あえて選んだ雪国・新潟からの挑戦、応援してくれる地元に喜んでもらうためにプロになる
ゴルフ愛好家である父と一緒に
竹本梨奈選手は現在、プロゴルファーになるという幼い頃からの目標に向けて練習を重ねています。ゴルフ界では「異色」だという地元・新潟市からの挑戦にも、大きな意義を見出しています。
竹本選手が初めてゴルフクラブを握ったのは8歳の頃でした。当時は幼稚園時代から習っていたクラシックバレエの方に気持ちが傾いており、ゴルフ愛好家である父・建二さんに「『これをやりなさい』と、ゴルフクラブを持たされたような感じです」と半ば強引だったスタート地点を苦笑しながら振り返ります。
「ゴルフも好きじゃなかったし、父の練習が厳しかったので、結構しんどかった」というのが竹本選手の正直な思いです。正月も休めなかったため、小学生には随分とハードな練習だったことでしょう。ただし、父との二人三脚の練習が徐々に変化をもたらします。小学校高学年になると全国大会に出場するようになり、厳しい練習が結果につながる喜びを見いだしました。ゴルフへの情熱は、自然と強くなっていったと言います。
結果が出始めてからは、竹本選手(左)は父(右)との厳しい練習も前向きに取り組めるようになりました
地元を離れた時に実感した親のありがたみ
早くからプロを意識していたという竹本選手は中学校卒業にあたり、宮里藍選手ら多くのプロゴルファーを輩出した宮城県の名門・東北高校への進学を選びました。越境入学は、ゴルフ以外にも竹本選手に大きな影響を及ぼしました。地元を離れたことで、家族の支えを再確認したと言います。「寮に入ったのですが、学校が休みの日には自炊をしなければいけませんでした。ご飯を作ったことはなかったし、平日には練習が終わってから眠いけど頑張って洗濯機を回したりしていました」と、身の回りの世話をしてくれた母への感謝を強く感じたそうです。
父と離れたことは、ゴルフに変化を起こしました。これまではすべて父・建二さんの言う通りに練習してきましたが、高校では足りないものや伸ばすべき点を自分で見つけなければなりませんでした。「練習もずっと見てくれていた父がいなくなったので、ああしよう、こうしようと、自分で考える時間が多くなりました」。全国大会には出場するものの、タイトルまでの距離は遠かったと言いますが、確実に大人のゴルファーに近づいていく高校3年間になりました。
目に見える成果は残せなかったものの、ゴルフへの思いは冷めませんでした。選んだのは、地元からのプロテストへの挑戦です。「地元の方々に協力してもらって良い練習環境がありましたし、これまでお世話になった方々がいる新潟で頑張りたい、という気持ちがあり、戻ってきました」
たとえ冬に練習ができなくても
実は、新潟からプロゴルファーをめざすのは異例だそうです。「雪が多くて、冬は3カ月間、練習ができません。試合は関東で行なわれることが多く、冬に月2回は千葉などに行く遠征も負担になる」と、ほとんどの選手が新潟から関東に拠点を移すそうです。まずはプロテストに合格することをめざす段階の選手ほど、その傾向は強いそうですが、竹本選手は「関東に住んだ方が断然楽だとは思いますが、私には新潟で頑張りたいという気持ちがあります。地元の人たちに今も応援してもらっているからです」と、自分の思いを貫いています。
新潟市内にある「たまごスイーツカフェ」はお気に入りのスポットです
子どもの頃から知る竹本選手をたくさんの人が応援してくれているそうです。「高校を卒業して地元に戻ると、ゴルフを始めた頃から通っている練習場で、『帰って来たんだね!』と喜んでくれる人もいました」と、地元の愛情を実感しています。
この「地元アスリート応援プログラム」も、地元の明治安田生命に勤める知人から教えてもらったそうです。「地元というのがいいなと思いました。地元には感謝の気持ちがありますし、大切に思っているからです」と、応募を決めました。
「人生に無駄なことはないよ」という言葉に励まされ
目の前の目標は、プロテストに合格することです。実はこれまでに3回落選していて、心が折れそうになりました。それでも、頑張る理由があるそうです。
「スポンサードしてくださる会社もあり、そういう方たちにプロテストに失敗したことをお伝えした時のことが心に残っています。皆さんが前向きな言葉をかけてくださり、これからも応援していますと言っていただきました。なかでも『人生に無駄なことはないよ、今経験していることは絶対に裏切らないから』という言葉が心に響いて、また頑張ろうと踏ん張れました。何度も、もうやめようかと思いましたが、やはり諦めきれない気持ちがずっとありました。家族もそうですし、たくさんの方々の協力があったので、自分ひとりの思いでは諦められないなという気持ちが、ずっと心の中にあります」
プロテストを突破できず悔しい思いをしてきましたが、地元の方々の応援が力になっています
早朝3時に出発する時にも食事を用意してくれる母親など、たくさんの人の応援を感じながら遠征し、「ゴルフはメンタルのスポーツ。緊張をコントロールするなど、精神力の向上には不可欠」と試合への出場を積み重ねています。支援金については、雪国のハンディを跳ね返すべく、遠征費用などに充てる予定です。
晴れてプロテストに合格しても、新潟から挑戦を続けたいと考えています。「皆さんが一番喜んでくれるのは、私が結果を出した時です。プロツアーに出られるようになったら、ひとつでも多く優勝したりいい結果を残したりして、地元の方たちに喜んでもらいたいと思っています」と、地元への恩返しという夢を追いかけ続けています。
(取材・制作:4years.編集部)
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あえて選んだ雪国・新潟からの挑戦、応援してくれる地元に喜んでもらうためにプロになる ゴルフ愛好家である父と一緒に 竹本梨奈選手は現在、プロゴルファーになるという幼い頃からの目標に向けて練習を重ねています。ゴルフ界では「異色」だという地元・新潟市からの挑戦にも、大きな意義を見出しています。 竹本選手が初めてゴルフクラブを握ったのは8歳の頃でした。当時は幼稚園時代から習っていたクラシックバレエの方に気持ちが傾いており、ゴルフ愛好家である父・建二さんに「『これをやりなさい』と、ゴルフクラブを持たされたような感じです」と半ば強引だったスタート地点を苦笑しながら振り返ります。 「ゴルフも好きじゃなかったし、父の練習が厳しかったので、結構しんどかった」というのが竹本選手の正直な思いです。正月も休めなかったため、小学生には随分とハードな練習だったことでしょう。ただし、父との二人三脚の練習が徐々に変化をもたらします。小学校高学年になると全国大会に出場するようになり、厳しい練習が結果につながる喜びを見いだしました。ゴルフへの情熱は、自然と強くなっていったと言います。 結果が出始めてからは、竹本選手(左)は父(右)との厳しい練習も前向きに取り組めるようになりました 地元を離れた時に実感した親のありがたみ 早くからプロを意識していたという竹本選手は中学校卒業にあたり、宮里藍選手ら多くのプロゴルファーを輩出した宮城県の名門・東北高校への進学を選びました。越境入学は、ゴルフ以外にも竹本選手に大きな影響を及ぼしました。地元を離れたことで、家族の支えを再確認したと言います。「寮に入ったのですが、学校が休みの日には自炊をしなければいけませんでした。ご飯を作ったことはなかったし、平日には練習が終わってから眠いけど頑張って洗濯機を回したりしていました」と、身の回りの世話をしてくれた母への感謝を強く感じたそうです。 父と離れたことは、ゴルフに変化を起こしました。これまではすべて父・建二さんの言う通りに練習してきましたが、高校では足りないものや伸ばすべき点を自分で見つけなければなりませんでした。「練習もずっと見てくれていた父がいなくなったので、ああしよう、こうしようと、自分で考える時間が多くなりました」。全国大会には出場するものの、タイトルまでの距離は遠かったと言いますが、確実に大人のゴルファーに近づいていく高校3年間になりました。 目に見える成果は残せなかったものの、ゴルフへの思いは冷めませんでした。選んだのは、地元からのプロテストへの挑戦です。「地元の方々に協力してもらって良い練習環境がありましたし、これまでお世話になった方々がいる新潟で頑張りたい、という気持ちがあり、戻ってきました」 たとえ冬に練習ができなくても 実は、新潟からプロゴルファーをめざすのは異例だそうです。「雪が多くて、冬は3カ月間、練習ができません。試合は関東で行なわれることが多く、冬に月2回は千葉などに行く遠征も負担になる」と、ほとんどの選手が新潟から関東に拠点を移すそうです。まずはプロテストに合格することをめざす段階の選手ほど、その傾向は強いそうですが、竹本選手は「関東に住んだ方が断然楽だとは思いますが、私には新潟で頑張りたいという気持ちがあります。地元の人たちに今も応援してもらっているからです」と、自分の思いを貫いています。 新潟市内にある「たまごスイーツカフェ」はお気に入りのスポットです 子どもの頃から知る竹本選手をたくさんの人が応援してくれているそうです。「高校を卒業して地元に戻ると、ゴルフを始めた頃から通っている練習場で、『帰って来たんだね!』と喜んでくれる人もいました」と、地元の愛情を実感しています。 この「地元アスリート応援プログラム」も、地元の明治安田生命に勤める知人から教えてもらったそうです。「地元というのがいいなと思いました。地元には感謝の気持ちがありますし、大切に思っているからです」と、応募を決めました。 「人生に無駄なことはないよ」という言葉に励まされ 目の前の目標は、プロテストに合格することです。実はこれまでに3回落選していて、心が折れそうになりました。それでも、頑張る理由があるそうです。 「スポンサードしてくださる会社もあり、そういう方たちにプロテストに失敗したことをお伝えした時のことが心に残っています。皆さんが前向きな言葉をかけてくださり、これからも応援していますと言っていただきました。なかでも『人生に無駄なことはないよ、今経験していることは絶対に裏切らないから』という言葉が心に響いて、また頑張ろうと踏ん張れました。何度も、もうやめようかと思いましたが、やはり諦めきれない気持ちがずっとありました。家族もそうですし、たくさんの方々の協力があったので、自分ひとりの思いでは諦められないなという気持ちが、ずっと心の中にあります」 プロテストを突破できず悔しい思いをしてきましたが、地元の方々の応援が力になっています 早朝3時に出発する時にも食事を用意してくれる母親など、たくさんの人の応援を感じながら遠征し、「ゴルフはメンタルのスポーツ。緊張をコントロールするなど、精神力の向上には不可欠」と試合への出場を積み重ねています。支援金については、雪国のハンディを跳ね返すべく、遠征費用などに充てる予定です。 晴れてプロテストに合格しても、新潟から挑戦を続けたいと考えています。「皆さんが一番喜んでくれるのは、私が結果を出した時です。プロツアーに出られるようになったら、ひとつでも多く優勝したりいい結果を残したりして、地元の方たちに喜んでもらいたいと思っています」と、地元への恩返しという夢を追いかけ続けています。 (取材・制作:4years.編集部)
あえて選んだ雪国・新潟からの挑戦、応援してくれる地元に喜んでもらうためにプロになる
ゴルフ愛好家である父と一緒に
竹本梨奈選手は現在、プロゴルファーになるという幼い頃からの目標に向けて練習を重ねています。ゴルフ界では「異色」だという地元・新潟市からの挑戦にも、大きな意義を見出しています。
竹本選手が初めてゴルフクラブを握ったのは8歳の頃でした。当時は幼稚園時代から習っていたクラシックバレエの方に気持ちが傾いており、ゴルフ愛好家である父・建二さんに「『これをやりなさい』と、ゴルフクラブを持たされたような感じです」と半ば強引だったスタート地点を苦笑しながら振り返ります。
「ゴルフも好きじゃなかったし、父の練習が厳しかったので、結構しんどかった」というのが竹本選手の正直な思いです。正月も休めなかったため、小学生には随分とハードな練習だったことでしょう。ただし、父との二人三脚の練習が徐々に変化をもたらします。小学校高学年になると全国大会に出場するようになり、厳しい練習が結果につながる喜びを見いだしました。ゴルフへの情熱は、自然と強くなっていったと言います。
結果が出始めてからは、竹本選手(左)は父(右)との厳しい練習も前向きに取り組めるようになりました
地元を離れた時に実感した親のありがたみ
早くからプロを意識していたという竹本選手は中学校卒業にあたり、宮里藍選手ら多くのプロゴルファーを輩出した宮城県の名門・東北高校への進学を選びました。越境入学は、ゴルフ以外にも竹本選手に大きな影響を及ぼしました。地元を離れたことで、家族の支えを再確認したと言います。「寮に入ったのですが、学校が休みの日には自炊をしなければいけませんでした。ご飯を作ったことはなかったし、平日には練習が終わってから眠いけど頑張って洗濯機を回したりしていました」と、身の回りの世話をしてくれた母への感謝を強く感じたそうです。
父と離れたことは、ゴルフに変化を起こしました。これまではすべて父・建二さんの言う通りに練習してきましたが、高校では足りないものや伸ばすべき点を自分で見つけなければなりませんでした。「練習もずっと見てくれていた父がいなくなったので、ああしよう、こうしようと、自分で考える時間が多くなりました」。全国大会には出場するものの、タイトルまでの距離は遠かったと言いますが、確実に大人のゴルファーに近づいていく高校3年間になりました。
目に見える成果は残せなかったものの、ゴルフへの思いは冷めませんでした。選んだのは、地元からのプロテストへの挑戦です。「地元の方々に協力してもらって良い練習環境がありましたし、これまでお世話になった方々がいる新潟で頑張りたい、という気持ちがあり、戻ってきました」
たとえ冬に練習ができなくても
実は、新潟からプロゴルファーをめざすのは異例だそうです。「雪が多くて、冬は3カ月間、練習ができません。試合は関東で行なわれることが多く、冬に月2回は千葉などに行く遠征も負担になる」と、ほとんどの選手が新潟から関東に拠点を移すそうです。まずはプロテストに合格することをめざす段階の選手ほど、その傾向は強いそうですが、竹本選手は「関東に住んだ方が断然楽だとは思いますが、私には新潟で頑張りたいという気持ちがあります。地元の人たちに今も応援してもらっているからです」と、自分の思いを貫いています。
新潟市内にある「たまごスイーツカフェ」はお気に入りのスポットです
子どもの頃から知る竹本選手をたくさんの人が応援してくれているそうです。「高校を卒業して地元に戻ると、ゴルフを始めた頃から通っている練習場で、『帰って来たんだね!』と喜んでくれる人もいました」と、地元の愛情を実感しています。
この「地元アスリート応援プログラム」も、地元の明治安田生命に勤める知人から教えてもらったそうです。「地元というのがいいなと思いました。地元には感謝の気持ちがありますし、大切に思っているからです」と、応募を決めました。
「人生に無駄なことはないよ」という言葉に励まされ
目の前の目標は、プロテストに合格することです。実はこれまでに3回落選していて、心が折れそうになりました。それでも、頑張る理由があるそうです。
「スポンサードしてくださる会社もあり、そういう方たちにプロテストに失敗したことをお伝えした時のことが心に残っています。皆さんが前向きな言葉をかけてくださり、これからも応援していますと言っていただきました。なかでも『人生に無駄なことはないよ、今経験していることは絶対に裏切らないから』という言葉が心に響いて、また頑張ろうと踏ん張れました。何度も、もうやめようかと思いましたが、やはり諦めきれない気持ちがずっとありました。家族もそうですし、たくさんの方々の協力があったので、自分ひとりの思いでは諦められないなという気持ちが、ずっと心の中にあります」
プロテストを突破できず悔しい思いをしてきましたが、地元の方々の応援が力になっています
早朝3時に出発する時にも食事を用意してくれる母親など、たくさんの人の応援を感じながら遠征し、「ゴルフはメンタルのスポーツ。緊張をコントロールするなど、精神力の向上には不可欠」と試合への出場を積み重ねています。支援金については、雪国のハンディを跳ね返すべく、遠征費用などに充てる予定です。
晴れてプロテストに合格しても、新潟から挑戦を続けたいと考えています。「皆さんが一番喜んでくれるのは、私が結果を出した時です。プロツアーに出られるようになったら、ひとつでも多く優勝したりいい結果を残したりして、地元の方たちに喜んでもらいたいと思っています」と、地元への恩返しという夢を追いかけ続けています。
(取材・制作:4years.編集部)
支援期間終了
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支援者
2人
残り期間
0日
集まっている金額
30,000円
目標金額:600,000円
達成率5%
2023年02月28日23:59に終了しました。
支援期間終了
起案者
竹本梨奈(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム2022)
当制度を通じて、出身地や活動拠点地域など、サポートを受ける「地元」に対して貢献したいというアスリートの活動を支援します。
1,000円
お礼のメール
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りします。
支援者の数 0人
支援期間終了
5,000円
お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 0人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了
10,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 1人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了
20,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+オリジナルステッカー+YELLS(全ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、プロジェクトのオリジナルステッカー、YELLS(全ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 1人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了