地元の人と整備した道志川カヌーコースで練習を重ね、世界へ
自分の体験を相模原で伝え恩返ししたい
カヌー競技で活躍する17歳の斎藤彰太選手(神奈川県出身)はスラロームカナディアンの選手です。カヌーはスプリントやワイルドウォーターなど種目が多く、急流に設置されたゲートを通過しながら速さや乗船技術などを競うスラロームもパドルによってカヤック(両側にブレードがある)とカナディアン(片側にのみプレートがある)に分かれています。斎藤選手が挑んでいる種目は、2016年にあった国際大会で羽根田卓也選手がアジア人初のメダリストになり注目を集めました。
2021年秋はスロバキアなど欧州遠征でもまれました
斎藤選手は小学校に入る前からカヌーに乗り、急流のなかでスラロームの練習を始めたのは小学4年生の頃です。地元の相模原市に道志川があったことも大きなきっかけでした。6年生の時に全国少年少女カヌー大会で全国大会初制覇。高校1年生でNHK杯2位となり初の日本代表(U23)になりました。21年は日本A代表としてワールドカップを舞台に戦いましたが予選を突破できませんでした。高校最後の1年となる22年は決勝まで残り、世界の本当のトップとして戦うことが目標です。
家族全員で喜びたいと兄と違う種目に
両親と兄、弟2人の6人家族の斎藤家は、兄弟4人が全員カヌースラロームの選手です。特に4歳上の康祐さんはカヤックの日本A代表で、斎藤選手にとって憧れの存在です。康祐さんが小学5、6年の時に全国少年少女カヌー大会を圧勝した姿を今でも鮮明に覚えていて、それ以来ずっと目標にしています。斎藤選手は康祐さんに大きく影響を受けましたが、兄と異なる種目のカナディアンで日本代表をめざしています。
「大きな国際大会の日本代表は1種目一人。どちらかが出られないのではなくて、2人で出たいと思いました。その方が家族全員で喜べる。その時の自分のうれしさも絶対に違います」
現在、康祐さんは栃木を拠点にしていますが、斎藤選手は道志川のカヌーコースで弟2人と練習をしています。見守るのは父親の利久さん。神奈川県カヌー協会の理事長を務め、国体のスラローム神奈川県代表の監督です。
「父はカヌー未経験でした。カヌーをうまくなりたいと思っていた私たちの思いにこたえるため、勉強して指導者ライセンスを取得してくれました。自宅ではいつも練習動画をみながら家族全員で話しています。種目は異なりますがスキーをやっていた母の意見も参考になっています。他競技でも意外なところで共通点があるので面白いです」
県内になかった練習場所を整備
スラロームのコースは水深や流れの向き、渦やうねりなど、様々な条件が複合的に求められます。この条件に適した急流は国内には少なく、これまでは関東近郊では東京都青梅市にある御岳渓谷くらいしかありません。同じように相模原市から育った「先輩」でもあるトップクラスの足立和也選手は国際大会で戦うようになってから、練習場所確保のために山口県へ引っ越しました。
地元の道志川で父に見守られながら兄弟で鍛えている
道志川にカヌースラロームのコースが整備されたのは7年ほど前。相模原市のカヌー協会がとりまとめ、神奈川県内初のスラロームコースを作りました。まだ小学生だった斎藤選手もコース整備を手伝い、石積みなどもしました。この場所で今も練習しています。
「ここはゲートもあるので基本練習を日が暮れるまでしっかりできるのが助かります。国体の県予選など大会も行なわれますが、選手たちにコースがほめられると自分のことのようにうれしいです」
道志川を中心にカヌー競技を広めていく
斎藤選手には夢が二つあります。ひとつは兄の康祐さんと一緒に4年に一度の国際大会へ出場すること。そしてもう一つの夢が、生まれてからずっと暮らす相模原市にカヌー文化を浸透させることです。
好成績を残すこととカヌーを広めること二つの夢を追います
「競技者を増やすことがカヌーを広めることになります。だからこそ世界で成果を出してカヌー競技の魅力を伝えたいです。相模原市にはスプリントができる宮ヶ瀬湖もあれば、スラロームができる道志川もあります。カヌー競技を広めることで相模原市なら本格的にカヌーができると、相模原をカヌーの街として有名にしたいです」
着実に力がつき、海外遠征で日本を長く離れることもあって、この春から通信制の高校に転入しました。明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を知ったきっかけは、コース整備をはじめ協力してくれる地元の人々へ恩を返したいという斎藤選手の思いを知る人から教えてもらったことでした。斎藤選手は支援していただいたお金は自艇の購入や遠征の費用に充て、大会で結果を残し、カヌー教室の開催などを通して地元へ還元したいと考えています。
(取材・制作:4years.編集部)
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地元の人と整備した道志川カヌーコースで練習を重ね、世界へ 自分の体験を相模原で伝え恩返ししたい カヌー競技で活躍する17歳の斎藤彰太選手(神奈川県出身)はスラロームカナディアンの選手です。カヌーはスプリントやワイルドウォーターなど種目が多く、急流に設置されたゲートを通過しながら速さや乗船技術などを競うスラロームもパドルによってカヤック(両側にブレードがある)とカナディアン(片側にのみプレートがある)に分かれています。斎藤選手が挑んでいる種目は、2016年にあった国際大会で羽根田卓也選手がアジア人初のメダリストになり注目を集めました。 2021年秋はスロバキアなど欧州遠征でもまれました 斎藤選手は小学校に入る前からカヌーに乗り、急流のなかでスラロームの練習を始めたのは小学4年生の頃です。地元の相模原市に道志川があったことも大きなきっかけでした。6年生の時に全国少年少女カヌー大会で全国大会初制覇。高校1年生でNHK杯2位となり初の日本代表(U23)になりました。21年は日本A代表としてワールドカップを舞台に戦いましたが予選を突破できませんでした。高校最後の1年となる22年は決勝まで残り、世界の本当のトップとして戦うことが目標です。 家族全員で喜びたいと兄と違う種目に 両親と兄、弟2人の6人家族の斎藤家は、兄弟4人が全員カヌースラロームの選手です。特に4歳上の康祐さんはカヤックの日本A代表で、斎藤選手にとって憧れの存在です。康祐さんが小学5、6年の時に全国少年少女カヌー大会を圧勝した姿を今でも鮮明に覚えていて、それ以来ずっと目標にしています。斎藤選手は康祐さんに大きく影響を受けましたが、兄と異なる種目のカナディアンで日本代表をめざしています。 「大きな国際大会の日本代表は1種目一人。どちらかが出られないのではなくて、2人で出たいと思いました。その方が家族全員で喜べる。その時の自分のうれしさも絶対に違います」 現在、康祐さんは栃木を拠点にしていますが、斎藤選手は道志川のカヌーコースで弟2人と練習をしています。見守るのは父親の利久さん。神奈川県カヌー協会の理事長を務め、国体のスラローム神奈川県代表の監督です。 「父はカヌー未経験でした。カヌーをうまくなりたいと思っていた私たちの思いにこたえるため、勉強して指導者ライセンスを取得してくれました。自宅ではいつも練習動画をみながら家族全員で話しています。種目は異なりますがスキーをやっていた母の意見も参考になっています。他競技でも意外なところで共通点があるので面白いです」 県内になかった練習場所を整備 スラロームのコースは水深や流れの向き、渦やうねりなど、様々な条件が複合的に求められます。この条件に適した急流は国内には少なく、これまでは関東近郊では東京都青梅市にある御岳渓谷くらいしかありません。同じように相模原市から育った「先輩」でもあるトップクラスの足立和也選手は国際大会で戦うようになってから、練習場所確保のために山口県へ引っ越しました。 地元の道志川で父に見守られながら兄弟で鍛えている 道志川にカヌースラロームのコースが整備されたのは7年ほど前。相模原市のカヌー協会がとりまとめ、神奈川県内初のスラロームコースを作りました。まだ小学生だった斎藤選手もコース整備を手伝い、石積みなどもしました。この場所で今も練習しています。 「ここはゲートもあるので基本練習を日が暮れるまでしっかりできるのが助かります。国体の県予選など大会も行なわれますが、選手たちにコースがほめられると自分のことのようにうれしいです」 道志川を中心にカヌー競技を広めていく 斎藤選手には夢が二つあります。ひとつは兄の康祐さんと一緒に4年に一度の国際大会へ出場すること。そしてもう一つの夢が、生まれてからずっと暮らす相模原市にカヌー文化を浸透させることです。 好成績を残すこととカヌーを広めること二つの夢を追います 「競技者を増やすことがカヌーを広めることになります。だからこそ世界で成果を出してカヌー競技の魅力を伝えたいです。相模原市にはスプリントができる宮ヶ瀬湖もあれば、スラロームができる道志川もあります。カヌー競技を広めることで相模原市なら本格的にカヌーができると、相模原をカヌーの街として有名にしたいです」 着実に力がつき、海外遠征で日本を長く離れることもあって、この春から通信制の高校に転入しました。明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を知ったきっかけは、コース整備をはじめ協力してくれる地元の人々へ恩を返したいという斎藤選手の思いを知る人から教えてもらったことでした。斎藤選手は支援していただいたお金は自艇の購入や遠征の費用に充て、大会で結果を残し、カヌー教室の開催などを通して地元へ還元したいと考えています。 (取材・制作:4years.編集部)
地元の人と整備した道志川カヌーコースで練習を重ね、世界へ
自分の体験を相模原で伝え恩返ししたい
カヌー競技で活躍する17歳の斎藤彰太選手(神奈川県出身)はスラロームカナディアンの選手です。カヌーはスプリントやワイルドウォーターなど種目が多く、急流に設置されたゲートを通過しながら速さや乗船技術などを競うスラロームもパドルによってカヤック(両側にブレードがある)とカナディアン(片側にのみプレートがある)に分かれています。斎藤選手が挑んでいる種目は、2016年にあった国際大会で羽根田卓也選手がアジア人初のメダリストになり注目を集めました。
2021年秋はスロバキアなど欧州遠征でもまれました
斎藤選手は小学校に入る前からカヌーに乗り、急流のなかでスラロームの練習を始めたのは小学4年生の頃です。地元の相模原市に道志川があったことも大きなきっかけでした。6年生の時に全国少年少女カヌー大会で全国大会初制覇。高校1年生でNHK杯2位となり初の日本代表(U23)になりました。21年は日本A代表としてワールドカップを舞台に戦いましたが予選を突破できませんでした。高校最後の1年となる22年は決勝まで残り、世界の本当のトップとして戦うことが目標です。
家族全員で喜びたいと兄と違う種目に
両親と兄、弟2人の6人家族の斎藤家は、兄弟4人が全員カヌースラロームの選手です。特に4歳上の康祐さんはカヤックの日本A代表で、斎藤選手にとって憧れの存在です。康祐さんが小学5、6年の時に全国少年少女カヌー大会を圧勝した姿を今でも鮮明に覚えていて、それ以来ずっと目標にしています。斎藤選手は康祐さんに大きく影響を受けましたが、兄と異なる種目のカナディアンで日本代表をめざしています。
「大きな国際大会の日本代表は1種目一人。どちらかが出られないのではなくて、2人で出たいと思いました。その方が家族全員で喜べる。その時の自分のうれしさも絶対に違います」
現在、康祐さんは栃木を拠点にしていますが、斎藤選手は道志川のカヌーコースで弟2人と練習をしています。見守るのは父親の利久さん。神奈川県カヌー協会の理事長を務め、国体のスラローム神奈川県代表の監督です。
「父はカヌー未経験でした。カヌーをうまくなりたいと思っていた私たちの思いにこたえるため、勉強して指導者ライセンスを取得してくれました。自宅ではいつも練習動画をみながら家族全員で話しています。種目は異なりますがスキーをやっていた母の意見も参考になっています。他競技でも意外なところで共通点があるので面白いです」
県内になかった練習場所を整備
スラロームのコースは水深や流れの向き、渦やうねりなど、様々な条件が複合的に求められます。この条件に適した急流は国内には少なく、これまでは関東近郊では東京都青梅市にある御岳渓谷くらいしかありません。同じように相模原市から育った「先輩」でもあるトップクラスの足立和也選手は国際大会で戦うようになってから、練習場所確保のために山口県へ引っ越しました。
地元の道志川で父に見守られながら兄弟で鍛えている
道志川にカヌースラロームのコースが整備されたのは7年ほど前。相模原市のカヌー協会がとりまとめ、神奈川県内初のスラロームコースを作りました。まだ小学生だった斎藤選手もコース整備を手伝い、石積みなどもしました。この場所で今も練習しています。
「ここはゲートもあるので基本練習を日が暮れるまでしっかりできるのが助かります。国体の県予選など大会も行なわれますが、選手たちにコースがほめられると自分のことのようにうれしいです」
道志川を中心にカヌー競技を広めていく
斎藤選手には夢が二つあります。ひとつは兄の康祐さんと一緒に4年に一度の国際大会へ出場すること。そしてもう一つの夢が、生まれてからずっと暮らす相模原市にカヌー文化を浸透させることです。
好成績を残すこととカヌーを広めること二つの夢を追います
「競技者を増やすことがカヌーを広めることになります。だからこそ世界で成果を出してカヌー競技の魅力を伝えたいです。相模原市にはスプリントができる宮ヶ瀬湖もあれば、スラロームができる道志川もあります。カヌー競技を広めることで相模原市なら本格的にカヌーができると、相模原をカヌーの街として有名にしたいです」
着実に力がつき、海外遠征で日本を長く離れることもあって、この春から通信制の高校に転入しました。明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を知ったきっかけは、コース整備をはじめ協力してくれる地元の人々へ恩を返したいという斎藤選手の思いを知る人から教えてもらったことでした。斎藤選手は支援していただいたお金は自艇の購入や遠征の費用に充て、大会で結果を残し、カヌー教室の開催などを通して地元へ還元したいと考えています。
(取材・制作:4years.編集部)
支援期間終了
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支援者
16人
残り期間
0日
集まっている金額
140,000円
目標金額:400,000円
達成率35%
2023年02月28日23:59に終了しました。
支援期間終了
起案者
斎藤彰太(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム2022)
当制度を通じて、出身地や活動拠点地域など、サポートを受ける「地元」に対して貢献したいというアスリートの活動を支援します。
1,000円
お礼のメール
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りします。
支援者の数 5人
支援期間終了
5,000円
お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 0人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了
10,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 10人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了
20,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+オリジナルステッカー+YELLS(全ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、プロジェクトのオリジナルステッカー、YELLS(全ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 1人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了