スピードと迫力、自分との闘いが好き 東日本大震災乗り越え頂点めざす
高校入学後にはじめ、すぐに才能開花
山崎歩夢(あゆむ)選手は地元の福島県立平工業高校に通う3年生です。自転車競技を始めたのは高校に入学してから。それまでは幼少期に水泳をしていたくらいで、小学、中学とスポーツ経験はありませんでした。自転車を選んだのは現役の競輪選手である父・芳仁さんの影響が大きかったそうですが、才能が開花するのは早く、競技者になってわずか半年後にU17全国大会で優勝を飾ります。2021年はJOCジュニアオリンピックカップで、2種目で優勝するなど自転車競技界のホープとして期待されています。
自転車競技にはいろいろな種目があります。大きくはロードとトラックに分けられる中、山崎選手はトラック種目であるスプリントとタイムトライアルに打ち込んでいます。スプリントは主に2人で競い、決められた周回をゴールするまで走り、タイムトライアルは決められた距離をタイムで争います。山崎選手は「両種目とも『運要素』がなく、自分の実力が試されるところに惹(ひ)かれています」と言います。
山崎選手は現在、全国屈指の強豪として知られる平工業の自転車競技部で、毎日激しいトレーニングをしています。3時間半行なわれる放課後練習は息つく間もなく、ロードを長時間走ることもあれば、競輪場のバンクを借りて100周走ることもあります。自転車競技部は練習施設も整っていて、そこで自転車型のトレーニングマシンを漕(こ)ぎ、筋力トレーニングにも励んでいます。充実した日々を送っている山崎選手ですが、実は競技用の自転車はとても高価です。両親に負担をかけたくないと思うなかで、明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を知り、地元のアスリートを応援しようとする制度の趣旨に賛同しました。
高校入学までスポーツ経験はほとんどありませんでした
「自転車は、月に1度は交換するタイヤやホイールなどのパーツも安価ではありません。支援を受けることで、自分の道を進んでほしい、と応援してくれている両親の負担を減らし、お世話になっている地元にも貢献できると思い、応募を決めました」
沖縄に一時移住も、地元に戻り「ホッとした」
「スパリゾートハワイアンズ」がある地として有名な福島県いわき市で生まれた山崎選手。トラック練習の場としているのが、いわき平競輪場です。ここは1周400mで、屋外では珍しい構造物上に設置された空中バンクとしても知られています。「こういうところで練習ができるのは本当に恵まれていると思います」。山崎選手は地元の練習環境に感謝しています。
山崎選手は2011年の東日本大震災直後に、被害が大きかった福島県から沖縄県に移住。本島南部の与那原(よなばる)町で、小学、中学時代の計9年間を過ごしました。芳仁さんがよく合宿で訪れていた縁で移住した沖縄は、気候的にも暖かく、ほがらかな人が多かったことから、「自分の性格も明るくなりました」と言います。「第2の故郷」にもなっていますが、高校入学を前に生まれ故郷の福島に帰ってきた時は、地元の人たちが「お帰り」と温かく出迎えてくれ、ホッとした気持ちになったそうです。
地元に戻り、自転車競技に打ち込むことになりました
現役競輪選手の父との誓い
山崎選手は、学校での練習を終えて帰宅してからも、自宅に隣接した芳仁さんのトレーニング場で汗を流しています。その際は時々、芳仁さんがアドバイスをしてくれますが、子どもの頃に自転車選手の道を勧められたことは一切なかったそうです。「高校で自転車競技をやりたい」と伝えた時も「本気でやれるのか?」と覚悟を問われただけで、「それ以外は何も言われませんでした」と振り返ります。
小学、中学と本格的に運動をしてこなかったので、平工業の自転車競技部に入った当初はかなり苦労したそうです。「練習内容も先輩たちと同じだったので、ついていくのが精いっぱいでした。休みもなかったですし、最初の1カ月は肉体的にも精神的にもきつかったです」と話します。それでもやめたいと思ったことは、その時も、それからも1度もないそうです。「練習とはつらいものと分かっているので苦ではありません」と言葉に力を込めます。芳仁さんとの約束通り、本気で自転車と向き合っています。
大きな目標は2028年に開催される世界大会で金メダルを獲得することです。「そのためにもまずはエリートの日本代表チームに所属したい」と決意を示します。
今後、活躍すればするほど、数々のタイトルを獲得し、競輪界を背負って立っている芳仁さんと比較されることも増えるかもしれません。しかし、山崎選手は「一日一日の練習を全力で取り組み、毎日少しずつでも成長していきたいです」と地に足をつけ、自分自身をしっかりと見据えています。
将来はプロになって活躍し、世界の頂点に立つのが目標です
改めて山崎選手が取り組んでいるスプリントとタイムトライアルの魅力をたずねました。
「スピードと迫力があるところです。それと、相手というよりは、自分との闘いであるのが醍醐(だいご)味だと思います」。すでに将来は自転車で勝負する覚悟ができていて、勝負するからにはプロになって活躍し、日本でも世界でも頂点に立つつもりです。
今回のプロジェクトで集まった支援金は、両親の負担を減らすため、自転車の購入や部品の費用に使う予定です。自分を応援してくれる人たちへの思いは忘れずに、その思いに報いるためにも試合で結果を出していきたい。山崎選手は「てっぺん」に向かってペダルを漕ぎ続けます。
(取材・制作:4years.編集部)
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スピードと迫力、自分との闘いが好き 東日本大震災乗り越え頂点めざす高校入学後にはじめ、すぐに才能開花 山崎歩夢(あゆむ)選手は地元の福島県立平工業高校に通う3年生です。自転車競技を始めたのは高校に入学してから。それまでは幼少期に水泳をしていたくらいで、小学、中学とスポーツ経験はありませんでした。自転車を選んだのは現役の競輪選手である父・芳仁さんの影響が大きかったそうですが、才能が開花するのは早く、競技者になってわずか半年後にU17全国大会で優勝を飾ります。2021年はJOCジュニアオリンピックカップで、2種目で優勝するなど自転車競技界のホープとして期待されています。 自転車競技にはいろいろな種目があります。大きくはロードとトラックに分けられる中、山崎選手はトラック種目であるスプリントとタイムトライアルに打ち込んでいます。スプリントは主に2人で競い、決められた周回をゴールするまで走り、タイムトライアルは決められた距離をタイムで争います。山崎選手は「両種目とも『運要素』がなく、自分の実力が試されるところに惹(ひ)かれています」と言います。 山崎選手は現在、全国屈指の強豪として知られる平工業の自転車競技部で、毎日激しいトレーニングをしています。3時間半行なわれる放課後練習は息つく間もなく、ロードを長時間走ることもあれば、競輪場のバンクを借りて100周走ることもあります。自転車競技部は練習施設も整っていて、そこで自転車型のトレーニングマシンを漕(こ)ぎ、筋力トレーニングにも励んでいます。充実した日々を送っている山崎選手ですが、実は競技用の自転車はとても高価です。両親に負担をかけたくないと思うなかで、明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を知り、地元のアスリートを応援しようとする制度の趣旨に賛同しました。 高校入学までスポーツ経験はほとんどありませんでした 「自転車は、月に1度は交換するタイヤやホイールなどのパーツも安価ではありません。支援を受けることで、自分の道を進んでほしい、と応援してくれている両親の負担を減らし、お世話になっている地元にも貢献できると思い、応募を決めました」 沖縄に一時移住も、地元に戻り「ホッとした」「スパリゾートハワイアンズ」がある地として有名な福島県いわき市で生まれた山崎選手。トラック練習の場としているのが、いわき平競輪場です。ここは1周400mで、屋外では珍しい構造物上に設置された空中バンクとしても知られています。「こういうところで練習ができるのは本当に恵まれていると思います」。山崎選手は地元の練習環境に感謝しています。 山崎選手は2011年の東日本大震災直後に、被害が大きかった福島県から沖縄県に移住。本島南部の与那原(よなばる)町で、小学、中学時代の計9年間を過ごしました。芳仁さんがよく合宿で訪れていた縁で移住した沖縄は、気候的にも暖かく、ほがらかな人が多かったことから、「自分の性格も明るくなりました」と言います。「第2の故郷」にもなっていますが、高校入学を前に生まれ故郷の福島に帰ってきた時は、地元の人たちが「お帰り」と温かく出迎えてくれ、ホッとした気持ちになったそうです。 地元に戻り、自転車競技に打ち込むことになりました 現役競輪選手の父との誓い山崎選手は、学校での練習を終えて帰宅してからも、自宅に隣接した芳仁さんのトレーニング場で汗を流しています。その際は時々、芳仁さんがアドバイスをしてくれますが、子どもの頃に自転車選手の道を勧められたことは一切なかったそうです。「高校で自転車競技をやりたい」と伝えた時も「本気でやれるのか?」と覚悟を問われただけで、「それ以外は何も言われませんでした」と振り返ります。 小学、中学と本格的に運動をしてこなかったので、平工業の自転車競技部に入った当初はかなり苦労したそうです。「練習内容も先輩たちと同じだったので、ついていくのが精いっぱいでした。休みもなかったですし、最初の1カ月は肉体的にも精神的にもきつかったです」と話します。それでもやめたいと思ったことは、その時も、それからも1度もないそうです。「練習とはつらいものと分かっているので苦ではありません」と言葉に力を込めます。芳仁さんとの約束通り、本気で自転車と向き合っています。 大きな目標は2028年に開催される世界大会で金メダルを獲得することです。「そのためにもまずはエリートの日本代表チームに所属したい」と決意を示します。 今後、活躍すればするほど、数々のタイトルを獲得し、競輪界を背負って立っている芳仁さんと比較されることも増えるかもしれません。しかし、山崎選手は「一日一日の練習を全力で取り組み、毎日少しずつでも成長していきたいです」と地に足をつけ、自分自身をしっかりと見据えています。 将来はプロになって活躍し、世界の頂点に立つのが目標です 改めて山崎選手が取り組んでいるスプリントとタイムトライアルの魅力をたずねました。 「スピードと迫力があるところです。それと、相手というよりは、自分との闘いであるのが醍醐(だいご)味だと思います」。すでに将来は自転車で勝負する覚悟ができていて、勝負するからにはプロになって活躍し、日本でも世界でも頂点に立つつもりです。 今回のプロジェクトで集まった支援金は、両親の負担を減らすため、自転車の購入や部品の費用に使う予定です。自分を応援してくれる人たちへの思いは忘れずに、その思いに報いるためにも試合で結果を出していきたい。山崎選手は「てっぺん」に向かってペダルを漕ぎ続けます。 (取材・制作:4years.編集部)
スピードと迫力、自分との闘いが好き 東日本大震災乗り越え頂点めざす
高校入学後にはじめ、すぐに才能開花
山崎歩夢(あゆむ)選手は地元の福島県立平工業高校に通う3年生です。自転車競技を始めたのは高校に入学してから。それまでは幼少期に水泳をしていたくらいで、小学、中学とスポーツ経験はありませんでした。自転車を選んだのは現役の競輪選手である父・芳仁さんの影響が大きかったそうですが、才能が開花するのは早く、競技者になってわずか半年後にU17全国大会で優勝を飾ります。2021年はJOCジュニアオリンピックカップで、2種目で優勝するなど自転車競技界のホープとして期待されています。
自転車競技にはいろいろな種目があります。大きくはロードとトラックに分けられる中、山崎選手はトラック種目であるスプリントとタイムトライアルに打ち込んでいます。スプリントは主に2人で競い、決められた周回をゴールするまで走り、タイムトライアルは決められた距離をタイムで争います。山崎選手は「両種目とも『運要素』がなく、自分の実力が試されるところに惹(ひ)かれています」と言います。
山崎選手は現在、全国屈指の強豪として知られる平工業の自転車競技部で、毎日激しいトレーニングをしています。3時間半行なわれる放課後練習は息つく間もなく、ロードを長時間走ることもあれば、競輪場のバンクを借りて100周走ることもあります。自転車競技部は練習施設も整っていて、そこで自転車型のトレーニングマシンを漕(こ)ぎ、筋力トレーニングにも励んでいます。充実した日々を送っている山崎選手ですが、実は競技用の自転車はとても高価です。両親に負担をかけたくないと思うなかで、明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を知り、地元のアスリートを応援しようとする制度の趣旨に賛同しました。
高校入学までスポーツ経験はほとんどありませんでした
「自転車は、月に1度は交換するタイヤやホイールなどのパーツも安価ではありません。支援を受けることで、自分の道を進んでほしい、と応援してくれている両親の負担を減らし、お世話になっている地元にも貢献できると思い、応募を決めました」
沖縄に一時移住も、地元に戻り「ホッとした」
「スパリゾートハワイアンズ」がある地として有名な福島県いわき市で生まれた山崎選手。トラック練習の場としているのが、いわき平競輪場です。ここは1周400mで、屋外では珍しい構造物上に設置された空中バンクとしても知られています。「こういうところで練習ができるのは本当に恵まれていると思います」。山崎選手は地元の練習環境に感謝しています。
山崎選手は2011年の東日本大震災直後に、被害が大きかった福島県から沖縄県に移住。本島南部の与那原(よなばる)町で、小学、中学時代の計9年間を過ごしました。芳仁さんがよく合宿で訪れていた縁で移住した沖縄は、気候的にも暖かく、ほがらかな人が多かったことから、「自分の性格も明るくなりました」と言います。「第2の故郷」にもなっていますが、高校入学を前に生まれ故郷の福島に帰ってきた時は、地元の人たちが「お帰り」と温かく出迎えてくれ、ホッとした気持ちになったそうです。
地元に戻り、自転車競技に打ち込むことになりました
現役競輪選手の父との誓い
山崎選手は、学校での練習を終えて帰宅してからも、自宅に隣接した芳仁さんのトレーニング場で汗を流しています。その際は時々、芳仁さんがアドバイスをしてくれますが、子どもの頃に自転車選手の道を勧められたことは一切なかったそうです。「高校で自転車競技をやりたい」と伝えた時も「本気でやれるのか?」と覚悟を問われただけで、「それ以外は何も言われませんでした」と振り返ります。
小学、中学と本格的に運動をしてこなかったので、平工業の自転車競技部に入った当初はかなり苦労したそうです。「練習内容も先輩たちと同じだったので、ついていくのが精いっぱいでした。休みもなかったですし、最初の1カ月は肉体的にも精神的にもきつかったです」と話します。それでもやめたいと思ったことは、その時も、それからも1度もないそうです。「練習とはつらいものと分かっているので苦ではありません」と言葉に力を込めます。芳仁さんとの約束通り、本気で自転車と向き合っています。
大きな目標は2028年に開催される世界大会で金メダルを獲得することです。「そのためにもまずはエリートの日本代表チームに所属したい」と決意を示します。
今後、活躍すればするほど、数々のタイトルを獲得し、競輪界を背負って立っている芳仁さんと比較されることも増えるかもしれません。しかし、山崎選手は「一日一日の練習を全力で取り組み、毎日少しずつでも成長していきたいです」と地に足をつけ、自分自身をしっかりと見据えています。
将来はプロになって活躍し、世界の頂点に立つのが目標です
改めて山崎選手が取り組んでいるスプリントとタイムトライアルの魅力をたずねました。
「スピードと迫力があるところです。それと、相手というよりは、自分との闘いであるのが醍醐(だいご)味だと思います」。すでに将来は自転車で勝負する覚悟ができていて、勝負するからにはプロになって活躍し、日本でも世界でも頂点に立つつもりです。
今回のプロジェクトで集まった支援金は、両親の負担を減らすため、自転車の購入や部品の費用に使う予定です。自分を応援してくれる人たちへの思いは忘れずに、その思いに報いるためにも試合で結果を出していきたい。山崎選手は「てっぺん」に向かってペダルを漕ぎ続けます。
(取材・制作:4years.編集部)
支援期間終了
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支援者
27人
残り期間
0日
集まっている金額
83,000円
目標金額:300,000円
達成率27%
2023年02月28日23:59に終了しました。
支援期間終了
起案者
山崎歩夢(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム2022)
当制度を通じて、出身地や活動拠点地域など、サポートを受ける「地元」に対して貢献したいというアスリートの活動を支援します。
1,000円
お礼のメール
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りします。
支援者の数 21人
支援期間終了
5,000円
お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 2人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了
10,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+YELLS(支援アスリートの当該ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、YELLS(支援アスリートの当該ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 3人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了
20,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+オリジナルステッカー+YELLS(全ブロック)
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、プロジェクトのオリジナルステッカー、YELLS(全ブロック)をお送りします。
※「YELLS」は、地元アスリート応援プログラムに参加するアスリートに関する情報を、全国6ブロックごとにまとめた小冊子です。
支援者の数 1人
お届け予定:2023年4月
支援期間終了