全国大会で三冠達成! 世界で戦い、「心の拠りどころ」である地元を盛り上げたい
2歳半で水泳を始め、トップレベルの選手に成長
中原特別支援学校高等部3年生の坪井夢輝選手(ゆうき、佐賀県出身)は、祖母がコーチで、2人の姉と叔母もやっていたことから、2歳半で水泳を始めました。「最初はうまく泳げなくて、毎日プールに通うのが大変で、あまり楽しくなかった」という水泳でしたが、「仲間も増えて、小学6年生ぐらいからは楽しいと思えるようになりました」。姉たちが引退した現在は、妹とプールに通い、毎日の練習に励んでいます。
得意な種目は自由形。中学3年生の頃から大会で上位に入る機会が増え、「賞状をもらえるとうれしい」と坪井選手は言います。2021年12月の全国知的障害者水泳競技大会では、50m自由形、100m自由形、200m個人メドレーの3種目を制しました。しかし、いずれも「自己ベストのタイムに届かなかったので、優勝はしたけれど納得できる泳ぎではありませんでした」と、坪井選手は決して満足していません。
結果だけでなく、記録だけでもなく、坪井選手は理想とする泳ぎを追求しています
応援してくれる先生方や地域に恩返しを
明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」は、佐賀県障がい者スポーツ協会の藤井洋恵さんから推薦してもらいました。鳥栖市で生まれ育った坪井選手は、幼い頃から「地域の人たちに『夢輝、夢輝』と可愛がってもらったことが今でも忘れられません」。自分に自信が持てるようになったのも、いつも「夢輝、頑張れ!」「大丈夫だよ」と温かい言葉をかけてくれる支援学校の先生方やベストスイミングクラブ鳥栖のコーチたちのおかげだと思っています。
「いつも変わらずに応援してくれる先生方、学校やクラブに少しでも恩返しをしたいし、地元に貢献をしたい。家族への負担も少しは軽くなる」と考え、プログラムに応募してみようと決めました。
スイミングクラブと自宅がある鳥栖が心の拠りどころ
佐賀県の中でも鳥栖は、坪井選手にとって特別な街です。「子どもの頃は友だちとサッカーやバスケットをして遊びましたし、好きなスポーツブランドが数多くそろっているアウトレットモールには、今でもたまに家族や友達と出かけています」。ただ、心の拠りどころと言える場所となると、「同年代の仲間がいることで、苦しい練習にも前向きに取り組める」というベストスイミングクラブ鳥栖と、「家族とリラックスして過ごせる」という自宅が真っ先に頭に浮かびます。
「マグロのお寿司や刺身が好き」という坪井選手ですが、佐賀県の名産品としては、「有明海で採れる香ばしい佐賀のりや、果汁がみずみずしくて甘いイチゴがおいしい」と笑顔で紹介してくれました。
同年代の仲間たちと切磋琢磨(せっさたくま)しながら、地元のスイミングクラブで成長してきました
支えはコーチからの「お前ならできる」
「レース前は緊張するけれど、飛び込み台に上がると緊張がなくなります」と話す坪井選手。でも、常に思い通りに泳げるわけではありません。これまでレースでは目標タイムを切れないことが何度もありました。そうした壁にぶつかった時は、「スイミングクラブのコーチや仲間に相談したり、必死に練習に打ち込んだりして乗り越えてきました」
コーチからよく言われるのは、「お前ならできる」という言葉。それを自らのパワーに変えて歩んできました。競技を続けていけば、これからも苦労する場面はたびたび訪れるはずですが、「自分ならできる」という言葉を胸に、これからも歩んでいくつもりです。
今後について坪井選手は、「目標は日本記録と世界記録を塗り替えることで、夢は世界大会に出ることです」と、きっぱりと言い切ります。もっとも得意な50m自由形は、現時点で日本記録とは約2秒のタイム差。世界大会出場も障害者の全国大会で結果を残した上で標準記録を切って、ようやく道が開けてきます。いずれも達成は簡単ではありません。
しかし、坪井選手は難しいからと諦めるのではなく、「きっとできる」と信じています。「きつくて大変です」と苦笑いしながらも、毎日2時間の泳ぎに加え、自宅で「祖母に指導してもらいながら、ストレッチやスクワット、腹筋、体幹トレーニングなどにも取り組んでいる」のは、自らの目標と夢をかなえるためです。「泳ぎもうまいし、タイムが速いので憧れている」という瀬戸大也選手(TEAM DAIYA)や2021年に引退した萩野公介さんも、おそらく同じような気持ちで泳ぎ続けてきたはずです。
「きっとできる」と自分を奮い立たせながらトレーニングを積んできました
「鳥栖はすごいと知ってもらいたい」
「地元アスリート応援プログラム」を通じて、坪井選手は「たくさんの人たちに自分が頑張っている姿を見てもらいたい。有名な水泳選手になって、鳥栖はすごいなと全国のみなさんに知ってもらいたい」と力を込めます。支援金の使い道は、全国各地で行なわれる大会への遠征費や水着などの水泳用品に充てたいと考えており、選手としてのレベルをもっと上げて、「一度でいいから母を海外の大会に連れていきたい」という思いも胸に秘めています。水泳での活躍は、いつも支えてくれる家族や祖母を喜ばせるだけでなく、応援してくれる地域の人たちへの恩返しにもなります。
「この取り組みを進めてくださる明治安田生命さんにも感謝しています」と語る坪井選手。「夢輝」という名の通り、自身の夢を輝かせるために、これからも目の前の練習や試合に全力で臨んでいきます。
(取材・制作:4years.編集部)
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全国大会で三冠達成! 世界で戦い、「心の拠りどころ」である地元を盛り上げたい2歳半で水泳を始め、トップレベルの選手に成長 中原特別支援学校高等部3年生の坪井夢輝選手(ゆうき、佐賀県出身)は、祖母がコーチで、2人の姉と叔母もやっていたことから、2歳半で水泳を始めました。「最初はうまく泳げなくて、毎日プールに通うのが大変で、あまり楽しくなかった」という水泳でしたが、「仲間も増えて、小学6年生ぐらいからは楽しいと思えるようになりました」。姉たちが引退した現在は、妹とプールに通い、毎日の練習に励んでいます。 得意な種目は自由形。中学3年生の頃から大会で上位に入る機会が増え、「賞状をもらえるとうれしい」と坪井選手は言います。2021年12月の全国知的障害者水泳競技大会では、50m自由形、100m自由形、200m個人メドレーの3種目を制しました。しかし、いずれも「自己ベストのタイムに届かなかったので、優勝はしたけれど納得できる泳ぎではありませんでした」と、坪井選手は決して満足していません。 結果だけでなく、記録だけでもなく、坪井選手は理想とする泳ぎを追求しています 応援してくれる先生方や地域に恩返しを明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」は、佐賀県障がい者スポーツ協会の藤井洋恵さんから推薦してもらいました。鳥栖市で生まれ育った坪井選手は、幼い頃から「地域の人たちに『夢輝、夢輝』と可愛がってもらったことが今でも忘れられません」。自分に自信が持てるようになったのも、いつも「夢輝、頑張れ!」「大丈夫だよ」と温かい言葉をかけてくれる支援学校の先生方やベストスイミングクラブ鳥栖のコーチたちのおかげだと思っています。 「いつも変わらずに応援してくれる先生方、学校やクラブに少しでも恩返しをしたいし、地元に貢献をしたい。家族への負担も少しは軽くなる」と考え、プログラムに応募してみようと決めました。 スイミングクラブと自宅がある鳥栖が心の拠りどころ佐賀県の中でも鳥栖は、坪井選手にとって特別な街です。「子どもの頃は友だちとサッカーやバスケットをして遊びましたし、好きなスポーツブランドが数多くそろっているアウトレットモールには、今でもたまに家族や友達と出かけています」。ただ、心の拠りどころと言える場所となると、「同年代の仲間がいることで、苦しい練習にも前向きに取り組める」というベストスイミングクラブ鳥栖と、「家族とリラックスして過ごせる」という自宅が真っ先に頭に浮かびます。 「マグロのお寿司や刺身が好き」という坪井選手ですが、佐賀県の名産品としては、「有明海で採れる香ばしい佐賀のりや、果汁がみずみずしくて甘いイチゴがおいしい」と笑顔で紹介してくれました。 同年代の仲間たちと切磋琢磨(せっさたくま)しながら、地元のスイミングクラブで成長してきました支えはコーチからの「お前ならできる」「レース前は緊張するけれど、飛び込み台に上がると緊張がなくなります」と話す坪井選手。でも、常に思い通りに泳げるわけではありません。これまでレースでは目標タイムを切れないことが何度もありました。そうした壁にぶつかった時は、「スイミングクラブのコーチや仲間に相談したり、必死に練習に打ち込んだりして乗り越えてきました」 コーチからよく言われるのは、「お前ならできる」という言葉。それを自らのパワーに変えて歩んできました。競技を続けていけば、これからも苦労する場面はたびたび訪れるはずですが、「自分ならできる」という言葉を胸に、これからも歩んでいくつもりです。 今後について坪井選手は、「目標は日本記録と世界記録を塗り替えることで、夢は世界大会に出ることです」と、きっぱりと言い切ります。もっとも得意な50m自由形は、現時点で日本記録とは約2秒のタイム差。世界大会出場も障害者の全国大会で結果を残した上で標準記録を切って、ようやく道が開けてきます。いずれも達成は簡単ではありません。 しかし、坪井選手は難しいからと諦めるのではなく、「きっとできる」と信じています。「きつくて大変です」と苦笑いしながらも、毎日2時間の泳ぎに加え、自宅で「祖母に指導してもらいながら、ストレッチやスクワット、腹筋、体幹トレーニングなどにも取り組んでいる」のは、自らの目標と夢をかなえるためです。「泳ぎもうまいし、タイムが速いので憧れている」という瀬戸大也選手(TEAM DAIYA)や2021年に引退した萩野公介さんも、おそらく同じような気持ちで泳ぎ続けてきたはずです。 「きっとできる」と自分を奮い立たせながらトレーニングを積んできました「鳥栖はすごいと知ってもらいたい」「地元アスリート応援プログラム」を通じて、坪井選手は「たくさんの人たちに自分が頑張っている姿を見てもらいたい。有名な水泳選手になって、鳥栖はすごいなと全国のみなさんに知ってもらいたい」と力を込めます。支援金の使い道は、全国各地で行なわれる大会への遠征費や水着などの水泳用品に充てたいと考えており、選手としてのレベルをもっと上げて、「一度でいいから母を海外の大会に連れていきたい」という思いも胸に秘めています。水泳での活躍は、いつも支えてくれる家族や祖母を喜ばせるだけでなく、応援してくれる地域の人たちへの恩返しにもなります。 「この取り組みを進めてくださる明治安田生命さんにも感謝しています」と語る坪井選手。「夢輝」という名の通り、自身の夢を輝かせるために、これからも目の前の練習や試合に全力で臨んでいきます。 (取材・制作:4years.編集部)
全国大会で三冠達成! 世界で戦い、「心の拠りどころ」である地元を盛り上げたい
2歳半で水泳を始め、トップレベルの選手に成長
中原特別支援学校高等部3年生の坪井夢輝選手(ゆうき、佐賀県出身)は、祖母がコーチで、2人の姉と叔母もやっていたことから、2歳半で水泳を始めました。「最初はうまく泳げなくて、毎日プールに通うのが大変で、あまり楽しくなかった」という水泳でしたが、「仲間も増えて、小学6年生ぐらいからは楽しいと思えるようになりました」。姉たちが引退した現在は、妹とプールに通い、毎日の練習に励んでいます。
得意な種目は自由形。中学3年生の頃から大会で上位に入る機会が増え、「賞状をもらえるとうれしい」と坪井選手は言います。2021年12月の全国知的障害者水泳競技大会では、50m自由形、100m自由形、200m個人メドレーの3種目を制しました。しかし、いずれも「自己ベストのタイムに届かなかったので、優勝はしたけれど納得できる泳ぎではありませんでした」と、坪井選手は決して満足していません。
結果だけでなく、記録だけでもなく、坪井選手は理想とする泳ぎを追求しています
応援してくれる先生方や地域に恩返しを
明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」は、佐賀県障がい者スポーツ協会の藤井洋恵さんから推薦してもらいました。鳥栖市で生まれ育った坪井選手は、幼い頃から「地域の人たちに『夢輝、夢輝』と可愛がってもらったことが今でも忘れられません」。自分に自信が持てるようになったのも、いつも「夢輝、頑張れ!」「大丈夫だよ」と温かい言葉をかけてくれる支援学校の先生方やベストスイミングクラブ鳥栖のコーチたちのおかげだと思っています。
「いつも変わらずに応援してくれる先生方、学校やクラブに少しでも恩返しをしたいし、地元に貢献をしたい。家族への負担も少しは軽くなる」と考え、プログラムに応募してみようと決めました。
スイミングクラブと自宅がある鳥栖が心の拠りどころ
佐賀県の中でも鳥栖は、坪井選手にとって特別な街です。「子どもの頃は友だちとサッカーやバスケットをして遊びましたし、好きなスポーツブランドが数多くそろっているアウトレットモールには、今でもたまに家族や友達と出かけています」。ただ、心の拠りどころと言える場所となると、「同年代の仲間がいることで、苦しい練習にも前向きに取り組める」というベストスイミングクラブ鳥栖と、「家族とリラックスして過ごせる」という自宅が真っ先に頭に浮かびます。
「マグロのお寿司や刺身が好き」という坪井選手ですが、佐賀県の名産品としては、「有明海で採れる香ばしい佐賀のりや、果汁がみずみずしくて甘いイチゴがおいしい」と笑顔で紹介してくれました。
同年代の仲間たちと切磋琢磨(せっさたくま)しながら、地元のスイミングクラブで成長してきました
支えはコーチからの「お前ならできる」
「レース前は緊張するけれど、飛び込み台に上がると緊張がなくなります」と話す坪井選手。でも、常に思い通りに泳げるわけではありません。これまでレースでは目標タイムを切れないことが何度もありました。そうした壁にぶつかった時は、「スイミングクラブのコーチや仲間に相談したり、必死に練習に打ち込んだりして乗り越えてきました」
コーチからよく言われるのは、「お前ならできる」という言葉。それを自らのパワーに変えて歩んできました。競技を続けていけば、これからも苦労する場面はたびたび訪れるはずですが、「自分ならできる」という言葉を胸に、これからも歩んでいくつもりです。
今後について坪井選手は、「目標は日本記録と世界記録を塗り替えることで、夢は世界大会に出ることです」と、きっぱりと言い切ります。もっとも得意な50m自由形は、現時点で日本記録とは約2秒のタイム差。世界大会出場も障害者の全国大会で結果を残した上で標準記録を切って、ようやく道が開けてきます。いずれも達成は簡単ではありません。
しかし、坪井選手は難しいからと諦めるのではなく、「きっとできる」と信じています。「きつくて大変です」と苦笑いしながらも、毎日2時間の泳ぎに加え、自宅で「祖母に指導してもらいながら、ストレッチやスクワット、腹筋、体幹トレーニングなどにも取り組んでいる」のは、自らの目標と夢をかなえるためです。「泳ぎもうまいし、タイムが速いので憧れている」という瀬戸大也選手(TEAM DAIYA)や2021年に引退した萩野公介さんも、おそらく同じような気持ちで泳ぎ続けてきたはずです。
「きっとできる」と自分を奮い立たせながらトレーニングを積んできました
「鳥栖はすごいと知ってもらいたい」
「地元アスリート応援プログラム」を通じて、坪井選手は「たくさんの人たちに自分が頑張っている姿を見てもらいたい。有名な水泳選手になって、鳥栖はすごいなと全国のみなさんに知ってもらいたい」と力を込めます。支援金の使い道は、全国各地で行なわれる大会への遠征費や水着などの水泳用品に充てたいと考えており、選手としてのレベルをもっと上げて、「一度でいいから母を海外の大会に連れていきたい」という思いも胸に秘めています。水泳での活躍は、いつも支えてくれる家族や祖母を喜ばせるだけでなく、応援してくれる地域の人たちへの恩返しにもなります。
「この取り組みを進めてくださる明治安田生命さんにも感謝しています」と語る坪井選手。「夢輝」という名の通り、自身の夢を輝かせるために、これからも目の前の練習や試合に全力で臨んでいきます。
(取材・制作:4years.編集部)
支援期間終了
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支援者
3人
残り期間
0日
集まっている金額
18,000円
目標金額:500,000円
達成率3%
2023年02月28日23:59に終了しました。
支援期間終了
起案者
坪井夢輝(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム2022)
当制度を通じて、出身地や活動拠点地域など、サポートを受ける「地元」に対して貢献したいというアスリートの活動を支援します。
1,000円
お礼のメール
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りします。
支援者の数 2人
支援期間終了
5,000円
お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 1人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了