戦後間もない横須賀に洋子さんは生まれました。
外国人の父と日本人の母の間に生まれた彼女。
母の優しさを感じる一方で、
他の人々にはつらく当たられることもありました。
「いつか、必ず迎えにいくから」
母親のその言葉を信じて、5歳になった洋子さんはアメリカへ渡りました。
アメリカに渡ってからも苦労の多い人生でした。
しかし、様々な葛藤を乗り越えて、
「もう一度、母に会いたい」
今はそう願うようになりました。
母親と生き別れて66年。彼女のその願いを叶えたい。
■「必ず迎えに行くから」その言葉を残した、生き別れの母親を探し
ページをご覧いただき、ありがとうございます。起案者の木川剛志と申します。
普段は大学に勤めて、観光学を専門領域として都市計画の研究をしています。その活動の一環として、地域プロデュースのための短編映画の制作や映画祭の運営もおこなっています。
ある巡り合わせから、私がこのプロジェクトを立ち上げたきっかけについて、お話させてください。
2018年8月、私はアメリカ在住の女性からSNSで1通のメッセージを受け取りました。洋子さんの娘からでした。
メッセージには、こう書かれていました。
「『”木川” かずこ(仮名)』を知っていますか?」
『かずこ』は、洋子さんの母親の名前。洋子さんは、66年前に日本で生き別れた母親を探していました。
しかし、半世紀以上も昔の話のため、手がかりとなる情報はほとんどありません。そんな中で、母親と名字がいっしょの ”木川” だった私へ、連絡をくれたのです。
写真:洋子さんの生まれ故郷。昔は漁村だったが、今は別荘地となっています。
洋子さんの故郷は、横須賀郊外の小さな漁村。外国人の父と、日本人の母の間に生まれました。
母子家庭で、彼女はその生い立ちから心無い差別にも晒されていましたが、母親は優しく、彼女をとても大事にしていました。しかし、生活は困窮し、洋子さんを育てることが厳しい状況に。そんな中、洋子さんの人生に大きな転機が訪れます。母親は、彼女を国際養子縁組に出す決断をしたのです。
「いつか、必ず迎えにいくから」
母親が託した言葉は、とても切実なものでした。
5歳の時、洋子さんは養子になるために、アメリカへ渡りました。
■一人でも多くの人に、洋子さんのことを知ってもらいたい
2018年11月、洋子さんに会いに、アメリカのフォートワースを訪ねました。
洋子さんが取り出して見せてくれたのは、洋子さんが受けた国際養子縁組の活動について記されている新聞記事。
大事にしていたこの記事を私に見せてくれながら、彼女は話してくれました。66年という長い年月の間、彼女はさまざまな葛藤をずっと抱え続けてきました。
写真:5歳の洋子さんが写っています。彼女は、この記事で紹介されている団体が斡旋した国際養子縁組の第1号でした。(引用:1953年の朝日新聞第二神奈川版)
取材のなかで、「お母さんに会いたい」と呟いた洋子さん。
その思いを叶えたくて、私は彼女の母親を探し始めました。母親の捜索を続ける中で、思わぬ情報を得て、嬉しいと思ったことも、悲しみに暮れたこともあります。このプロジェクトを通じて、一緒の気持ちを共有できる仲間を見つけられればと願っています。
また、探し続ける中で、当時の横須賀では、家族と離れ離れにならざるを得なかった洋子さんのような境遇の方たちが他にも多くいたことを知りました。
もし、私が同じような境遇に置かれたら、どのように生きていくでしょうか?
そして、故郷にどのような思いを馳せるでしょうか?
故郷・横須賀は、母親といっしょに暮らした街。洋子さんにとって、きっと、母親との思い出がたくさん詰まった場所に違いありません。
長い年月を経た今も、洋子さんは母親を探し続けています。
そんな彼女を、せめて思い出の地に招待したい。
そして、その様子をドキュメンタリー「Yokosuka 1953」におさめたいと考えています。
ドキュメンタリーを通じて、一人でも多くの人に洋子さんのことを知っていただく。そうすることで、母親が見つかる手がかりまでつながるお手伝いをする。
それが、これまでの私の経験と技術を総動員して出来ることだと考えました。
洋子さんの願いを叶えるために、皆さんのお力をぜひ貸してください。応援よろしくお願いします。
写真:「もう一度、お母さんに会いたい」と伝えてくれた洋子さん
■木川剛志について
和歌山大学・准教授。普段は、観光学を専門領域として、都市計画の研究をしています。その活動の一環として、地域プロデュースのための短編映画の制作や映画祭の運営もおこなっています。
<これまで手がけた制作映像>
短編映画「七曲ブルース」予告編
■資金の使い道
皆さんからいただいたご支援は、洋子さんを日本に招待する費用、およびドキュメンタリーを制作する費用として活用させていただきます。
(内訳の見積もり)
渡航費・滞在費 55万(付き添いのご親族を含む、2名分)
ドキュメンタリー制作費 10万
返礼費用およびA-port手数料 20万
もし、これ以上のご支援を皆さんからいただいた場合、映像の完成度を高めることにも使わせていただきますが、その経費はできる限りおさえ、余剰分を児童福祉施設やファミリーホームなどに寄付いたします。
■リターンについて
ドキュメンタリーを製作し、できるだけ多くの方に届けたいと思います。
作品のDVD送付、VIMEOでの視聴などのリターンも用意しています。
また、ドキュメンタリーの制作期間中も、洋子さんの母親の捜索を通じて得た情報を、メルマガ・動画配信で随時お届けします。
これらに加えて、七曲ブルースでも主演として出演いただいた講談師の玉田玉秀斎先生に、木川が横須賀で調査した内容をオリジナル講談として演じていただくリターンも用意しました。
※玉秀斎先生は木川の友人で、現在ビッグイシュー講談会など市井に生きた人々の人生を語る講談で評価が高まっている講談師です。
■想定されるリスク
まだ結末が見えていないというリスクがあります。洋子さんはご高齢のため体調を考慮し、来日が叶わないこともあるかもしれません。ご支援いただいた方に活動報告などで情報を提供し、問題点を共有しながら最善策で進めます。
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戦後間もない横須賀に洋子さんは生まれました。 外国人の父と日本人の母の間に生まれた彼女。 母の優しさを感じる一方で、他の人々にはつらく当たられることもありました。 「いつか、必ず迎えにいくから」 母親のその言葉を信じて、5歳になった洋子さんはアメリカへ渡りました。 アメリカに渡ってからも苦労の多い人生でした。 しかし、様々な葛藤を乗り越えて、「もう一度、母に会いたい」今はそう願うようになりました。 母親と生き別れて66年。彼女のその願いを叶えたい。 ■「必ず迎えに行くから」その言葉を残した、生き別れの母親を探し ページをご覧いただき、ありがとうございます。起案者の木川剛志と申します。普段は大学に勤めて、観光学を専門領域として都市計画の研究をしています。その活動の一環として、地域プロデュースのための短編映画の制作や映画祭の運営もおこなっています。 ある巡り合わせから、私がこのプロジェクトを立ち上げたきっかけについて、お話させてください。 2018年8月、私はアメリカ在住の女性からSNSで1通のメッセージを受け取りました。洋子さんの娘からでした。 メッセージには、こう書かれていました。 「『”木川” かずこ(仮名)』を知っていますか?」 『かずこ』は、洋子さんの母親の名前。洋子さんは、66年前に日本で生き別れた母親を探していました。 しかし、半世紀以上も昔の話のため、手がかりとなる情報はほとんどありません。そんな中で、母親と名字がいっしょの ”木川” だった私へ、連絡をくれたのです。 写真:洋子さんの生まれ故郷。昔は漁村だったが、今は別荘地となっています。 洋子さんの故郷は、横須賀郊外の小さな漁村。外国人の父と、日本人の母の間に生まれました。母子家庭で、彼女はその生い立ちから心無い差別にも晒されていましたが、母親は優しく、彼女をとても大事にしていました。しかし、生活は困窮し、洋子さんを育てることが厳しい状況に。そんな中、洋子さんの人生に大きな転機が訪れます。母親は、彼女を国際養子縁組に出す決断をしたのです。 「いつか、必ず迎えにいくから」 母親が託した言葉は、とても切実なものでした。5歳の時、洋子さんは養子になるために、アメリカへ渡りました。 ■一人でも多くの人に、洋子さんのことを知ってもらいたい 2018年11月、洋子さんに会いに、アメリカのフォートワースを訪ねました。 洋子さんが取り出して見せてくれたのは、洋子さんが受けた国際養子縁組の活動について記されている新聞記事。大事にしていたこの記事を私に見せてくれながら、彼女は話してくれました。66年という長い年月の間、彼女はさまざまな葛藤をずっと抱え続けてきました。 写真:5歳の洋子さんが写っています。彼女は、この記事で紹介されている団体が斡旋した国際養子縁組の第1号でした。(引用:1953年の朝日新聞第二神奈川版) 取材のなかで、「お母さんに会いたい」と呟いた洋子さん。その思いを叶えたくて、私は彼女の母親を探し始めました。母親の捜索を続ける中で、思わぬ情報を得て、嬉しいと思ったことも、悲しみに暮れたこともあります。このプロジェクトを通じて、一緒の気持ちを共有できる仲間を見つけられればと願っています。 また、探し続ける中で、当時の横須賀では、家族と離れ離れにならざるを得なかった洋子さんのような境遇の方たちが他にも多くいたことを知りました。 もし、私が同じような境遇に置かれたら、どのように生きていくでしょうか?そして、故郷にどのような思いを馳せるでしょうか? 故郷・横須賀は、母親といっしょに暮らした街。洋子さんにとって、きっと、母親との思い出がたくさん詰まった場所に違いありません。長い年月を経た今も、洋子さんは母親を探し続けています。そんな彼女を、せめて思い出の地に招待したい。そして、その様子をドキュメンタリー「Yokosuka 1953」におさめたいと考えています。 ドキュメンタリーを通じて、一人でも多くの人に洋子さんのことを知っていただく。そうすることで、母親が見つかる手がかりまでつながるお手伝いをする。それが、これまでの私の経験と技術を総動員して出来ることだと考えました。 洋子さんの願いを叶えるために、皆さんのお力をぜひ貸してください。応援よろしくお願いします。 写真:「もう一度、お母さんに会いたい」と伝えてくれた洋子さん ■木川剛志について 和歌山大学・准教授。普段は、観光学を専門領域として、都市計画の研究をしています。その活動の一環として、地域プロデュースのための短編映画の制作や映画祭の運営もおこなっています。 <これまで手がけた制作映像> 短編映画「七曲ブルース」予告編 ■資金の使い道 皆さんからいただいたご支援は、洋子さんを日本に招待する費用、およびドキュメンタリーを制作する費用として活用させていただきます。 (内訳の見積もり)渡航費・滞在費 55万(付き添いのご親族を含む、2名分)ドキュメンタリー制作費 10万返礼費用およびA-port手数料 20万 もし、これ以上のご支援を皆さんからいただいた場合、映像の完成度を高めることにも使わせていただきますが、その経費はできる限りおさえ、余剰分を児童福祉施設やファミリーホームなどに寄付いたします。 ■リターンについて ドキュメンタリーを製作し、できるだけ多くの方に届けたいと思います。作品のDVD送付、VIMEOでの視聴などのリターンも用意しています。また、ドキュメンタリーの制作期間中も、洋子さんの母親の捜索を通じて得た情報を、メルマガ・動画配信で随時お届けします。これらに加えて、七曲ブルースでも主演として出演いただいた講談師の玉田玉秀斎先生に、木川が横須賀で調査した内容をオリジナル講談として演じていただくリターンも用意しました。※玉秀斎先生は木川の友人で、現在ビッグイシュー講談会など市井に生きた人々の人生を語る講談で評価が高まっている講談師です。 ■想定されるリスク まだ結末が見えていないというリスクがあります。洋子さんはご高齢のため体調を考慮し、来日が叶わないこともあるかもしれません。ご支援いただいた方に活動報告などで情報を提供し、問題点を共有しながら最善策で進めます。
戦後間もない横須賀に洋子さんは生まれました。
外国人の父と日本人の母の間に生まれた彼女。
母の優しさを感じる一方で、
他の人々にはつらく当たられることもありました。
「いつか、必ず迎えにいくから」
母親のその言葉を信じて、5歳になった洋子さんはアメリカへ渡りました。
アメリカに渡ってからも苦労の多い人生でした。
しかし、様々な葛藤を乗り越えて、
「もう一度、母に会いたい」
今はそう願うようになりました。
母親と生き別れて66年。彼女のその願いを叶えたい。
■「必ず迎えに行くから」その言葉を残した、生き別れの母親を探し
ページをご覧いただき、ありがとうございます。起案者の木川剛志と申します。
普段は大学に勤めて、観光学を専門領域として都市計画の研究をしています。その活動の一環として、地域プロデュースのための短編映画の制作や映画祭の運営もおこなっています。
ある巡り合わせから、私がこのプロジェクトを立ち上げたきっかけについて、お話させてください。
2018年8月、私はアメリカ在住の女性からSNSで1通のメッセージを受け取りました。洋子さんの娘からでした。
メッセージには、こう書かれていました。
「『”木川” かずこ(仮名)』を知っていますか?」
『かずこ』は、洋子さんの母親の名前。洋子さんは、66年前に日本で生き別れた母親を探していました。
しかし、半世紀以上も昔の話のため、手がかりとなる情報はほとんどありません。そんな中で、母親と名字がいっしょの ”木川” だった私へ、連絡をくれたのです。
洋子さんの故郷は、横須賀郊外の小さな漁村。外国人の父と、日本人の母の間に生まれました。
母子家庭で、彼女はその生い立ちから心無い差別にも晒されていましたが、母親は優しく、彼女をとても大事にしていました。しかし、生活は困窮し、洋子さんを育てることが厳しい状況に。そんな中、洋子さんの人生に大きな転機が訪れます。母親は、彼女を国際養子縁組に出す決断をしたのです。
「いつか、必ず迎えにいくから」
母親が託した言葉は、とても切実なものでした。
5歳の時、洋子さんは養子になるために、アメリカへ渡りました。
■一人でも多くの人に、洋子さんのことを知ってもらいたい
2018年11月、洋子さんに会いに、アメリカのフォートワースを訪ねました。
洋子さんが取り出して見せてくれたのは、洋子さんが受けた国際養子縁組の活動について記されている新聞記事。
大事にしていたこの記事を私に見せてくれながら、彼女は話してくれました。66年という長い年月の間、彼女はさまざまな葛藤をずっと抱え続けてきました。
写真:5歳の洋子さんが写っています。彼女は、この記事で紹介されている団体が斡旋した国際養子縁組の第1号でした。(引用:1953年の朝日新聞第二神奈川版)
取材のなかで、「お母さんに会いたい」と呟いた洋子さん。
その思いを叶えたくて、私は彼女の母親を探し始めました。母親の捜索を続ける中で、思わぬ情報を得て、嬉しいと思ったことも、悲しみに暮れたこともあります。このプロジェクトを通じて、一緒の気持ちを共有できる仲間を見つけられればと願っています。
また、探し続ける中で、当時の横須賀では、家族と離れ離れにならざるを得なかった洋子さんのような境遇の方たちが他にも多くいたことを知りました。
もし、私が同じような境遇に置かれたら、どのように生きていくでしょうか?
そして、故郷にどのような思いを馳せるでしょうか?
故郷・横須賀は、母親といっしょに暮らした街。洋子さんにとって、きっと、母親との思い出がたくさん詰まった場所に違いありません。
長い年月を経た今も、洋子さんは母親を探し続けています。
そんな彼女を、せめて思い出の地に招待したい。
そして、その様子をドキュメンタリー「Yokosuka 1953」におさめたいと考えています。
ドキュメンタリーを通じて、一人でも多くの人に洋子さんのことを知っていただく。そうすることで、母親が見つかる手がかりまでつながるお手伝いをする。
それが、これまでの私の経験と技術を総動員して出来ることだと考えました。
洋子さんの願いを叶えるために、皆さんのお力をぜひ貸してください。応援よろしくお願いします。
■木川剛志について
和歌山大学・准教授。普段は、観光学を専門領域として、都市計画の研究をしています。その活動の一環として、地域プロデュースのための短編映画の制作や映画祭の運営もおこなっています。
<これまで手がけた制作映像>
短編映画「七曲ブルース」予告編
■資金の使い道
皆さんからいただいたご支援は、洋子さんを日本に招待する費用、およびドキュメンタリーを制作する費用として活用させていただきます。
(内訳の見積もり)
渡航費・滞在費 55万(付き添いのご親族を含む、2名分)
ドキュメンタリー制作費 10万
返礼費用およびA-port手数料 20万
もし、これ以上のご支援を皆さんからいただいた場合、映像の完成度を高めることにも使わせていただきますが、その経費はできる限りおさえ、余剰分を児童福祉施設やファミリーホームなどに寄付いたします。
■リターンについて
ドキュメンタリーを製作し、できるだけ多くの方に届けたいと思います。
作品のDVD送付、VIMEOでの視聴などのリターンも用意しています。
また、ドキュメンタリーの制作期間中も、洋子さんの母親の捜索を通じて得た情報を、メルマガ・動画配信で随時お届けします。
これらに加えて、七曲ブルースでも主演として出演いただいた講談師の玉田玉秀斎先生に、木川が横須賀で調査した内容をオリジナル講談として演じていただくリターンも用意しました。
※玉秀斎先生は木川の友人で、現在ビッグイシュー講談会など市井に生きた人々の人生を語る講談で評価が高まっている講談師です。
■想定されるリスク
まだ結末が見えていないというリスクがあります。洋子さんはご高齢のため体調を考慮し、来日が叶わないこともあるかもしれません。ご支援いただいた方に活動報告などで情報を提供し、問題点を共有しながら最善策で進めます。
支援期間終了
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最新のプロジェクト情報をお届けします。
支援者
89人
残り期間
0日
集まっている金額
977,000円
(達成) 目標金額:850,000円
達成率114%
2019年08月15日23:59に終了しました。
支援期間終了
起案者
木川剛志
1,000円
お礼メール
リターン
◉支援へのお礼メッセージ
ご支援いただいた方にお礼のメッセージを送ります。また、A-Portの活動報告機能を使って最終報告を行います。
支援者の数 8人
支援期間終了
3,000円
メルマガ配信
リターン
◉支援へのお礼メッセージ
◉メルマガ配信
A-Portの活動報告機能を使って何回かにわけてこれまでの活動をお知らせします(メルマガ)。また、随時、現在の進行状況を送ります。
支援者の数 7人
支援期間終了
5,000円
映像配信
リターン
◉支援へのお礼メッセージ
◉メルマガ配信
◉動画配信
メルマガに加えて、動画でもこれまでの活動、進行状況を配信いたします。
支援者の数 11人
支援期間終了
8,000円
エンドロールへのお名前掲載
リターン
◉支援へのお礼メッセージ
◉メルマガ配信
◉動画配信
◉ドキュメンタリーフィルムへのエンドロールへのお名前掲載※
また、完成映像のエンドロールにお名前を掲示させていただきます。
※掲載するお名前は「支援者」欄の表記名を使用させて頂きます。
ご希望がある場合、支援申し込み最後の「応援コメント」にご記載ください。
支援者の数 3人
支援期間終了
10,000円
完成作品配信
リターン
◉支援へのお礼メッセージ
◉メルマガ配信
◉動画配信
◉ドキュメンタリーフィルムへのエンドロールへのお名前掲載※
◉完成作品のVimeoでのご視聴(期間限定)
作品が完成した時には、Vimeoで視聴できるようにします(支援時より半年間限定)。
※掲載するお名前は「支援者」欄の表記名を使用させて頂きます。
ご希望がある場合、支援申し込み最後の「応援コメント」にご記載ください。
支援者の数 50人
支援期間終了
30,000円
DVD+上映会開催権
リターン
◉支援へのお礼メッセージ
◉メルマガ配信
◉動画配信
◉ドキュメンタリーフィルムへのエンドロールへのお名前掲載
◉完成作品のVimeoでのご視聴(期間限定)
◉完成DVDの送付
◉自主上映会の主催権※2
未公開映像やオーディオコメンタリーなどを加えたDVDを送ります。
また、有料無料に関わらず、上映会を主催していただけます。
※掲載するお名前は「支援者」欄の表記名を使用させて頂きます。
ご希望がある場合、支援申し込み最後の「応援コメント」にご記載ください。
※2 開催日時などは、別途A-portサイト内メールにて個別にご相談させて頂きます。
支援者の数 7人
お届け予定:2020年6月
支援期間終了
50,000円
木川が講演に参ります
リターン
◉支援へのお礼メッセージ
◉メルマガ配信
◉動画配信
◉ドキュメンタリーフィルムへのエンドロールへのお名前掲載※
◉完成作品のVimeoでのご視聴(期間限定)
◉完成DVDの送付
◉自主上映会の主催権※2
◉木川が講演に参ります。※2
今回のプロジェクトを行なっている木川が日本全国どこでも講演にうかがい、今回のプロジェクトに関連してお話します。
講演自体は1時間程度ですが、上映会と合わせていただくことも可能です。
木川の交通費は木川の大学研究費、もしくは自費でまかないます。
※2 開催日時などは、別途A-portサイト内メールにて個別にご相談させて頂きます。
支援者の数 3人
お届け予定:2020年9月
支援期間終了
100,000円
玉田玉秀斎先生と木川が講演に参ります
リターン
◉支援へのお礼メッセージ
◉メルマガ配信
◉動画配信
◉ドキュメンタリーフィルムへのエンドロールへのお名前掲載※
◉完成作品のVimeoでのご視聴(期間限定)
◉完成DVDの送付
◉自主上映会の主催権※2
◉講談師・玉田玉秀斎の講談、木川の講演のセット※2
講談師・玉田玉秀斎先生が、今回の映像、また木川が調査したエピソードをオリジナル講談として演じます。
内容についてはご相談できます。
木川の交通費は木川の大学研究費、もしくは自費でまかないます。
ただし、玉秀斎先生の交通費、宿泊費(必要な場合)は別にご負担をお願いします。
※2 開催日はA-portサイト内メールにて個別にご相談させて頂きます。
支援者の数 0人
お届け予定:2020年9月
支援期間終了