舞台はシニアの世界へ!自身の活躍を通して、地元・山梨への恩返しを誓う
水面に浮かぶ不思議な感覚のとりこに
富士五湖の一つ、精進湖からカヌースプリント競技のカナディアン部門で世界をめざす、大学1年生がいます。生まれも育ちも山梨県富士河口湖町。壮大な富士山を眺めて育った渡邊舜太選手は、富士河口湖町立勝山中学校の部活で運命の競技に出合いました。心を奪われたのは細長い舟に乗り片膝を立てながら、1本のパドルを使って漕ぐカナディアンカヌーです。初めのうちは舟に乗っては落ちて、の繰り返し。でも、湖面の上は陸上とは違う、水が自分にまとわりついて一体化していくような不思議な感覚がありました。始めてわずか3カ月で全国大会に出場。周りのレベルの高さに驚きつつも、刺激を受けて、ここから本気で取り組むようになりました。
中学1年生の渡邊選手
氷点下の日も朝7時から練習に精を出し、速くなるために必死に漕ぐ。「カヌーは自分との戦い。中途半端にすると、妥協しますし、逃げ出してしまいます」。山梨県立富士河口湖高校に進学後も、時間の多くを精進湖の静かな水面で過ごしてきました。
「カヌーが大好きで、学生生活を捧げてきました」
高校時代は1年生でインターハイのカナディアンペアで優勝し、2年生のときにはJOCジュニアオリンピックカップ・第16回日本カヌースプリントジュニア・ジュニアユース小松大会のカナディアンシングル1000m、500mで3位に。国内では世代トップの実力を備えるまでに成長しました。そして2021年3月、さらに上をめざす転機が訪れます。
支えられている自分から恩返しを
一通のメッセージが届きました。勝山中学のカヌー部で2歳上の姉を指導していた縁もあり、自身を競技の道に導いてくれた恩師・都築和久先生に明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」のことを教えてもらい、応募を勧められたのです。
競技を続けていく上での経済的な負担は気になっていました。カヌーは1艇、60万円以上。競技レベルが上がれば上がるほど、自分に合ったものが必要になります。金銭的な援助は喉から手が出るほど欲しい。それでも、迷いました。「スポーツを通じて世界で活躍することを目標にしている人たちが対象でした。支援してもらうからには、相応の結果も残さないといけません。自分にできるのだろうかと」
何度も自問自答し、締め切りのぎりぎりまで悩んで答えを出しました。「やるからには覚悟を持ってやります」。プログラムへの応募はカヌーとの向き合い方を考える、良いきっかけになったと言います。『地元に貢献する』という趣旨にもひかれました。「ずっと周りから支えてもらっている自分が、スポーツで恩返ししたい」。そんな気持ちが強くなったと言います。
中学2年生のとき、全国中学生カヌー大会にて
いつもそばにいてくれるのが富士山だった
20年はコロナ禍の影響で練習ができない状況に陥りかけたものの、富士河口湖町役場と勝山中学校の理解ある対応に救われました。冬場の練習場所は体育館。一時は閉鎖になりましたが、感染症対策を万全にすることを条件に使用許可を出してもらったのです。「どのようにお礼を言っていいのか、わからないくらい感謝しています」。そして、心の支えになっているのは山梨の大自然。いつも湖面から壮観な風景を眺めています。「僕はずっと富士山を目に入れながら練習してきました。つらいときに見ると、心が落ち着くんです。どんなときも、富士山はそばにいてくれる感じで」。雪化粧が始まると、寒さが厳しくなり、練習も厳しくなるのが恒例。「頂上付近が白くなってくれば、覚悟しようと思いますね」。冗談まじりに笑う顔には地元愛がにじんでいました。
追い込みすぎ対策、地元を挙げてのサポート
ただ、中学生の頃は練習に打ち込むあまり、ピーキングに苦労しました。心配性の性格もあって試合前にオーバーワーク気味になり、本番で思うように力を発揮できなかったのです。中学3年生の全国大会は忘れもしません。カヌースプリント500mのカナディアン部門に出場し、途中300mまで先頭でしたが、後半に失速。残り200mで抜かれて2位で涙をのみました。練習の疲労が蓄積していたのは明らかでした。
高校時代はコンディション調整のために科学的なトレーニングを実施。それも健康科学大学、山梨学院大学といった山梨のアカデミー機関の先生やトレーナーの協力がありました。「練習記録を数値化することで、練習量を客観的に見ることができるようになりました」。
地元を離れての新たな挑戦
まさに「オール山梨」の体制に支えられてきた渡邊選手ですが、22年4月に立命館大学に入学。地元・山梨を離れ、滋賀県で新たなチャレンジに取り組んでいます。「地元を離れることに心細さはありました。これまでは先生にメニューを組んでもらって練習を行なってきましたが、大学では自主性が大切になってきます。メニューの不安はありますが、コーチと密なコミュニケーションをとっていきたいです。」
これまで慣れ親しんだ「精進湖」よりも距離が長い、琵琶湖・瀬田川でトレーニングを行なうことでロングで漕ぐことができるなど、環境を変えたことがさらなるレベルアップにもつながりそうです。
高校3年生4月の渡邊選手
大学在学中に世界で戦えるアスリートに。将来を見据えてフィジカルアップ
ジュニア年代の日本代表として出場した、21年9月のジュニア世界選手権ではB決勝9位(全体18位)。「ようやく世界に立てるという喜びがある一方、背負うものも大きくなりました。将来、世界で戦える選手になるための足がかりとして、早い段階で世界のレベルを感じられたのは自分にとって大きな財産となりました」
その先も見据えています。同じ富士河口湖高校の先輩で、いまなお日本のトップを走る藤嶋大規選手、三浦伊織選手の背中を追いかけ続けています。「いつかは超えたいと思っています」。世界最高峰の大会にたどり着くまで、日々の努力を怠るつもりはありません。
「山梨をもっと元気に」
大学1年生のいま、やるべきことは山積みです。カヌー競技者たちは世界トップレベルになると、「大根を腕につけているような」筋骨隆々の選手たちばかり。「僕はまだ細くて、鍛えないといけません。1年生の現在は、将来を見据えてフィジカルアップする時期だと考えています。ジュニア上がりだとまだまだ厳しい面もあるので、上級学年になったころに結果を出せるよう準備していきたいです」と、渡邊選手。トップアスリートに必要な栄養を摂り、効率よく筋肉をつけることに力を注いでいます。プロテインは必須で、疲労の回復を早めるサプリメントなども欲しいところ。ただ安価なものは少なく、1カ月で1万円近くかかることもざらです。支援金の使い道は自分に合ったカヌー艇の購入だけではなく、自らの体を鍛えたり、ケアするサプリメントの購入にも充てたりしたいと考えています。
「自分が強くなることで、地元へ恩を返したい。インターハイで優勝したときも、地元で『おめでとう』と言われて、うれしかったのを覚えています。スポーツを通じて、山梨をもっと元気にしたいです」
明るく、張りのある声には地元への思いがたっぷりこもっていました。
(取材・制作:4years.編集部)
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38
舞台はシニアの世界へ!自身の活躍を通して、地元・山梨への恩返しを誓う水面に浮かぶ不思議な感覚のとりこに 富士五湖の一つ、精進湖からカヌースプリント競技のカナディアン部門で世界をめざす、大学1年生がいます。生まれも育ちも山梨県富士河口湖町。壮大な富士山を眺めて育った渡邊舜太選手は、富士河口湖町立勝山中学校の部活で運命の競技に出合いました。心を奪われたのは細長い舟に乗り片膝を立てながら、1本のパドルを使って漕ぐカナディアンカヌーです。初めのうちは舟に乗っては落ちて、の繰り返し。でも、湖面の上は陸上とは違う、水が自分にまとわりついて一体化していくような不思議な感覚がありました。始めてわずか3カ月で全国大会に出場。周りのレベルの高さに驚きつつも、刺激を受けて、ここから本気で取り組むようになりました。 中学1年生の渡邊選手 氷点下の日も朝7時から練習に精を出し、速くなるために必死に漕ぐ。「カヌーは自分との戦い。中途半端にすると、妥協しますし、逃げ出してしまいます」。山梨県立富士河口湖高校に進学後も、時間の多くを精進湖の静かな水面で過ごしてきました。 「カヌーが大好きで、学生生活を捧げてきました」 高校時代は1年生でインターハイのカナディアンペアで優勝し、2年生のときにはJOCジュニアオリンピックカップ・第16回日本カヌースプリントジュニア・ジュニアユース小松大会のカナディアンシングル1000m、500mで3位に。国内では世代トップの実力を備えるまでに成長しました。そして2021年3月、さらに上をめざす転機が訪れます。 支えられている自分から恩返しを一通のメッセージが届きました。勝山中学のカヌー部で2歳上の姉を指導していた縁もあり、自身を競技の道に導いてくれた恩師・都築和久先生に明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」のことを教えてもらい、応募を勧められたのです。 競技を続けていく上での経済的な負担は気になっていました。カヌーは1艇、60万円以上。競技レベルが上がれば上がるほど、自分に合ったものが必要になります。金銭的な援助は喉から手が出るほど欲しい。それでも、迷いました。「スポーツを通じて世界で活躍することを目標にしている人たちが対象でした。支援してもらうからには、相応の結果も残さないといけません。自分にできるのだろうかと」 何度も自問自答し、締め切りのぎりぎりまで悩んで答えを出しました。「やるからには覚悟を持ってやります」。プログラムへの応募はカヌーとの向き合い方を考える、良いきっかけになったと言います。『地元に貢献する』という趣旨にもひかれました。「ずっと周りから支えてもらっている自分が、スポーツで恩返ししたい」。そんな気持ちが強くなったと言います。 中学2年生のとき、全国中学生カヌー大会にて いつもそばにいてくれるのが富士山だった20年はコロナ禍の影響で練習ができない状況に陥りかけたものの、富士河口湖町役場と勝山中学校の理解ある対応に救われました。冬場の練習場所は体育館。一時は閉鎖になりましたが、感染症対策を万全にすることを条件に使用許可を出してもらったのです。「どのようにお礼を言っていいのか、わからないくらい感謝しています」。そして、心の支えになっているのは山梨の大自然。いつも湖面から壮観な風景を眺めています。「僕はずっと富士山を目に入れながら練習してきました。つらいときに見ると、心が落ち着くんです。どんなときも、富士山はそばにいてくれる感じで」。雪化粧が始まると、寒さが厳しくなり、練習も厳しくなるのが恒例。「頂上付近が白くなってくれば、覚悟しようと思いますね」。冗談まじりに笑う顔には地元愛がにじんでいました。 追い込みすぎ対策、地元を挙げてのサポートただ、中学生の頃は練習に打ち込むあまり、ピーキングに苦労しました。心配性の性格もあって試合前にオーバーワーク気味になり、本番で思うように力を発揮できなかったのです。中学3年生の全国大会は忘れもしません。カヌースプリント500mのカナディアン部門に出場し、途中300mまで先頭でしたが、後半に失速。残り200mで抜かれて2位で涙をのみました。練習の疲労が蓄積していたのは明らかでした。 高校時代はコンディション調整のために科学的なトレーニングを実施。それも健康科学大学、山梨学院大学といった山梨のアカデミー機関の先生やトレーナーの協力がありました。「練習記録を数値化することで、練習量を客観的に見ることができるようになりました」。 地元を離れての新たな挑戦まさに「オール山梨」の体制に支えられてきた渡邊選手ですが、22年4月に立命館大学に入学。地元・山梨を離れ、滋賀県で新たなチャレンジに取り組んでいます。「地元を離れることに心細さはありました。これまでは先生にメニューを組んでもらって練習を行なってきましたが、大学では自主性が大切になってきます。メニューの不安はありますが、コーチと密なコミュニケーションをとっていきたいです。」 これまで慣れ親しんだ「精進湖」よりも距離が長い、琵琶湖・瀬田川でトレーニングを行なうことでロングで漕ぐことができるなど、環境を変えたことがさらなるレベルアップにもつながりそうです。 高校3年生4月の渡邊選手 大学在学中に世界で戦えるアスリートに。将来を見据えてフィジカルアップジュニア年代の日本代表として出場した、21年9月のジュニア世界選手権ではB決勝9位(全体18位)。「ようやく世界に立てるという喜びがある一方、背負うものも大きくなりました。将来、世界で戦える選手になるための足がかりとして、早い段階で世界のレベルを感じられたのは自分にとって大きな財産となりました」その先も見据えています。同じ富士河口湖高校の先輩で、いまなお日本のトップを走る藤嶋大規選手、三浦伊織選手の背中を追いかけ続けています。「いつかは超えたいと思っています」。世界最高峰の大会にたどり着くまで、日々の努力を怠るつもりはありません。 「山梨をもっと元気に」大学1年生のいま、やるべきことは山積みです。カヌー競技者たちは世界トップレベルになると、「大根を腕につけているような」筋骨隆々の選手たちばかり。「僕はまだ細くて、鍛えないといけません。1年生の現在は、将来を見据えてフィジカルアップする時期だと考えています。ジュニア上がりだとまだまだ厳しい面もあるので、上級学年になったころに結果を出せるよう準備していきたいです」と、渡邊選手。トップアスリートに必要な栄養を摂り、効率よく筋肉をつけることに力を注いでいます。プロテインは必須で、疲労の回復を早めるサプリメントなども欲しいところ。ただ安価なものは少なく、1カ月で1万円近くかかることもざらです。支援金の使い道は自分に合ったカヌー艇の購入だけではなく、自らの体を鍛えたり、ケアするサプリメントの購入にも充てたりしたいと考えています。 「自分が強くなることで、地元へ恩を返したい。インターハイで優勝したときも、地元で『おめでとう』と言われて、うれしかったのを覚えています。スポーツを通じて、山梨をもっと元気にしたいです」 明るく、張りのある声には地元への思いがたっぷりこもっていました。 (取材・制作:4years.編集部)
舞台はシニアの世界へ!自身の活躍を通して、地元・山梨への恩返しを誓う
水面に浮かぶ不思議な感覚のとりこに
富士五湖の一つ、精進湖からカヌースプリント競技のカナディアン部門で世界をめざす、大学1年生がいます。生まれも育ちも山梨県富士河口湖町。壮大な富士山を眺めて育った渡邊舜太選手は、富士河口湖町立勝山中学校の部活で運命の競技に出合いました。心を奪われたのは細長い舟に乗り片膝を立てながら、1本のパドルを使って漕ぐカナディアンカヌーです。初めのうちは舟に乗っては落ちて、の繰り返し。でも、湖面の上は陸上とは違う、水が自分にまとわりついて一体化していくような不思議な感覚がありました。始めてわずか3カ月で全国大会に出場。周りのレベルの高さに驚きつつも、刺激を受けて、ここから本気で取り組むようになりました。
中学1年生の渡邊選手
氷点下の日も朝7時から練習に精を出し、速くなるために必死に漕ぐ。「カヌーは自分との戦い。中途半端にすると、妥協しますし、逃げ出してしまいます」。山梨県立富士河口湖高校に進学後も、時間の多くを精進湖の静かな水面で過ごしてきました。
「カヌーが大好きで、学生生活を捧げてきました」
高校時代は1年生でインターハイのカナディアンペアで優勝し、2年生のときにはJOCジュニアオリンピックカップ・第16回日本カヌースプリントジュニア・ジュニアユース小松大会のカナディアンシングル1000m、500mで3位に。国内では世代トップの実力を備えるまでに成長しました。そして2021年3月、さらに上をめざす転機が訪れます。
支えられている自分から恩返しを
一通のメッセージが届きました。勝山中学のカヌー部で2歳上の姉を指導していた縁もあり、自身を競技の道に導いてくれた恩師・都築和久先生に明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」のことを教えてもらい、応募を勧められたのです。
競技を続けていく上での経済的な負担は気になっていました。カヌーは1艇、60万円以上。競技レベルが上がれば上がるほど、自分に合ったものが必要になります。金銭的な援助は喉から手が出るほど欲しい。それでも、迷いました。「スポーツを通じて世界で活躍することを目標にしている人たちが対象でした。支援してもらうからには、相応の結果も残さないといけません。自分にできるのだろうかと」
何度も自問自答し、締め切りのぎりぎりまで悩んで答えを出しました。「やるからには覚悟を持ってやります」。プログラムへの応募はカヌーとの向き合い方を考える、良いきっかけになったと言います。『地元に貢献する』という趣旨にもひかれました。「ずっと周りから支えてもらっている自分が、スポーツで恩返ししたい」。そんな気持ちが強くなったと言います。
中学2年生のとき、全国中学生カヌー大会にて
いつもそばにいてくれるのが富士山だった
20年はコロナ禍の影響で練習ができない状況に陥りかけたものの、富士河口湖町役場と勝山中学校の理解ある対応に救われました。冬場の練習場所は体育館。一時は閉鎖になりましたが、感染症対策を万全にすることを条件に使用許可を出してもらったのです。「どのようにお礼を言っていいのか、わからないくらい感謝しています」。そして、心の支えになっているのは山梨の大自然。いつも湖面から壮観な風景を眺めています。「僕はずっと富士山を目に入れながら練習してきました。つらいときに見ると、心が落ち着くんです。どんなときも、富士山はそばにいてくれる感じで」。雪化粧が始まると、寒さが厳しくなり、練習も厳しくなるのが恒例。「頂上付近が白くなってくれば、覚悟しようと思いますね」。冗談まじりに笑う顔には地元愛がにじんでいました。
追い込みすぎ対策、地元を挙げてのサポート
ただ、中学生の頃は練習に打ち込むあまり、ピーキングに苦労しました。心配性の性格もあって試合前にオーバーワーク気味になり、本番で思うように力を発揮できなかったのです。中学3年生の全国大会は忘れもしません。カヌースプリント500mのカナディアン部門に出場し、途中300mまで先頭でしたが、後半に失速。残り200mで抜かれて2位で涙をのみました。練習の疲労が蓄積していたのは明らかでした。
高校時代はコンディション調整のために科学的なトレーニングを実施。それも健康科学大学、山梨学院大学といった山梨のアカデミー機関の先生やトレーナーの協力がありました。「練習記録を数値化することで、練習量を客観的に見ることができるようになりました」。
地元を離れての新たな挑戦
まさに「オール山梨」の体制に支えられてきた渡邊選手ですが、22年4月に立命館大学に入学。地元・山梨を離れ、滋賀県で新たなチャレンジに取り組んでいます。「地元を離れることに心細さはありました。これまでは先生にメニューを組んでもらって練習を行なってきましたが、大学では自主性が大切になってきます。メニューの不安はありますが、コーチと密なコミュニケーションをとっていきたいです。」
これまで慣れ親しんだ「精進湖」よりも距離が長い、琵琶湖・瀬田川でトレーニングを行なうことでロングで漕ぐことができるなど、環境を変えたことがさらなるレベルアップにもつながりそうです。
高校3年生4月の渡邊選手
大学在学中に世界で戦えるアスリートに。将来を見据えてフィジカルアップ
ジュニア年代の日本代表として出場した、21年9月のジュニア世界選手権ではB決勝9位(全体18位)。「ようやく世界に立てるという喜びがある一方、背負うものも大きくなりました。将来、世界で戦える選手になるための足がかりとして、早い段階で世界のレベルを感じられたのは自分にとって大きな財産となりました」
その先も見据えています。同じ富士河口湖高校の先輩で、いまなお日本のトップを走る藤嶋大規選手、三浦伊織選手の背中を追いかけ続けています。「いつかは超えたいと思っています」。世界最高峰の大会にたどり着くまで、日々の努力を怠るつもりはありません。
「山梨をもっと元気に」
大学1年生のいま、やるべきことは山積みです。カヌー競技者たちは世界トップレベルになると、「大根を腕につけているような」筋骨隆々の選手たちばかり。「僕はまだ細くて、鍛えないといけません。1年生の現在は、将来を見据えてフィジカルアップする時期だと考えています。ジュニア上がりだとまだまだ厳しい面もあるので、上級学年になったころに結果を出せるよう準備していきたいです」と、渡邊選手。トップアスリートに必要な栄養を摂り、効率よく筋肉をつけることに力を注いでいます。プロテインは必須で、疲労の回復を早めるサプリメントなども欲しいところ。ただ安価なものは少なく、1カ月で1万円近くかかることもざらです。支援金の使い道は自分に合ったカヌー艇の購入だけではなく、自らの体を鍛えたり、ケアするサプリメントの購入にも充てたりしたいと考えています。
「自分が強くなることで、地元へ恩を返したい。インターハイで優勝したときも、地元で『おめでとう』と言われて、うれしかったのを覚えています。スポーツを通じて、山梨をもっと元気にしたいです」
明るく、張りのある声には地元への思いがたっぷりこもっていました。
(取材・制作:4years.編集部)
支援期間終了
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最新のプロジェクト情報をお届けします。
支援者
38人
残り期間
0日
集まっている金額
86,000円
目標金額:300,000円
達成率28%
2023年02月28日23:59に終了しました。
支援期間終了
起案者
渡邊舜太(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム2022)
当制度を通じて、出身地や活動拠点地域など、サポートを受ける「地元」に対して貢献したいというアスリートの活動を支援します。
1,000円
お礼のメール
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りします。
支援者の数 33人
支援期間終了
5,000円
お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 5人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了