力をつけてくれた栃木に結果で恩返しを! 自信を持って挑む「勝負の年」
栃木に来て実力を伸ばし、全国へ
陸上の400mを専門としている佐藤風雅選手(那須環境技術センター)は、栃木県を拠点として活動しているアスリートです。2020年、21年と全日本実業団対抗陸上競技選手権大会で2連覇し、着実に実力を伸ばしてきている佐藤選手。世界をめざす勝負の年が始まっています。
茨城県出身で、中学のときは野球部だったという佐藤選手。たまたま陸上部の駅伝の助っ人として呼ばれたのが、「走る」こととの出会いでした。駅伝を走ってみて「走るのは楽しいけれど、長い距離は向いていないのかも」と考えた佐藤選手が選んだのは400m。その理由を「自分が活躍できる種目を考えた結果、400mがちょうど合った」と話します。スピードと体力の両立という特有の厳しさがある種目ですが、中学3年で県大会に出場して手応えを感じました。高校に入ってからは陸上競技部に入り、本格的に陸上に取り組みます。
高校の時は茨城県大会で優勝しますが、関東大会の予選で敗退し全国には行けませんでした。高校3年で「才能がないのかもしれない」と考えて陸上をやめることも考えましたが、作新学院大学陸上競技部の相馬聡監督による熱心な誘いにより、大学入学とともに栃木へと引っ越しました。
入学と時を同じくして突如、才能が開花することに。入学してすぐの記録会でいきなり自己ベストを更新。そこで中学のころに感じた「走るのが楽しい」気持ちを取り戻した佐藤選手は毎年のように自己ベストを更新し、全国大会に出場するなど「流れるように」実力を伸ばしていきました。
謎の不調に支えてくれた恩師
しかし大学4年になると、原因不明の不調に襲われます。練習はいつも通りできているのに結果が出せない。全国大会でなかなか結果が出せず、苦しい時期が続きました。
「いま思うと『結果を出さなければ』という精神的なものだったのかなとも思います」。
そんなときに相馬監督が一緒になって悔しがって、泣いてくれたことはとても印象に残っています。「先生も一緒に戦ってくれているんだな、という気持ちでした」と当時のことを振り返ります。
大学卒業後は栃木県内で就職し、フルタイムで働きながら陸上の練習をする、という生活が続きました。一見大変なように見えますが、この環境が佐藤選手にとってはプラスに働きました。「仕事と陸上は全く別物で、陸上のことだけを考えている時間があまりなかったのが逆によかったのだと思います。『練習をやらなきゃ』という意識が抜けて、取り組みにメリハリをつけられました」。いつしか、大学のときのスランプからも抜け出ていました。
スターティングブロックの練習
しかし、社会人も2年目に入れば業務が忙しくなるとわかり、いよいよ陸上競技との両立は難しくなってきました。そこで両立できる会社を探し、現在の那須環境技術センターに転職。16時まで勤務し、その後は練習というスケジュールで過ごしています。ただ、会社からサポートしてもらえる遠征のための費用は限られており、自己負担も大きいため出場する試合を絞らざるを得ませんでした。
成長させてくれた栃木に還元したい
そんなとき、いまでも週1回指導を受けている相馬監督が、明治安田生命が若手アスリートを支援する「地元アスリート応援プログラム」のことを教えてくれました。プログラムの申請上限となる年齢は25歳。現在25歳の佐藤選手にとっては最後のチャンスとなるので、ダメ元でもいいから、という気持ちで応募したと話します。
茨城県出身の佐藤選手ですが、「栃木に来てから競技者として成長できた」という思いを強く持っています。大会で結果を残すと栃木の新聞で報じられ、それを見て会社に「応援しているよ!」と電話をくれる県内の人もいるそうです。自分を成長させてくれた栃木に何か還元したい、という気持ちもあり、今回のプログラムの趣旨はぴったりでした。「結果を残したり、陸上教室などに参加して栃木の皆さんに陸上を教えたりできれば、と考えています」
2020年、400mで優勝を果たした全日本実業団対抗陸上競技選手権大会にて
芽生えた自信、世界の舞台をめざして
佐藤選手は20年の日本陸上競技選手権大会で3位、21年は5位。常に自分より自己ベストが速い選手と戦っていたため、「挑戦者」の気持ちがありました。しかし9月に全日本実業団で2連覇を達成したときに、「練習も頑張っているし、自分は速いんだ」という自信、実業団選手としてのプライドが生まれたといいます。いままでは試合前にはすぐ緊張してしまったり、自信のない自分が出てきてしまっていたりしました。しかし、全日本実業団の連覇を契機に、練習も試合も「すごく楽しみ」という気持ちに変わりました。「いままであこがれていた選手に勝てるな、というぐらいの気持ちになりました」。新しい気持ちと良いコンディションで、22年のシーズンにも臨めています。
「今年こそ、まずは結果が欲しい」と話す佐藤選手。アジア競技大会への出場権を獲得し、その先に日本選手権優勝、そして世界陸上競技選手権大会への出場を見すえています。佐藤選手の自己ベストは45秒80で、参加標準記録の44秒90とは1秒近く差がありますが、スピードアップへの備えは上々。「6月までの試合でしっかりタイムを狙っていきたい」と笑顔で話します。
「地元アスリート応援プログラム」のサポートを受けることで、世界陸上イヤーにさまざまな試合に出ることができるようになるため、これまでに経験のなかった海外の大会にも出場していきたいと考えています。そこで経験を積み、24年の夢舞台が最終的な目標です。
「栃木に来て、良かった」と振り返る佐藤選手。「地元」の思いを受けて、新たなステップへと踏み出そうとしています。
(取材・制作:4years.編集部)
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力をつけてくれた栃木に結果で恩返しを! 自信を持って挑む「勝負の年」栃木に来て実力を伸ばし、全国へ 陸上の400mを専門としている佐藤風雅選手(那須環境技術センター)は、栃木県を拠点として活動しているアスリートです。2020年、21年と全日本実業団対抗陸上競技選手権大会で2連覇し、着実に実力を伸ばしてきている佐藤選手。世界をめざす勝負の年が始まっています。 茨城県出身で、中学のときは野球部だったという佐藤選手。たまたま陸上部の駅伝の助っ人として呼ばれたのが、「走る」こととの出会いでした。駅伝を走ってみて「走るのは楽しいけれど、長い距離は向いていないのかも」と考えた佐藤選手が選んだのは400m。その理由を「自分が活躍できる種目を考えた結果、400mがちょうど合った」と話します。スピードと体力の両立という特有の厳しさがある種目ですが、中学3年で県大会に出場して手応えを感じました。高校に入ってからは陸上競技部に入り、本格的に陸上に取り組みます。 高校の時は茨城県大会で優勝しますが、関東大会の予選で敗退し全国には行けませんでした。高校3年で「才能がないのかもしれない」と考えて陸上をやめることも考えましたが、作新学院大学陸上競技部の相馬聡監督による熱心な誘いにより、大学入学とともに栃木へと引っ越しました。 入学と時を同じくして突如、才能が開花することに。入学してすぐの記録会でいきなり自己ベストを更新。そこで中学のころに感じた「走るのが楽しい」気持ちを取り戻した佐藤選手は毎年のように自己ベストを更新し、全国大会に出場するなど「流れるように」実力を伸ばしていきました。 謎の不調に支えてくれた恩師しかし大学4年になると、原因不明の不調に襲われます。練習はいつも通りできているのに結果が出せない。全国大会でなかなか結果が出せず、苦しい時期が続きました。 「いま思うと『結果を出さなければ』という精神的なものだったのかなとも思います」。 そんなときに相馬監督が一緒になって悔しがって、泣いてくれたことはとても印象に残っています。「先生も一緒に戦ってくれているんだな、という気持ちでした」と当時のことを振り返ります。 大学卒業後は栃木県内で就職し、フルタイムで働きながら陸上の練習をする、という生活が続きました。一見大変なように見えますが、この環境が佐藤選手にとってはプラスに働きました。「仕事と陸上は全く別物で、陸上のことだけを考えている時間があまりなかったのが逆によかったのだと思います。『練習をやらなきゃ』という意識が抜けて、取り組みにメリハリをつけられました」。いつしか、大学のときのスランプからも抜け出ていました。 スターティングブロックの練習 しかし、社会人も2年目に入れば業務が忙しくなるとわかり、いよいよ陸上競技との両立は難しくなってきました。そこで両立できる会社を探し、現在の那須環境技術センターに転職。16時まで勤務し、その後は練習というスケジュールで過ごしています。ただ、会社からサポートしてもらえる遠征のための費用は限られており、自己負担も大きいため出場する試合を絞らざるを得ませんでした。 成長させてくれた栃木に還元したいそんなとき、いまでも週1回指導を受けている相馬監督が、明治安田生命が若手アスリートを支援する「地元アスリート応援プログラム」のことを教えてくれました。プログラムの申請上限となる年齢は25歳。現在25歳の佐藤選手にとっては最後のチャンスとなるので、ダメ元でもいいから、という気持ちで応募したと話します。 茨城県出身の佐藤選手ですが、「栃木に来てから競技者として成長できた」という思いを強く持っています。大会で結果を残すと栃木の新聞で報じられ、それを見て会社に「応援しているよ!」と電話をくれる県内の人もいるそうです。自分を成長させてくれた栃木に何か還元したい、という気持ちもあり、今回のプログラムの趣旨はぴったりでした。「結果を残したり、陸上教室などに参加して栃木の皆さんに陸上を教えたりできれば、と考えています」 2020年、400mで優勝を果たした全日本実業団対抗陸上競技選手権大会にて 芽生えた自信、世界の舞台をめざして佐藤選手は20年の日本陸上競技選手権大会で3位、21年は5位。常に自分より自己ベストが速い選手と戦っていたため、「挑戦者」の気持ちがありました。しかし9月に全日本実業団で2連覇を達成したときに、「練習も頑張っているし、自分は速いんだ」という自信、実業団選手としてのプライドが生まれたといいます。いままでは試合前にはすぐ緊張してしまったり、自信のない自分が出てきてしまっていたりしました。しかし、全日本実業団の連覇を契機に、練習も試合も「すごく楽しみ」という気持ちに変わりました。「いままであこがれていた選手に勝てるな、というぐらいの気持ちになりました」。新しい気持ちと良いコンディションで、22年のシーズンにも臨めています。 「今年こそ、まずは結果が欲しい」と話す佐藤選手。アジア競技大会への出場権を獲得し、その先に日本選手権優勝、そして世界陸上競技選手権大会への出場を見すえています。佐藤選手の自己ベストは45秒80で、参加標準記録の44秒90とは1秒近く差がありますが、スピードアップへの備えは上々。「6月までの試合でしっかりタイムを狙っていきたい」と笑顔で話します。 「地元アスリート応援プログラム」のサポートを受けることで、世界陸上イヤーにさまざまな試合に出ることができるようになるため、これまでに経験のなかった海外の大会にも出場していきたいと考えています。そこで経験を積み、24年の夢舞台が最終的な目標です。 「栃木に来て、良かった」と振り返る佐藤選手。「地元」の思いを受けて、新たなステップへと踏み出そうとしています。 (取材・制作:4years.編集部)
力をつけてくれた栃木に結果で恩返しを! 自信を持って挑む「勝負の年」
栃木に来て実力を伸ばし、全国へ
陸上の400mを専門としている佐藤風雅選手(那須環境技術センター)は、栃木県を拠点として活動しているアスリートです。2020年、21年と全日本実業団対抗陸上競技選手権大会で2連覇し、着実に実力を伸ばしてきている佐藤選手。世界をめざす勝負の年が始まっています。
茨城県出身で、中学のときは野球部だったという佐藤選手。たまたま陸上部の駅伝の助っ人として呼ばれたのが、「走る」こととの出会いでした。駅伝を走ってみて「走るのは楽しいけれど、長い距離は向いていないのかも」と考えた佐藤選手が選んだのは400m。その理由を「自分が活躍できる種目を考えた結果、400mがちょうど合った」と話します。スピードと体力の両立という特有の厳しさがある種目ですが、中学3年で県大会に出場して手応えを感じました。高校に入ってからは陸上競技部に入り、本格的に陸上に取り組みます。
高校の時は茨城県大会で優勝しますが、関東大会の予選で敗退し全国には行けませんでした。高校3年で「才能がないのかもしれない」と考えて陸上をやめることも考えましたが、作新学院大学陸上競技部の相馬聡監督による熱心な誘いにより、大学入学とともに栃木へと引っ越しました。
入学と時を同じくして突如、才能が開花することに。入学してすぐの記録会でいきなり自己ベストを更新。そこで中学のころに感じた「走るのが楽しい」気持ちを取り戻した佐藤選手は毎年のように自己ベストを更新し、全国大会に出場するなど「流れるように」実力を伸ばしていきました。
謎の不調に支えてくれた恩師
しかし大学4年になると、原因不明の不調に襲われます。練習はいつも通りできているのに結果が出せない。全国大会でなかなか結果が出せず、苦しい時期が続きました。
「いま思うと『結果を出さなければ』という精神的なものだったのかなとも思います」。
そんなときに相馬監督が一緒になって悔しがって、泣いてくれたことはとても印象に残っています。「先生も一緒に戦ってくれているんだな、という気持ちでした」と当時のことを振り返ります。
大学卒業後は栃木県内で就職し、フルタイムで働きながら陸上の練習をする、という生活が続きました。一見大変なように見えますが、この環境が佐藤選手にとってはプラスに働きました。「仕事と陸上は全く別物で、陸上のことだけを考えている時間があまりなかったのが逆によかったのだと思います。『練習をやらなきゃ』という意識が抜けて、取り組みにメリハリをつけられました」。いつしか、大学のときのスランプからも抜け出ていました。
スターティングブロックの練習
しかし、社会人も2年目に入れば業務が忙しくなるとわかり、いよいよ陸上競技との両立は難しくなってきました。そこで両立できる会社を探し、現在の那須環境技術センターに転職。16時まで勤務し、その後は練習というスケジュールで過ごしています。ただ、会社からサポートしてもらえる遠征のための費用は限られており、自己負担も大きいため出場する試合を絞らざるを得ませんでした。
成長させてくれた栃木に還元したい
そんなとき、いまでも週1回指導を受けている相馬監督が、明治安田生命が若手アスリートを支援する「地元アスリート応援プログラム」のことを教えてくれました。プログラムの申請上限となる年齢は25歳。現在25歳の佐藤選手にとっては最後のチャンスとなるので、ダメ元でもいいから、という気持ちで応募したと話します。
茨城県出身の佐藤選手ですが、「栃木に来てから競技者として成長できた」という思いを強く持っています。大会で結果を残すと栃木の新聞で報じられ、それを見て会社に「応援しているよ!」と電話をくれる県内の人もいるそうです。自分を成長させてくれた栃木に何か還元したい、という気持ちもあり、今回のプログラムの趣旨はぴったりでした。「結果を残したり、陸上教室などに参加して栃木の皆さんに陸上を教えたりできれば、と考えています」
2020年、400mで優勝を果たした全日本実業団対抗陸上競技選手権大会にて
芽生えた自信、世界の舞台をめざして
佐藤選手は20年の日本陸上競技選手権大会で3位、21年は5位。常に自分より自己ベストが速い選手と戦っていたため、「挑戦者」の気持ちがありました。しかし9月に全日本実業団で2連覇を達成したときに、「練習も頑張っているし、自分は速いんだ」という自信、実業団選手としてのプライドが生まれたといいます。いままでは試合前にはすぐ緊張してしまったり、自信のない自分が出てきてしまっていたりしました。しかし、全日本実業団の連覇を契機に、練習も試合も「すごく楽しみ」という気持ちに変わりました。「いままであこがれていた選手に勝てるな、というぐらいの気持ちになりました」。新しい気持ちと良いコンディションで、22年のシーズンにも臨めています。
「今年こそ、まずは結果が欲しい」と話す佐藤選手。アジア競技大会への出場権を獲得し、その先に日本選手権優勝、そして世界陸上競技選手権大会への出場を見すえています。佐藤選手の自己ベストは45秒80で、参加標準記録の44秒90とは1秒近く差がありますが、スピードアップへの備えは上々。「6月までの試合でしっかりタイムを狙っていきたい」と笑顔で話します。
「地元アスリート応援プログラム」のサポートを受けることで、世界陸上イヤーにさまざまな試合に出ることができるようになるため、これまでに経験のなかった海外の大会にも出場していきたいと考えています。そこで経験を積み、24年の夢舞台が最終的な目標です。
「栃木に来て、良かった」と振り返る佐藤選手。「地元」の思いを受けて、新たなステップへと踏み出そうとしています。
(取材・制作:4years.編集部)
支援期間終了
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最新のプロジェクト情報をお届けします。
支援者
24人
残り期間
0日
集まっている金額
145,500円
目標金額:300,000円
達成率48%
2023年02月28日23:59に終了しました。
支援期間終了
起案者
佐藤風雅(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム2022)
当制度を通じて、出身地や活動拠点地域など、サポートを受ける「地元」に対して貢献したいというアスリートの活動を支援します。
1,000円
お礼のメール
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りします。
支援者の数 21人
支援期間終了
5,000円
お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 3人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了