アクシデントを乗り越えて日本代表へ再挑戦!地元モーグルキッズには活躍の場を
着実にステップアップした裏には1人で練習した過去も
佐々木虎選手(たいが、岩手県出身)は2020年に中京大学を卒業。現在は「チーム・ホットドック!」に所属し、地元企業の支援を受けながら競技を続けています。大学時代は4年時に北海道スキー選手権で優勝。2020-21シーズンは、全日本スキー選手権で4位、21年11月に行なわれたスウェーデンでの国際大会では優勝と健闘しています。中学時代は柔道と駅伝で注目されていた佐々木選手。母校の盛岡第四高校ではモーグルの指導者がいない中、1人で練習に打ち込みました。
競技環境を整え、地元の子供たちに生で魅力を伝えたい
アクロバティックな要素があるモーグルは、見る者を惹きつけますが、まだ日本での競技人口は多くなく、世界的な大会にならないとなかなか注目されません。そこで佐々木選手は「モーグルの魅力を知ってもらえたら」と、モーグル選手としては初めてYouTubeを活用。様々な情報を発信することで、若い人たちがモーグルを始めるきっかけになればという思いを持っています。
その登録者数は始めた頃は300人程度、そのほとんどはモーグル関係者しかいなかったのですが、現在は1000人を超えています。「モーグルってすごくマイナーなので、普通スキー場にいても選手とは気づかれないことはザラなんですけど、『YouTubeの人ですよね』って言ってもらえると、モーグルにとっても、自分にとってもいいんじゃないかって思いながらやっています」
7歳の頃の佐々木選手(中央)。兄弟とスキーを楽しんでいました
モーグルは佐々木選手のように日本のトップ10でも、支援体制が厳しいのが現状です。現在、佐々木選手は地元企業の支援を受けながら盛岡を拠点に活動しています。しかし競技を継続していくには資金も必要になります。これに加え、多額の費用が発生する海外遠征もあります。こうした中、明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を知り、地元のアスリートを応援しようとする制度趣旨に賛同。支援を受けることで、競技環境を整え、地元にも貢献したいと応募を決めました。
「地元・盛岡ではモーグルの大きな大会が開催されることがないので、子供たちはトップ選手の滑りや技をなかなか生では見られません。今後も盛岡で活動できれば、地元の子供たちと近い距離感でモーグルの醍醐味を伝えられる機会が増えます。僕がきっかけになって、モーグルをしたいという子供たちが増えていけばと思っています」
そこで2022年に始めたのが、佐々木選手自身がモーグルを本気で始めるきっかけとなった、地元の安比高原での草大会の再開です。「自分がモーグルを本格的にやるようになった小学4年生のときに出たのが、安比高原での草大会でした。でも、それっきりなくなっていたので、今回僕が掘り起こして『モーグルカップ・Tigerカップ』として4月10日に開催しました。最近は子どもたちが発表のない練習を行なっていたので。それが貢献って言われるかもしれないですけど、僕はシンプルにそういう気持ちでやっています」
高校時代は1人で練習に打ち込む
佐々木選手がモーグルを始めたのは小学4年生の時。3歳から始めたスキーを競技としてやってみようと考えていたところ、テレビでモーグルの世界的な大会を見たのがきっかけになったそうです。「重いスキー用具を身につけて高く跳ぶ、そのことに衝撃を受けました」と振り返ります。正統派であるアルペンに対してモーグルはフリースタイルで、表現力が問われるところにも強く惹かれました。
高校時代は1人だけの練習に打ち込んでいました
地元にはモーグルを教えてくれるスクールはなかったので、長野から来ていた出張レッスンで基礎を学んだそうです。中学ではスキーのオフシーズンは、柔道部と駅伝部に所属。ここでは体力作りが目的でしたが、運動神経に恵まれた佐々木選手は、柔道の盛岡市の大会で優勝を経験。高校入学時は、モーグルがインターハイ種目にはなかったのもあり、続けるか迷いましたが、モーグルなら日本人でも世界一になれると、強い気持ちで1人だけの練習に取り組みます。3年時の全日本選手権では9位に入りました。
目標とする選手と切磋琢磨できる環境を選び、中京大へ
中京大学に進学したのは、同学年の堀島行真選手(現トヨタ自動車スキー部)が中京大学を志望していると聞いたからです。大学でモーグルを続けるのであれば、高いレベルをめざす覚悟が求められます。「世代のチャンピオンで、世界ランクも上位の堀島選手の滑りを間近に見ながら練習できる環境なら、パフォーマンスの向上につながると考えました」と話します。
大学で順調に練習を続けていた佐々木選手ですが、2年生の12月、試合直前の合宿で右膝前十字靭帯断裂と半月板損傷の大けがというアクシデントに見舞われます。「ジャンプを跳び過ぎて、着地エリアを飛び越えてしまったのが原因です」と振り返ります。復帰するまで1年かかりましたが、モーグルができなかったその期間は、前に進むための貴重な時間になりました。「自分の取り組みを見つめ直すこともできました。もしけがをしなかったら、大学でやめていたかもしれません」と語ります。トレーナーの献身的な支えもあり、けがをする前よりパワーアップした佐々木選手は、復帰戦で優勝を飾りました。
頂点に向かって邁進するもまたのアクシデント
その後は4年時に北海道スキー選手権で優勝。21年11月に行なわれた国際大会でも優勝し、目標であるナショナルチームのA指定の選手にグッと近づきましたが、4年に1度の国際大会への出場はかないませんでした。「僕としてはギリギリのところまで詰めることができて、本当に行けるかもしれないっていう状況で準備をしていたので、それはかなり大きい優勝でした。行けなかったのであまり騒がれていないですけど、日本チームがどうしても強すぎて。でも、その位置につけていたというのは、さらに4年後を考えたときにすごく大きな自信になりました」
21年3月の全日本選手権での佐々木選手。頂点に向かってチャレンジが続いた
改めてモーグルの魅力を佐々木選手にたずねました。
「モーグルでは気持ちが守りに入ると、悪い結果を生みます。慎重になって速度を抑えてしまうと、ジャンプの高さが足りなくなってしまうからです。攻めの気持ちでスピードを出し、勇気を持ってコブ斜面に飛び込んだ時の方が高得点につながります。ただ、一つ間違えたら死に至ることもある競技なので、常に恐怖心とも戦っています。大けがから復帰した直後は特にそうでした。危険と隣り合わせでも果敢に挑んでいくのが、モーグルの醍醐味だと思います」
21年11月の国際大会で優勝した佐々木選手
そんな佐々木選手に再びアクシデントが襲いかかりました。22年3月に行なわれた全日本選手権の公式練習で転倒。「日本一を取ることが難しいレベルになっているなかでも、一番を狙おうという気持ちが強かったので、技の難度も上げて、それなりに攻めた構成で準備をしていたので、今となっては、攻める以外なかった。やらなきゃ勝てない試合だったので、やらないという選択肢もないし、けがしてもしょうがないという感じでした」
完治までは10カ月といわれるなか、佐々木選手は2023年の全日本選手権での復帰を目標にしています。「4年後の国際大会を考えたら、そんなに無理しないで準備の時間に充てようかなと考えています」と冷静に現状を捉えています。
「正直、引退も考えるくらいの大きなけがでしたが、周りの声が大きくて。『復帰を楽しみにしている』とか、その先のことを思ってメッセージをくれる方が多くて。全然大したことのない選手なのに、応援してくれる人が多いので、大学時代とは違った状況でけがに向き合っています」と前向きです。
モーグル競技では、靱帯のけがは圧倒的に多く、すでに手術やリハビリを行なっている子どもたちも多いそうです。「『リハビリを教えてください』とか、『虎君元気だから聞いてみよう』みたいに。そういう子に対しても、ネガティブな気持ちを持たずに、ちゃんと戻れるんだよという希望になれば。普通に元気だよって姿を見せたいんです」と話します。佐々木選手が元気な姿を見せることで子供たちも勇気をもらえています。「正直このサポートも受けていいのかなって思ったんですけど、でも僕としてはモーグルをやめない、挑戦したいという気持ちは変わりないので、またみなさんのお力をお借りしたいと思っています」
子供たちに希望を与えて続けている佐々木選手。けがを完治させた後には、再び世界の大空へ羽ばたきます。
(取材・制作:4years.編集部)
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アクシデントを乗り越えて日本代表へ再挑戦!地元モーグルキッズには活躍の場を着実にステップアップした裏には1人で練習した過去も 佐々木虎選手(たいが、岩手県出身)は2020年に中京大学を卒業。現在は「チーム・ホットドック!」に所属し、地元企業の支援を受けながら競技を続けています。大学時代は4年時に北海道スキー選手権で優勝。2020-21シーズンは、全日本スキー選手権で4位、21年11月に行なわれたスウェーデンでの国際大会では優勝と健闘しています。中学時代は柔道と駅伝で注目されていた佐々木選手。母校の盛岡第四高校ではモーグルの指導者がいない中、1人で練習に打ち込みました。 競技環境を整え、地元の子供たちに生で魅力を伝えたいアクロバティックな要素があるモーグルは、見る者を惹きつけますが、まだ日本での競技人口は多くなく、世界的な大会にならないとなかなか注目されません。そこで佐々木選手は「モーグルの魅力を知ってもらえたら」と、モーグル選手としては初めてYouTubeを活用。様々な情報を発信することで、若い人たちがモーグルを始めるきっかけになればという思いを持っています。 その登録者数は始めた頃は300人程度、そのほとんどはモーグル関係者しかいなかったのですが、現在は1000人を超えています。「モーグルってすごくマイナーなので、普通スキー場にいても選手とは気づかれないことはザラなんですけど、『YouTubeの人ですよね』って言ってもらえると、モーグルにとっても、自分にとってもいいんじゃないかって思いながらやっています」 7歳の頃の佐々木選手(中央)。兄弟とスキーを楽しんでいました モーグルは佐々木選手のように日本のトップ10でも、支援体制が厳しいのが現状です。現在、佐々木選手は地元企業の支援を受けながら盛岡を拠点に活動しています。しかし競技を継続していくには資金も必要になります。これに加え、多額の費用が発生する海外遠征もあります。こうした中、明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を知り、地元のアスリートを応援しようとする制度趣旨に賛同。支援を受けることで、競技環境を整え、地元にも貢献したいと応募を決めました。 「地元・盛岡ではモーグルの大きな大会が開催されることがないので、子供たちはトップ選手の滑りや技をなかなか生では見られません。今後も盛岡で活動できれば、地元の子供たちと近い距離感でモーグルの醍醐味を伝えられる機会が増えます。僕がきっかけになって、モーグルをしたいという子供たちが増えていけばと思っています」 そこで2022年に始めたのが、佐々木選手自身がモーグルを本気で始めるきっかけとなった、地元の安比高原での草大会の再開です。「自分がモーグルを本格的にやるようになった小学4年生のときに出たのが、安比高原での草大会でした。でも、それっきりなくなっていたので、今回僕が掘り起こして『モーグルカップ・Tigerカップ』として4月10日に開催しました。最近は子どもたちが発表のない練習を行なっていたので。それが貢献って言われるかもしれないですけど、僕はシンプルにそういう気持ちでやっています」 高校時代は1人で練習に打ち込む佐々木選手がモーグルを始めたのは小学4年生の時。3歳から始めたスキーを競技としてやってみようと考えていたところ、テレビでモーグルの世界的な大会を見たのがきっかけになったそうです。「重いスキー用具を身につけて高く跳ぶ、そのことに衝撃を受けました」と振り返ります。正統派であるアルペンに対してモーグルはフリースタイルで、表現力が問われるところにも強く惹かれました。 高校時代は1人だけの練習に打ち込んでいました 地元にはモーグルを教えてくれるスクールはなかったので、長野から来ていた出張レッスンで基礎を学んだそうです。中学ではスキーのオフシーズンは、柔道部と駅伝部に所属。ここでは体力作りが目的でしたが、運動神経に恵まれた佐々木選手は、柔道の盛岡市の大会で優勝を経験。高校入学時は、モーグルがインターハイ種目にはなかったのもあり、続けるか迷いましたが、モーグルなら日本人でも世界一になれると、強い気持ちで1人だけの練習に取り組みます。3年時の全日本選手権では9位に入りました。目標とする選手と切磋琢磨できる環境を選び、中京大へ中京大学に進学したのは、同学年の堀島行真選手(現トヨタ自動車スキー部)が中京大学を志望していると聞いたからです。大学でモーグルを続けるのであれば、高いレベルをめざす覚悟が求められます。「世代のチャンピオンで、世界ランクも上位の堀島選手の滑りを間近に見ながら練習できる環境なら、パフォーマンスの向上につながると考えました」と話します。 大学で順調に練習を続けていた佐々木選手ですが、2年生の12月、試合直前の合宿で右膝前十字靭帯断裂と半月板損傷の大けがというアクシデントに見舞われます。「ジャンプを跳び過ぎて、着地エリアを飛び越えてしまったのが原因です」と振り返ります。復帰するまで1年かかりましたが、モーグルができなかったその期間は、前に進むための貴重な時間になりました。「自分の取り組みを見つめ直すこともできました。もしけがをしなかったら、大学でやめていたかもしれません」と語ります。トレーナーの献身的な支えもあり、けがをする前よりパワーアップした佐々木選手は、復帰戦で優勝を飾りました。 頂点に向かって邁進するもまたのアクシデントその後は4年時に北海道スキー選手権で優勝。21年11月に行なわれた国際大会でも優勝し、目標であるナショナルチームのA指定の選手にグッと近づきましたが、4年に1度の国際大会への出場はかないませんでした。「僕としてはギリギリのところまで詰めることができて、本当に行けるかもしれないっていう状況で準備をしていたので、それはかなり大きい優勝でした。行けなかったのであまり騒がれていないですけど、日本チームがどうしても強すぎて。でも、その位置につけていたというのは、さらに4年後を考えたときにすごく大きな自信になりました」 21年3月の全日本選手権での佐々木選手。頂点に向かってチャレンジが続いた 改めてモーグルの魅力を佐々木選手にたずねました。 「モーグルでは気持ちが守りに入ると、悪い結果を生みます。慎重になって速度を抑えてしまうと、ジャンプの高さが足りなくなってしまうからです。攻めの気持ちでスピードを出し、勇気を持ってコブ斜面に飛び込んだ時の方が高得点につながります。ただ、一つ間違えたら死に至ることもある競技なので、常に恐怖心とも戦っています。大けがから復帰した直後は特にそうでした。危険と隣り合わせでも果敢に挑んでいくのが、モーグルの醍醐味だと思います」 21年11月の国際大会で優勝した佐々木選手 そんな佐々木選手に再びアクシデントが襲いかかりました。22年3月に行なわれた全日本選手権の公式練習で転倒。「日本一を取ることが難しいレベルになっているなかでも、一番を狙おうという気持ちが強かったので、技の難度も上げて、それなりに攻めた構成で準備をしていたので、今となっては、攻める以外なかった。やらなきゃ勝てない試合だったので、やらないという選択肢もないし、けがしてもしょうがないという感じでした」 完治までは10カ月といわれるなか、佐々木選手は2023年の全日本選手権での復帰を目標にしています。「4年後の国際大会を考えたら、そんなに無理しないで準備の時間に充てようかなと考えています」と冷静に現状を捉えています。 「正直、引退も考えるくらいの大きなけがでしたが、周りの声が大きくて。『復帰を楽しみにしている』とか、その先のことを思ってメッセージをくれる方が多くて。全然大したことのない選手なのに、応援してくれる人が多いので、大学時代とは違った状況でけがに向き合っています」と前向きです。 モーグル競技では、靱帯のけがは圧倒的に多く、すでに手術やリハビリを行なっている子どもたちも多いそうです。「『リハビリを教えてください』とか、『虎君元気だから聞いてみよう』みたいに。そういう子に対しても、ネガティブな気持ちを持たずに、ちゃんと戻れるんだよという希望になれば。普通に元気だよって姿を見せたいんです」と話します。佐々木選手が元気な姿を見せることで子供たちも勇気をもらえています。「正直このサポートも受けていいのかなって思ったんですけど、でも僕としてはモーグルをやめない、挑戦したいという気持ちは変わりないので、またみなさんのお力をお借りしたいと思っています」 子供たちに希望を与えて続けている佐々木選手。けがを完治させた後には、再び世界の大空へ羽ばたきます。 (取材・制作:4years.編集部)
アクシデントを乗り越えて日本代表へ再挑戦!地元モーグルキッズには活躍の場を
着実にステップアップした裏には1人で練習した過去も
佐々木虎選手(たいが、岩手県出身)は2020年に中京大学を卒業。現在は「チーム・ホットドック!」に所属し、地元企業の支援を受けながら競技を続けています。大学時代は4年時に北海道スキー選手権で優勝。2020-21シーズンは、全日本スキー選手権で4位、21年11月に行なわれたスウェーデンでの国際大会では優勝と健闘しています。中学時代は柔道と駅伝で注目されていた佐々木選手。母校の盛岡第四高校ではモーグルの指導者がいない中、1人で練習に打ち込みました。
競技環境を整え、地元の子供たちに生で魅力を伝えたい
アクロバティックな要素があるモーグルは、見る者を惹きつけますが、まだ日本での競技人口は多くなく、世界的な大会にならないとなかなか注目されません。そこで佐々木選手は「モーグルの魅力を知ってもらえたら」と、モーグル選手としては初めてYouTubeを活用。様々な情報を発信することで、若い人たちがモーグルを始めるきっかけになればという思いを持っています。
その登録者数は始めた頃は300人程度、そのほとんどはモーグル関係者しかいなかったのですが、現在は1000人を超えています。「モーグルってすごくマイナーなので、普通スキー場にいても選手とは気づかれないことはザラなんですけど、『YouTubeの人ですよね』って言ってもらえると、モーグルにとっても、自分にとってもいいんじゃないかって思いながらやっています」
7歳の頃の佐々木選手(中央)。兄弟とスキーを楽しんでいました
モーグルは佐々木選手のように日本のトップ10でも、支援体制が厳しいのが現状です。現在、佐々木選手は地元企業の支援を受けながら盛岡を拠点に活動しています。しかし競技を継続していくには資金も必要になります。これに加え、多額の費用が発生する海外遠征もあります。こうした中、明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を知り、地元のアスリートを応援しようとする制度趣旨に賛同。支援を受けることで、競技環境を整え、地元にも貢献したいと応募を決めました。
「地元・盛岡ではモーグルの大きな大会が開催されることがないので、子供たちはトップ選手の滑りや技をなかなか生では見られません。今後も盛岡で活動できれば、地元の子供たちと近い距離感でモーグルの醍醐味を伝えられる機会が増えます。僕がきっかけになって、モーグルをしたいという子供たちが増えていけばと思っています」
そこで2022年に始めたのが、佐々木選手自身がモーグルを本気で始めるきっかけとなった、地元の安比高原での草大会の再開です。「自分がモーグルを本格的にやるようになった小学4年生のときに出たのが、安比高原での草大会でした。でも、それっきりなくなっていたので、今回僕が掘り起こして『モーグルカップ・Tigerカップ』として4月10日に開催しました。最近は子どもたちが発表のない練習を行なっていたので。それが貢献って言われるかもしれないですけど、僕はシンプルにそういう気持ちでやっています」
高校時代は1人で練習に打ち込む
佐々木選手がモーグルを始めたのは小学4年生の時。3歳から始めたスキーを競技としてやってみようと考えていたところ、テレビでモーグルの世界的な大会を見たのがきっかけになったそうです。「重いスキー用具を身につけて高く跳ぶ、そのことに衝撃を受けました」と振り返ります。正統派であるアルペンに対してモーグルはフリースタイルで、表現力が問われるところにも強く惹かれました。
高校時代は1人だけの練習に打ち込んでいました
地元にはモーグルを教えてくれるスクールはなかったので、長野から来ていた出張レッスンで基礎を学んだそうです。中学ではスキーのオフシーズンは、柔道部と駅伝部に所属。ここでは体力作りが目的でしたが、運動神経に恵まれた佐々木選手は、柔道の盛岡市の大会で優勝を経験。高校入学時は、モーグルがインターハイ種目にはなかったのもあり、続けるか迷いましたが、モーグルなら日本人でも世界一になれると、強い気持ちで1人だけの練習に取り組みます。3年時の全日本選手権では9位に入りました。
目標とする選手と切磋琢磨できる環境を選び、中京大へ
中京大学に進学したのは、同学年の堀島行真選手(現トヨタ自動車スキー部)が中京大学を志望していると聞いたからです。大学でモーグルを続けるのであれば、高いレベルをめざす覚悟が求められます。「世代のチャンピオンで、世界ランクも上位の堀島選手の滑りを間近に見ながら練習できる環境なら、パフォーマンスの向上につながると考えました」と話します。
大学で順調に練習を続けていた佐々木選手ですが、2年生の12月、試合直前の合宿で右膝前十字靭帯断裂と半月板損傷の大けがというアクシデントに見舞われます。「ジャンプを跳び過ぎて、着地エリアを飛び越えてしまったのが原因です」と振り返ります。復帰するまで1年かかりましたが、モーグルができなかったその期間は、前に進むための貴重な時間になりました。「自分の取り組みを見つめ直すこともできました。もしけがをしなかったら、大学でやめていたかもしれません」と語ります。トレーナーの献身的な支えもあり、けがをする前よりパワーアップした佐々木選手は、復帰戦で優勝を飾りました。
頂点に向かって邁進するもまたのアクシデント
その後は4年時に北海道スキー選手権で優勝。21年11月に行なわれた国際大会でも優勝し、目標であるナショナルチームのA指定の選手にグッと近づきましたが、4年に1度の国際大会への出場はかないませんでした。「僕としてはギリギリのところまで詰めることができて、本当に行けるかもしれないっていう状況で準備をしていたので、それはかなり大きい優勝でした。行けなかったのであまり騒がれていないですけど、日本チームがどうしても強すぎて。でも、その位置につけていたというのは、さらに4年後を考えたときにすごく大きな自信になりました」
21年3月の全日本選手権での佐々木選手。頂点に向かってチャレンジが続いた
改めてモーグルの魅力を佐々木選手にたずねました。
「モーグルでは気持ちが守りに入ると、悪い結果を生みます。慎重になって速度を抑えてしまうと、ジャンプの高さが足りなくなってしまうからです。攻めの気持ちでスピードを出し、勇気を持ってコブ斜面に飛び込んだ時の方が高得点につながります。ただ、一つ間違えたら死に至ることもある競技なので、常に恐怖心とも戦っています。大けがから復帰した直後は特にそうでした。危険と隣り合わせでも果敢に挑んでいくのが、モーグルの醍醐味だと思います」
21年11月の国際大会で優勝した佐々木選手
そんな佐々木選手に再びアクシデントが襲いかかりました。22年3月に行なわれた全日本選手権の公式練習で転倒。「日本一を取ることが難しいレベルになっているなかでも、一番を狙おうという気持ちが強かったので、技の難度も上げて、それなりに攻めた構成で準備をしていたので、今となっては、攻める以外なかった。やらなきゃ勝てない試合だったので、やらないという選択肢もないし、けがしてもしょうがないという感じでした」
完治までは10カ月といわれるなか、佐々木選手は2023年の全日本選手権での復帰を目標にしています。「4年後の国際大会を考えたら、そんなに無理しないで準備の時間に充てようかなと考えています」と冷静に現状を捉えています。
「正直、引退も考えるくらいの大きなけがでしたが、周りの声が大きくて。『復帰を楽しみにしている』とか、その先のことを思ってメッセージをくれる方が多くて。全然大したことのない選手なのに、応援してくれる人が多いので、大学時代とは違った状況でけがに向き合っています」と前向きです。
モーグル競技では、靱帯のけがは圧倒的に多く、すでに手術やリハビリを行なっている子どもたちも多いそうです。「『リハビリを教えてください』とか、『虎君元気だから聞いてみよう』みたいに。そういう子に対しても、ネガティブな気持ちを持たずに、ちゃんと戻れるんだよという希望になれば。普通に元気だよって姿を見せたいんです」と話します。佐々木選手が元気な姿を見せることで子供たちも勇気をもらえています。「正直このサポートも受けていいのかなって思ったんですけど、でも僕としてはモーグルをやめない、挑戦したいという気持ちは変わりないので、またみなさんのお力をお借りしたいと思っています」
子供たちに希望を与えて続けている佐々木選手。けがを完治させた後には、再び世界の大空へ羽ばたきます。
(取材・制作:4years.編集部)
支援期間終了
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支援者
37人
残り期間
0日
集まっている金額
531,000円
(達成) 目標金額:500,000円
達成率106%
2023年02月28日23:59に終了しました。
支援期間終了
起案者
佐々木虎(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム2022)
当制度を通じて、出身地や活動拠点地域など、サポートを受ける「地元」に対して貢献したいというアスリートの活動を支援します。
1,000円
お礼のメール
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りします。
支援者の数 8人
支援期間終了
5,000円
お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 4人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了
10,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 14人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了
20,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+オリジナルステッカー+YELLS(全ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、プロジェクトのオリジナルステッカー、YELLS(全ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 11人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了