世界の舞台でも忘れることのない地元への想い 25年滋賀国体でめざす頂点
18歳の夏に出合った熱中できる競技
内田選手がいまも情熱を注ぐ競技に出合ったのは18歳の夏でした。滋賀県高島市立高島中学校では水泳の自由形で全国大会に出場し、滋賀県立高島高校時代には陸上競技の800mでインターハイの舞台に立ちました。ただ、全国レベルで結果を残せたかといえばそうではなく、受験勉強をして関西大学に入り、再び熱中できるものを探しているときに中高時代の経験を生かせる競技に出合いました。1.5kmを泳ぎ、40kmを自転車でこぐ、さらに10kmの長距離走で競う、トライアスロンです。
ヘロヘロになるまで練習し、初めて参加した大会で優勝!
初めてエントリーした大会で見事優勝
関西大学にはトライアスロン部がなかったため、「やるなら本気でやろう」と、京都のクラブチームで競技をスタート。大阪の関西大学で授業を受けると、自宅の滋賀県高島市にはまっすぐ帰らず、途中下車してヘロヘロになるまで練習する毎日。チームメートに世界レベルで活躍する山本康貴選手らがいたことが大きな刺激になり、地道なトレーニングを積み重ねました。
初めてエントリーした2015年9月の昭和記念公園トライアスロン大会チームケンズカップで優勝。日本選手権の出場選手に勝てたことは自信になりました。
そして、競技を始めた翌年の9月、2016日本学生トライアスロン選手権観音寺大会で勝ち、同年には日本代表として世界大会に出場。その後は日本学生選手権で2連覇を達成し、2019年の日本トライアスロン選手権でも5位入賞。「思った以上にすぐに成果が出た」と感じるほど成長することができました。
本を読み学んだ知識、そして手に入れた柔軟な思考
それでも、すべてがトントン拍子で進んだわけではなく、けがで思い悩んだ時期もありました。「いま思えば、結果を追い求めすぎて、自らを追い詰めていました。柔軟性を欠いていたんだと思います」と当時を振り返ります。
練習できない時間は多くの読書に費やし、いろいろと学んだといい、トレーニング方法を見直し、考え方も変え、より柔軟な思考で物事を捉えることができるようになりました。いまは「結果は重要だけど、楽しむことも大事」と自らに言い聞かせて競技に励んでいます。
トライアスロンを通じて経験してきたことを還元したい
トップレベルで競技を続けていく上では、経済面の負担も軽いものではなく、海外遠征の諸経費、交通費は重くのしかかってきます。内田選手は4人兄弟の次男。家族も多く、両親に金銭的な支援を受けるわけにはいきません。自分でスポンサーを集めなければ、これ以上は活動できないと思った内田選手は、2019年からスポンサー営業を始め、2021年からは滋賀県スポーツ協会に雇ってもらい、競技に打ち込む環境を得ることもできました。このときのことを振り返ると、苦しいときに助けてくれたのは身近な人たちでした。
地元の小学生にトライアスロンを通じて感じたことを伝える内田選手
スポンサー営業をする中で、滋賀県スポーツ協会の関係者から明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を紹介されました。これまでも内田選手は、トライアスロンで経験してきたことを少しでも地元に還元したいという思いから、滋賀県内の小中学校に出向き、トライアスロンを通じて、挑戦することの意義を話し、世界各地で見てきた景色を伝える活動をしてきました。プログラムの応募要項に目を通すと共感することばかりで、「生まれ育った場所を大事にする僕の生き方とリンクする」と感じたといいます。
地元の人に助けられ、応援されて強くなっている
生まれ故郷の空気を吸うたびに「帰ってきた」と実感するという内田選手。自宅を一歩出れば、信号がひとつもない一本道と田園風景が広がっています。コロナ禍の影響で実家に戻っていた頃は、9歳下の弟が自転車で練習に付き合ってくれ、ひたすら走ってトレーニングに励んでいました。
地元の緑豊かな環境でトレーニングする内田選手
プール施設が使えずに困ったときは、滋賀県トライアスロン協会の人の勧めで、琵琶湖で泳ぎのトレーニングをすることができました。「琵琶湖の北西部に位置する高島市は、すごく水がきれいで、高校時代は陸上部の練習が終わると、友人たちと湖に飛び込んでいました」
滋賀を代表する琵琶湖でトレーニングを行なうことも
琵琶湖沿いで練習していると、SNSをチェックして話しかけてくれる人もいれば、市が発行する『広報たかしま』のスポーツ欄を読んだ人たちから声をかけられることもあるそうです。「大会で優勝したりすると、『おめでとう』『また頑張って」という言葉ももらいます。あらためて、僕は滋賀県に助けられ、応援されて、強くなっているんだなと思います。応援をされてこそのアスリートです。これから先も、地元を大切にする軸がぶれることはありません」と力強く語ってくれました。
25年の滋賀国体で優勝することが、地元への最大の恩返し
2022年アジアトライアスロンカップ・ポカラで優勝し笑顔の内田選手(中央)
「2022年度のワールドカップシリーズで入賞すること。2024年に開催される4年に一度の祭典に出場し、入賞すること」という目標を定めている内田選手。22年4月にネパールで開催されたアジアトライアスロンカップ・ポカラで4年ぶりにレースで優勝し、幸先の良いスタートを切りました。
「どれだけ世界の舞台に目を向けても、地元への思いは変わりません。僕は25年の滋賀国体で優勝することが、最大の恩返しになると思っています。応援してくれるみなさんと一緒に頑張っていきたいです」
地元への熱い思いを胸に世界に羽ばたきます。
(取材・制作:4years.編集部)
ホーム
活動報告
0
支援者
3
世界の舞台でも忘れることのない地元への想い 25年滋賀国体でめざす頂点 18歳の夏に出合った熱中できる競技 内田選手がいまも情熱を注ぐ競技に出合ったのは18歳の夏でした。滋賀県高島市立高島中学校では水泳の自由形で全国大会に出場し、滋賀県立高島高校時代には陸上競技の800mでインターハイの舞台に立ちました。ただ、全国レベルで結果を残せたかといえばそうではなく、受験勉強をして関西大学に入り、再び熱中できるものを探しているときに中高時代の経験を生かせる競技に出合いました。1.5kmを泳ぎ、40kmを自転車でこぐ、さらに10kmの長距離走で競う、トライアスロンです。 ヘロヘロになるまで練習し、初めて参加した大会で優勝! 初めてエントリーした大会で見事優勝 関西大学にはトライアスロン部がなかったため、「やるなら本気でやろう」と、京都のクラブチームで競技をスタート。大阪の関西大学で授業を受けると、自宅の滋賀県高島市にはまっすぐ帰らず、途中下車してヘロヘロになるまで練習する毎日。チームメートに世界レベルで活躍する山本康貴選手らがいたことが大きな刺激になり、地道なトレーニングを積み重ねました。 初めてエントリーした2015年9月の昭和記念公園トライアスロン大会チームケンズカップで優勝。日本選手権の出場選手に勝てたことは自信になりました。 そして、競技を始めた翌年の9月、2016日本学生トライアスロン選手権観音寺大会で勝ち、同年には日本代表として世界大会に出場。その後は日本学生選手権で2連覇を達成し、2019年の日本トライアスロン選手権でも5位入賞。「思った以上にすぐに成果が出た」と感じるほど成長することができました。 本を読み学んだ知識、そして手に入れた柔軟な思考 それでも、すべてがトントン拍子で進んだわけではなく、けがで思い悩んだ時期もありました。「いま思えば、結果を追い求めすぎて、自らを追い詰めていました。柔軟性を欠いていたんだと思います」と当時を振り返ります。 練習できない時間は多くの読書に費やし、いろいろと学んだといい、トレーニング方法を見直し、考え方も変え、より柔軟な思考で物事を捉えることができるようになりました。いまは「結果は重要だけど、楽しむことも大事」と自らに言い聞かせて競技に励んでいます。 トライアスロンを通じて経験してきたことを還元したい トップレベルで競技を続けていく上では、経済面の負担も軽いものではなく、海外遠征の諸経費、交通費は重くのしかかってきます。内田選手は4人兄弟の次男。家族も多く、両親に金銭的な支援を受けるわけにはいきません。自分でスポンサーを集めなければ、これ以上は活動できないと思った内田選手は、2019年からスポンサー営業を始め、2021年からは滋賀県スポーツ協会に雇ってもらい、競技に打ち込む環境を得ることもできました。このときのことを振り返ると、苦しいときに助けてくれたのは身近な人たちでした。 地元の小学生にトライアスロンを通じて感じたことを伝える内田選手 スポンサー営業をする中で、滋賀県スポーツ協会の関係者から明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を紹介されました。これまでも内田選手は、トライアスロンで経験してきたことを少しでも地元に還元したいという思いから、滋賀県内の小中学校に出向き、トライアスロンを通じて、挑戦することの意義を話し、世界各地で見てきた景色を伝える活動をしてきました。プログラムの応募要項に目を通すと共感することばかりで、「生まれ育った場所を大事にする僕の生き方とリンクする」と感じたといいます。 地元の人に助けられ、応援されて強くなっている 生まれ故郷の空気を吸うたびに「帰ってきた」と実感するという内田選手。自宅を一歩出れば、信号がひとつもない一本道と田園風景が広がっています。コロナ禍の影響で実家に戻っていた頃は、9歳下の弟が自転車で練習に付き合ってくれ、ひたすら走ってトレーニングに励んでいました。 地元の緑豊かな環境でトレーニングする内田選手 プール施設が使えずに困ったときは、滋賀県トライアスロン協会の人の勧めで、琵琶湖で泳ぎのトレーニングをすることができました。「琵琶湖の北西部に位置する高島市は、すごく水がきれいで、高校時代は陸上部の練習が終わると、友人たちと湖に飛び込んでいました」 滋賀を代表する琵琶湖でトレーニングを行なうことも 琵琶湖沿いで練習していると、SNSをチェックして話しかけてくれる人もいれば、市が発行する『広報たかしま』のスポーツ欄を読んだ人たちから声をかけられることもあるそうです。「大会で優勝したりすると、『おめでとう』『また頑張って」という言葉ももらいます。あらためて、僕は滋賀県に助けられ、応援されて、強くなっているんだなと思います。応援をされてこそのアスリートです。これから先も、地元を大切にする軸がぶれることはありません」と力強く語ってくれました。 25年の滋賀国体で優勝することが、地元への最大の恩返し 2022年アジアトライアスロンカップ・ポカラで優勝し笑顔の内田選手(中央) 「2022年度のワールドカップシリーズで入賞すること。2024年に開催される4年に一度の祭典に出場し、入賞すること」という目標を定めている内田選手。22年4月にネパールで開催されたアジアトライアスロンカップ・ポカラで4年ぶりにレースで優勝し、幸先の良いスタートを切りました。 「どれだけ世界の舞台に目を向けても、地元への思いは変わりません。僕は25年の滋賀国体で優勝することが、最大の恩返しになると思っています。応援してくれるみなさんと一緒に頑張っていきたいです」 地元への熱い思いを胸に世界に羽ばたきます。 (取材・制作:4years.編集部)
世界の舞台でも忘れることのない地元への想い 25年滋賀国体でめざす頂点
18歳の夏に出合った熱中できる競技
内田選手がいまも情熱を注ぐ競技に出合ったのは18歳の夏でした。滋賀県高島市立高島中学校では水泳の自由形で全国大会に出場し、滋賀県立高島高校時代には陸上競技の800mでインターハイの舞台に立ちました。ただ、全国レベルで結果を残せたかといえばそうではなく、受験勉強をして関西大学に入り、再び熱中できるものを探しているときに中高時代の経験を生かせる競技に出合いました。1.5kmを泳ぎ、40kmを自転車でこぐ、さらに10kmの長距離走で競う、トライアスロンです。
ヘロヘロになるまで練習し、初めて参加した大会で優勝!
関西大学にはトライアスロン部がなかったため、「やるなら本気でやろう」と、京都のクラブチームで競技をスタート。大阪の関西大学で授業を受けると、自宅の滋賀県高島市にはまっすぐ帰らず、途中下車してヘロヘロになるまで練習する毎日。チームメートに世界レベルで活躍する山本康貴選手らがいたことが大きな刺激になり、地道なトレーニングを積み重ねました。
初めてエントリーした2015年9月の昭和記念公園トライアスロン大会チームケンズカップで優勝。日本選手権の出場選手に勝てたことは自信になりました。
そして、競技を始めた翌年の9月、2016日本学生トライアスロン選手権観音寺大会で勝ち、同年には日本代表として世界大会に出場。その後は日本学生選手権で2連覇を達成し、2019年の日本トライアスロン選手権でも5位入賞。「思った以上にすぐに成果が出た」と感じるほど成長することができました。
本を読み学んだ知識、そして手に入れた柔軟な思考
それでも、すべてがトントン拍子で進んだわけではなく、けがで思い悩んだ時期もありました。「いま思えば、結果を追い求めすぎて、自らを追い詰めていました。柔軟性を欠いていたんだと思います」と当時を振り返ります。
練習できない時間は多くの読書に費やし、いろいろと学んだといい、トレーニング方法を見直し、考え方も変え、より柔軟な思考で物事を捉えることができるようになりました。いまは「結果は重要だけど、楽しむことも大事」と自らに言い聞かせて競技に励んでいます。
トライアスロンを通じて経験してきたことを還元したい
トップレベルで競技を続けていく上では、経済面の負担も軽いものではなく、海外遠征の諸経費、交通費は重くのしかかってきます。内田選手は4人兄弟の次男。家族も多く、両親に金銭的な支援を受けるわけにはいきません。自分でスポンサーを集めなければ、これ以上は活動できないと思った内田選手は、2019年からスポンサー営業を始め、2021年からは滋賀県スポーツ協会に雇ってもらい、競技に打ち込む環境を得ることもできました。このときのことを振り返ると、苦しいときに助けてくれたのは身近な人たちでした。
スポンサー営業をする中で、滋賀県スポーツ協会の関係者から明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を紹介されました。これまでも内田選手は、トライアスロンで経験してきたことを少しでも地元に還元したいという思いから、滋賀県内の小中学校に出向き、トライアスロンを通じて、挑戦することの意義を話し、世界各地で見てきた景色を伝える活動をしてきました。プログラムの応募要項に目を通すと共感することばかりで、「生まれ育った場所を大事にする僕の生き方とリンクする」と感じたといいます。
地元の人に助けられ、応援されて強くなっている
生まれ故郷の空気を吸うたびに「帰ってきた」と実感するという内田選手。自宅を一歩出れば、信号がひとつもない一本道と田園風景が広がっています。コロナ禍の影響で実家に戻っていた頃は、9歳下の弟が自転車で練習に付き合ってくれ、ひたすら走ってトレーニングに励んでいました。
プール施設が使えずに困ったときは、滋賀県トライアスロン協会の人の勧めで、琵琶湖で泳ぎのトレーニングをすることができました。「琵琶湖の北西部に位置する高島市は、すごく水がきれいで、高校時代は陸上部の練習が終わると、友人たちと湖に飛び込んでいました」
琵琶湖沿いで練習していると、SNSをチェックして話しかけてくれる人もいれば、市が発行する『広報たかしま』のスポーツ欄を読んだ人たちから声をかけられることもあるそうです。「大会で優勝したりすると、『おめでとう』『また頑張って」という言葉ももらいます。あらためて、僕は滋賀県に助けられ、応援されて、強くなっているんだなと思います。応援をされてこそのアスリートです。これから先も、地元を大切にする軸がぶれることはありません」と力強く語ってくれました。
25年の滋賀国体で優勝することが、地元への最大の恩返し
「2022年度のワールドカップシリーズで入賞すること。2024年に開催される4年に一度の祭典に出場し、入賞すること」という目標を定めている内田選手。22年4月にネパールで開催されたアジアトライアスロンカップ・ポカラで4年ぶりにレースで優勝し、幸先の良いスタートを切りました。
「どれだけ世界の舞台に目を向けても、地元への思いは変わりません。僕は25年の滋賀国体で優勝することが、最大の恩返しになると思っています。応援してくれるみなさんと一緒に頑張っていきたいです」
地元への熱い思いを胸に世界に羽ばたきます。
(取材・制作:4years.編集部)
支援期間終了
このプロジェクトが気に入ったら
いいね!しよう
最新のプロジェクト情報をお届けします。
支援者
3人
残り期間
0日
集まっている金額
35,310円
目標金額:500,000円
達成率7%
2023年02月28日23:59に終了しました。
支援期間終了
起案者
内田弦大(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム2022)
当制度を通じて、出身地や活動拠点地域など、サポートを受ける「地元」に対して貢献したいというアスリートの活動を支援します。
1,000円
お礼のメール
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りします。
支援者の数 0人
支援期間終了
5,000円
お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 2人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了
10,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 0人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了
20,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+オリジナルステッカー+YELLS(全ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、プロジェクトのオリジナルステッカー、YELLS(全ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 1人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了