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依存症や心の病をもつ人と支援者が、大阪でパレードをして、回復は可能だとPRします

プロジェクトイメージ
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このプロジェクトについて

■プロジェクトについて9月22日に大阪の御堂筋で、「依存症」「精神障がい」「生きづらさの病気・困難」を抱える人と支援者が集まりパレードをします。このリカバリー・パレード「回復の祭典」を通じて、これら病気について社会に知ってもらう機会を作り、回復が可能であることをアピールしたいと考えています。この運営費を募るプロジェクトです。 ⇒ リカバリー・パレードin関西「回復の祭典」■リカバリー・パレード「回復の祭典」とは「社会の偏見を取り除くのは回復者自身の責任である」(ウィリアム・L・ホワイト)依存症、精神障がい、生きづらさの病気・困難は、いずれも回復が可能です。しかし、回復は可能で、新しい生き方を手にすることができるという事実は、社会の中でほとんど知られておらず、病気・困難を抱える本人や家族の人たちにさえよく知られていない状況です。回復が信じられず、回復への道につながるきっかけが得られず、長いあいだ病気・困難を抱え続け、あるいは悪化させていき、やがては死んでいく人たちも無数にいます。そして、これらの病気・困難に対する無知と偏見が、社会には少なからず存在しています。私たちは、リカバリー・パレード「回復の祭典」を通じて、何よりも自分たちの回復の喜びを分かち合いたいと考えています。そして、多くの人たちに、回復は可能であり事実であることを知っていただくことで、より多くの人たちが回復を実現できる社会になれば、と考えています。◇9月22日の予定(詳細はホームページで公表いたします)午前11時過ぎに靭公園(大阪の本町)に集合午後12時頃にパレード出発午後13時頃に元町中公園(大阪の難波)で一旦解散午後14時頃から浪速区民センター大ホールでフォーラム&コンサート(コーラス隊)を開催(コーラス隊の演奏)■関西以外で実施しているリカバリー・パレードリカバリーパレードin東京  2010年より毎年(6回)リカバリーパレードin広島  2012年より毎年(4回)リカバリーパレードin北九州 2013年より毎年(3回)リカバリーパレードin仙台  2014年より毎年(2回)リカバリーパレードin沖縄  2014年より毎年(2回)■資金はパレード運営に使いますチラシやポスター、ノボリの製作や備品に約23万円、集合解散の公園使用料に約1万円、パレードで使用する先導車や救護車のレンタル費用に約10万円、パレード終了後のフォーラム会場の使用料等に約5万円、配布参考資料の印刷に約1万円、合計40万円にあてさせて頂きます。■リターンにオリジナルTシャツオリジナルステッカーを準備しています。リカバリー・パレード関西独自のロゴマークです。オリジナルTシャツを準備しています。リカバリー・パレードのテーマ色の青を使い、関西独自のロゴマークを大きく使っています。■想定されるリスクパレードを実施するのが9月ですので、台風などで暴風警報が発令された場合などは、延期する場合があります。■私の発症から回復までの道のり(浅井登)以下、長文になりますが、私の依存症の体験談です。この病気がどんなものかや恐ろしさを知っていただくために、書かせていただきます。【むちゃくちゃ】このまま飛び込んで何もかも終わらせてしまおうか……。30代後半あたりから、駅のホームに立つたび、そんなことを考えるようになりました。会社へ行けば嫌なことだらけで、「今日はトラブルがないように」と願いながら何年出勤してきたことか。当時、私は自社のシステムエンジニア(SE)として働いていました。朝から18時半までは会議で、定時が過ぎてから自分の仕事をするのが普通になっていただけでなく、コンピュータの「2000年問題」対応も重なり身も心もへとへとでした。帰宅しても、どうせ職場から電話が来て対応を迫られます。せめて一瞬でも仕事のことを忘れたいと、仕事帰りにコンビニでワンカップの1.5倍サイズを4本買うのが、小さな慰めでした。コンビニの前で1本、駅のホームで1本、乗り換えの駅で1本、最寄り駅で1本飲むのです。ところが職場を出て妻に「帰るコール」をすると、たいていコンビニに入る直前で「飲まないで帰ってきて」というメールが来ます。それを見るたび「こんなに苦しいのになぜわかってくれないのか」という気持ちが込み上げてきて、悲しくて涙が出そうになりました。飲むことは自分にとって、1日の終わりに頭をリセットするための大切なセレモニーだったからです。帰宅して、少しだけご飯を食べて、妻子が風呂に入っている間にまたコンビニへ行って酒を買います。夜中に会社から電話が入ると、即座に対応しなければなりません。何が何でも朝までに問題を解決しないと、翌日の業務に支障をきたすからです。責任の重さから逃れるため、ますます酒を飲み、電話の途中で記憶喪失して「指示を出した・出さない」でトラブルになることもありました。その頃よく見ていた悪夢があります。真っ暗な中、フェンスのない高いビルの屋上にいて、怖くて汗びっしょりになって目覚めるのです。今思うと禁断症状だったと思いますが、朝起きると熱っぽく、ついに「風邪をひいたので休ませてください」と言ってたびたび仕事を休むようになりました。妻がパートに出る朝9時頃から迎え酒を飲みました。すると少し気持ちが楽になるのですが、だんだんそういうことが妻にばれ、家の中の酒がなくなり、小遣いも減らされました。家中を探しても、1銭も見つかりません。ようやく見つけたのは子どもの貯金箱で、300円か400円を取り出して喜び勇んでコンビニへ行きました。今から考えればとんでもないことですが、当時は罪悪感がありませんでした。これで酒を買うことができる……。その思いだけで、自分のつらさのことしか考えられなくなっていたのです。家族を大切にする気持ちや愛する気持ちが飛んでいました。【酒をやめ続ける】健康診断でγ-GTPが500以上になり、体も仕事もきつくて、限界を感じたのは40歳のときでした。妻に「酒をやめるところへ連れて行ってくれ」と泣きつきました。精神科クリニックへ行くと、たまたまその先生がアルコール依存症の専門クリニックのことを知っていて、紹介状を書いてくださいました。最初の診察のことは、ほとんど覚えていません。妻によると、医師から抗酒剤を処方され、「もうこれで飲まずにすむ」とつぶやいたそうです。医師に「アルコール依存症・抑うつ状態」という診断書を書いてもらい、9ヵ月休職しました。その間、断酒会に参加し、そこで出会った先輩に「つらかったろう、一緒にやっていこうな」と手を握り締められ、初めて自分のつらさをわかってくれる人に出会えたと感じました。といっても、すぐに依存症という病気を理解し受け入れられたわけではありませんでした。断酒会に行っても「俺はこの人たちと違う」という気持ちがどこかにあったし、「とにかく1年は絶対に飲まない」と心に誓い、ひたすら酒を我慢していました。そんな状態だったので、時間が経ってくると、「飲んでしまったらどうしよう?」「このままやめ続けることはできるんだろうか?」という漠然とした不安に襲われるようになりました。どうすればいいのかわからず、主治医に相談しました。「今のあなたに必要なのは腹をくくることです」と言われ、それが私にとっては目から鱗になりました。どんなに酒をやめていても、一杯飲めば元に戻ってしまう病気だと頭ではわかっていても、腹の底ではやめ続ける踏ん切りがついていなかったのです。そのことがわかったら、シラフのままで復職したいという気持ちが固まり、自分の進むべき道が少し見えてきました。私の場合、もとの仕事に戻って酒をやめ続ける自信はありませんでした。かつて「何か困ったことがあったら相談しに来い」と言ってくれた上司がいたことを思い出し、身の振り方を相談しました。すると上司のつてと後押しで関連会社に転籍することができ、それが大きな転機になりました。初日の朝礼で「今までコンピュータ関係の仕事をしていましたが、酒が止まらなくなり1年休職し、転籍しました。酒はいっさい飲めません。酒席は失礼させていただきます」と挨拶し、新たなスタートを切ることができたのです。【双極性障害とアルコール依存症という2つの病】その後、現在まで断酒が続いていますが、道のりは決して平坦ではありませんでした。実は断酒5年目に、私は双極性障害(躁うつ病)という診断を受けました。なるほど、この病で有名だった作家の北杜夫氏も、こういう状態だったのだと妙に納得しました。私は酒をやめてから、急に武道を始めたり釣りにのめりこんだり、すごく活発になったかと思うと、突然、気分が落ちこんで、深海に沈んだような感覚になり会社に行けなくなってしまうことを繰り返していました。自分でも持て余していましたが、これも病気だったのです。なぜこの病気になったのか、原因はわかりません。もともとそういう素地があったのかもしれないし、SEをしていた頃のハードな生活が引き金になったのかもしれません。それでも双極性障害に合わせた薬を飲み、行動療法をしながら、年に1、2回は1ヵ月ほどうつで休む生活を続ける中で、少しずつ自分のパターンがわかってきました。「今はうつの時期だから淡々と行こう」とか、寝不足で過覚醒の状態になるとその後どーんと落ち込むので意識的によく寝るようにしたりと、工夫をすることができています。うつになると、会社を休んで寝っぱなしで、飲酒欲求もまったくわきません。主治医には、うつから躁になるときがいろいろな意味で一番危ないと言われており、気をつけなければと思います。アルコール依存症と双極性障害という2つの病を持っていることを忘れ、他の人と同じように生活していたら、私の「心のコップ」はすぐにいっぱいになって調子が崩れてしまいます。自分の度量を知るためにも、2つの病を持つ自分にとっての「新しい普通」を理解し、それを受け入れて行動していくことが大切なんだと感じます。そんなわけで、決して順調とは言えない断酒生活ではありますが、実際はそれほど居心地の悪いものではなく、「何事も60点でいい」と自分に言い聞かせています。いちばん大きく変わったのは、困ったときに「助けてください」と言えるようになったことです。飲んでいた頃はコンピュータばかり相手にしてきたし、俺しかいないと一人で頑張ってきました。それはとても苦しかった。今はいろんな人と話し合って協力し合いながら物事を進める楽しさを感じています。■仲間と共に回復することがカギ最後までご覧いただきありがとうございます。回復に至るには、『仲間と共に回復する』という考え方がカギなのだと思います。『同病相憐れむ』の言葉があるように、仲間の世話をすることが、自分を回復させることにもなります。私にとって『リカバリー・パレードin関西』の取組みは、『仲間と共に回復する』ことのひとつなのです。我々当事者が新しい普通(新しい生き方)を歩む上で、この取組みは大きな支えとなります。ひとりでは回復できません。仲間と共に歩み続けます。ぜひ、ご支援をお願いいたします。

プロジェクトについて

9月22日に大阪の御堂筋で、「依存症」「精神障がい」「生きづらさの病気・困難」を抱える人と支援者が集まりパレードをします。このリカバリー・パレード「回復の祭典」を通じて、これら病気について社会に知ってもらう機会を作り、回復が可能であることをアピールしたいと考えています。この運営費を募るプロジェクトです。

 ⇒ リカバリー・パレードin関西「回復の祭典」

■リカバリー・パレード「回復の祭典」とは

「社会の偏見を取り除くのは回復者自身の責任である」(ウィリアム・L・ホワイト)

依存症、精神障がい、生きづらさの病気・困難は、いずれも回復が可能です。しかし、回復は可能で、新しい生き方を手にすることができるという事実は、社会の中でほとんど知られておらず、病気・困難を抱える本人や家族の人たちにさえよく知られていない状況です。回復が信じられず、回復への道につながるきっかけが得られず、長いあいだ病気・困難を抱え続け、あるいは悪化させていき、やがては死んでいく人たちも無数にいます。そして、これらの病気・困難に対する無知と偏見が、社会には少なからず存在しています。

私たちは、リカバリー・パレード「回復の祭典」を通じて、何よりも自分たちの回復の喜びを分かち合いたいと考えています。そして、多くの人たちに、回復は可能であり事実であることを知っていただくことで、より多くの人たちが回復を実現できる社会になれば、と考えています。

◇9月22日の予定(詳細はホームページで公表いたします)

午前11時過ぎに靭公園(大阪の本町)に集合

午後12時頃にパレード出発

午後13時頃に元町中公園(大阪の難波)で一旦解散

午後14時頃から浪速区民センター大ホールでフォーラム&コンサート(コーラス隊)を開催

(コーラス隊の演奏)

■関西以外で実施しているリカバリー・パレード

リカバリーパレードin東京  2010年より毎年(6回)

リカバリーパレードin広島  2012年より毎年(4回)

リカバリーパレードin北九州 2013年より毎年(3回)

リカバリーパレードin仙台  2014年より毎年(2回)

リカバリーパレードin沖縄  2014年より毎年(2回)

■資金はパレード運営に使います

チラシやポスター、ノボリの製作や備品に約23万円、集合解散の公園使用料に約1万円、パレードで使用する先導車や救護車のレンタル費用に約10万円、パレード終了後のフォーラム会場の使用料等に約5万円、配布参考資料の印刷に約1万円、合計40万円にあてさせて頂きます。

■リターンにオリジナルTシャツ

オリジナルステッカーを準備しています。リカバリー・パレード関西独自のロゴマークです。

オリジナルTシャツを準備しています。リカバリー・パレードのテーマ色の青を使い、関西独自のロゴマークを大きく使っています。

■想定されるリスク

パレードを実施するのが9月ですので、台風などで暴風警報が発令された場合などは、延期する場合があります。

■私の発症から回復までの道のり(浅井登)

以下、長文になりますが、私の依存症の体験談です。この病気がどんなものかや恐ろしさを知っていただくために、書かせていただきます。

【むちゃくちゃ】

このまま飛び込んで何もかも終わらせてしまおうか……。30代後半あたりから、駅のホームに立つたび、そんなことを考えるようになりました。会社へ行けば嫌なことだらけで、「今日はトラブルがないように」と願いながら何年出勤してきたことか。

当時、私は自社のシステムエンジニア(SE)として働いていました。朝から18時半までは会議で、定時が過ぎてから自分の仕事をするのが普通になっていただけでなく、コンピュータの「2000年問題」対応も重なり身も心もへとへとでした。帰宅しても、どうせ職場から電話が来て対応を迫られます。せめて一瞬でも仕事のことを忘れたいと、仕事帰りにコンビニでワンカップの1.5倍サイズを4本買うのが、小さな慰めでした。コンビニの前で1本、駅のホームで1本、乗り換えの駅で1本、最寄り駅で1本飲むのです。ところが職場を出て妻に「帰るコール」をすると、たいていコンビニに入る直前で「飲まないで帰ってきて」というメールが来ます。それを見るたび「こんなに苦しいのになぜわかってくれないのか」という気持ちが込み上げてきて、悲しくて涙が出そうになりました。飲むことは自分にとって、1日の終わりに頭をリセットするための大切なセレモニーだったからです。

帰宅して、少しだけご飯を食べて、妻子が風呂に入っている間にまたコンビニへ行って酒を買います。夜中に会社から電話が入ると、即座に対応しなければなりません。何が何でも朝までに問題を解決しないと、翌日の業務に支障をきたすからです。責任の重さから逃れるため、ますます酒を飲み、電話の途中で記憶喪失して「指示を出した・出さない」でトラブルになることもありました。

その頃よく見ていた悪夢があります。真っ暗な中、フェンスのない高いビルの屋上にいて、怖くて汗びっしょりになって目覚めるのです。今思うと禁断症状だったと思いますが、朝起きると熱っぽく、ついに「風邪をひいたので休ませてください」と言ってたびたび仕事を休むようになりました。

妻がパートに出る朝9時頃から迎え酒を飲みました。すると少し気持ちが楽になるのですが、だんだんそういうことが妻にばれ、家の中の酒がなくなり、小遣いも減らされました。家中を探しても、1銭も見つかりません。ようやく見つけたのは子どもの貯金箱で、300円か400円を取り出して喜び勇んでコンビニへ行きました。今から考えればとんでもないことですが、当時は罪悪感がありませんでした。これで酒を買うことができる……。その思いだけで、自分のつらさのことしか考えられなくなっていたのです。家族を大切にする気持ちや愛する気持ちが飛んでいました。

【酒をやめ続ける】

健康診断でγ-GTPが500以上になり、体も仕事もきつくて、限界を感じたのは40歳のときでした。妻に「酒をやめるところへ連れて行ってくれ」と泣きつきました。精神科クリニックへ行くと、たまたまその先生がアルコール依存症の専門クリニックのことを知っていて、紹介状を書いてくださいました。

最初の診察のことは、ほとんど覚えていません。妻によると、医師から抗酒剤を処方され、「もうこれで飲まずにすむ」とつぶやいたそうです。医師に「アルコール依存症・抑うつ状態」という診断書を書いてもらい、9ヵ月休職しました。その間、断酒会に参加し、そこで出会った先輩に「つらかったろう、一緒にやっていこうな」と手を握り締められ、初めて自分のつらさをわかってくれる人に出会えたと感じました。

といっても、すぐに依存症という病気を理解し受け入れられたわけではありませんでした。断酒会に行っても「俺はこの人たちと違う」という気持ちがどこかにあったし、「とにかく1年は絶対に飲まない」と心に誓い、ひたすら酒を我慢していました。そんな状態だったので、時間が経ってくると、「飲んでしまったらどうしよう?」「このままやめ続けることはできるんだろうか?」という漠然とした不安に襲われるようになりました。

どうすればいいのかわからず、主治医に相談しました。「今のあなたに必要なのは腹をくくることです」と言われ、それが私にとっては目から鱗になりました。どんなに酒をやめていても、一杯飲めば元に戻ってしまう病気だと頭ではわかっていても、腹の底ではやめ続ける踏ん切りがついていなかったのです。

そのことがわかったら、シラフのままで復職したいという気持ちが固まり、自分の進むべき道が少し見えてきました。私の場合、もとの仕事に戻って酒をやめ続ける自信はありませんでした。かつて「何か困ったことがあったら相談しに来い」と言ってくれた上司がいたことを思い出し、身の振り方を相談しました。すると上司のつてと後押しで関連会社に転籍することができ、それが大きな転機になりました。初日の朝礼で「今までコンピュータ関係の仕事をしていましたが、酒が止まらなくなり1年休職し、転籍しました。酒はいっさい飲めません。酒席は失礼させていただきます」と挨拶し、新たなスタートを切ることができたのです。

【双極性障害とアルコール依存症という2つの病】

その後、現在まで断酒が続いていますが、道のりは決して平坦ではありませんでした。実は断酒5年目に、私は双極性障害(躁うつ病)という診断を受けました。なるほど、この病で有名だった作家の北杜夫氏も、こういう状態だったのだと妙に納得しました。私は酒をやめてから、急に武道を始めたり釣りにのめりこんだり、すごく活発になったかと思うと、突然、気分が落ちこんで、深海に沈んだような感覚になり会社に行けなくなってしまうことを繰り返していました。自分でも持て余していましたが、これも病気だったのです。

なぜこの病気になったのか、原因はわかりません。もともとそういう素地があったのかもしれないし、SEをしていた頃のハードな生活が引き金になったのかもしれません。それでも双極性障害に合わせた薬を飲み、行動療法をしながら、年に1、2回は1ヵ月ほどうつで休む生活を続ける中で、少しずつ自分のパターンがわかってきました。「今はうつの時期だから淡々と行こう」とか、寝不足で過覚醒の状態になるとその後どーんと落ち込むので意識的によく寝るようにしたりと、工夫をすることができています。

うつになると、会社を休んで寝っぱなしで、飲酒欲求もまったくわきません。主治医には、うつから躁になるときがいろいろな意味で一番危ないと言われており、気をつけなければと思います。アルコール依存症と双極性障害という2つの病を持っていることを忘れ、他の人と同じように生活していたら、私の「心のコップ」はすぐにいっぱいになって調子が崩れてしまいます。自分の度量を知るためにも、2つの病を持つ自分にとっての「新しい普通」を理解し、それを受け入れて行動していくことが大切なんだと感じます。

そんなわけで、決して順調とは言えない断酒生活ではありますが、実際はそれほど居心地の悪いものではなく、「何事も60点でいい」と自分に言い聞かせています。いちばん大きく変わったのは、困ったときに「助けてください」と言えるようになったことです。飲んでいた頃はコンピュータばかり相手にしてきたし、俺しかいないと一人で頑張ってきました。それはとても苦しかった。今はいろんな人と話し合って協力し合いながら物事を進める楽しさを感じています。

■仲間と共に回復することがカギ

最後までご覧いただきありがとうございます。回復に至るには、『仲間と共に回復する』という考え方がカギなのだと思います。『同病相憐れむ』の言葉があるように、仲間の世話をすることが、自分を回復させることにもなります。私にとって『リカバリー・パレードin関西』の取組みは、『仲間と共に回復する』ことのひとつなのです。我々当事者が新しい普通(新しい生き方)を歩む上で、この取組みは大きな支えとなります。ひとりでは回復できません。仲間と共に歩み続けます。ぜひ、ご支援をお願いいたします。

支援期間終了

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  • 支援者

    60

  • 残り期間

    0

  • 集まっている金額

    449,000

    目標金額:400,000

  • 達成率112%

    FUNDED!

2016年06月30日23:59に終了しました。

支援期間終了

起案者

実行者イメージ

浅井 登

昭和39年に大阪府の寝屋川市で生まれまし ... た。現在は、家内・息子(18歳)と暮らしています。
普段は会社員ですが、月曜日の夜は堺市東断酒会の会長をさせて頂いています。
断酒会とは、アルコール依存症者の自助組織です。
私は、この病と診断されて早11年になります。なんとか、お酒を飲まない(断酒)生活も軌道に乗ってきました。断酒生活で気付いたことは、【感謝】が大事で当たり前のものはなにもないということです。そして、同病の仲間と支えあっていく素晴らしさ、孤独が人を蝕むという事に気づきました。
これからは、【病を受け入れ新しい生き方を見い出すことができる】ことを、広くアピールしていきます。
  • 1,000

    パレードに協賛(支援者限定の活動報告)

    リターン

      ・支援者限定の活動報告

    支援者の数 2

    支援期間終了

  • 2,000

    パレードに協賛(ステッカープレゼント)

    リターン

      ・お礼状
      ・オリジナルのステッカーを1枚
      ・支援者限定の活動報告

    支援者の数 6

    お届け予定:2016年9月

    支援期間終了

  • 3,000

    パレードに協賛(Tシャツプレゼント)

    リターン

      ・お礼状
      ・オリジナルのTシャツを1枚
      ・支援者限定の活動報告

    支援者の数 42

    お届け予定:2016年9月

    支援期間終了

  • 残り10枚

    10,000

    パレードに協賛(実行委員会の寄せ書き)

    リターン

      ・お礼の寄せ書き(手書き色紙)を1枚
      ・オリジナルのステッカーを1枚
      ・オリジナルのTシャツを1枚
      ・支援者限定の活動報告

    支援者の数 10

    お届け予定:2016年9月

    支援期間終了

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