柔道王国の宮崎から世界へ 地元で得意技の背負い投げを極めるピアノから「柔の道」、負けず嫌い
宮崎日本大学中学校2年生の植田こころ選手が柔道を始めたのは、小学2年生の時でした。競技経験がある父と母が自宅で柔道のまね事をしているのを見て、「楽しそうだな」と思い、近くの生目(いきめ)道場へ通い始めました。幼稚園のころからピアノを習っていましたが、小さな体でも大きな相手を投げられることに魅了され、「柔の道」に夢中になりました。全国小学生学年別大会と全国中学校大会で準優勝と、あと一歩で「日本一」を逃したことが負けず嫌いの性格に火をつけました。宮崎で鍛え、もっと強くなって国際大会でも活躍したいと夢を追いかけます。
柔道を始めた小学2年生の頃
植田選手も柔道を始めた頃は負けてばかりでしたが、相手を投げた時などに何とも言えない喜びがありました。得意技は背負い投げです。初めて全国大会に挑んだのは小学5年生の女子40kg級でした。「緊張しすぎて、開会式で泣いてしまった」そうですが、初戦で組み合い落ち着くと、一気に決勝まで進みました。
地元の柔道界では知られた存在になり、宮崎日大中へ進学後も活躍を続けていたところ、明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」に出合いました。「柔道は競技人口が減っており、周りの生徒にも刺激やきっかけになる。すごくいい制度だと思った」と話す柔道部の東佑香(ゆか)監督からの紹介で、応募を決意。東監督は「宮崎で柔道をやっている子たちは『植田こころ』を知っていますが、柔道を知らない人にも見てもらえるきっかけになれば。そこから他の生徒に『柔道をやってみたい』などと広がっていけばうれしい」と期待しています。
鳥料理が大好きで名物階段で鍛える東京生まれの植田選手は、幼いときに母の地元でもある宮崎に移って育ちました。「宮崎は海もきれいで、おいしいものもいっぱいあります」。宮崎名物の鳥料理も好物の一つです。同級生の親が営む飲食店のチキン南蛮などがお気に入り。「減量が大変です」と笑います。
井上康生さんも鍛えた公園の階段を駆け上がる
新型コロナウイルスの感染が広がり、組み合うスポーツの柔道も様々な制限を受けました。柔道場での稽古だけではなく、屋外での練習が増えました。地元の柔道選手の間で有名な階段が、近くの平和台公園にあります。世界的に活躍した宮崎出身の井上康生さんが小さいころに鍛えたと伝わる長めの階段を駆け上がったり、選手をおんぶして上ったりしてトレーニングしています。約2kmの池の周りのランニングコースで持久力も鍛えます。
骨折しても、試合を続けた植田選手は柔道を離れると読書好きで、国語の成績はトップクラスです。ピアノの腕前は小学生の時に九州のコンクールで優勝しており、文化祭で演奏を披露したこともあります。壁を登るボルダリングも好きで、忙しくて遊び程度ですが、柔道に役立つ面もあるそうです。
小学4年生のころ、ある大会の準決勝で足を骨折したことがありました。患部は腫れ上がり、周りからは棄権するように言われました。それでも決勝の畳に向かいました。「残っていたのは1試合で、負けず嫌いだから。胴着を入れるバックだったか賞品をもらえたので、それがほしくて」。骨折をものともせず優勝しました。
生まれた時から一緒にいるサルのぬいぐるみが「守り神」だそうです。試合会場にもバックにぶら下げて連れていきます。「守り神」を忘れた時は調子が上がらないこともあります。
「応援されるとうれしいし、期待に応えたい」
柔道の楽しさを伝えたい東監督は植田選手について「器用ではなく、一つひとつを覚えるのに時間はかかるが、覚えたらしっかりできる。練習で強い選手はたくさんいるが、本番でガッと力を出せる」と言います。体重が関係ない団体戦では30kg近く重い相手を鮮やかに投げて会場を驚かせることも珍しくありません。これまで2度経験した全国大会はともに準優勝だったため、植田選手は「とりあえず全国大会優勝」を身近な目標に掲げています。海外遠征の経験もないため、「世界大会も出てみたいし、ヨーロッパへ行ってみたい」と先を見据えます。
東監督は「地元の子を地元で育てることにやりがいと面白さがある。地方からでも日本一になれるところをみせたい」と力を込めます。植田選手は「応援されるとうれしいし、期待に応えたい」と言い、「県外の選手にも宮崎来てもらい、みんなで柔道をできたら。痛い、怖いというイメージがあるようなので、柔道の楽しさも伝えられたら」と話しました。
(取材・制作:4years.編集部)
柔道王国の宮崎から世界へ 地元で得意技の背負い投げを極める
ピアノから「柔の道」、負けず嫌い
宮崎日本大学中学校2年生の植田こころ選手が柔道を始めたのは、小学2年生の時でした。競技経験がある父と母が自宅で柔道のまね事をしているのを見て、「楽しそうだな」と思い、近くの生目(いきめ)道場へ通い始めました。幼稚園のころからピアノを習っていましたが、小さな体でも大きな相手を投げられることに魅了され、「柔の道」に夢中になりました。全国小学生学年別大会と全国中学校大会で準優勝と、あと一歩で「日本一」を逃したことが負けず嫌いの性格に火をつけました。宮崎で鍛え、もっと強くなって国際大会でも活躍したいと夢を追いかけます。
柔道を始めた小学2年生の頃
植田選手も柔道を始めた頃は負けてばかりでしたが、相手を投げた時などに何とも言えない喜びがありました。得意技は背負い投げです。初めて全国大会に挑んだのは小学5年生の女子40kg級でした。「緊張しすぎて、開会式で泣いてしまった」そうですが、初戦で組み合い落ち着くと、一気に決勝まで進みました。
地元の柔道界では知られた存在になり、宮崎日大中へ進学後も活躍を続けていたところ、明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」に出合いました。「柔道は競技人口が減っており、周りの生徒にも刺激やきっかけになる。すごくいい制度だと思った」と話す柔道部の東佑香(ゆか)監督からの紹介で、応募を決意。東監督は「宮崎で柔道をやっている子たちは『植田こころ』を知っていますが、柔道を知らない人にも見てもらえるきっかけになれば。そこから他の生徒に『柔道をやってみたい』などと広がっていけばうれしい」と期待しています。
鳥料理が大好きで名物階段で鍛える
東京生まれの植田選手は、幼いときに母の地元でもある宮崎に移って育ちました。「宮崎は海もきれいで、おいしいものもいっぱいあります」。宮崎名物の鳥料理も好物の一つです。同級生の親が営む飲食店のチキン南蛮などがお気に入り。「減量が大変です」と笑います。
井上康生さんも鍛えた公園の階段を駆け上がる
新型コロナウイルスの感染が広がり、組み合うスポーツの柔道も様々な制限を受けました。柔道場での稽古だけではなく、屋外での練習が増えました。地元の柔道選手の間で有名な階段が、近くの平和台公園にあります。世界的に活躍した宮崎出身の井上康生さんが小さいころに鍛えたと伝わる長めの階段を駆け上がったり、選手をおんぶして上ったりしてトレーニングしています。約2kmの池の周りのランニングコースで持久力も鍛えます。
骨折しても、試合を続けた
植田選手は柔道を離れると読書好きで、国語の成績はトップクラスです。ピアノの腕前は小学生の時に九州のコンクールで優勝しており、文化祭で演奏を披露したこともあります。壁を登るボルダリングも好きで、忙しくて遊び程度ですが、柔道に役立つ面もあるそうです。
小学4年生のころ、ある大会の準決勝で足を骨折したことがありました。患部は腫れ上がり、周りからは棄権するように言われました。それでも決勝の畳に向かいました。「残っていたのは1試合で、負けず嫌いだから。胴着を入れるバックだったか賞品をもらえたので、それがほしくて」。骨折をものともせず優勝しました。
生まれた時から一緒にいるサルのぬいぐるみが「守り神」だそうです。試合会場にもバックにぶら下げて連れていきます。「守り神」を忘れた時は調子が上がらないこともあります。
「応援されるとうれしいし、期待に応えたい」
柔道の楽しさを伝えたい
東監督は植田選手について「器用ではなく、一つひとつを覚えるのに時間はかかるが、覚えたらしっかりできる。練習で強い選手はたくさんいるが、本番でガッと力を出せる」と言います。体重が関係ない団体戦では30kg近く重い相手を鮮やかに投げて会場を驚かせることも珍しくありません。これまで2度経験した全国大会はともに準優勝だったため、植田選手は「とりあえず全国大会優勝」を身近な目標に掲げています。海外遠征の経験もないため、「世界大会も出てみたいし、ヨーロッパへ行ってみたい」と先を見据えます。
東監督は「地元の子を地元で育てることにやりがいと面白さがある。地方からでも日本一になれるところをみせたい」と力を込めます。植田選手は「応援されるとうれしいし、期待に応えたい」と言い、「県外の選手にも宮崎来てもらい、みんなで柔道をできたら。痛い、怖いというイメージがあるようなので、柔道の楽しさも伝えられたら」と話しました。
(取材・制作:4years.編集部)
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柔道王国の宮崎から世界へ 地元で得意技の背負い投げを極めるピアノから「柔の道」、負けず嫌い 宮崎日本大学中学校2年生の植田こころ選手が柔道を始めたのは、小学2年生の時でした。競技経験がある父と母が自宅で柔道のまね事をしているのを見て、「楽しそうだな」と思い、近くの生目(いきめ)道場へ通い始めました。幼稚園のころからピアノを習っていましたが、小さな体でも大きな相手を投げられることに魅了され、「柔の道」に夢中になりました。全国小学生学年別大会と全国中学校大会で準優勝と、あと一歩で「日本一」を逃したことが負けず嫌いの性格に火をつけました。宮崎で鍛え、もっと強くなって国際大会でも活躍したいと夢を追いかけます。 柔道を始めた小学2年生の頃 植田選手も柔道を始めた頃は負けてばかりでしたが、相手を投げた時などに何とも言えない喜びがありました。得意技は背負い投げです。初めて全国大会に挑んだのは小学5年生の女子40kg級でした。「緊張しすぎて、開会式で泣いてしまった」そうですが、初戦で組み合い落ち着くと、一気に決勝まで進みました。 地元の柔道界では知られた存在になり、宮崎日大中へ進学後も活躍を続けていたところ、明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」に出合いました。「柔道は競技人口が減っており、周りの生徒にも刺激やきっかけになる。すごくいい制度だと思った」と話す柔道部の東佑香(ゆか)監督からの紹介で、応募を決意。東監督は「宮崎で柔道をやっている子たちは『植田こころ』を知っていますが、柔道を知らない人にも見てもらえるきっかけになれば。そこから他の生徒に『柔道をやってみたい』などと広がっていけばうれしい」と期待しています。 鳥料理が大好きで名物階段で鍛える東京生まれの植田選手は、幼いときに母の地元でもある宮崎に移って育ちました。「宮崎は海もきれいで、おいしいものもいっぱいあります」。宮崎名物の鳥料理も好物の一つです。同級生の親が営む飲食店のチキン南蛮などがお気に入り。「減量が大変です」と笑います。 井上康生さんも鍛えた公園の階段を駆け上がる 新型コロナウイルスの感染が広がり、組み合うスポーツの柔道も様々な制限を受けました。柔道場での稽古だけではなく、屋外での練習が増えました。地元の柔道選手の間で有名な階段が、近くの平和台公園にあります。世界的に活躍した宮崎出身の井上康生さんが小さいころに鍛えたと伝わる長めの階段を駆け上がったり、選手をおんぶして上ったりしてトレーニングしています。約2kmの池の周りのランニングコースで持久力も鍛えます。 骨折しても、試合を続けた植田選手は柔道を離れると読書好きで、国語の成績はトップクラスです。ピアノの腕前は小学生の時に九州のコンクールで優勝しており、文化祭で演奏を披露したこともあります。壁を登るボルダリングも好きで、忙しくて遊び程度ですが、柔道に役立つ面もあるそうです。 小学4年生のころ、ある大会の準決勝で足を骨折したことがありました。患部は腫れ上がり、周りからは棄権するように言われました。それでも決勝の畳に向かいました。「残っていたのは1試合で、負けず嫌いだから。胴着を入れるバックだったか賞品をもらえたので、それがほしくて」。骨折をものともせず優勝しました。 生まれた時から一緒にいるサルのぬいぐるみが「守り神」だそうです。試合会場にもバックにぶら下げて連れていきます。「守り神」を忘れた時は調子が上がらないこともあります。 「応援されるとうれしいし、期待に応えたい」 柔道の楽しさを伝えたい東監督は植田選手について「器用ではなく、一つひとつを覚えるのに時間はかかるが、覚えたらしっかりできる。練習で強い選手はたくさんいるが、本番でガッと力を出せる」と言います。体重が関係ない団体戦では30kg近く重い相手を鮮やかに投げて会場を驚かせることも珍しくありません。これまで2度経験した全国大会はともに準優勝だったため、植田選手は「とりあえず全国大会優勝」を身近な目標に掲げています。海外遠征の経験もないため、「世界大会も出てみたいし、ヨーロッパへ行ってみたい」と先を見据えます。 東監督は「地元の子を地元で育てることにやりがいと面白さがある。地方からでも日本一になれるところをみせたい」と力を込めます。植田選手は「応援されるとうれしいし、期待に応えたい」と言い、「県外の選手にも宮崎来てもらい、みんなで柔道をできたら。痛い、怖いというイメージがあるようなので、柔道の楽しさも伝えられたら」と話しました。 (取材・制作:4years.編集部)
柔道王国の宮崎から世界へ 地元で得意技の背負い投げを極める
ピアノから「柔の道」、負けず嫌い
宮崎日本大学中学校2年生の植田こころ選手が柔道を始めたのは、小学2年生の時でした。競技経験がある父と母が自宅で柔道のまね事をしているのを見て、「楽しそうだな」と思い、近くの生目(いきめ)道場へ通い始めました。幼稚園のころからピアノを習っていましたが、小さな体でも大きな相手を投げられることに魅了され、「柔の道」に夢中になりました。全国小学生学年別大会と全国中学校大会で準優勝と、あと一歩で「日本一」を逃したことが負けず嫌いの性格に火をつけました。宮崎で鍛え、もっと強くなって国際大会でも活躍したいと夢を追いかけます。
柔道を始めた小学2年生の頃
植田選手も柔道を始めた頃は負けてばかりでしたが、相手を投げた時などに何とも言えない喜びがありました。得意技は背負い投げです。初めて全国大会に挑んだのは小学5年生の女子40kg級でした。「緊張しすぎて、開会式で泣いてしまった」そうですが、初戦で組み合い落ち着くと、一気に決勝まで進みました。
地元の柔道界では知られた存在になり、宮崎日大中へ進学後も活躍を続けていたところ、明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」に出合いました。「柔道は競技人口が減っており、周りの生徒にも刺激やきっかけになる。すごくいい制度だと思った」と話す柔道部の東佑香(ゆか)監督からの紹介で、応募を決意。東監督は「宮崎で柔道をやっている子たちは『植田こころ』を知っていますが、柔道を知らない人にも見てもらえるきっかけになれば。そこから他の生徒に『柔道をやってみたい』などと広がっていけばうれしい」と期待しています。
鳥料理が大好きで名物階段で鍛える
東京生まれの植田選手は、幼いときに母の地元でもある宮崎に移って育ちました。「宮崎は海もきれいで、おいしいものもいっぱいあります」。宮崎名物の鳥料理も好物の一つです。同級生の親が営む飲食店のチキン南蛮などがお気に入り。「減量が大変です」と笑います。
井上康生さんも鍛えた公園の階段を駆け上がる
新型コロナウイルスの感染が広がり、組み合うスポーツの柔道も様々な制限を受けました。柔道場での稽古だけではなく、屋外での練習が増えました。地元の柔道選手の間で有名な階段が、近くの平和台公園にあります。世界的に活躍した宮崎出身の井上康生さんが小さいころに鍛えたと伝わる長めの階段を駆け上がったり、選手をおんぶして上ったりしてトレーニングしています。約2kmの池の周りのランニングコースで持久力も鍛えます。
骨折しても、試合を続けた
植田選手は柔道を離れると読書好きで、国語の成績はトップクラスです。ピアノの腕前は小学生の時に九州のコンクールで優勝しており、文化祭で演奏を披露したこともあります。壁を登るボルダリングも好きで、忙しくて遊び程度ですが、柔道に役立つ面もあるそうです。
小学4年生のころ、ある大会の準決勝で足を骨折したことがありました。患部は腫れ上がり、周りからは棄権するように言われました。それでも決勝の畳に向かいました。「残っていたのは1試合で、負けず嫌いだから。胴着を入れるバックだったか賞品をもらえたので、それがほしくて」。骨折をものともせず優勝しました。
生まれた時から一緒にいるサルのぬいぐるみが「守り神」だそうです。試合会場にもバックにぶら下げて連れていきます。「守り神」を忘れた時は調子が上がらないこともあります。
「応援されるとうれしいし、期待に応えたい」
柔道の楽しさを伝えたい
東監督は植田選手について「器用ではなく、一つひとつを覚えるのに時間はかかるが、覚えたらしっかりできる。練習で強い選手はたくさんいるが、本番でガッと力を出せる」と言います。体重が関係ない団体戦では30kg近く重い相手を鮮やかに投げて会場を驚かせることも珍しくありません。これまで2度経験した全国大会はともに準優勝だったため、植田選手は「とりあえず全国大会優勝」を身近な目標に掲げています。海外遠征の経験もないため、「世界大会も出てみたいし、ヨーロッパへ行ってみたい」と先を見据えます。
東監督は「地元の子を地元で育てることにやりがいと面白さがある。地方からでも日本一になれるところをみせたい」と力を込めます。植田選手は「応援されるとうれしいし、期待に応えたい」と言い、「県外の選手にも宮崎来てもらい、みんなで柔道をできたら。痛い、怖いというイメージがあるようなので、柔道の楽しさも伝えられたら」と話しました。
(取材・制作:4years.編集部)
支援期間終了
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支援者
27人
残り期間
0日
集まっている金額
320,000円
目標金額:400,000円
達成率80%
2023年02月28日23:59に終了しました。
支援期間終了
起案者
植田こころ(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム2022)
当制度を通じて、出身地や活動拠点地域など、サポートを受ける「地元」に対して貢献したいというアスリートの活動を支援します。
1,000円
お礼メール
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りします。
支援者の数 8人
支援期間終了
5,000円
お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 7人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了
10,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 3人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了
20,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+オリジナルステッカー+YELLS(全ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、プロジェクトのオリジナルステッカー、YELLS(全ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 9人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了