことで元気づけたいと思いました。フルーレ専門の高校ではありますが、それでもOB・OGの方々が私のためにエペの練習に来てくれて、みんながサポートしてくれるので、とてもありがたいです」 そうしたサポートもあり、22年3月に行なわれた全国高等学校選抜大会フェンシングの部で、女子エペが優勝。平安高校にとって女子の団体優勝は初、もちろんエペでも初の快挙でした。 「今年は初めての全国選抜で、頑張って勝ちたい!と思っていましたけど、しっかりと勝ち切ることができて良かった。団体戦でも自分が頑張らないとというのがあって、緊張しましたけど、何とか乗り越えることができました」と太田選手は試合を振り返ります。 普段の練習から、地元の方々の心強さを感じています 実はクラスメートに国内トップクラスのフルーレ選手がいます。2人ともまだ年齢は若いのですが、世界の頂点をめざして戦う同志でもあります。 「世界で戦うためのメンタル面も含め、何でも話せるとても仲のいい友達であり、一緒に戦う仲間が近くにいてくれて心強い。彼女だけでなく、平安高校の仲間やOB、みんなに助けられています」 家族が支えてくれ、ともに戦ってくれた そして太田選手を支える最も心強いサポーターが家族です。フェンシングを始めるきっかけを与えてくれた父親をはじめ、学校や練習会場に何時間もかけて送迎してくれる母親、そしてフェンシングの練習で忙しい太田選手がアスリートとして必要な栄養が摂取できるようお弁当を作ってくれる祖母。愛情と地元のおいしい料理がたっぷり詰まったお弁当は、太田選手の大好物です。 「煮物やお漬物、年齢の割に渋いかもしれませんが(笑)、おばあちゃんが作ってくれるお弁当は本当においしいんです。もともと食べるのが大好きなので、京都のおいしいご飯のおかげで、元気に戦えています」 「地元の方々に勝つ姿を見せたい」 日本全国、さらには世界を舞台に戦う太田選手のことを家族は全力でバックアップしてくれますが、防具や剣など必要な道具も多いフェンシングはお金がかかる競技でもあります。自分の夢を実現するために支え、ともに戦ってくれる家族のサポートを受けながらも、太田選手は「競技者である以上、自分で必要な道具をそろえて戦える選手になりたい」と思い続けてきました。それが2021年に、太田選手が明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」に応募したきっかけです。 「世界で戦うための遠征費や、道具に役立てたいと思ったのもありますが、一番は私が世界で勝つことによって地元に貢献、地元を元気づけたい、と思ったからです。今はコロナ禍で、観光の街・京都は大変な状況です。スポーツ界も試合がなくなり、開催されても無観客試合などこれまでとは違う状況になってしまいましたが、いつも応援してくれる地元の方々に勝つ姿を見せたいです」 自分が活躍することもまた、地元・京都への貢献になると考えています 中2以降、U17国内ランキング1位の太田選手。20年と21年に開催されるはずだったU17アジア選手権と世界選手権は、コロナの影響を受けて中止になってしまいました。初めてかつ2年連続で日本代表権を手にしていた太田選手にとって大きな目標であり、出場できないと決まった時は落胆しましたが、今は前を向き、新たな目標として未来を見据えています。 17歳になった太田選手はU17を卒業し、今季からU20の舞台で活躍することになります。大学生もいるU20は、これまでとはレベルが違います。そこで太田選手はメンタル、フィジカル、そして技術面でさらなる磨きをかけ、U20ランキングでもトップをめざしています。 「試合では緊張して、練習のときと同じ動きができないことが多いので、伸び伸びと動けるようなメンタルをつけたい。フィジカル面の強化も始めました。そして技術面では、練習の質を上げ、技のバリエーションを増やしたい。そのために、強い人や自分の動画を見て、いいところを吸収するということを始めました」 「最終目標は4年に一度の大舞台で金メダルをとることですが、そのためにもまず日本国内の大会で結果を残して、世界選手権に出場して勝ちたい。フェンシングの面白さ、そして応援してくださる方々への感謝を伝えられるように、これからも頑張ります。フェンシングで勝つことで明るいニュースをお届けし、地元・京都にも恩返しをしたい。観光以外でも京都を有名にしたいと思っていますので、これからも応援よろしくお願いします」 明るい未来、夢の実現へ向け、太田選手の挑戦はまだ始まったばかりです。 (取材・制作:4years.編集部)

U17を卒業しさらなるステップアップ!めざすはランキングトップ

フェンシングに一目ぼれ

地元アスリート応援プログラム

太田陽詩選手(ひなた、龍谷大学付属平安高校2年)にとって、フェンシングとの出合いは必然でした。フェンシング選手だった父親の試合を家族で応援に行った小学4年生の時、太田選手は一瞬で「剣がカッコいい! 私もやりたい!」と魅了されました。有言実行とばかりに、試合会場に出店していたフェンシングの道具を扱うショップで剣とマスクを買ってもらい、地元のフェンシングスクールに入り、フェンサーとしての生活がスタートしました。

「基本的に行動派なんですけど、その中でも時々、コレ!というツボがあるんです。フェンシングはまさにそうで、ある日突然ツボにはまり、それからは毎日練習して全国大会を目標に頑張りました」

太田選手は競技を始めて間もなく、頭角を現します。最初は日本で盛んな、得点を取るために突く有効面や攻撃権がある「フルーレ」からスタートしましたが、太田選手が惹かれたのは「エペ」。体のどこを突いてもよく、同時に突けば両者に得点が入る。シンプルだからこそ駆け引きが勝敗を左右するエペに夢中になりました。

「6年生になってからエペとフルーレ、両方やっていて、全国大会でどちらも上位入賞して世界大会出場の権利を得ました。その時初めて『どっちを選ぶ?』と言われて、迷わずエペを選択しました」

小6の時の世界大会では個人・団体ともに優勝を飾っています。

フェンシングを始めた頃の太田選手


身長162cmの太田選手はフェンシング選手の中でも決して大柄ではなく、むしろ小さい部類に属します。特に両者同時に突く“相打ち”も得点になるエペでは、相手よりも背が高く手足が長い方が必然的に有利になります。これまでも日本人が世界で勝つことは難しいと言われてきた種目ですが、太田選手は自分の小ささもむしろ武器に、大きな相手に勝つための方法を日々の練習から探っています。

「エペは頭の駆け引きが大切なので、小さい私でも大きな相手の懐まで入り込んで大きな選手をだますようなプレーが決まって、点数が入るとものすごく楽しい。試合の序盤から思い通りの展開に持ち込んでリードを得て、余裕を持ったまま戦いきって勝てた時は本当にうれしいです」


京都の学校に進み、チームメートと切磋琢磨

小学校を卒業した太田選手は、フェンシングの名門である京都の平安中学校に進学しました。2008年の国際大会で日本初のメダル(銀)を獲得した太田雄貴さんなど、世界で戦う多くの選手を輩出した強豪校ですが、実はフルーレが専門。エペを専門とする太田選手にとって、基本練習やフットワークなどの体力トレーニングなど身になる練習も多くある一方、より種目に特化した技術練習が十分にできる環境ではありません。中学生の頃はエペを専門とする地元の社会人クラブに通いましたが、高校生になった今はさらに時間も限られるため、日々の部活動を終えてから社会人クラブに通う時間はほとんどありません。

それでも太田選手があえて平安を選択した理由。それは、フェンサーとしての自分を育ててくれた地元で「強くなりたい」と決めたからでした。

「フェンシングを始めたきっかけや、フェンシングの基礎となる部分を教えてくれたのは京都の人たちだったので、その人たちに恩返しするためにも地元の関西、京都に残って自分が結果を出すことで元気づけたいと思いました。フルーレ専門の高校ではありますが、それでもOB・OGの方々が私のためにエペの練習に来てくれて、みんながサポートしてくれるので、とてもありがたいです」

そうしたサポートもあり、22年3月に行なわれた全国高等学校選抜大会フェンシングの部で、女子エペが優勝。平安高校にとって女子の団体優勝は初、もちろんエペでも初の快挙でした。

「今年は初めての全国選抜で、頑張って勝ちたい!と思っていましたけど、しっかりと勝ち切ることができて良かった。団体戦でも自分が頑張らないとというのがあって、緊張しましたけど、何とか乗り越えることができました」と太田選手は試合を振り返ります。

普段の練習から、地元の方々の心強さを感じています


実はクラスメートに国内トップクラスのフルーレ選手がいます。2人ともまだ年齢は若いのですが、世界の頂点をめざして戦う同志でもあります。

「世界で戦うためのメンタル面も含め、何でも話せるとても仲のいい友達であり、一緒に戦う仲間が近くにいてくれて心強い。彼女だけでなく、平安高校の仲間やOB、みんなに助けられています」


家族が支えてくれ、ともに戦ってくれた

そして太田選手を支える最も心強いサポーターが家族です。フェンシングを始めるきっかけを与えてくれた父親をはじめ、学校や練習会場に何時間もかけて送迎してくれる母親、そしてフェンシングの練習で忙しい太田選手がアスリートとして必要な栄養が摂取できるようお弁当を作ってくれる祖母。愛情と地元のおいしい料理がたっぷり詰まったお弁当は、太田選手の大好物です。

「煮物やお漬物、年齢の割に渋いかもしれませんが(笑)、おばあちゃんが作ってくれるお弁当は本当においしいんです。もともと食べるのが大好きなので、京都のおいしいご飯のおかげで、元気に戦えています」


「地元の方々に勝つ姿を見せたい」

日本全国、さらには世界を舞台に戦う太田選手のことを家族は全力でバックアップしてくれますが、防具や剣など必要な道具も多いフェンシングはお金がかかる競技でもあります。自分の夢を実現するために支え、ともに戦ってくれる家族のサポートを受けながらも、太田選手は「競技者である以上、自分で必要な道具をそろえて戦える選手になりたい」と思い続けてきました。それが2021年に、太田選手が明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」に応募したきっかけです。

「世界で戦うための遠征費や、道具に役立てたいと思ったのもありますが、一番は私が世界で勝つことによって地元に貢献、地元を元気づけたい、と思ったからです。今はコロナ禍で、観光の街・京都は大変な状況です。スポーツ界も試合がなくなり、開催されても無観客試合などこれまでとは違う状況になってしまいましたが、いつも応援してくれる地元の方々に勝つ姿を見せたいです」

自分が活躍することもまた、地元・京都への貢献になると考えています


中2以降、U17国内ランキング1位の太田選手。20年と21年に開催されるはずだったU17アジア選手権と世界選手権は、コロナの影響を受けて中止になってしまいました。初めてかつ2年連続で日本代表権を手にしていた太田選手にとって大きな目標であり、出場できないと決まった時は落胆しましたが、今は前を向き、新たな目標として未来を見据えています。

17歳になった太田選手はU17を卒業し、今季からU20の舞台で活躍することになります。大学生もいるU20は、これまでとはレベルが違います。そこで太田選手はメンタル、フィジカル、そして技術面でさらなる磨きをかけ、U20ランキングでもトップをめざしています。

「試合では緊張して、練習のときと同じ動きができないことが多いので、伸び伸びと動けるようなメンタルをつけたい。フィジカル面の強化も始めました。そして技術面では、練習の質を上げ、技のバリエーションを増やしたい。そのために、強い人や自分の動画を見て、いいところを吸収するということを始めました」

「最終目標は4年に一度の大舞台で金メダルをとることですが、そのためにもまず日本国内の大会で結果を残して、世界選手権に出場して勝ちたい。フェンシングの面白さ、そして応援してくださる方々への感謝を伝えられるように、これからも頑張ります。フェンシングで勝つことで明るいニュースをお届けし、地元・京都にも恩返しをしたい。観光以外でも京都を有名にしたいと思っていますので、これからも応援よろしくお願いします」

明るい未来、夢の実現へ向け、太田選手の挑戦はまだ始まったばかりです。

(取材・制作:4years.編集部)


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支援期間終了

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  • 支援者

    17

  • 残り期間

    0

  • 集まっている金額

    127,000

    目標金額:300,000

  • 達成率42%

    FUNDED!

2023年02月28日23:59に終了しました。

支援期間終了

起案者

実行者イメージ

太田陽詩(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム2022)

明治安田生命「地元の元気プロジェクト」の ... 一環として、地元の若手アスリートを地域社会とともに応援することで、地域の一体感醸成や地域で育つ子どもたちの夢や地元愛を育むことへの貢献を目的とします。

当制度を通じて、出身地や活動拠点地域など、サポートを受ける「地元」に対して貢献したいというアスリートの活動を支援します。
  • 1,000

    お礼のメール

    リターン

      感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りします。

    支援者の数 6

    支援期間終了

  • 5,000

    お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)

    リターン

      感謝の気持ちを込めて、お礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
      ※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。

    支援者の数 3

    お届け予定:2023年4月

    支援期間終了

  • 10,000

    サイン色紙+お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)

    リターン

      感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
      ※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。

    支援者の数 6

    お届け予定:2023年4月

    支援期間終了

  • 20,000

    サイン色紙+お礼のお手紙+オリジナルステッカー+YELLS(全ブロック)

    リターン

      感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、プロジェクトのオリジナルステッカー、YELLS(全ブロック)をお送りします。
      ※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。

    支援者の数 2

    お届け予定:2023年4月

    支援期間終了

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