棒高跳びで日本新記録をめざす! 支えてもらった地元の方々に恩返しを
U20日本新記録を更新、さらにレベルアップを
田中伶奈選手(香川県出身)は香川大学2年生で、陸上競技部に所属しています。2019年は4月のアジア選手権大会で5位になると、5月の香川県の大会では自己新記録で20歳以下の日本新記録である4メートル15センチをマークしました。6月の日本選手権でも2位と好成績をおさめています。大学の施設では基礎練習に励み、母校の観音寺第一高校ではポールを使った技術練習をして、レベルアップにつなげました。
*このページは、2020年度のプロジェクトです。
2021年度の明治安田生命地元アスリート応援プログラムは、下記バナーをクリックしてご覧ください。田中選手は、2021年度も参加しています。
もっと活躍して、もっと棒高跳びを知ってもらいたい
棒1本で身長よりもはるかに高いところを飛べる棒高跳びは、例えば米国では老若男女が気軽に楽しんでいますが、日本ではまだマイナー競技の位置付けです。「私が選手として活躍することで、棒高跳びの魅力を広く知ってもらえたら」と田中選手。自身が注目されるアスリートになれば、棒高跳びをやってみたいという子供たちも増え、競技人口の拡大にもつながるという展望を持っています。
競技者にとっては不可欠の合宿や遠征には多額の資金が必要となります。また棒高跳びは、大会の際はポールを輸送しなければならず、その際にも費用が発生します。田中選手にはその負担を親御さんにはかけたくない気持ちがあります。一方で学業と競技を両立させていることから、なかなかアルバイトができない事情もあります。そこで、明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を知り、地元のアスリートを応援しようとする制度趣旨に賛同。支援を受けることで、より競技に集中できる環境を整えたいと応募を決めました。今回のクラウドファンディングで集まった支援金は、こうした競技を続けていくための資金に使いたいと考えています。
「資金面の不安がなくなれば、より競技に専念することができます。天候に左右されない室内競技場を拠点にすることもできるので、練習の質も高まり、レベルアップにつなげられると思っています」
ライバルと切磋琢磨し競技力を向上
田中選手が陸上競技を始めたのは小学4年生の時。地元の陸上クラブに入って短距離と走り幅跳びに取り組みました。生まれ育った三豊市は陸上が盛んなところです。地域の方々からは「応援しているよ」と温かい声をかけてもらえるそうです。指導者にも恵まれました。香川・観音寺第一高に進むと、棒高跳びの指導者として名高い託間茂先生に出会いました。
観音寺第一高校で指導者にめぐまれ、実力を伸ばしていきました
地元では良きライバルとの出会いも。同じ棒高跳びの山地里奈選手です。中学時代からたびたび大会で顔を合わせていた2人は同じ高校に進み、同じ大学を選びました。現在もお互いを意識しながら、切磋琢磨し合う関係が続いています。2人で競技の話をすることはあまりないようですが、田中選手は「山地選手がいたからここまで頑張れました」と口にします。
走り幅跳びの記録を出すために棒高跳びを始めた
走り幅跳びの選手だった中学時代は結果が出ず、伸び悩みました。そこで始めたのが棒高跳びでした。その時は体幹を鍛えるのが目的でしたが、高校2年で本格的に棒高跳びに転向。するとすぐに頭角を現し、3年のインターハイでは優勝を果たしました。田中選手は「道具を使い、踏み切りで9割決まる棒高跳びの競技特性が自分に合っていたようです」と話します。
中学時代は走り幅跳びがメインだった田中選手
棒高跳びに転向した後は順調な競技生活を送っている田中選手ですが、大会ともなれば重圧との戦いです。「調子が悪い時は、バーに向かって突っ込んでいくのが怖いと感じたり、前の跳躍で失敗したりすると、なかなか気持ちが切り替えられないことがあります」と明かします。棒高跳びは道具を使うため、危険も伴い、ポールがしなった瞬間に、折れてしまうこともあります。その時はかなり手がしびれ、そのままマットに飛び込むそうですが、「そういうスリルがあるのも棒高跳びなので」と笑顔で語ってくれました。
日本記録更新をめざして
現在の目標は日本記録である4メートル40センチを更新することです。自己記録からあと25センチありますが、脚力、筋力と総合的に底上げしながら、この記録に挑んでいきます。憧れているのは4メートル95センチの女子屋外世界3位の記録を持つアンジェリカ・シドロワ選手。記録を作るだけでなく、シドロワ選手のように脳裏に刻まれるアスリートになるのも目標です。競技生活を終えてからのビジョンも持っています。
自分が培った技術や経験、そして、いろいろな指導者から教わったことを次の世代を担う選手に還元するつもりです。
一瞬の跳躍にかける思い、知ってほしい
改めて棒高跳びの魅力を田中選手にたずねました。
「棒高跳びは身一つで勝負する競技ではなく、道具を使います。ポールを使いこなさなければなりません。加えて、助走の際は脚力が必要ですし、バーを越える時は体操選手のような身体バランスが求められます。要素がいくつもある競技だと思います。見ていると一瞬で終わってしまいますが、実はそのわずかの時間にいろいろな技術が凝縮されているのです。中でも重要だと言われているのが助走を活かした踏切で、助走とポールを刺す踏切とのタイミングが合うかどうか、踏切の姿勢でどれだけポールに力をかけられるかが記録のカギを握っています」
記憶に残るアスリートになりたい。田中選手の挑戦は続きます
コロナの影響で2020年はポールを使った練習ができない期間が長きにわたり、棒高跳びの選手は感覚を取り戻すのに時間を要しました。大会も中止が相次ぎましたが、10月には日本選手権が無観客で行なわれるなど、少しずつ「以前」を取り戻しつつあります。
「是非、棒高跳びという競技を知ってほしいです。テレビやインターネットを通じてじっくり見てもらえれば、フォームにも個性があるのがわかります。その表情から一瞬の跳躍にかける思いも伝わるのではないかと思います」
このプロジェクトを通じ、多くの方の支援を受け、さらにたくさんの人に競技を知ってほしい。田中選手の挑戦は続きます。
(取材・制作:4years.編集部)
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活動報告
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支援者
57
棒高跳びで日本新記録をめざす! 支えてもらった地元の方々に恩返しを U20日本新記録を更新、さらにレベルアップを 田中伶奈選手(香川県出身)は香川大学2年生で、陸上競技部に所属しています。2019年は4月のアジア選手権大会で5位になると、5月の香川県の大会では自己新記録で20歳以下の日本新記録である4メートル15センチをマークしました。6月の日本選手権でも2位と好成績をおさめています。大学の施設では基礎練習に励み、母校の観音寺第一高校ではポールを使った技術練習をして、レベルアップにつなげました。 *このページは、2020年度のプロジェクトです。 2021年度の明治安田生命地元アスリート応援プログラムは、下記バナーをクリックしてご覧ください。田中選手は、2021年度も参加しています。 もっと活躍して、もっと棒高跳びを知ってもらいたい 棒1本で身長よりもはるかに高いところを飛べる棒高跳びは、例えば米国では老若男女が気軽に楽しんでいますが、日本ではまだマイナー競技の位置付けです。「私が選手として活躍することで、棒高跳びの魅力を広く知ってもらえたら」と田中選手。自身が注目されるアスリートになれば、棒高跳びをやってみたいという子供たちも増え、競技人口の拡大にもつながるという展望を持っています。 競技者にとっては不可欠の合宿や遠征には多額の資金が必要となります。また棒高跳びは、大会の際はポールを輸送しなければならず、その際にも費用が発生します。田中選手にはその負担を親御さんにはかけたくない気持ちがあります。一方で学業と競技を両立させていることから、なかなかアルバイトができない事情もあります。そこで、明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を知り、地元のアスリートを応援しようとする制度趣旨に賛同。支援を受けることで、より競技に集中できる環境を整えたいと応募を決めました。今回のクラウドファンディングで集まった支援金は、こうした競技を続けていくための資金に使いたいと考えています。 「資金面の不安がなくなれば、より競技に専念することができます。天候に左右されない室内競技場を拠点にすることもできるので、練習の質も高まり、レベルアップにつなげられると思っています」 ライバルと切磋琢磨し競技力を向上 田中選手が陸上競技を始めたのは小学4年生の時。地元の陸上クラブに入って短距離と走り幅跳びに取り組みました。生まれ育った三豊市は陸上が盛んなところです。地域の方々からは「応援しているよ」と温かい声をかけてもらえるそうです。指導者にも恵まれました。香川・観音寺第一高に進むと、棒高跳びの指導者として名高い託間茂先生に出会いました。 観音寺第一高校で指導者にめぐまれ、実力を伸ばしていきました 地元では良きライバルとの出会いも。同じ棒高跳びの山地里奈選手です。中学時代からたびたび大会で顔を合わせていた2人は同じ高校に進み、同じ大学を選びました。現在もお互いを意識しながら、切磋琢磨し合う関係が続いています。2人で競技の話をすることはあまりないようですが、田中選手は「山地選手がいたからここまで頑張れました」と口にします。 走り幅跳びの記録を出すために棒高跳びを始めた 走り幅跳びの選手だった中学時代は結果が出ず、伸び悩みました。そこで始めたのが棒高跳びでした。その時は体幹を鍛えるのが目的でしたが、高校2年で本格的に棒高跳びに転向。するとすぐに頭角を現し、3年のインターハイでは優勝を果たしました。田中選手は「道具を使い、踏み切りで9割決まる棒高跳びの競技特性が自分に合っていたようです」と話します。 中学時代は走り幅跳びがメインだった田中選手 棒高跳びに転向した後は順調な競技生活を送っている田中選手ですが、大会ともなれば重圧との戦いです。「調子が悪い時は、バーに向かって突っ込んでいくのが怖いと感じたり、前の跳躍で失敗したりすると、なかなか気持ちが切り替えられないことがあります」と明かします。棒高跳びは道具を使うため、危険も伴い、ポールがしなった瞬間に、折れてしまうこともあります。その時はかなり手がしびれ、そのままマットに飛び込むそうですが、「そういうスリルがあるのも棒高跳びなので」と笑顔で語ってくれました。 日本記録更新をめざして 現在の目標は日本記録である4メートル40センチを更新することです。自己記録からあと25センチありますが、脚力、筋力と総合的に底上げしながら、この記録に挑んでいきます。憧れているのは4メートル95センチの女子屋外世界3位の記録を持つアンジェリカ・シドロワ選手。記録を作るだけでなく、シドロワ選手のように脳裏に刻まれるアスリートになるのも目標です。競技生活を終えてからのビジョンも持っています。自分が培った技術や経験、そして、いろいろな指導者から教わったことを次の世代を担う選手に還元するつもりです。 一瞬の跳躍にかける思い、知ってほしい 改めて棒高跳びの魅力を田中選手にたずねました。 「棒高跳びは身一つで勝負する競技ではなく、道具を使います。ポールを使いこなさなければなりません。加えて、助走の際は脚力が必要ですし、バーを越える時は体操選手のような身体バランスが求められます。要素がいくつもある競技だと思います。見ていると一瞬で終わってしまいますが、実はそのわずかの時間にいろいろな技術が凝縮されているのです。中でも重要だと言われているのが助走を活かした踏切で、助走とポールを刺す踏切とのタイミングが合うかどうか、踏切の姿勢でどれだけポールに力をかけられるかが記録のカギを握っています」 記憶に残るアスリートになりたい。田中選手の挑戦は続きます コロナの影響で2020年はポールを使った練習ができない期間が長きにわたり、棒高跳びの選手は感覚を取り戻すのに時間を要しました。大会も中止が相次ぎましたが、10月には日本選手権が無観客で行なわれるなど、少しずつ「以前」を取り戻しつつあります。 「是非、棒高跳びという競技を知ってほしいです。テレビやインターネットを通じてじっくり見てもらえれば、フォームにも個性があるのがわかります。その表情から一瞬の跳躍にかける思いも伝わるのではないかと思います」 このプロジェクトを通じ、多くの方の支援を受け、さらにたくさんの人に競技を知ってほしい。田中選手の挑戦は続きます。 (取材・制作:4years.編集部)
棒高跳びで日本新記録をめざす! 支えてもらった地元の方々に恩返しを
U20日本新記録を更新、さらにレベルアップを
田中伶奈選手(香川県出身)は香川大学2年生で、陸上競技部に所属しています。2019年は4月のアジア選手権大会で5位になると、5月の香川県の大会では自己新記録で20歳以下の日本新記録である4メートル15センチをマークしました。6月の日本選手権でも2位と好成績をおさめています。大学の施設では基礎練習に励み、母校の観音寺第一高校ではポールを使った技術練習をして、レベルアップにつなげました。
*このページは、2020年度のプロジェクトです。
2021年度の明治安田生命地元アスリート応援プログラムは、下記バナーをクリックしてご覧ください。田中選手は、2021年度も参加しています。
もっと活躍して、もっと棒高跳びを知ってもらいたい
棒1本で身長よりもはるかに高いところを飛べる棒高跳びは、例えば米国では老若男女が気軽に楽しんでいますが、日本ではまだマイナー競技の位置付けです。「私が選手として活躍することで、棒高跳びの魅力を広く知ってもらえたら」と田中選手。自身が注目されるアスリートになれば、棒高跳びをやってみたいという子供たちも増え、競技人口の拡大にもつながるという展望を持っています。
競技者にとっては不可欠の合宿や遠征には多額の資金が必要となります。また棒高跳びは、大会の際はポールを輸送しなければならず、その際にも費用が発生します。田中選手にはその負担を親御さんにはかけたくない気持ちがあります。一方で学業と競技を両立させていることから、なかなかアルバイトができない事情もあります。そこで、明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を知り、地元のアスリートを応援しようとする制度趣旨に賛同。支援を受けることで、より競技に集中できる環境を整えたいと応募を決めました。今回のクラウドファンディングで集まった支援金は、こうした競技を続けていくための資金に使いたいと考えています。
「資金面の不安がなくなれば、より競技に専念することができます。天候に左右されない室内競技場を拠点にすることもできるので、練習の質も高まり、レベルアップにつなげられると思っています」
ライバルと切磋琢磨し競技力を向上
田中選手が陸上競技を始めたのは小学4年生の時。地元の陸上クラブに入って短距離と走り幅跳びに取り組みました。生まれ育った三豊市は陸上が盛んなところです。地域の方々からは「応援しているよ」と温かい声をかけてもらえるそうです。指導者にも恵まれました。香川・観音寺第一高に進むと、棒高跳びの指導者として名高い託間茂先生に出会いました。
地元では良きライバルとの出会いも。同じ棒高跳びの山地里奈選手です。中学時代からたびたび大会で顔を合わせていた2人は同じ高校に進み、同じ大学を選びました。現在もお互いを意識しながら、切磋琢磨し合う関係が続いています。2人で競技の話をすることはあまりないようですが、田中選手は「山地選手がいたからここまで頑張れました」と口にします。
走り幅跳びの記録を出すために棒高跳びを始めた
走り幅跳びの選手だった中学時代は結果が出ず、伸び悩みました。そこで始めたのが棒高跳びでした。その時は体幹を鍛えるのが目的でしたが、高校2年で本格的に棒高跳びに転向。するとすぐに頭角を現し、3年のインターハイでは優勝を果たしました。田中選手は「道具を使い、踏み切りで9割決まる棒高跳びの競技特性が自分に合っていたようです」と話します。
棒高跳びに転向した後は順調な競技生活を送っている田中選手ですが、大会ともなれば重圧との戦いです。「調子が悪い時は、バーに向かって突っ込んでいくのが怖いと感じたり、前の跳躍で失敗したりすると、なかなか気持ちが切り替えられないことがあります」と明かします。棒高跳びは道具を使うため、危険も伴い、ポールがしなった瞬間に、折れてしまうこともあります。その時はかなり手がしびれ、そのままマットに飛び込むそうですが、「そういうスリルがあるのも棒高跳びなので」と笑顔で語ってくれました。
日本記録更新をめざして
現在の目標は日本記録である4メートル40センチを更新することです。自己記録からあと25センチありますが、脚力、筋力と総合的に底上げしながら、この記録に挑んでいきます。憧れているのは4メートル95センチの女子屋外世界3位の記録を持つアンジェリカ・シドロワ選手。記録を作るだけでなく、シドロワ選手のように脳裏に刻まれるアスリートになるのも目標です。競技生活を終えてからのビジョンも持っています。
自分が培った技術や経験、そして、いろいろな指導者から教わったことを次の世代を担う選手に還元するつもりです。
一瞬の跳躍にかける思い、知ってほしい
改めて棒高跳びの魅力を田中選手にたずねました。
「棒高跳びは身一つで勝負する競技ではなく、道具を使います。ポールを使いこなさなければなりません。加えて、助走の際は脚力が必要ですし、バーを越える時は体操選手のような身体バランスが求められます。要素がいくつもある競技だと思います。見ていると一瞬で終わってしまいますが、実はそのわずかの時間にいろいろな技術が凝縮されているのです。中でも重要だと言われているのが助走を活かした踏切で、助走とポールを刺す踏切とのタイミングが合うかどうか、踏切の姿勢でどれだけポールに力をかけられるかが記録のカギを握っています」
コロナの影響で2020年はポールを使った練習ができない期間が長きにわたり、棒高跳びの選手は感覚を取り戻すのに時間を要しました。大会も中止が相次ぎましたが、10月には日本選手権が無観客で行なわれるなど、少しずつ「以前」を取り戻しつつあります。
「是非、棒高跳びという競技を知ってほしいです。テレビやインターネットを通じてじっくり見てもらえれば、フォームにも個性があるのがわかります。その表情から一瞬の跳躍にかける思いも伝わるのではないかと思います」
このプロジェクトを通じ、多くの方の支援を受け、さらにたくさんの人に競技を知ってほしい。田中選手の挑戦は続きます。
(取材・制作:4years.編集部)
支援期間終了
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支援者
57人
残り期間
0日
集まっている金額
387,500円
(達成) 目標金額:300,000円
達成率129%
2021年02月28日23:59に終了しました。
支援期間終了
起案者
田中伶奈(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム)
当制度を通じて、出身地や活動拠点地域など、サポートを受ける「地元」に対して貢献したいというアスリートの活動を支援します。
3,000円
お礼のメール
リターン
田中伶奈本人より感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りします。
支援者の数 23人
支援期間終了
5,000円
お礼のお手紙
リターン
田中伶奈本人より感謝の気持ちを込めて、お礼のお手紙をお送りします。
支援者の数 34人
お届け予定:2021年4月
支援期間終了