残る高校タイトルを全てつかむ! 日章学園OBの背中を追って世界へ
父の誘いでボクシングを始め、43kg級日本王者に
福岡県で小学3年生から6年生まで打ち込んだ野球では、スポットライトをほとんど浴びることはありませんでした。宮崎県宮崎市にある日章学園高校の2年生になった現在、高校ボクシング界のホープとして期待される山下学人(まなと)選手(宮崎県在住)は、苦笑しながら必死で白球を追いかけたころを振り返っていました。
「試合にはセカンドでたまに出るくらいでした。レギュラーではなかったので、正直、勝利の喜びも心からは味わえませんでした」
幼いころから周りの仲間に比べると身長が低く、体格面のハンデがあったようです。小柄な少年に転機が訪れたのは、中学1年生の時。成長を見守ってきた親が、息子に手を差し伸べるように言いました。
「ボクシングを始めてみないか」
父は元プロボクサーなのです。福岡県糟屋郡新宮町にあるスタービーアマチュアボクシングスクールに通い始めると、すぐにとりこになりました。野球時代は右投げ右打ちでしたが、ボクシングは父の勧めもあり、サウスポースタイルに。
入会してから約3カ月が経過したころです。ジム主催の小さな大会に初めて出場し、同じ36kgの選手と拳を交えました。無我夢中に出したパンチはワンツーのみ。まだそのコンビネーションしか教えてもらっていなかったのです。それでも判定勝ちを収めました。あの時の左ストレートの感触は、今も拳に残っています。
「めちゃくちゃ気持ち良かったので。勝った瞬間も最高でした。これが勝利なのかって。野球のベンチで味わったものとは全く違いました」
“初勝利”は格別でした。山下少年はずっとこの感覚を求め続けていたのです。
中学生の時の山下選手。キッズボクシング統一王座決定戦で日本一を経験しています
それからジムが休みの日曜日以外は、毎日のように通い詰めました。継続は力なり。中学3年生の夏、全日本アンダージュニア王座決定戦で優勝を飾り、同年の冬にはキッズボクシング統一王座決定戦でも勝利。名実ともに中学年代における43kg級日本王者となりました。そして2020年4月からは、名門の日章学園高校に通っています。
地元アスリート応援プログラムで触れた宮崎のぬくもり
明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」に応募したきっかけは、はっきりしています。両親の経済的な負担を少しでも減らすためです。現在、山下選手は親元の福岡を離れ、宮崎の日章学園高校で寮生活を送っています。ボクシングに必要な用具代やトレーニング費に加え、私立の学費や寮費もあります。「寮で暮らし始め、改めて両親のありがたみを感じています。少しでも役に立つことがしたいと思いました」
その一方で、地元アスリート応援プログラムの支援を受けることで新しい気づきもありました。プログラムの一環として20年から実施したクラウドファンディングをきっかけに、宮崎の地方紙から取材を受ける機会に恵まれました。それを目にした高校の担任がその地方紙を手に、「山下くんをみんな応援しましょう」とクラスのみんなに呼びかけてくれることもありました。「ちょっと気恥ずかしかったんですけどうれしかったです」と山下選手。
地元アスリート応援プログラムを通じて宮崎の人々の温かい気持ちに触れられたことは、山下選手の「今日も頑張ろう」という意欲につながっています。だからこそ、そんな思いに自分はアスリートとして結果で応えたいと思っています。
宮崎の人々の応援は山下選手の力になっています
コロナ禍で大会中止、それでも今できることを
宮崎での生活も2年目に入りました。当初は宮崎に知っている人も少なく、初めての寮生活に戸惑いもありましたが、監督やコーチ、そして先輩たちの優しさに救われました。「時間が経つにつれて同級生や先輩とのつながりも深まって、日々の練習でも自分のボクシングの良かったところや課題をみんなが指摘してくれます。肉体的にも精神面も強くなれました」
20年は新型コロナウイルスの影響で大会が中止になり、公式戦は冬の選抜につながる県大会のみ。その先に九州大会と冬の選抜を見据えていた山下選手にとって、大会中止という現実はつらく悔しいものでしたが、だからこそ、次の舞台に向けて練習を継続しています。
山下選手は19年12月以降、フライ級の選手としてトレーニングを重ねていますが、高校に入学したばかりの時は同じ階級の高校生に当たり負けをしていました。そこで高校のトレーナーにメニューを作ってもらい、週に1回、上半身・下半身・体幹と3部位に分けての筋トレをこなしています。次第に接近戦でも当たり負けすることなく戦えるようになりましたが、「フライ級ではまだ小柄なんで」と更なる筋力アップをめざしています。また、他県の選手たちともスパーリング(実戦練習)を積んだことで、確実に力がついていると実感しています。いい環境で練習をさせてもらえているという思いがあるからこそ、結果を出して「宮崎を代表する選手」になりたいと考えています。
残る5タイトルを全て手に入れる
日章学園高校のOBにはボクシング界を代表する選手が数多くいます。そのひとり、アマチュア8冠を達成し、20年にプロへ転向した中垣龍汰朗選手(現・大橋ジム)とは1度、日章学園高校で一緒に練習をさせてもらったことがあります。「とてもきれいなボクシングをしていて、パンチが見えないくらい速くて、めちゃくちゃ強いなと思いました」。そんな中垣選手は身近に感じられる目標になっています。
齋藤麗王選手(現・帝拳ジム)もまた、日章学園高校のOBです。齋藤選手は明治安田生命の前身の制度「次世代トップアスリート 応援プロジェクト~めざせ世界大会~」の卒業生(16~20年)でもあります。山下選手が高校入学時に掲げた目標は、齋藤選手が高校時代に達成した高校6冠を超えること。ただ、コロナ禍の影響で20年の主要大会は全て中止になりました。残るタイトルは5個です。21年以降、その全てを手に入れることを誓っています。
尊敬する日章学園OBが育ったこの場所で、もっと強くなります
めざすべき場所は、国内にとどまりません。最終的にはアジアジュニア、世界ユースなど、国際大会で金メダルを取りたいと思っています。
「応援してくれる人、一緒に練習してくれる人、指導してくれる人、競技を続けさせてくれる親、色々な人たちに支えられて競技に集中することができています。これから支援してもらう人たちにも、その感謝の気持ちを忘れないようにします」
(取材・制作:4years.編集部)
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残る高校タイトルを全てつかむ! 日章学園OBの背中を追って世界へ父の誘いでボクシングを始め、43kg級日本王者に 福岡県で小学3年生から6年生まで打ち込んだ野球では、スポットライトをほとんど浴びることはありませんでした。宮崎県宮崎市にある日章学園高校の2年生になった現在、高校ボクシング界のホープとして期待される山下学人(まなと)選手(宮崎県在住)は、苦笑しながら必死で白球を追いかけたころを振り返っていました。「試合にはセカンドでたまに出るくらいでした。レギュラーではなかったので、正直、勝利の喜びも心からは味わえませんでした」幼いころから周りの仲間に比べると身長が低く、体格面のハンデがあったようです。小柄な少年に転機が訪れたのは、中学1年生の時。成長を見守ってきた親が、息子に手を差し伸べるように言いました。「ボクシングを始めてみないか」父は元プロボクサーなのです。福岡県糟屋郡新宮町にあるスタービーアマチュアボクシングスクールに通い始めると、すぐにとりこになりました。野球時代は右投げ右打ちでしたが、ボクシングは父の勧めもあり、サウスポースタイルに。入会してから約3カ月が経過したころです。ジム主催の小さな大会に初めて出場し、同じ36kgの選手と拳を交えました。無我夢中に出したパンチはワンツーのみ。まだそのコンビネーションしか教えてもらっていなかったのです。それでも判定勝ちを収めました。あの時の左ストレートの感触は、今も拳に残っています。「めちゃくちゃ気持ち良かったので。勝った瞬間も最高でした。これが勝利なのかって。野球のベンチで味わったものとは全く違いました」“初勝利”は格別でした。山下少年はずっとこの感覚を求め続けていたのです。中学生の時の山下選手。キッズボクシング統一王座決定戦で日本一を経験していますそれからジムが休みの日曜日以外は、毎日のように通い詰めました。継続は力なり。中学3年生の夏、全日本アンダージュニア王座決定戦で優勝を飾り、同年の冬にはキッズボクシング統一王座決定戦でも勝利。名実ともに中学年代における43kg級日本王者となりました。そして2020年4月からは、名門の日章学園高校に通っています。地元アスリート応援プログラムで触れた宮崎のぬくもり明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」に応募したきっかけは、はっきりしています。両親の経済的な負担を少しでも減らすためです。現在、山下選手は親元の福岡を離れ、宮崎の日章学園高校で寮生活を送っています。ボクシングに必要な用具代やトレーニング費に加え、私立の学費や寮費もあります。「寮で暮らし始め、改めて両親のありがたみを感じています。少しでも役に立つことがしたいと思いました」その一方で、地元アスリート応援プログラムの支援を受けることで新しい気づきもありました。プログラムの一環として20年から実施したクラウドファンディングをきっかけに、宮崎の地方紙から取材を受ける機会に恵まれました。それを目にした高校の担任がその地方紙を手に、「山下くんをみんな応援しましょう」とクラスのみんなに呼びかけてくれることもありました。「ちょっと気恥ずかしかったんですけどうれしかったです」と山下選手。地元アスリート応援プログラムを通じて宮崎の人々の温かい気持ちに触れられたことは、山下選手の「今日も頑張ろう」という意欲につながっています。だからこそ、そんな思いに自分はアスリートとして結果で応えたいと思っています。宮崎の人々の応援は山下選手の力になっています コロナ禍で大会中止、それでも今できることを宮崎での生活も2年目に入りました。当初は宮崎に知っている人も少なく、初めての寮生活に戸惑いもありましたが、監督やコーチ、そして先輩たちの優しさに救われました。「時間が経つにつれて同級生や先輩とのつながりも深まって、日々の練習でも自分のボクシングの良かったところや課題をみんなが指摘してくれます。肉体的にも精神面も強くなれました」20年は新型コロナウイルスの影響で大会が中止になり、公式戦は冬の選抜につながる県大会のみ。その先に九州大会と冬の選抜を見据えていた山下選手にとって、大会中止という現実はつらく悔しいものでしたが、だからこそ、次の舞台に向けて練習を継続しています。山下選手は19年12月以降、フライ級の選手としてトレーニングを重ねていますが、高校に入学したばかりの時は同じ階級の高校生に当たり負けをしていました。そこで高校のトレーナーにメニューを作ってもらい、週に1回、上半身・下半身・体幹と3部位に分けての筋トレをこなしています。次第に接近戦でも当たり負けすることなく戦えるようになりましたが、「フライ級ではまだ小柄なんで」と更なる筋力アップをめざしています。また、他県の選手たちともスパーリング(実戦練習)を積んだことで、確実に力がついていると実感しています。いい環境で練習をさせてもらえているという思いがあるからこそ、結果を出して「宮崎を代表する選手」になりたいと考えています。 残る5タイトルを全て手に入れる日章学園高校のOBにはボクシング界を代表する選手が数多くいます。そのひとり、アマチュア8冠を達成し、20年にプロへ転向した中垣龍汰朗選手(現・大橋ジム)とは1度、日章学園高校で一緒に練習をさせてもらったことがあります。「とてもきれいなボクシングをしていて、パンチが見えないくらい速くて、めちゃくちゃ強いなと思いました」。そんな中垣選手は身近に感じられる目標になっています。齋藤麗王選手(現・帝拳ジム)もまた、日章学園高校のOBです。齋藤選手は明治安田生命の前身の制度「次世代トップアスリート 応援プロジェクト~めざせ世界大会~」の卒業生(16~20年)でもあります。山下選手が高校入学時に掲げた目標は、齋藤選手が高校時代に達成した高校6冠を超えること。ただ、コロナ禍の影響で20年の主要大会は全て中止になりました。残るタイトルは5個です。21年以降、その全てを手に入れることを誓っています。尊敬する日章学園OBが育ったこの場所で、もっと強くなりますめざすべき場所は、国内にとどまりません。最終的にはアジアジュニア、世界ユースなど、国際大会で金メダルを取りたいと思っています。「応援してくれる人、一緒に練習してくれる人、指導してくれる人、競技を続けさせてくれる親、色々な人たちに支えられて競技に集中することができています。これから支援してもらう人たちにも、その感謝の気持ちを忘れないようにします」(取材・制作:4years.編集部)
残る高校タイトルを全てつかむ! 日章学園OBの背中を追って世界へ
父の誘いでボクシングを始め、43kg級日本王者に
福岡県で小学3年生から6年生まで打ち込んだ野球では、スポットライトをほとんど浴びることはありませんでした。宮崎県宮崎市にある日章学園高校の2年生になった現在、高校ボクシング界のホープとして期待される山下学人(まなと)選手(宮崎県在住)は、苦笑しながら必死で白球を追いかけたころを振り返っていました。
「試合にはセカンドでたまに出るくらいでした。レギュラーではなかったので、正直、勝利の喜びも心からは味わえませんでした」
幼いころから周りの仲間に比べると身長が低く、体格面のハンデがあったようです。小柄な少年に転機が訪れたのは、中学1年生の時。成長を見守ってきた親が、息子に手を差し伸べるように言いました。
「ボクシングを始めてみないか」
父は元プロボクサーなのです。福岡県糟屋郡新宮町にあるスタービーアマチュアボクシングスクールに通い始めると、すぐにとりこになりました。野球時代は右投げ右打ちでしたが、ボクシングは父の勧めもあり、サウスポースタイルに。
入会してから約3カ月が経過したころです。ジム主催の小さな大会に初めて出場し、同じ36kgの選手と拳を交えました。無我夢中に出したパンチはワンツーのみ。まだそのコンビネーションしか教えてもらっていなかったのです。それでも判定勝ちを収めました。あの時の左ストレートの感触は、今も拳に残っています。
「めちゃくちゃ気持ち良かったので。勝った瞬間も最高でした。これが勝利なのかって。野球のベンチで味わったものとは全く違いました」
“初勝利”は格別でした。山下少年はずっとこの感覚を求め続けていたのです。
それからジムが休みの日曜日以外は、毎日のように通い詰めました。継続は力なり。中学3年生の夏、全日本アンダージュニア王座決定戦で優勝を飾り、同年の冬にはキッズボクシング統一王座決定戦でも勝利。名実ともに中学年代における43kg級日本王者となりました。そして2020年4月からは、名門の日章学園高校に通っています。
地元アスリート応援プログラムで触れた宮崎のぬくもり
明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」に応募したきっかけは、はっきりしています。両親の経済的な負担を少しでも減らすためです。現在、山下選手は親元の福岡を離れ、宮崎の日章学園高校で寮生活を送っています。ボクシングに必要な用具代やトレーニング費に加え、私立の学費や寮費もあります。「寮で暮らし始め、改めて両親のありがたみを感じています。少しでも役に立つことがしたいと思いました」
その一方で、地元アスリート応援プログラムの支援を受けることで新しい気づきもありました。プログラムの一環として20年から実施したクラウドファンディングをきっかけに、宮崎の地方紙から取材を受ける機会に恵まれました。それを目にした高校の担任がその地方紙を手に、「山下くんをみんな応援しましょう」とクラスのみんなに呼びかけてくれることもありました。「ちょっと気恥ずかしかったんですけどうれしかったです」と山下選手。
地元アスリート応援プログラムを通じて宮崎の人々の温かい気持ちに触れられたことは、山下選手の「今日も頑張ろう」という意欲につながっています。だからこそ、そんな思いに自分はアスリートとして結果で応えたいと思っています。
コロナ禍で大会中止、それでも今できることを
宮崎での生活も2年目に入りました。当初は宮崎に知っている人も少なく、初めての寮生活に戸惑いもありましたが、監督やコーチ、そして先輩たちの優しさに救われました。「時間が経つにつれて同級生や先輩とのつながりも深まって、日々の練習でも自分のボクシングの良かったところや課題をみんなが指摘してくれます。肉体的にも精神面も強くなれました」
20年は新型コロナウイルスの影響で大会が中止になり、公式戦は冬の選抜につながる県大会のみ。その先に九州大会と冬の選抜を見据えていた山下選手にとって、大会中止という現実はつらく悔しいものでしたが、だからこそ、次の舞台に向けて練習を継続しています。
山下選手は19年12月以降、フライ級の選手としてトレーニングを重ねていますが、高校に入学したばかりの時は同じ階級の高校生に当たり負けをしていました。そこで高校のトレーナーにメニューを作ってもらい、週に1回、上半身・下半身・体幹と3部位に分けての筋トレをこなしています。次第に接近戦でも当たり負けすることなく戦えるようになりましたが、「フライ級ではまだ小柄なんで」と更なる筋力アップをめざしています。また、他県の選手たちともスパーリング(実戦練習)を積んだことで、確実に力がついていると実感しています。いい環境で練習をさせてもらえているという思いがあるからこそ、結果を出して「宮崎を代表する選手」になりたいと考えています。
残る5タイトルを全て手に入れる
日章学園高校のOBにはボクシング界を代表する選手が数多くいます。そのひとり、アマチュア8冠を達成し、20年にプロへ転向した中垣龍汰朗選手(現・大橋ジム)とは1度、日章学園高校で一緒に練習をさせてもらったことがあります。「とてもきれいなボクシングをしていて、パンチが見えないくらい速くて、めちゃくちゃ強いなと思いました」。そんな中垣選手は身近に感じられる目標になっています。
齋藤麗王選手(現・帝拳ジム)もまた、日章学園高校のOBです。齋藤選手は明治安田生命の前身の制度「次世代トップアスリート 応援プロジェクト~めざせ世界大会~」の卒業生(16~20年)でもあります。山下選手が高校入学時に掲げた目標は、齋藤選手が高校時代に達成した高校6冠を超えること。ただ、コロナ禍の影響で20年の主要大会は全て中止になりました。残るタイトルは5個です。21年以降、その全てを手に入れることを誓っています。
めざすべき場所は、国内にとどまりません。最終的にはアジアジュニア、世界ユースなど、国際大会で金メダルを取りたいと思っています。
「応援してくれる人、一緒に練習してくれる人、指導してくれる人、競技を続けさせてくれる親、色々な人たちに支えられて競技に集中することができています。これから支援してもらう人たちにも、その感謝の気持ちを忘れないようにします」
(取材・制作:4years.編集部)
支援期間終了
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最新のプロジェクト情報をお届けします。
支援者
11人
残り期間
0日
集まっている金額
52,000円
目標金額:300,000円
達成率17%
2022年02月28日23:59に終了しました。
支援期間終了
起案者
山下学人(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム2021)
当制度を通じて、出身地や活動拠点地域など、サポートを受ける「地元」に対して貢献したいというアスリートの活動を支援します。
1,000円
お礼のメール
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りします。
支援者の数 6人
支援期間終了
5,000円
お礼のお手紙
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のお手紙をお送りします。
支援者の数 2人
お届け予定:2022年4月
支援期間終了
10,000円
サイン色紙+お礼のお手紙
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙をお送りします。
支援者の数 3人
お届け予定:2022年4月
支援期間終了
20,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+オリジナルステッカー
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、プロジェクトのオリジナルステッカーをお送りします。
支援者の数 0人
お届け予定:2022年4月
支援期間終了