全力で壁に挑み続け、支えてくれる方々に恩返しを
恥ずかしがり屋だった大学生クライマー
人見知りで恥ずかしがり屋だった百合草碧皇(ゆりくさ・あお)選手(埼玉県在住、早稲田大学1年)が自宅近くに新しくできたクライミングジムを見つけたのは小学5年生の時でした。一人では入れなかったので、最初は姉についてきてもらったそうです。目の前の複雑な形をした壁にはいくつもの課題がありました。
「やっても飽きない。一番上まで行ったときの達成感が大きくて。気持ちよくてどんどん登っていった。ちゃんと指導してもらっていたわけではありません」
遊び感覚で次第と力をつけていきました。
ジムごとの壁の種類の豊富さなど、よりよい環境を求め、専大附属高校(東京)進学を機に愛知県から埼玉県に移りました。国内大会で上位に入っていましたが、2019年のリードユース日本選手権で初優勝。日本代表に選ばれ、その夏の世界ユース選手権に挑むことになりました。海外に行くのは初めてでしたが、イタリアの大会でユース世代の世界の頂点に立ちました。
「初めての感覚でした。緊張しているけど、動けないわけではない。いつも『練習通りにやれるかな』と思い緊張していましたが、ワクワクの方が強かった」
一つの殻を破った瞬間でした。
2020年ボルダリングユース日本選手権で優勝。21年は連覇を狙う
支援を受けながら埼玉のために尽くす
高校1年の時から国体で埼玉県代表選手として活躍してきました。強化などを担う「埼玉県山岳・スポーツクライミング協会」にお世話になり、そこから、明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を勧めてもらいました。クライミングには靴やロープをはじめ、滑り止めのチョークなどにもお金がかかります。アスリートとしての自分を育ててくれた埼玉県のためになれて、支援をいただけるなら願ってもない機会と考えました。
20年にプログラムに参加し、「クライミングと関係ない方から応援をもらったり、『昔、(埼玉の)地元に住んでいました』というメッセージが届いたり、うれしかった」と支援金とともに大きな力になりました。一方で、感謝の気持ちを伝えようとSNSなどで発信しましたが、「皆さんにわかってもらえるような報告をするのが難しかった」と今回はさらに工夫しようと思っています。
所沢キャンパスで刺激もらう
21年春から早稲田大学に進み、埼玉の所沢キャンパスに通います。「いろんな競技をやっている人がいて楽しい」とスポーツ科学部の同期から刺激をもらっているようです。世界をめざす一方で、インカレなど大学の大会に出る楽しみも増えました。練習場所は変わらず、壁の種類が違う埼玉のクライミングジムを、課題に合わせて移動しています。基本的には一人で練習していますが、時折、ジムなどで仲良くしている方からのアドバイスが新しい登り方のヒントになるのは大きなメリット。これも埼玉を拠点に活動するよさです。
体が弱かった自分を成長させてくれた
百合草選手は「小さいころ体が弱かったので、集団競技で追い込むような練習はできなかった」と振り返ります。熱中症になりやすかったり、足を痛めて長く走ることができなかったりと少年野球をやっていた頃は苦労もありました。そんな時、スポーツクライミングと出会いました。「自分のペースと合いました。一人でできるし、じっくり考えながらできるので、どんどんはまりました」
この競技に出会ってからやめようと思ったことはないそうです。「ずっと楽しく続けてきた」。競技を離れても、オセロや考えるゲームが好きで、「自分で組み立てて、それがうまくいったときがすごく気持ちいい」という感覚が、スポーツクライミングに合ったのでしょう。結果が出ない時期もありましたが、埼玉県協会のサポートなどで国際大会への道を開いていきました。
楢崎智亜選手のような存在に
ワールドカップ(W杯)へ挑めるはずだった20年はコロナ禍で実現しませんでした。連覇を狙った世界ユース選手権も中止になりました。そんな中、秋のユース日本選手権ではリードで2連覇し、ボルダリング初優勝と2冠を達成しました。21年は初めてのW杯や「連覇」を狙うシード権を持つ世界ユースなどが待ち受けます。「国際大会で活躍したい」としばらくできていない海外遠征を楽しみにしています。その先には4年に1度の大きな舞台も見据えています。国内第一人者の楢崎智亜選手が憧れの存在の一人です。20年の暮れ、若手数人で楢崎選手の拠点を訪れ、練習をともにする機会がありました。「トップ選手を間近に見られて、どんなことを考えているのかなど勉強になりました」。身長162cm、体重52kgの百合草選手は、海外で「ニンジャ」とも称される楢崎選手のような存在をめざします。
さらに自然のロッククライミングにも興味は向かいます。「今はあまり行けていませんが、外の岩はジムの期限がある課題と違い、世界に一つだけの課題。登れた時の達成感もすごく大きいはず」と夢は膨らみます。
大学生となり語学に力を入れるなど夢は広がる
全力の挑戦をみてほしい
普段はおとなしい性格で、高校生活の中では、「学校の人に『壁を登っていると急に変わるからビックリした』と言われた」こともあるそうです。19年、初めてイタリアへ行ったことで、「海外の強いクライマーの登りをみて刺激をもらい、もっと強くなろうと思った」と意識が高くなりました。大学生になり、英語の勉強に力を入れようと思っています。将来的に欧州への留学希望もあるからです。
「練習から自分で考え全力でやっていきます。応援してください」
感謝の気持ちを忘れず、一歩先の夢をきっちりとかなえていくつもりです。
(取材・制作:4years.編集部)
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全力で壁に挑み続け、支えてくれる方々に恩返しを恥ずかしがり屋だった大学生クライマー 人見知りで恥ずかしがり屋だった百合草碧皇(ゆりくさ・あお)選手(埼玉県在住、早稲田大学1年)が自宅近くに新しくできたクライミングジムを見つけたのは小学5年生の時でした。一人では入れなかったので、最初は姉についてきてもらったそうです。目の前の複雑な形をした壁にはいくつもの課題がありました。 「やっても飽きない。一番上まで行ったときの達成感が大きくて。気持ちよくてどんどん登っていった。ちゃんと指導してもらっていたわけではありません」 遊び感覚で次第と力をつけていきました。 ジムごとの壁の種類の豊富さなど、よりよい環境を求め、専大附属高校(東京)進学を機に愛知県から埼玉県に移りました。国内大会で上位に入っていましたが、2019年のリードユース日本選手権で初優勝。日本代表に選ばれ、その夏の世界ユース選手権に挑むことになりました。海外に行くのは初めてでしたが、イタリアの大会でユース世代の世界の頂点に立ちました。 「初めての感覚でした。緊張しているけど、動けないわけではない。いつも『練習通りにやれるかな』と思い緊張していましたが、ワクワクの方が強かった」 一つの殻を破った瞬間でした。 2020年ボルダリングユース日本選手権で優勝。21年は連覇を狙う 支援を受けながら埼玉のために尽くす高校1年の時から国体で埼玉県代表選手として活躍してきました。強化などを担う「埼玉県山岳・スポーツクライミング協会」にお世話になり、そこから、明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を勧めてもらいました。クライミングには靴やロープをはじめ、滑り止めのチョークなどにもお金がかかります。アスリートとしての自分を育ててくれた埼玉県のためになれて、支援をいただけるなら願ってもない機会と考えました。 20年にプログラムに参加し、「クライミングと関係ない方から応援をもらったり、『昔、(埼玉の)地元に住んでいました』というメッセージが届いたり、うれしかった」と支援金とともに大きな力になりました。一方で、感謝の気持ちを伝えようとSNSなどで発信しましたが、「皆さんにわかってもらえるような報告をするのが難しかった」と今回はさらに工夫しようと思っています。 所沢キャンパスで刺激もらう21年春から早稲田大学に進み、埼玉の所沢キャンパスに通います。「いろんな競技をやっている人がいて楽しい」とスポーツ科学部の同期から刺激をもらっているようです。世界をめざす一方で、インカレなど大学の大会に出る楽しみも増えました。練習場所は変わらず、壁の種類が違う埼玉のクライミングジムを、課題に合わせて移動しています。基本的には一人で練習していますが、時折、ジムなどで仲良くしている方からのアドバイスが新しい登り方のヒントになるのは大きなメリット。これも埼玉を拠点に活動するよさです。 体が弱かった自分を成長させてくれた百合草選手は「小さいころ体が弱かったので、集団競技で追い込むような練習はできなかった」と振り返ります。熱中症になりやすかったり、足を痛めて長く走ることができなかったりと少年野球をやっていた頃は苦労もありました。そんな時、スポーツクライミングと出会いました。「自分のペースと合いました。一人でできるし、じっくり考えながらできるので、どんどんはまりました」この競技に出会ってからやめようと思ったことはないそうです。「ずっと楽しく続けてきた」。競技を離れても、オセロや考えるゲームが好きで、「自分で組み立てて、それがうまくいったときがすごく気持ちいい」という感覚が、スポーツクライミングに合ったのでしょう。結果が出ない時期もありましたが、埼玉県協会のサポートなどで国際大会への道を開いていきました。 楢崎智亜選手のような存在にワールドカップ(W杯)へ挑めるはずだった20年はコロナ禍で実現しませんでした。連覇を狙った世界ユース選手権も中止になりました。そんな中、秋のユース日本選手権ではリードで2連覇し、ボルダリング初優勝と2冠を達成しました。21年は初めてのW杯や「連覇」を狙うシード権を持つ世界ユースなどが待ち受けます。「国際大会で活躍したい」としばらくできていない海外遠征を楽しみにしています。その先には4年に1度の大きな舞台も見据えています。国内第一人者の楢崎智亜選手が憧れの存在の一人です。20年の暮れ、若手数人で楢崎選手の拠点を訪れ、練習をともにする機会がありました。「トップ選手を間近に見られて、どんなことを考えているのかなど勉強になりました」。身長162cm、体重52kgの百合草選手は、海外で「ニンジャ」とも称される楢崎選手のような存在をめざします。 さらに自然のロッククライミングにも興味は向かいます。「今はあまり行けていませんが、外の岩はジムの期限がある課題と違い、世界に一つだけの課題。登れた時の達成感もすごく大きいはず」と夢は膨らみます。 大学生となり語学に力を入れるなど夢は広がる 全力の挑戦をみてほしい普段はおとなしい性格で、高校生活の中では、「学校の人に『壁を登っていると急に変わるからビックリした』と言われた」こともあるそうです。19年、初めてイタリアへ行ったことで、「海外の強いクライマーの登りをみて刺激をもらい、もっと強くなろうと思った」と意識が高くなりました。大学生になり、英語の勉強に力を入れようと思っています。将来的に欧州への留学希望もあるからです。 「練習から自分で考え全力でやっていきます。応援してください」 感謝の気持ちを忘れず、一歩先の夢をきっちりとかなえていくつもりです。 (取材・制作:4years.編集部)
全力で壁に挑み続け、支えてくれる方々に恩返しを
恥ずかしがり屋だった大学生クライマー
人見知りで恥ずかしがり屋だった百合草碧皇(ゆりくさ・あお)選手(埼玉県在住、早稲田大学1年)が自宅近くに新しくできたクライミングジムを見つけたのは小学5年生の時でした。一人では入れなかったので、最初は姉についてきてもらったそうです。目の前の複雑な形をした壁にはいくつもの課題がありました。
「やっても飽きない。一番上まで行ったときの達成感が大きくて。気持ちよくてどんどん登っていった。ちゃんと指導してもらっていたわけではありません」
遊び感覚で次第と力をつけていきました。
ジムごとの壁の種類の豊富さなど、よりよい環境を求め、専大附属高校(東京)進学を機に愛知県から埼玉県に移りました。国内大会で上位に入っていましたが、2019年のリードユース日本選手権で初優勝。日本代表に選ばれ、その夏の世界ユース選手権に挑むことになりました。海外に行くのは初めてでしたが、イタリアの大会でユース世代の世界の頂点に立ちました。
「初めての感覚でした。緊張しているけど、動けないわけではない。いつも『練習通りにやれるかな』と思い緊張していましたが、ワクワクの方が強かった」
一つの殻を破った瞬間でした。
支援を受けながら埼玉のために尽くす
高校1年の時から国体で埼玉県代表選手として活躍してきました。強化などを担う「埼玉県山岳・スポーツクライミング協会」にお世話になり、そこから、明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を勧めてもらいました。クライミングには靴やロープをはじめ、滑り止めのチョークなどにもお金がかかります。アスリートとしての自分を育ててくれた埼玉県のためになれて、支援をいただけるなら願ってもない機会と考えました。
20年にプログラムに参加し、「クライミングと関係ない方から応援をもらったり、『昔、(埼玉の)地元に住んでいました』というメッセージが届いたり、うれしかった」と支援金とともに大きな力になりました。一方で、感謝の気持ちを伝えようとSNSなどで発信しましたが、「皆さんにわかってもらえるような報告をするのが難しかった」と今回はさらに工夫しようと思っています。
所沢キャンパスで刺激もらう
21年春から早稲田大学に進み、埼玉の所沢キャンパスに通います。「いろんな競技をやっている人がいて楽しい」とスポーツ科学部の同期から刺激をもらっているようです。世界をめざす一方で、インカレなど大学の大会に出る楽しみも増えました。練習場所は変わらず、壁の種類が違う埼玉のクライミングジムを、課題に合わせて移動しています。基本的には一人で練習していますが、時折、ジムなどで仲良くしている方からのアドバイスが新しい登り方のヒントになるのは大きなメリット。これも埼玉を拠点に活動するよさです。
体が弱かった自分を成長させてくれた
百合草選手は「小さいころ体が弱かったので、集団競技で追い込むような練習はできなかった」と振り返ります。熱中症になりやすかったり、足を痛めて長く走ることができなかったりと少年野球をやっていた頃は苦労もありました。そんな時、スポーツクライミングと出会いました。「自分のペースと合いました。一人でできるし、じっくり考えながらできるので、どんどんはまりました」
この競技に出会ってからやめようと思ったことはないそうです。「ずっと楽しく続けてきた」。競技を離れても、オセロや考えるゲームが好きで、「自分で組み立てて、それがうまくいったときがすごく気持ちいい」という感覚が、スポーツクライミングに合ったのでしょう。結果が出ない時期もありましたが、埼玉県協会のサポートなどで国際大会への道を開いていきました。
楢崎智亜選手のような存在に
ワールドカップ(W杯)へ挑めるはずだった20年はコロナ禍で実現しませんでした。連覇を狙った世界ユース選手権も中止になりました。そんな中、秋のユース日本選手権ではリードで2連覇し、ボルダリング初優勝と2冠を達成しました。21年は初めてのW杯や「連覇」を狙うシード権を持つ世界ユースなどが待ち受けます。「国際大会で活躍したい」としばらくできていない海外遠征を楽しみにしています。その先には4年に1度の大きな舞台も見据えています。国内第一人者の楢崎智亜選手が憧れの存在の一人です。20年の暮れ、若手数人で楢崎選手の拠点を訪れ、練習をともにする機会がありました。「トップ選手を間近に見られて、どんなことを考えているのかなど勉強になりました」。身長162cm、体重52kgの百合草選手は、海外で「ニンジャ」とも称される楢崎選手のような存在をめざします。
さらに自然のロッククライミングにも興味は向かいます。「今はあまり行けていませんが、外の岩はジムの期限がある課題と違い、世界に一つだけの課題。登れた時の達成感もすごく大きいはず」と夢は膨らみます。
全力の挑戦をみてほしい
普段はおとなしい性格で、高校生活の中では、「学校の人に『壁を登っていると急に変わるからビックリした』と言われた」こともあるそうです。19年、初めてイタリアへ行ったことで、「海外の強いクライマーの登りをみて刺激をもらい、もっと強くなろうと思った」と意識が高くなりました。大学生になり、英語の勉強に力を入れようと思っています。将来的に欧州への留学希望もあるからです。
「練習から自分で考え全力でやっていきます。応援してください」
感謝の気持ちを忘れず、一歩先の夢をきっちりとかなえていくつもりです。
(取材・制作:4years.編集部)
支援期間終了
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最新のプロジェクト情報をお届けします。
支援者
1人
残り期間
0日
集まっている金額
50,000円
目標金額:500,000円
達成率10%
2022年02月28日23:59に終了しました。
支援期間終了
起案者
百合草碧皇(明治安田生命・地元アスリート応援プログラム2021)
当制度を通じて、出身地や活動拠点地域など、サポートを受ける「地元」に対して貢献したいというアスリートの活動を支援します。
1,000円
お礼のメール
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りします。
支援者の数 0人
支援期間終了
5,000円
お礼のお手紙
リターン
感謝の気持ちを込めて、お礼のお手紙をお送りします。
支援者の数 0人
お届け予定:2022年4月
支援期間終了
10,000円
サイン色紙+お礼のお手紙
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙をお送りします。
支援者の数 0人
お届け予定:2022年4月
支援期間終了
20,000円
サイン色紙+お礼のお手紙+オリジナルステッカー
リターン
感謝の気持ちを込めて、選手直筆のサイン色紙とお礼のお手紙、プロジェクトのオリジナルステッカーをお送りします。
支援者の数 1人
お届け予定:2022年4月
支援期間終了